第15話 安堵の涙
美玻はスズリの額に乗せられていた布を外し、傍らに置かれた水桶で冷やすと再び額に戻した。手の傷のせいで発熱しているのだろうか。そのひんやりとした感触を心地よさそうに、スズリの口から大きなため息が漏れた。そんなスズリの様子を見て、美玻が心配そうに眉根を寄せる。
「……でも、無理はだめですよ。やはり、痛いことは痛いのでしょう?」
「……まあ……痛いです……ね……」
スズリがそう白状して、はにかんだような笑みを浮かべた。その様子が何だか可笑しくて、美玻はようやく小さな笑みを零した。
「……どうして、あなたが私の介抱を?」
そう訊くと、美玻がどこか困ったような情けないような表情を浮かべた。
「……あたしには……遠見なんて無理だから……龍の探索なんて出来ませんって……」
「言ったんですか」
スズリが呆れ顔になる。
――そうか、この娘が変にごねたから。私にお鉢が回ってきたのか。
「……はい。それで多分、逃げ出すと思われたんじゃないでしょうか……旅の支度が整うまで、ここに入っていろって言われて」
『お前、迂闊なことを言うのも大概にしろよ。この期に及んで、洸由様のご機嫌を損ねる様なことを口にするとは、愚かとしか言いようがない……そこでしばらく反省していろ』
沖斗にたしなめられた言葉が脳裏に蘇って、美玻はやるせない思いを抱く。
――そんなことを言ったって、本当のことなのにな……
嘘でもいいから、遠見として振る舞えと、そんなことを言う沖斗の方が、無茶ではないのか。
「それで……?」
スズリに促されて先を続ける。
「……そうしたら、あなたがここに運ばれて来て、牢番の方が、どうせ暇なのだろうから、お前が面倒を見てやれと」
「それは、お世話をお掛けしましたね。ありがとうございます」
礼を言うと、美玻が複雑な顔をする。
「だって、それは……あたしのせい……だって、そう思ったから」
スズリはああ言ったが、自分のせいだという思いは、まだ美玻の中から消えていない。
「……私は、もう一度、痛い思いをして手を持ち上げて、そんなことはないと言わなければなりませんか?」
スズリが、いかにも心外だと言う声で問う。
「え……いえ……そんなことっ……ごめんなさい。……もう言いません」
思っていても、それはもう口にしてはいけないことなのだ。そう悟って美玻は項垂れる。スズリも沖斗と同じだ。本当のことを言ってはいけないという。それはやはり、自分の方が間違っているということなのだろうか。
――よく……分からない。
「大丈夫、あなたは立派な遠見ですよ」
その言葉に思わず顔を上げる。
「誰も見たことのない、あんなに見事な龍を見たではありませんか」
「あれは、ただ、見えただけで……あたしは遠見のことなんて、何も分からないし、龍の探索だって、どうすればいいのか……」
「見えるのなら、何も問題ないじゃないですか」
「……?」
「私は、伊達に諸国を流れ歩いていた訳ではないのですよ。龍の探索に関する知識ぐらい、知らないとお思いですか?」
「え……?」
「だから、探索の方法はこの私が承知しているのだし、あなたは見えるのだし……何も問題はないでしょう?」
「……本当に?」
「ええ。だから、大丈夫だと、そう言っているではないですか、さっきから……嫌だな、また何でこの間合いで泣くんですか」
美玻はまた、豪快に涙を零していた。
「だ……って……安心したら……勝手に……」
それ程心細かったのかと思うと、少し哀れな気もした。それに、そこまで隙だらけだと、付け込むのにどうにも罪悪感が生まれるではないか。
――やりにくい。
こんな世間知らずで、人を疑う事を知らない純真な娘を、自分はこの先欺いていくことになるのか。この巡り合わせを、自分は神に感謝している。探し続けた龍の鱗の手掛かり。それをようやく見つけたのだ。それでも、感謝以上に感じる、この後ろめたさは何だろう。自分にもまだ、良心などというものが残っていたのかと思う。
――こういう巡り合わせ……ということか。
これまで自分は、感情を殺すことで、色々なことを乗り越えて来た。他人を欺くことに、罪悪感など持たなかった。だが、今回はどうにも、その感情がいちいち呼び戻される……心が掻き回される。要するに、今度は感情を持ったまま、その痛さを抱えながら、最後の試練を乗り越えろということなのだろう。
――それが、罪を犯す者に与えられた罰、か。……それでもいい。……この願いが叶うのなら……他には何も望まない。どんな痛みにでも、耐えてみせよう……
スズリは自由になる右手を伸ばして、美玻の涙を拭った。いきなりのことに、美玻が驚いたように身を引いた。
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