第4話 夏至の始まり

「……ごめんなさい。ごめん……なさいぃっ……」

 馬に乗れと言われて、乗り方すら分からなかった美玻は、決して大柄ではない沖斗に、下から体を支えて押し上げて貰っているのだが、そうまでしても、美玻の手は馬の横腹を撫でるだけで、そこをよじ登ることが出来ない。

 自分になど関わりたくないのだろうに、こんなにまで手間を掛けさせてしまうのが心底申し訳なく思えて、謝罪の言葉が絶えず美玻の口を付いて出る。

「黙れ、ごめんなさい、ごめんなさいと、連呼するなよ、鬱陶しい」

「ごめ……」

 下から不機嫌そうな声を掛けられて、また謝罪の言葉が出掛けた所で、視線を向けた沖斗がこちらを睨んでいるのに気づき、その言葉を半ばで飲み込む。


――ごめんは禁句。禁句だから。


 美玻が自分に言い聞かせていると、体を支えていた手が離されて、美玻の体はずるずると地面に引き戻された。また一からやり直し。そう思うと、情けなくてため息が出た。言葉にはしないまでも、申し訳ないという目を向けた美玻の前で、沖斗は手綱を掴み、鐙に足を掛けたと思ったら、いとも易くひらりと馬に跨った。

「凄い」

 思わず感嘆の声を上げると、沖斗が顔を顰める。

「馬鹿言ってないで、手を出せ」

「手?って……こう?」

 美玻がその意味を飲み込まないまま、手を差し出すと、手がぐっと握られて美玻の体がいきなり浮き上がる。

「……えっぇ?」

 沖斗のもう一方の手が、器用に美玻の腰のあたりを抱えると、その小さな体は、あっという間に馬の上に引きあげられていた。

「変な声を出すなよ」

 迷惑そうな沖斗の声が、いきなり至近距離から聞こえた。そのことに、動揺が更に増幅される。

「ぇ……だっ……て一緒に乗る……って……」

「お前、一人で乗れるのかよ」

「それは……無理だけどっ……でもっ」


――嫌じゃないの?あたしと一緒は……祟り者と一緒は……きっと嫌……よね?


 そこへ、すでに騎乗を終えていた仲間から声が掛かる。

「沖斗、準備は出来たか?」

「はいっ。問題ありません」

 その応えを合図に、前方で次々に鐙を蹴る音と馬のいななく声が聞こえて、洸由を先頭に十人程の隊列が走り出す。美玻の乗った馬はその隊列の最後に続いた。



 走り出してすぐ、何かが焼け焦げたような嫌な臭いが鼻に付いた。振り落とされたら、またこの人に迷惑が掛かる。そんな思いで、馬上で想像以上に跳ね上がる体が滑り落ちないようにと、必死にたてがみにしがみついていた美玻だったが、その臭いに不穏なものを感じて顔を上げ、辺りを見回した。


 いつの間にか夜は明けて、西の空に僅かに星が残るばかりの朝が訪れていた。陽はまだその光を見せていなかった。辺りには朝靄が立ち込めており、視界が悪かった。それでも、その白い靄の中に、不気味な黒い影が浮かび上がっているのが分かる。一旦そう気付いてしまうとすぐに、同じような影がそこらじゅうにあることに気づいた。よくよく見ればそれは、黒い炭のような塊で、靄はその黒い物体から湧き出していた。そう気づいた時、その光景が何を意味しているのか、美玻は悟った。


 これは何かが燃えた跡で、この靄はその煙がまだ燻っているせいなのだろう。では、視界を白く遮る程にいったい何が燃えたのか。それは、生贄の祠から山を下った場所にあったもの……ここは……まだ遠見の筈だ。ならば、それは――


 目の前の腕を縋る様に掴んでいた。それでも、沖斗は表情一つ変えず、前を見据えたまま、馬を走らせている。

「……郷は……遠見の郷……は」

 息苦しさを感じながら、ようやくそれだけ声を絞り出す。事実を確認するよりも先に、もう何かを確信してしまっている心が、悲しみを膨れ上がらせて涙で喉を詰まらせた。

「遠見の郷はもうない。全て焼け落ちて無くなった」

 沖斗の淡々した声がそう告げた。

「生き残った遠見は、お前だけだ」


――あたし、だけ……?


 自分だけが死ぬ筈だったのではないのか。それが祟り者の定めの筈だったのに。何故自分だけが生き残るのだ。喉が締め付けられるような感覚に、息が出来なくなる。


――祟り者が生き残ったから。


 だから、郷が代わりに消えた。そうではないのか。そう思った所で、美玻は意識を失った。



 不意に腕に重みが掛かったのを感じて、沖斗が眉根を寄せて視線を落とす。

「……おい、ちゃんと掴まっていないと落ち……」

 言い掛けて沖斗は、美玻が自分の腕の中ですでに気を失っていることに気づいた。その顔に、丁度昇って来た朝陽が差しかかり、涙の痕を浮かび上がらせた。

「……裁きの夜が明けた、か」

 呟いて仰いだ空は、あの日と同じ蒼い空。そして、天から降り注ぐ夏至の日の眩しい光が、また地上に満ちていく。

 その光と共に神は龍に乗り、天より下り来るのだ。地上の災いを祓い清めるために。

「……美玻、生き残ったのはお前の方なんだ……」


――運命を決める長い一日が……五年前と同じ夏至の日が、また始まる。


「だから……生きろ……」

 それもまた、辛い定めとなるのかも知れない。それでも、神は多くの犠牲と引き換えに、美玻が生き残ることを許したのだ。

 だから――


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