第3話

悪夢の出張が終わった。

楽しみにしていた北海道への旅行(出張)が、まさか、こんなにも酷い結末になろうとは予想出来なかった。

日常から非日常へ。

ちょっとした奇妙な出来事であったメール妻の一件。

ちぃばあちゃんの焼鳥屋で起こった傷害事件とミサという女の話。

伊良部から聞いた、赤い着物のわらべ歌のちぃちゃん。

そして。

メール妻の事を相談していたオレの同僚、エル子のとった衝撃の行動。

それは、ただの気の迷いや鬱憤といった行動とは常識を逸していた。

エル子の放った言葉は、オレを殺すことだった……

殺す……

恨みがあるならともかく、殺すとまで言う殺意があるなど、考えられなかった。

オレが何をした? 

確かに、エル子には仕事でいろいろと迷惑を掛けたが、それでも殺される程の迷惑を掛けたとは思っていない。

百歩譲って恨まれるまでも、殺すまでの理由にはならいないはずだ。

理由と結果。

そんな、当たり前の言葉で処理されるならば事はカンタンだ。

だが、しかし。

どう当てはめても、理解できない出来事の連続がオレに圧し掛かる。

単純な考え、単純な答えではない。

考えても意味不明で理解できない事の数々。

それを、無理に処理しなくてはいけない事への頭脳への負担は計り知れなかった。


#堅太

「う……うあぁ……ああぁ!」


#

思わず、大声を上げて、やるせない溜息を吐き出すしかないのだった。

オレの意識は、どこにいるのか? どこに向かっているのか?

すでに、それはわからなくなっているほど、オレの意識は麻痺していた。

そして、それは、時間の概念すらも麻痺させていたのだろう。

事件の3日後。オレは、自宅にいた。

ここはどこだ?

いや、北海道の出張から帰宅して、アパートにいるのはわかっている。

だけど、それは、本当に自分のアパートにいるのだろうか?

もしかして、まだ夢の続きでも見ているのではないだろうか?

はたまた、アパートに帰っている夢でも見ている生活を送っている他人を、第三者として見ている夢なのだろうか?

そうすると、今のオレは、誰の視点で誰の主観で見ている人物なのだろうかすら、わからなくなっている。

オレの思考は、エル子の取った行動を、ことごとく否定するかのように、目を背けている。

いや、意識を逸らしているのだろう。

あんな出来事が本当に起こる訳がない。

だって、エル子がメール妻の正体で、オレを恨んでいて、それでオレを殴ったり蹴ったりした挙句、オレを殺そうとまで言ったのだから、到底、信じられる筈がない。

実際に、エル子の放ったパンチ、キックは、腹部と顎を今もジンジンと強張らせている。

実際に、エル子の放った言葉、『殺してやる』という言葉も胸に深く突き刺さっている。

本当に、エル子が言ったのか?

それとも、エル子という別の人物が言ったのか?

それとも、エル子に他の人物がそう言わせたのか?

すべてが謎で、すべてが不可解で、全てが虚しかった。

心が張り裂けて、パンクしそうで、全身の生気が根こそぎ持っていかれたような虚脱感に襲われている。

エル子を心配する気持ちと、この事件の全貌を明らかにしたいという気持ちとは裏腹に、すべてを忘れて何もかも無かった事にして楽天的に酒でも飲んで酔いつぶれたい気持ちに苛まれていた。

オレは、結局、、何もできない存在であって、何一つ自分で解決出来ないだらしない男なのだ。

こんな、だらしない男には、エル子を改心させるような力もなければ資格もない。

ただ、黙って、うつむいて、知らん振りしているだけの小さな存在なのがお似合いなのだ。

テレビドラマのように、恋人を助ける為に、不可解な謎に首を突っ込む度胸もないのだ。

ああ、忘れたい……この状況から逃げ出したい……

酒でもメチャクチャに飲んで泥酔して、そのままずっと眠り込んでしまいたい。

おや?

よく見れば、俺の手にしている物は、まさに酒のビンではないか。

ワインだか日本酒だか何だかわからないビンだが、俺はそれをガブ飲みしていた。

口元から酒の液体がよだれと一緒に垂れて頬までつたった。

それを、グイとふき取り、またも酒のビンを口に突っ込む。

何度も、何度も、何度も。

その醜態を繰り返し繰り返し。

アルコールが思考回路と体の麻痺を増長させ、俺の精神は薄れていくのを感じる。

いや、感じる感覚すら感じてはいないのだろう。


#堅太

「ふふ……うふふ……あは……」


#

俺は、部屋に散乱するゴミの中から、レトロゲームの『マジカルメイドシスターズ』を手に取った。

そのパッケージは、ホコリや汚れやシミで、もはや美品ではなくなっていた。

せっかく、相沢が俺を元気付けようとプレゼントしてくれた物だったが、それも無用になった。

「なにが、マジカルメイドシスターズだよ? なにが、クリスチーナ笹子だよ?」

俺は、そのゲームを壁に向かって叩き付けた。

ガシャン。

ゲームのROMカセットは真っ二つに割れた。


#堅太

「なんだ。案外もろいんだな」


#

それもそのハズ。俺が投げた場所は鉄のドアだったので、プラスチックのROMカセットはもろくも粉砕した。

そして、カセットの中身の半導体を引きずり出した。


#堅太

「ふ~ん、これが特殊チップの、RC0720かぁ……」


#

俺は、マイナスドライバーで半導体をガズガズと突きまくった。


#堅太

「ははは!……こりゃイイ!……レゲー(レアなゲーム)もこうなったらただのゴミだぁ!」

「死んでしまえ! クリスチーナ笹子めぇ!」


#

ガヅン!

その時。俺の頭上から強烈な衝撃を受け、意識がもうろうとした。

さらに、頬っぺたをバシバシとビンタされ、首がねじれた。

そこには。

鬼のような形相をした男が仁王立ちしていた。


#堅太

「い、いた~い……なにすんの?」


#???

「うるさい! あのねのねか、オマエは!?」


#堅太

「え?……なんだって?」


#???

「だまれ! こんな大変な時に、オマエは何をやっているんだよ!?」


#

ぼんやりとした意識の中で、目の前にいるのが、会社の同僚の相沢だとわかった。


#堅太

「相沢……何でここに?」


#相沢

「落ち込んでいる暇はないぞ、堅太。とにかく大変な事が起こった!」


#堅太

「ど、ど、ど、どうしたんだ?」


#

相沢の顔、声、どれもが、日常とは違い常軌を逸していた。


#相沢

「ちぃばあちゃんが、何者かに暴行を受けて病院に運ばれたんだ」


#堅太

「ええぇっ!? どこで聞いたんだ?」


#相沢

「警察の人が、ここの住所を訪問してきた時に聞いたんだ。運ばれたのはY病院だ。」


#堅太

「わかった! すぐ行こう!」


#

俺は、突如として起きた出来事に、落ち込んでいた事などすっかり忘れ、無我夢中で病院まで走った。

何かが始っている……

俺は、例えようもない不安を振り払うよう、必死で病院を目指した。

-10分後。

俺は、ぜぃぜぃと息を切らしながら、病院の受付になだれ込み、しどろもどろの口調と慌てた剣幕で病室を聞き出し、またも階段を駆け上った。


#バタン。

集中治療室の入り口を大きな音を立てて駆け込む。

当然、看護師にあわてて注意される。

そして、俺の目の前には、ちぃばあちゃんが透明なビニールの中で横たわっていた。

頭と手には包帯。顔には擦り傷のようなアザも見受けられる。

けして軽い怪我ではない事は、瞬時に理解できた。

俺は、ちぃばあちゃんが、どこかで転んだりしたのではないかと、最初は思った。

だが、相沢の言った、『暴行を受けた』という言葉に怒りを覚えた。


#堅太

暴行を受けたと言うからには、誰か第三者が加害者なのだ。

こんな、歳をとった老人に危害を加えるなんて……そんなヤツがいることに憤慨した。

「誰だ!? どうして、こんなヒドイことを!?」

俺がうっかり大声で叫ぶと、またも看護師が両手をあげてなだめてきた。

そして、医師の説明を受けながらも、俺の怒りのコブシは握られたままだった。

幸い、命に別状はないとの事だったので、俺はひと安心つくことができた。

相沢は、無言で俺のそばにいた。不安な時に誰かが側にいてくれるのは助かる。

もし……ここにエル子がいてくれれば……

俺は、いつしか、そんな事を考えてしまっていた。


#相沢

「先生も安静にしていれば大丈夫だと言っている。色々支度もあるから帰ろう」


#

後ろ髪引かれる思いだったが、ちぃばあちゃんの入院の支度の為に帰る事にした。

帰宅の最中、相沢は、重い口を開くようにこう言った。


#相沢

「堅太、おまえも色々な事が重なって大変だとは思う。しかし、話しておきたい事がある」


#

相沢の凍りついた表情と、震えるような語尾からは、穏やかでない話が始るのは容易に想像がついた。


#相沢

「メール妻のことだけどな……」


#堅太

「え?……あ、あぁ……」


#

ちぃばあちゃんが襲われた矢先、どんな話かと思えば、メール妻の事とは思ってもみなかった。


#相沢

「よく聞けよ」


#

相沢は俺の顔をにらみつけるように凝視すると。唾を飲み込んで喉を鳴らした。

いつでも冷静な相沢だからこそ、この仕草は、いつもと違う内容だと感じた。


#相沢

「おまえがメール妻に夜食を作ってもらったことがあると話をしたよな」


#堅太

「あ……ああ……」


#相沢

「それで、メール妻は、おまえがいないのに勝手に部屋にあがりこんで、肉じゃがやら、おにぎりやら、何やらを作ったと」


#堅太

「そうだけど……でも、最後は、カップラーメンが置いてあるだけだったけど」


#相沢

「とすると。その時は、間違いなくメール妻はおまえの部屋に存在したということだな?」


#堅太

「存在……って、まぁ存在といえば存在したんだろうな」


#相沢

「それでだ。その後、おまえがメール妻の待ち合わせに来なくて落ち込んだよな」


#堅太

「う……そ、そうだけど……何でそんな事いまさら蒸し返すんだ?」


#相沢

「あまえの部屋に、メール妻として上がり込んだ人間の正体がわかった」


#堅太

(メール妻の正体……それは、エル子が自分で明かした事だ……)

「知ってる……エル子だろ……」


#相沢

「そうだ。DNA鑑定で、間違いなくエル子……瀬野栄子だった」


#堅太

「ん?……えっ!? DNA鑑定って……どうやって?」


#相沢

「専門の機関に頼めば可能だ。それを俺が行っただけの話だ」


#堅太

「はぁ……でもどうやって……」


#相沢

「おまえが落ち込んでいる時に、『マジカルシスターズ』のソフトをあげただろう?」

「その時に、おまえの部屋で採取した頭髪を調べたんだ」

「長い髪の毛があれば、それはおまえの髪の毛ではない」


#堅太

「いつのまにそんな事を…まぁ、流石だよ、おまえらしいよ相沢」


#相沢

「フフン。おまえの部屋に女性が訊ねてくる事などある訳ないからな」


#

そう、ハッキリ言われると、なんかムカつくが、言い返せないのがさらにムカついた。


#相沢

「とにかく。結果で考えると、エル子がメール妻を装い、おまえに何か騙そうとしたのは間違いない」


#堅太

「ぐ……北海道で、エル子に襲われれば、それも間違ってないけどな……」


#

俺は、顔を伏せて頭を抱えた。


#相沢

「まぁ、そう落ち込むな。それで、調べていくうちに、エル子には、同居している人間がいたらしい」


#堅太

「え? それって……同棲ってことか!?」


#相沢

「落ちつけ。相手は女性だ。それは間違いない」


#堅太

「そうか……それにしても、よくそこまで調べれたな……」


#相沢

「フフン! DNA鑑定はおれの叔父が大学教授だからお願いした。そして、エル子の身辺調査は社内の人事課のパソコンからちょっと拝借したデータの住所を調べ、張り込みをした」


#

ん? ちょっと待て。そこまでするのはスゴイ事だが……

それって、何ていうか、探偵とか興信所の仕事と同じではなかろうか?

一般人である相沢が、そこまで深く調べられた事に、驚きと違和感を覚えた。


#相沢

「はは! おまえが不信に思うのも当然だな。この際だから言ってしまうけど、おれの趣味は他人の生活を覗き見る事なんだ。ははは!」


#

相沢は、悪びれる態度もなくふんぞり返って笑っていた。

俺は、俺が、今まで見てきた相沢という人間の正体がわからなくなってきた。

同じ会社で、同じ社会人として、普通の生活を送ってきた仲間だとばかり思っていた。

それが、裏の顔は、犯罪まがいのグレーな行いばかりだった。

なぜだ? みんなそうなのか?

表向きの顔だけ体裁をつくって、社会人をとりあえず演じ、フタを空ければ正反対の顔を持っているのか?

相沢も、エル子も。それが普通だったと言うのか?

俺は、今までまじめに生き、社会人として道を踏み外さないよう気をつけて生きてきた事がバカらしくなった。


#相沢

「ふふ……その顔は、まさに鳩に豆鉄砲」

「だが、今回のエル子の件は、そんな生易しい事件ではないと思うぞ」


#

事件……相沢の放った言葉の意味。

そうだ。エル子のとった行動は、裏の素顔であるとすれば、かなり異常で異質なことだ。

俺をメール妻で騙した事と、さらには、北海道で俺を暴力で襲った事。

そして。エル子の言い放った言葉、。

「アンタを殺すことさッ!」

衝撃の言葉が頭から離れない。

そのどれもが、ただの悪ふざけではなく、意味の深い悪戯の言葉であった。


#相沢

「あ~自分のことしゃべってスッキリしたよ。これもおまえのおかげかな」

「おっと、そんな目でおれを睨むな。おれはおまえに協力させてもらうぞ」

「なんせ、人の裏の顔を追い続ける事が生きがいだったんだ。こんなに興味の沸く話はない」


#

今の相沢は、もはや、俺の為に力になってくれるのか、自分の欲求を追及する為なのかわからない。

ただ、こうなったら。この際だから。もう、そんな事はどうでもいい。

目の前に起こった出来事は。今の自分の考えられる範疇を超えている事に間違いはない。

だとすると。常軌を逸している相沢の行動も、何だか少し心強いとも感じられなくもない。

そうだ。俺は、エル子を助けなければ。

いや、エル子の本当の気持ち、エル子の本当の思いを確かめなければならない。

俺の心の奥底に、力強い思いが湧き上がってきた。


#相沢

「その顔……どうやら、復活したようだな!」


#堅太

「ああ……これもおまえのおかげ……ってのは褒め過ぎだけど。とにかく勇気が沸いたよ!」


#

俺と相沢は無言で見つめ合い、ニヤリとほくそ笑んだ。

まさか、会社の同僚と、こんな常識外れの話をしようとは、考えもしなかった。


#相沢

「答えが出たって顔だな。よし! まずは、ちぃばあちゃんの部屋に行こう」


#堅太

「なぜだ?」


#相沢

「決まっているだろう。こうまで立て続けにおかしな事が起こっているんだ。今回のちぃばあちゃんの暴行事件も間違いなく、一連の事と関係があるハズだ」


#

思いもよらなかった。まさか、エル子の事件と、ちぃばあちゃんの事件がつながっている事が。


#相沢

「おまえが驚くのも当然だが……」


#堅太

「 事実があって結果がある……おまえの口癖だもんな」


#相沢

「そうだ。ちぃばあちゃんの部屋に、何か手がかりがあるかもしれない」


#堅太

「わかった。行こう!」


#

俺と相沢は、何かに急がされる様、早足でちぃばあちゃんの部屋へと向かった。

それは、これから起こる不可解な出来事を察知するかの如く、焦っていたのかもしれない。


#

早足で、俺と相沢はアパートに戻って来た。

ここのアパートは、一階が、ちぃばあちゃんの経営する飲み屋で、その二階が、俺とちぃばあちゃんの部屋。

さっきまで落ち込んでいた俺の部屋の隣が、ちぃばあちゃんの部屋だった。

両親を訳あって失った俺の肉親は、今は、ちぃばあちゃんだけだった。

だから、ちぃばあちゃんには子供の頃からずっと可愛がってもらい、社会人になった今でもお世話になっている。母親代わり……いや、それ以上の存在であった。

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ちぃちゃんの夢 しょもぺ @yamadagairu

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