第12話 鳥籠の内

 香木を焚いた煙がゆらゆらと漂う中で、波紅は、相変わらず不機嫌そうな顔のまま寝所に身を横たえていた。

「失礼いたします」

 部屋の外から声が掛かり、スズリが茶器一式を載せた盆を手に部屋に入って来た。盆の上の急須には、特別に配合されたお茶が入れられている。波紅が日頃から、美容の為にと愛飲しているものだ。その茶が器に注がれると、甘い花の香りを含んだ湯気が立ち上って、波紅の昂ぶった気持ちを、少し和らげてくれた。その香りにつられたように身を起こせば、そこに、いつも通りの微笑みが波紅を待っていた。


 スズリから受け取った茶碗を、波紅が両の手で包み込むようにしながら、軽く揺らす度に、心地の良い香りが辺りに満ちる。それを楽しむように、王女はしばらく手の中で琥珀色の液体を転がしていた。


――今日のことは、ちょっと城の中に野分が吹き抜けただけ。


 ぼんやりしながら、そんなことを考える。退屈しのぎにはなったではないか。明日からまた、何も起こることのない、平穏で退屈な日常に戻るのだ。


――だから、たまにはこういうことがあっても、いい……。それでも――


「……お前が優しくするのは、この私だけでいいのよ。分かっているのでしょうね?スズリ……」

 不意にそう呟いた波紅に、スズリは優しい笑みを返して言う。

「勿論でございます、波紅様」


――その笑顔。

 最近、気づいてしまった。

 その笑顔にはどうやら、嘘が混ざっているようだということを。


 この男は、自分に忠誠など寄せてはいない。

 そう気付いた目で見れば、スズリの言動には不自然に作り込まれた点が多かった。そして波紅は、今日の騒動で、また新たに一つ確信した。その確信が、間違いなく彼女の気分を良く無い方へ傾けている。

「……それを、あのような娘に、あそこまで……」


――この男は、その気になれば、誰にでも、笑顔を安売り出来る。


 そんな風に最初から疑って掛かれば、

「それは、波紅様が、そうせよと、ご命じになったからではございませんか……」

 その言い訳も、どこか白々しく響く。

「私は、ただ娘の口を開かせろと言っただけだわ」

「しかし、ああまで頑なでは、他に術を思いつくことが出来ず……波紅様には、それでご不快な思いをさせてしまったご様子。誠に申し訳ございませんでした」


 神妙なようすで、そんな風に素直に頭を下げられれば悪い気はしない。何と言おうか、この者は、場の空気を操るのが上手いのだ。一言で言えば如才なく、世渡りが上手いのだろう。ただ、あの娘に対するやりようは、いつもの冷静なスズリらしからぬ、少し度を越したものだったような気がした。いつもなら、こんなふうに波紅に付け込む隙を与えるような、あんな馬鹿な真似はしない。


――まさか、あれが……スズリが決して見せたことのない、本心……なのか。


 だとしたら、何が彼をそうさせたのだろうかと思う。

「……龍、か」

 つい、声が出た。

「はい?」

 聞き返したスズリに、何でもないという風に首を振ってみせる。

 結局、口を付けなかった茶器をスズリに突き返すと、波紅は物憂げに寝所にうつ伏せになった。それを合図に、スズリが波紅の体に指を這わせ、節々を丁寧に揉み解していく。その心地よさに、小さく吐息を漏らす。


――今更……理由などどうでもいい、か。


 どんなに才気があろうと、王女というだけで、国の大事に関わることはない。いずれ政の道具として他国へ嫁ぐまで、綺麗な置物でいることだけを望まれている。日常を、美しいものに囲まれて過ごすことぐらいしか、そんな自分の境遇を慰める術はないのだ。そこに嘘が混じっていようが構わない。

 美しいものを描き出す、美しい手を持つ、美しい男。

 私の心を慰めてくれるものなら、何でもいい。そんな刹那的な考え方をするようになったのは、自分が大人になったということなのか。嘘つきでも、ここに心がなくても、それでも、この美しいものを手放すのは、まだ惜しいと思う。微妙な女心である。


 体に触れられる心地よさに、うつらうつらしていると、戸口の方から、使い走りの呼ばわる声がした。

「……恐れ入ります、波紅様」

 スズリの気配がすっと遠くなる。声を掛けた者の方への応対の為、戸口へ行ったのだろう。スズリが相手と二言三言交わす声がして、その気配はすぐに傍らに戻って来た。

「……何事なの?」

 波紅が顔を上げると、スズリが膝を付き、うやうやしく薄い書状を波紅に差し出す。

「使いの者は、宰相閣下からの文と……」

 その名に波紅が顔をしかめる。あの男は、どうせろくな事を言って来ない。これまでの経験から嫌という程分かっている。


 書状を開き、そこに書かれている文言を目で追うと案の定、である。波紅の表情は次第に険しくなっていき、仕舞いには書状をくしゃりと丸めるに至った。書状は彼女の手の中で、気の毒なほど見事に握りつぶされていた。握った拳の力の入り具合から察するに、波紅の怒りが相当なものであるのが分かる。

「やられたわ。宰相の奴っ。全く、忌々しいったら……」

「如何なされました……?」

 声を掛けたスズリを見上げた顔は、怒りに満ちた声とは裏腹に、案外落ち着いているように見えた。が、スズリを見る波紅の目が、すうっと細くなる。それはどこか、うすら寒さを感じさせるような表情だった。

「……お前を、龍の探索の一行に加える様にと、陛下からそうお達しがあったそうよ」

「私が……ですか?」

 唐突な話に、スズリも驚いた様だ。

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