第6話 謁見

「入るが良い」

 広間の中から、男の声がそう言ったのが聞こえた。だが、心の準備も何も無いいきなりのことに、足が竦んで前に出ない。体が小さく震え始めたのが、自分でも分かる。でも、その震えを止める術さえも分からない。

「早く行け。陛下をお待たせするつもりか」

 せっ突くように、沖斗が言って、美玻の背を押した。

「……で、でも、あたしはっ……ずっと社にいて……そりゃ、父は遠見の長だったけど……あたしは遠見なんかじゃ……」

「お前は、龍を見た遠見なのだろうが」

「え……」

 郷の者でもないのに、沖斗は何故それを知っているのか。

「いいか。ここまで来て、私は遠見じゃありません、なんて言ってみろ。命はないと思え」

「……でもっ。無理だもの。あたし……何も分からないし、何もでき……ない……」

「お前はっ、折角拾った命を、捨てることになってもいいのかっ」

 語気を荒くした沖斗に、それでも美玻は無理なのだということを訴えるように必死に首を横に振った。

 だって、自分は遠見ではないのだ。遠見になりそこなった、出来損ないなのだ。存在することすら許されない祟り者の身で、国王の御前に出ることなど許される筈もない。



 美玻がもたもたしていると、入口から壮年の男が顔を出して、こちらに声を掛けた。

「何をしている、早くせぬか」

「申し訳ございません、宰相閣下、只今。さぁ……」

 しかし、そう促されても、美玻は立ち竦んだまま震えるばかりで動けない。その有様に業を煮やしたように、沖斗はいきなり美玻の腕を乱暴に掴むと、そのまま強引に広間の中へと引き摺って行った。

「いや……離し……」

 抗議も半ばに、沖斗の手が離れて、体が床に投げ出された。美玻はその場に平伏させられた格好になる。

「そなたが遠見か」

 頭の上からやや不機嫌な色を帯びた威圧感のある声が降ってきた。そのたった一言で、心臓が飛び跳ねて体が硬直する。ただ、頭を垂れている事しか出来ない。

「構わぬ、面を上げよ」

「……」

 怖くて声が出せない。ましてや顔を上げることなど望むべくもない。広間には大勢の人の気配があった。そのせいか、熱気に包まれていて、体に圧し掛かる空気自体が、とても重く感じられた。

「……どうした?早くせぬか」

 苛立ちを含んだ声が急かす。

「……」

 汗が額を伝って床に落ち、そこに小さな染みを作った。それでも、顔を上げることが出来ない。すると、

「畏れながら……」

 頭上で別の声が言った。


「昨夜は何しろ強行軍で、火急の事態とて、我ら、僅か半日でここへ舞い戻った次第」

「うむ。そなたの働きには感心しておる、洸由」

「お言葉、有り難く存じます陛下。ご報告致しました通り、遠見の郷の有様は、誠に酷いもので……恐らくこの娘も、まだ気が動転しておるのでございましょう」

「さりとて、夏至の太陽も、もう中天を過ぎて西へ傾き始めておる。そう悠長なこともしておられぬ」

「承知しております……」

 洸由の声が近くなったと思うと、傍らに膝を付く気配がして、顎に手を掛けられた。そしてそのまま、ぐいと無理やり顔を上げさせられる。そんな扱いをされて、美玻は竦み上がり更に身を固くする。そんな美玻の耳元に洸由の声が囁く。

「……陛下が顔を見せろとおっしゃられたら、すぐにお見せするのだ、この無礼者めが……」

「……申し訳……ござい……ません」

「立て」

 顎を掴まれたまま、よろめきながら、それでも洸由の恫喝めいた囁きに怯えて、美玻はよろよろと立ち上がる。

 何かに救いを求めるように、美玻の目は広間に控えている人々の間を泳いだが、そこに彼女を助けてくれる者がいる筈もなかった。



 広間の奥の玉座に腰を下ろしている初老の男が比奈王だろう。その右側に、先ほど沖斗が宰相と呼んだ壮年の男が立っていた。そしてその反対側には、洸由と同じか、もう少し上の年頃の、比奈王の子息息女と思しき若者たちが数人並んで立ち、一様にどこか冷めた目で事の成り行きを見ていた。

「……そなた、遠見の役割は承知しておろうな」

 洸由の鋭い声が言う。

「……あたし……はっ……」

「承知しておろうな?」

 有無を言わせぬ強い口調で、念を押すように重ねて問われた。緊張に口が渇き、喉が張り付いて、容易に声を出すことが出来ない。それでも、美玻を見据える洸由の鋭い瞳は、彼女が何も言わずにいることを許すものではなかった。

「……我ら遠見の者は……比奈王の御為に……龍の……探索を……」

「そうだ。龍を探すのが、そなたら遠見の役目だ。そして、今やこの国には、そなたの他に遠見がおらぬ。となれば、そなたがその役目を果たさなければならぬという道理は理解出来ような?」

 自分の他に、遠見はもういない。

 改めてその事実を突きつけられて、血の気が引いた。


――あたしが……祟り者だったから。郷が……皆があんな酷いことに……あたしのせいで……あたしが……


 そう思うと、足の力が抜けて、美玻はそこに座り込みそうになる。しかし、その体を洸由の腕が咄嗟に支えた。自分は倒れることすら、許されていないのだと感じる。

「しっかりしろ。そなたが遠見の役目を果たせなければ、この比奈は傾くのだぞ。足に力を入れて立たぬか」


――……あたし……が……何……?


「いいから来い。そして、見るのだ。夏至に天より下るという龍の姿を」

 洸由は、まだ足元の覚束ない美玻の腕を掴むと、そのまま引き摺る様にして広間を横切って行く。広間の後方に控えていた臣下の者たちが、その様に驚き慌てて左右に避け、二人の行く道を空ける。

 洸由の背が、開け放たれた扉から差し込んでいた夏の強烈な光に飲み込まれて、美玻は眩しさに思わず眼を閉じた。

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