第16話 心音

「……泣いてばかりなんですね、あなたは。悲しくても泣き、辛くても泣き、おまけに嬉しくても泣く」

「……すみません」

「いえ。ある意味、うらやましいなと」

「……?うらやましい……ですか」

 どこからどう見ても、ダメダメな自分をうらやましいと言われて、美玻が良く分からなという顔をする。

「まだ泣けるのですから」

 スズリが軽く笑いながら言う。

 言われた意味が、やはりよく分からずに、美玻は首を傾げる。

 単純に解釈すれば――

「……スズリは、もう泣けないの?」

 そう問うと、スズリが瞬間驚いたような顔をして、そこから盛大に笑い出す。

「そうだな、私はもう、泣き方を忘れてしまったのかも知れませんね……」

「……そんなこと……忘れてしまえるものなのですか?」

「忘れる努力をしたのですよ」

「なぜ……ですか?」

「そう……生きていくのに必要だったからですかね」

 笑顔のまま言われたその言葉は、美玻の胸に重く響いた。涙がまた、目の淵から溢れ出しそうになる。

「ああ……また。今度は、どうしました?」

「……だっ……て……そんな哀しいことを、笑って言うから……」


――しまったな。こいつは、こんなことでも泣くのか……素直すぎるというか。


 これは面倒くさくて、自分が一番嫌いな種類の人間かも知れない。これまで自分の周りには、こんな奴はいなかった。というより、そんな人間はすぐに淘汰され、何時の間にか姿を消していく。スズリはそういう環境で育ったのだ。

「もう、泣かないで頂けますか?その涙の塩気が、傷に染みますから」

「え?塩気……?ですか」

 真面目な顔で聞き返されて、スズリは苦笑する。

「……いや、そこは冗談なんですが」

「え……?」

「本当に、困った人だなぁ……」

 そう言って、スズリの右手が、美玻の手を掴んで、いきなりぐいと引いた。


 予期しないことに、美玻はそのまま体勢を崩す。怪我をしている手は何とか避けたものの、手を付く間もなく、スズリの体の上に覆いかぶさる格好になる。慌てて身を起こそうとしたが、スズリはそれを許さなかった。

「あの……」

 自分の体の上で、困惑する声がする。スズリはそれにお構いなしに、今度は美玻の頭に手を掛けると、強引に自分の胸の辺りに押し付けた。

「泣いている子供は、心音を聞かせると安心して泣き止むのだと、そう聞いたことがありましたので、試しに……」

「……あ、あたしはっ……そんなに子供じゃありません」

「おや。これは失礼いたしましたね。そんなにべそべそ泣いてばかりいるので、てっきり」

 そう言いながらも、美玻の抗議は無視で、スズリの手は美玻の頭を掴む手を更に力を込める。

「……どうです?聞こえますか?私の心音が……」

「……だから……離し……」


 トクン。

 耳にその音が届いた。


 トクントクン。と、一度捕らえた音は、規則正しい間隔で美玻の耳に次々と届き出す。同時にそこから、平素よりはだいぶ高いスズリの体の熱が、頬を伝って感じられた。

「……」

 これを心地よいと思うということは、自分は子供なのだということになってしまう。そう思うと、居た堪れない程の恥ずかしさを感じて、体中が火照り始める。

「……お願い……離して……もう泣かないから……」

 そう言うと、頭を抑え付けていた手が離れた。美玻は呆けたように身を起こす。

「落ち着きましたか?」

 穏やかな笑みを浮かべたスズリが訊いた。美玻はただ力なく、それに頷くばかりだ。


――もう、この人の前で泣くのはよそう。


 全身の力を吸い取られてしまったような疲労感を感じながら、美玻は猛然とそう思う。泣く度に、こんな風に抱き寄せられていたのでは、身が持たない……。スズリと目を合わせることさえ、何だか気まずい。

「……少し休みます」

 美玻は俯いたままそう言うと、四つん這いで牢の隅まで行く。少し距離を取った場所から見れば、スズリが顔だけこちらに向けて、気遣うような視線を向けて来る。それを見なかったことにして、美玻は壁に寄りかかって目を閉じた。体がひんやりとした壁の冷たさを吸い取って、体の火照りが落ち着いて行く。同時に、訳のわからない気持ちの方も少しずつ落ち着いて行く。


――子供……あたし……本当にそうだ。

 今更どうしようもないことを、嘆いて怨んで、駄々をこねて。



『そこでしばらく反省していろ』

 沖斗に叱られても、仕方がなかった。


 遠見として、龍の探索に行く。

 それは出来ないからと逃げることが許される程、軽いものではないのだ。


『大丈夫、何とかなる、と。そう思っていれば、大抵のことは乗り越えられるものですよ』

 今度は、スズリの言葉が胸の奥から響いてくる。



「……大丈夫」

 小さな声で呟いてみる。


――あたしには、見えるから。それに、一人じゃないから……きっと大丈夫。大丈夫……


 もう、今更出来ませんと言うことは許されないから、その言葉を信じて行くしかないのだと、自分に言い聞かせる。


――あたしは、遠見なのだから。


「……頑張らないと……いけ……ないから……」

 呟きながら、いつしか美玻は眠りに落ちていた。

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