第8話 蒼天に見えるもの

 ところが、郷に着いてみれば、出迎えの者がいないばかりか、郷はひっそりと静まり返り人の気配すらなかった。不審に思った洸由は、沖斗と他数名の者に郷の中を探らせた。

 そして―― 

 やがてもたらされた報告に、洸由は驚愕させられることになる。


 郷では、数百はいたであろう人々が皆、一人残らず絶命していたのである。外傷もなく、皆一様に、眠る様に事切れているという。赤子から年老いた者まで、一つの例外も無く、郷は完全に死に絶えていた。

原因は分からない。

 ただ、これが疫病の類であった場合に、この状況をこのまま放置することは、他所への被害の拡大を意味する。それを防ぐためには、このまま郷を燃やすしかない。洸由はすぐにそう決断し、躊躇わずにそれを実行した。


――我らは、龍探索のための遠見を失った。


 郷を飲み込んで行く炎の渦を、洸由はそんな思いを抱きながら苦々しい表情で見据えていた。いかなる理由があろうと、事を成せなかったという事実は、この比奈では、それを指揮した者の不徳とみなされる。大きな手柄を期待して関わった事が、一転して、洸由を失墜させる大きな失点となったのだ。この汚名をそそぐのは容易なことではないだろう。

 それに、この比奈はどうなる。遠見の力なくしては、希物を探すことは出来ない。希物が献上できないとなったら……比奈そのものの存亡に関わる事態にもなりかねない。


――そのきっかけを、この俺が作ったということになるのか……


 洸由が暗澹たる気持ちになっていくのを嘲笑うかのように、炎は龍のようにうねり踊りながら、暗い夜の闇へと昇って行った。

 その時、失望の淵に立っていた洸由に一つの希望を示したのが、彼が最も信頼を寄せていた沖斗だった。


 今宵、姿返しの儀と呼ばれる祭祀が、郷から少し離れた山腹の祠で行われることになっているという話を、自分は以前郷長に聞いた。その祭祀には、遠見の一人が、神への生贄として捧げられるという話で、もしかしたら、その者が、生き残っているかもしれない。沖斗はそう言った。望みは薄いかもしれないが、もしかしたら、或いは……と。

 そうして、彼らが岩を積み上げて塞がれていた生贄の祠から掘り出して来たのが、この娘だったのだ。




 容赦なく照りつける夏の日差しが、不健康に白く透き通った娘の肌に降り注ぐ様が見るに痛々しい。沖斗の話では、この娘は、生贄として、この五年を、郷の龍神を祀る社から出ることを禁じられ、ずっとその中で過ごしていたのだというから、色の白さもそのせいなのだろう。


 祟り者として忌み恐れられていた存在。夏至を迎える前の晩に、姿返しという祭祀によって、天へ捧げられる。それが、この娘の運命の筈だった。遠見独特の野蛮な風習など知ったことではないが、常識的に考えて、これほどに見える娘を生贄にするなど、どうかしているとしか言いようがない。


――なぜ祟り者などと。


 娘は、熱心に遠くを見据えている。その目には一体、何が映っているのかと考える。

「……どうだ、娘。今度は何が見える?……そなた、ちゃんと龍の手掛かりを探しているのであろうな……」

 遠見は、夏至に天下ると言われる龍の残す痕跡を見るのだと聞く。龍が各地に残していくその痕跡を辿り、年ごとに変わる、龍の巣と呼ばれる龍の棲みかを突き止める。龍の痕跡は、夏至を過ぎると次第に薄くなって行く。だから、その痕跡を探るならば、夏至の日が最良であるとも。

「……」

 美玻からの返答はない。

「おい……」

 洸由が声を掛けると、天空を仰いでいた美玻が、驚いたように目を見開いて、ぶるっと身を震わせた。


――何だ?


 その様子を不審に思い、美玻の見ていた空を同じように仰ぐ。

 と、遠くの空で、不意にゆらりと空気が揺れた。只ならぬ気配に視線を戻せば、美玻は腰が抜けたようにその場に座り込んでいた。

「……見てない……あたしは何も……見てません……」

 顔に怯えたような色を浮かべ、美玻は、何度も首を横に振って、うわ言のようにただ否定の言葉を繰り返す。

「……見た……のか?まさか……」


――痕跡ではなく。まさか、そのもの……?


「何を見た?本当のことを言え」

 元々白かった顔が、みるみる生気を失って更に蒼白になっていく。そして、気の毒なぐらいに怯え震え始めた。

「……見てない……そんなもの……見たら……みんな死んでしまう……またそんなものを……見たりしたら……祟りが……」


――見たら、祟る?……それは、龍を見たら祟る……という意味か……


 祟り者として生贄にされかけていた娘。もしかして、祭祀がきちんと行われなかったから、郷に災いが降りかかったとでも言うのか。


――馬鹿な。そんな話があるものか。


 この娘は、何かを見たのだ。遠見として、龍に関わる何かを。それなのに、何故、口を閉ざす。ここで美玻が何も見えなかったと言えば、洸由は、遠見を失った責任を取らなければならない。

「言え、何が見えた。言わぬかっ」

 怯える美玻の肩を掴み、強く揺さぶる。

「そなたは遠見なのだろうが。比奈の王に仕える遠見でありながら、見えたものを告げぬということは、万死に値する所業であるということを理解しているのか……この場で、死にたいのか」

 洸由の強い口調にも、美玻はただ首を横に振るばかりで、その口は閉ざされたままだった。

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