第2話

それから一ヵ月後。

オレは会社に出勤していない。

何をしているかというと、いわゆるヒキコモリだ。

毎日を、何をするでもなく、惰性で過ごしている。

会社には、長期の休暇を申請した。

とりあえず、福利厚生はしっかりした会社なので、有給の消化も兼ねていた。

精神的な病……

それが理由だが、エル子が上司にうまく伝えてくれたおかげもあるのだろう。

それを知ったのは、ずいぶん後のことになるが、なんとかオレの長期の有給休暇は承諾された。

この前は、相沢がお見舞いに、アパートを訪ねてきてくれた。

やつれたオレの顔を見て、眉間にシワを寄せ、随分申し訳なさそうな顔をしていた。

メール妻の正体を暴こうとした罪の意識なのか、相沢はばかに優しかった。

それで、オレに秘蔵のある贈り物をくれた。

#相沢

「これは、お前も欲しがっていた物だから、やるよ」

「なに、俺はもう飽きたからいらなくなったんだよ」

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#

そう言ってくれたのは、今は懐かしい、昔の8bitゲーム機のゲームカセットだった。

タイトルは、『マジカルメイドシスターズ』だ。

何を隠そう、オレの趣味はレトロゲームだ。

現行機のゲームも嫌いではないが、どうにも、グラフィックだけ凝った内容に辟易していたのだ。

だから、シンプルかつゲームの面白さが凝縮された80年代のゲームがたまらなく好きだった。

そして、このゲーム、『マジカルメイドシスターズ』は、当時のゲームソフトのクオリティにおける、ゲーム性、操作性、音楽、グラフィック、システム面を遥かに凌駕していたと言っても過言ではない。

当時のROMカセットの容量はたかが知れている。

あのゲーム史上名作と言われるジャンプアクションの元祖、『スーパーマリコシスターズ』は、なんと、今の写メの容量よりも少なかったと言うから驚きだ。

そして、8bitゲームソフトも、革新的な飛躍を遂げ、4メガROMを搭載というモンスターソフトが登場する。

しかも、音源はメーカーオリジナルのチップを載せ、PSG音源を超えた音色を奏でた事は驚きの出来事だった。例えるなら、例えが古いが、ラーメン屋のチャルメラのラッパの音が、いきなりオーケストラに変わったぐらいの革新なのだ。

だからというか、当然と言うか、当時からこの、『マジカルメイドシスターズ』は人気、売り上げともに、常にトップクラスのオバケソフトだった。だから、当時に金目的で参入した新規メーカーの開発力などは足元にも及ばず不動の地位を確立したのだ。

そんな実力と思い出を併せ持つソフトが、30年以上経った今、プレミアがつかない筈が無い。

相沢は飽きたからくれると言ったが、購入した際には、さぞかしプレ値で購入したに違いない。

しかも、箱説明書付の完品で、シール剥がれや汚れも少ない美しい品ときたもんだ。

さらに! 驚くことに、当時CMとタイアップしていたメイドシスターズのイメージキャラクターである、クリスチーナ笹子の激レアシール入りだから、オレはたまらず腰を抜かしてしまったほどだ。

それほど貴重で価値のあるゲームソフト。

家には神棚がないので飾る事はできないが、あれば飾っておきたいほどの家宝に相当するアイテムなのだ。

だからと言って、飾っておくだけでは、ただのエセマニアか、値上がりを待つテンバイヤーでしかない。

すでに、オレはこの伝説のソフトを、子供の頃から所有している実機にて動作させている。

お気づきだろうか? この軽快なサウンド。これが、オリジナルチップの破壊力だ!

よくもまぁ、音色が増えたと言ってもたかがPSG音源で、よくぞここまで美しくもリズミカルな音色を奏でられたものだ。

ゲームと言うのは、操作性やゲーム性が重要なのはもちろん至極当たり前の事だが、いつまでも耳から離れられない音楽こそが、時代を超えた記憶を呼び覚ましてくれる重要なファクターなのだ。

そしてゲーム性もすばらしい。

ただ、レベルを上げて体力任せに敵に突っ込めばクリアできてしまうような、陳腐な難易度設定ではない。

巧妙かつ大胆な敵の配置は、完全にプレイヤーの心理を突いてくるし、確実にこちらを殺そうとしている事は、ある意味、完全犯罪を超えた殺しの美学すら感じさせてくれる。

やられてもやられても、それがストレスに直結せず、尚且つ何度でもチャレンジさせるヤル気を起こして奮い立たせてくれる。小学生時代、こんな担任の先生がいれば、オレも、もっと素直でヤル気のある人間になれたのではと思ってしまうほど、このゲームは素晴らしいのだ。

#

オレは今ヒキコモリでヤル気がないといったが、ゲームに関してはウソだ。

さっきからレベル上げに集中していただけで、いよいよこれからボスのいる部屋へと向かう。

体力回復アイテムにマジックパワー回復アイテム、さらに、武器を可能な限りスキルアップさせる事も忘れていない。さらに、さらに、魅力のステータスを上げ、このゲーム最大の魅力である、『ウッフンシステム』発動の鍵も取得済みだ。

この『ウッフンシステム』については詳細は控えるが、例えて言うなら、メイドの魅力を極限までウッフンさせたとでも言っておこうか?


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さて、いよいよ、ボスの部屋を開け、迎えるは、最強最悪の敵、『ゼッキンヨコーセ』だ。

こいつの恐ろしい所は、一発でも触れると持っているゴールドを全て剥ぎ取られてしまうことだ。

持ち金のゴールドが減るとどうなるかと言うと、仲間のメイドシスターズが悪に寝返ってしまうのだ。

これでは、せっかく苦労して仲間にしたメイドシスターズを奪われてしまう。

昔のゲームバランスは、今のゲームように、ヌルヌルの救済措置が施されているのではなく、まさに鬼畜なのだ。

だから、一瞬の油断が命取りだ。思わずコントローラーを握る指先まで脂汗でヌルヌルになってしまうので早めにティッシュでぬぐっておく事をオススメしたい。


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#

そして、ついに来たラスボスとの対峙!

画面一杯に表示される巨大なキャラクター。これはスプライトをチラつく限界まで表示させているから成せる技で、ヘタなプログラマーでは、とてもここまで描画できなく、ヘタをすると画像処理が重たくてクイックが掛かりまくってゲームにならなくなってしまう。

そこへくると、このゲームのプログラマーは、当時は『神』と呼ばれた存在で、家庭機なのにアーケード機なみの移植を行ってきたからさぁ大変! 巨大な多間接キャラやラスタースクロールを物ともせず、擬似3重スクロールまでも可能にしてしまったのだ!

見よ! この美しいグラフィックを! これが、当時の最高水準のゲームなのだ!


ボスを撃破するまでの数分間。オレには幾万年もの無限の時間(とき)にすら感じられたが、なんとかエンディングを迎える事ができたのだ。ありがとう、『マジカルメイドシスターズ』

オレは、このゲーム名前を一生忘れはしない。さぁ、これで思い残す事はない。

明日からは、どんな無意味な生活が訪れようとも、オレは今の一瞬の感動を忘れずに生きる事ができる。


さらに素晴らしいのは、このゲームの作曲者である『PANICPUMPKIN』さんのHPで、楽曲がフリー素材としてダウンロードできるのがまた素晴らしい。良い曲というのは、こうして万人が聴けてこそさらに広がっていくのだということが本当にすばらしい。かなりマニアックな話になってしまったが、まぁよしとするか……



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#

「じゃあ、明日から会社に来なさい」


#堅太

「うわあっ! いきなり誰だ!」

#

驚いて後ろを振り返ると、そこにはなんと、エル子が座っていたのだった。

#堅太

「ど、どうして、ここに?」

#エル子

「どうしてって……アンタの長期休暇も今日で終わりだから、上司の斉藤さんから様子を見て来いっていわれて、仕方なくきてやったのよ」

#堅太

「……」

#

そうだった。言われてみれば、有給休暇は今日で終わりだった。

明日からは、また、仕事を始めないといけないのか。

いや、まてよ。このまま仕事なんかせずに、会社を辞めてしまうという選択肢だってある。

#エル子

「あ! いま、アンタ、会社を辞めようと思ったでしょ!」

#

さすがエル子だ。読みが鋭い。

#エル子

「冗談やめてよね! あんたのせいで、私の仕事量がどれだけ増えるかわかっているの!?」

#

たしかに。オレのパートナーであるエル子に迷惑が掛かっている事は重々承知していた。

でも、一ヶ月も休んで、明日から普通に出勤して仕事が出来るほど、オレのハートは強くないのだ。

#エル子

「心配そうな顔しなくても大丈夫よ」

#堅太

「え?」

#エル子

「明日からは楽な仕事よ。しかも、3日後から北海道に出張できるのよ!」

#堅太

「ほ、ほんとうか……しかも、北海道か……」

#

確かにそれは魅力的だった。

上司から聞いた事があったが、北海道の出張先では、仕事も楽だったと聞いていた。

仕事はじめの第一歩としては、ラッキーであるかもしれない。

それに、実は、自炊をせずにいたので食費がかさみ、金欠でもあった。

今ここで仕事を辞めても、明日からどうやって生活していけばよいのか見当もつかない。

本当は、レトロゲームでも作って趣味の世界で暮らしたいのだが、オレのスキルではそれも無理だろう。


#堅太

「う、うおおっし! 明日から仕事いくぞ!」

#エル子

「よしよし、なんとか復活したようね」

#堅太

「それにしても、サトボーのヤツめ。エル子を差し向けるとは、敵ながらあっぱれ」

#エル子

「コラ、上司の斉藤さんと呼びなさい」

「でも、堅太には厳しく怒鳴る時もあるけど、ああ見えて、けっこう優しいのよ」

#堅太

「ホントかよ~。あ、わかった!」

#エル子

「な、なによ? そのイヤラシイ顔は?」

#堅太

「おまえ、まさか、サトボーにホ……」

#エル子

「ホの字なんて言ったらゆるさないからね!」

#

エル子は、両腕をオレの頭上に振り上げて怒った。

#堅太

「わぁ~! うそうそ! すいませんッ!」

#エル子

「わかれば、よろしい! はい、これ」

#

エル子は、そう言って、コンビニの袋を差し出した。

#堅太

「なんだ、コンビニのオニギリかよ」

#エル子

「せっかく買ってきてやったのに失礼ね! どうせあんたの事だからロクな物食べてないんでしょ?」

#堅太

「まぁ、当たっているけどな。そこ見てみ?」

#

オレが部屋の隅を指差すと、そこにはダンボール箱からあふれるほどのレトルト食品が置かれている。

#エル子

「なんだか体に悪そうな物ばかりね。ちょっと高級そうな物が多いけど」

#堅太

「これさぁ、伊良部のお見舞い品なんだぜ」

#エル子

「伊良部くんかぁ、彼らしいね」

#堅太

「しかも、カレーばっか! 会社の食堂で、カレーは食い飽きてるのに……ま、おいしく頂いたけど」

#エル子

「伊良部くんも、相沢くんも心配してるよ」

#堅太

「そうだな、元気出して会社行くとするか!」

#

オレは、エル子が買ってきてくれた、コンビニのオニギリを食べ始めた。

#堅太

「…………」

「エル子、あのさ」

#エル子

「なぁに、今、お茶入れてるから」

#堅太

「オニギリって作ったことある?」

#エル子

「え! ど、どうしたのよ? 急に……」

#堅太

「いや、そのさ、オニギリって普通、三角だよね?」

#エル子

「まぁ……コンビニのオニギリは三角よね……それがどうかしたの?」

#堅太

「うん。この前、メール妻が作ってくれたオニギリ……あれは四角だったんだ」

#エル子

「……」

#堅太

「昔……オレの母さんが作ってくれたオニギリも四角だったんだよ……」

#エル子

「亡くなったお母さん……思い出の味だったってこと?」

#堅太

「そう。だからかな……メール妻のオニギリが、とびきり美味しく感じたのは」

#エル子

「メール妻が聞いたら、喜ぶかもね。ところで、堅太……その……」

#

エル子が、何か聞き辛そうな態度をしていたので、オレは理解した。

#堅太

「ああ、あの事ね。メール妻のことは、もう大丈夫。吹っ切れたよ」

#エル子

「そ、そう……だったらいいんだけど。仕事中にボーッとしてても私が困るしね」

#堅太

「へいへい、ご迷惑お掛けしました」

「……あのさ、エル子」

#エル子

「なぁに?」

#堅太

「オニギリ……作ってくれない?」

#エル子

「私に四角いオニギリを作れって事じゃないでしょうね?」

#堅太

「う!……ま、まぁ、その……」

#エル子

「ダ~メ! そういうのは、あんたが彼女を作ってから作ってもらいなさい!」

#堅太

「ちぇっ!」

#エル子

「あ、まさか、あんた!」

#堅太

「な、なんだよ?」

#エル子

「メール妻にフラれて寂しいから、あたしを狙っているワケ?」

#堅太

「アホ! そうじゃねぇよ」

「オレの理想のタイプは、メイドシスターズのクリスチーナ笹子なんだよ」

#エル子

「ゲームか何かのキャラね? 堅太キモ~イ!」

#堅太

「オレの笹子をバカにするな」

「おまえだって、男になんて興味ないんだろ?」

#エル子

「残念でした。私にだって、好きな人くらいいるもん」

#堅太

「はいはい、そうですか。せいぜい撃沈して、今度はオレが慰めに行かないようにして下さいよ」

#

バシン!

オレの顔面にゲーム雑誌が直撃した。

#エル子

「くだらない話はこれでおしまい。さって、旅行の準備でもしなくちゃ」

#堅太

「お~い、北海道は旅行じゃなくて、会社の出張ですよ~」

#エル子

「そうそう、出張。ルンルン♪」

#

バタン!

エル子はドアの音を大きく響かせながら帰っていった。

#堅太

「まったく、ガサツなヤツだなぁ」

「…………」

「でも、あいつに元気づけられたかな?」

「また今度、ちぃばあちゃんの焼鳥でもオゴってやるか」



#

だが、しかし。

この先、エル子に焼鳥を食べさせる事はできなかった。

楽しみにしていた北海道への出張。

まさか、あんなことが起きようとは、想像もできなかったのだ……


=========================<scene8>


#

そして、次の日。

オレは、一ヶ月ぶりの出勤となった。

相沢や伊良部、サトボーもとい斉藤上司の暖かい歓迎を受け、オレはなんとか社会復帰できた。

これもエル子のおかげかな。

なんて、ちょっぴり感謝しながら忙しい業務を行っている。


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#

三日後。空港~

オレとエル子は、北海道の空港へと到着した。

飛行機に乗るのははじめてでかなり緊張したが、それでも北海道への憧れもあったので、なんとか耐える事ができた。

#堅太

「う~ん、北海道はでっかいどう!」

#エル子

「そのギャグ死刑!」

#

どちらの会話も時代遅れだが、こんな感じでリラックスしながら、オレの北海道旅行……じゃなくて出張は始まった。

まずは、仕事先へ行っての打ち合わせだ。

今さらながら説明するが、オレの仕事というのは、子供向けの教材を扱っている会社だ。

児童書から知育玩具、はたまた学習教材やら服飾関係までと幅広い。

それだけに、業界の中ではまずまずの大手で部署も多く、営業やら事務処理やら出張やら接待やらと業務内容は忙しい。かなり忙しい。とにかく忙しい。

でも、子供たちのいる場所で仕事する時などは、子供たちの笑顔を見ると、やりがいがあると実感する。

とにかく、仕事は嫌いではないのだ。忙しくなければ。

#エル子

「堅太! 担当さんが待っているわよ!」

#堅太

「おっと、いけない!」


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#

北海道の大自然をもうちょっと満喫したいとこだが、それは夜のお楽しみとしておこう。

今日の日程は、児童館で絵本の営業をかけることだ。

先方は、ほとんど乗り気なので、そつなくこなせば失敗する事もないだろう。

案の定、先方との契約は締結され、出張1日目にしてはそれなりの成果を出す事ができた。


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夕方。

ホテルの一室で上司に報告するレポートを書き終えた頃、エル子から連絡があった。

5分ほどして、オレの部屋にエル子が入ってきた。

#エル子

「そっちはどう? 私の方は片付いたけど」

#堅太

「ふふっ、バッチリよ! この後のお楽しみが待っているからな!」

#エル子

「うふふ、堅太ったらそんな事ばかり考えて……イヤラシイんだから」

#

エル子がオレの部屋に来たのは、2人でこれからイヤラシイ事をする訳ではない。

仕事を終え、余暇を楽しむためだ。

#堅太

「エル子こそ私服に着替えて飲む気マンマンだな」

#エル子

「あたりまえ! そのための北海道だもん」

#

上司が聞いたら怒られると思うが、たまには破目を外しても罰は当たらないだろう。

#堅太

「よし行こう! とりあえずは……メシ!」

#エル子

「夜景!」

#堅太

「えぇッ! ちょっと待てよ。 北海道って言ったら海の幸だろ?」

#エル子

「だ・か・ら。その前に夜景よ。付き合いなさい」

#堅太

「うへぇ……おひとりでは……ダメ?」

#エル子

「あんた、私みたいな若い女性をひとりにするって言うの?」

「私にさみしい影のある女性の役をやらせるって言うの?」

#

なんだろうか。エル子がいつもよりわがままに感じるが。

まぁ、北海道という遠い地にくれば、多少心が浮つくのは仕方ないことか。

#堅太

「りょ~かい。さっさと行きますか……」

#エル子

「何よ、そのヤル気のない返事は? ほら、シャキッと歩く!」

#

エル子に背中を押され、しぶしぶとオレはホテルを出て、夜景スポットへと向かった。

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#エル子

「わぁ! キレイ!」

#堅太

「ほんとだ……たしかに綺麗だなぁ」

#

高台から見下ろしたビルの灯かりが夜光虫のように煌く。

こんなに綺麗な景色を見ると、かっこいいセリフのひとつでも言いたくなるものだ。

#堅太

「ふっ……まるで、ひゃくまん」

#エル子

「百万ドルの夜景って言うのはカンベンしてね」

#堅太

「あちゃ! 読まれたか」

#

あいかわらず手厳しいエル子であった。

ふと、ビルから離れた所を見ると、大きな提灯のような明かりが目に入った。

#堅太

「あれ、なんだろう? お祭りかな?」


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#エル子

「そうみたい。今日から週末の3日間、地元のイベントのお祭りだそうよ」

#堅太

「ふ~ん、いい雰囲気だなぁ。ちぃばあちゃんの焼鳥が食べたくなっちゃったよ」

#エル子

「あたしも! あの味、やみつきになるのよね」

#堅太

「そうだ。この前のお礼に、また連れてってやるよ」

#エル子

「この前のお礼ってなぁに?」

#堅太

「え?……お、お礼は、お礼だよ……わかるだろ?」

#エル子

「ふふっ、そうね。どうしてもって言うなら、奢ってあげられてもよろしくってよ」

#堅太

「ちぇ、イヤミなお嬢様だねぇ」

#

オレが、有給休暇でヒキコモリの時、エル子がオレを元気付けてくれたのは本当に助かった。

でも、オレが素直にお礼を言えない気持ちを、エル子は知っていてイジワルしたのだ。

#エル子

「焼鳥の話聞いたらおなか空いちゃった。そろそろ、行きましょうか?」

#堅太

「待ってました! カニよ、ウニよ、船盛りどもよ、待ってろよー!」

#エル子

「そんな高級な物食べたら、誰がお金払ってくれるのよ」

#堅太

「え? 接待費をチョロマカして……ってのはダメだよね」

#エル子

「ダメに決まってるでしょ。大丈夫。安くて美味しい居酒屋を探しておいたから」

#堅太

「さすがエル子。よ! ミス大食い! 大酒のみ!」

#エル子

「あんた、ひとこと余分なのよ。置いてくわよ」

#堅太

「わぁー! 待ってくれー!」


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#

ということで。

その夜は、エル子おすすめの居酒屋で舌鼓を打ち、その後、おすすめのラーメン屋でまたも舌鼓を打つのだった。

北海道出張1日目。

こうして、初日は最高の日を終えることが出来たのだった。


===========================<scene9>


#

その夜。

オレは、不思議な夢を見た。


#

これは……夢……

…………

ちぃちゃん……

聞き覚えのある名前……

そうだ……

きみは……

どうして……

…………

……………………

…………………………………………


==============


#

うわああぁーーーーっ!!!

ゆ……夢か……

怖かったぁ…………

それに、とても、嫌な夢だった……



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#

あの歌……

聞き覚えがあったぞ。

あれは、伊良部が、前に焼鳥屋で歌ったものだ……

………………

ちぃちゃん……か…………

なぜ、オレはあんな夢を見たんだ?

それも遠く離れた北海道の地で…………

ただの疲れ……それとも、何か意味があるのか……

考えてもわからない……

考えても…………


#エル子

「おきろー! 堅太ーっ!」


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#

ドンドンドン!

#堅太

「あっ! ヤバイ! 寝過ごした!」

「今日は朝から予定が入っていたんだった!」

#

オレは大慌てで支度をすると、一目散に仕事へと向かった。

予定していた仕事場へ向かう途中、エル子に何度も文句を言われたのは言うまでもない。

#堅太

「今日の仕事、どこだっけ?」

#エル子

「忘れたの? あっきれた!」

#堅太

「はは……スマンスマン。ちょっと寝ボケていて……」

#エル子

「オホン! 本日の業務は、とある小学校で先生と打ち合わせよ」

#堅太

「小学校かぁ、それは楽そうだな。元気な子供たちにも会えるかな?」

#エル子

「だといいけどね……」

#堅太

「…………」

#

どういう意味だ?

あまりうるさく聞くと、エル子の機嫌がさらに悪くなりそうだから、オレは黙って言うとおりにする事にした。


===============


#

レンタカーで移動して1時間あまり。

オレとエル子は、山奥の古い分校に訪れた。

#堅太

「ここが……その学校か……」

#エル子

「そ。ここよ。行きましょうか」

#

うっそうとした森の中にたたずむ古い校舎。

校庭には誰もいない。そして、子供の声も皆無だった。

強い風が吹き、木々がユサユサと揺れる。

校舎のあちこちには、塗装の剥がれや汚れが目立っており、ガラスにヒビが入っている所もある。

#堅太

「……こりゃ、まるで……」

#エル子

「そうよ。ここは既に廃校になっているのよ」

#堅太

「やっぱりね……子供がいないワケだ」

「でも、ここでの仕事ってなんだろう?」

#エル子

「校舎を取り壊す際に、生徒の思い出を何らかのカタチで残したいらしいの」

「例えば、校舎の一部を使ってモニュメントにするとか、卒業生が残した作品やアルバムなんかを電子書籍化したりとか……」

#堅太

「なるほど。我が社もいろんな事するなぁ」

#エル子

「あたりまえよ。ライバルの会社ではすでに、そういう業務を受けたまわっているってウワサよ。ウチなんか遅い方だわ」

#堅太

「ぬぅ……それは、負けられん」

#エル子

「そういうこと。ここの校長先生が出迎えてくれるそうだから、行ってみましょ」

#堅太

「で、どこに行くんだ?」

#エル子

「そうね、そこまでは話し合ってなかったから……てっきり校舎の入り口付近にいると思ってたから……」

#堅太

「おやおや、エル子さんでもたまにはミスをするんですな?」

#エル子

「寝坊したあんたに言われたくないわよ」

#

エル子は、足早に校舎の中へと入っていった。

====================

#

森の奥にたたずむ古びた廃校……

校舎の中は、うっそうとして暗く、足元すら見にくい。

そりゃそうだ。電気もついていないのだから。

なんというか……出そうな雰囲気なんだよな……あれが……

そういえば、エル子の姿が見えなくなった。

冗談じゃないぞ。こんなところで、ひとりでいるなんて……

#???

「あのぅ~……」


==============

#堅太

「ギャーッ!! で、出たぁッ!!!」

#

暗い声が聞こえた方向を振り向くと、そこにいたのは……

ガイコツだった!

==============

#???

「ワシが校長ですが~……」

#

さらに後ろから声がしたので振り返ると、そこに老人の男性がいた。

#堅太

「ああ、ビックリした! これは標本かぁ! ガイコツがしゃべったと思ったよ」

#エル子

「失礼なこと言わないの。私が職員室まで行ってお呼びしてきたのよ」

#堅太

「なぁんだ……そうだったのか」

#校長

「ワシが、この学校の元校長ですぅ~……よろしく……」

#堅太

「あ、こちらこそ、宜しくお願いします」

#

この元校長先生は、小柄でか細い体格をしており、髪の毛はすべて白髪で覆われていた。

そして、なんと言うか……声までか細く覇気がなく、無数のシワが刻まれた顔は、疲れを隠せないほどの疲労振りだった。

#堅太

「えと、あの……大丈夫ですか?」

#エル子

「なんてこと言うのよ、失礼じゃない」

#校長

「いえいえ~……少々疲れておりましてな~……まぁ、気になさらんで下さい~……」

#

とは言っても。人生に疲れ果てている……

そういっても過言ではないこの校長先生に、いったい何があったのか気になって仕方ない。

#エル子

「あ、えと。早速ですが、打ち合わせをはじめさせて頂きます」

#

あ然とするオレを見て、エル子があわてて仕切り始めた。

#校長

「わかりました~……ここには電気が通ってないので、これを~……」

#

校長先生は、ロウソクを取り出すと、ライターでシュボッと火をつけた。

#

オイオイ。これではまるで、今から怪談話でも始めるようだ。

#エル子

「はは……な、なかなか雰囲気がありますわね」

#

エル子の顔をチラリと見ると、口元が少し引きつっているのがわかった。

さびれた廃校の中の暗い教室。

仕事の商談をするような雰囲気ではとてもなかった。

そして……

10分ほど話を進めているうちに、外の風がさらに強くなっていくのを感じた。

ガラスがガタガタと揺れ、隙間風が入ってくるのがわかる。


=========================

#

ロウソクの火がゆらゆらと揺れる。

#校長

「おやおや~……さらに雰囲気が良くなってきましたなぁ~……」

「ここはひとつ、怪談話でもはじめますかな~……なんちゃって~……」

#

疲れているんだか、お茶目なのか、わからない校長先生だな。

冗談だか本気だかわからないまま、商談は一通り終え、雑談へと変わっていった。

#校長

「そういえば~……怪談話といえば~……」

#

怪談話は、もういいっちゅーに。

#校長

「この地方では~……出るっていうウワサがあるんですよぉ~……」

##エル子

「え? 出るって、その……何がでしょうか?」

#堅太

「クマか何かですか?」

#校長

「いえ~……子供の幽霊です~……」


==================

#堅太

「……!!」

#エル子

「こ、子供の幽霊……ですか?」

#校長

「そうです~……とても悲しい……子供の幽霊なんです~……」

#

校長先生は、険しい顔をさらに険しくして、オレたちに話を始めた。

それは、ある女の子が、病弱のために外で遊べないため、友達も出来ずに悲しくて泣いていた。

そして、病気はさらに悪化し、寝たきりの状態が続いたそうだ。

何度も吐血をし、苦しみもがき、遂には幻覚を見はじめ、そして、死にいたる。

その話は、わらべ歌として今も残されているそうだ。

女の子の願いは、大きくなったらお嫁さんになる事。

そして、無念の思いが実体化し、ある大人の男性の家に入ってご飯を作ったりするそうだ。

これでは、まるで、オレに起こった出来事にもよく似ている。

メール妻のことが、また、思い出されてしまった。


#堅太

「その、わらべ歌ってどういう歌詞なんですか?」

#

校長先生が歌ったわらべ歌。それは……

まったく別の歌だった。

オレは、少しホッとしたように、胸を撫で下ろした。

#エル子

「じゃあ……その女の子の名前はあるんですか?」

#校長

「ああ~……あったな~……たしか~……なんだっけ~?」

#堅太

「あの、ちぃちゃんって名前はご存知ないですか?」

#校長

「ひえぇっ! そ、その名前ッ!」


=====================

#

校長先生は、ちぃちゃんの名前を聞いた途端、驚いて顔をこわばらせた。

この驚きぶりは、まさか、本当にちぃちゃんの幽霊を見たことがあるのだろうか?

#エル子

「ご存知なんですか? ちぃちゃんの名前?」

#校長

「こわい女じゃ! おそろしい女じゃぁ!」

#堅太

「そ、そんなに恐ろしいのですか?」

#校長

「ああ! ああ! 誰もヤツには勝てん!」

#エル子

「え? 勝つって……」

#校長

「あいつは、とんでもなくわがままで! 強欲で! 浪費家なんじゃ!」

#堅太

「あの……それ、子供の霊ですよね?」

#校長

「何を言っておるんじゃ! あいつはウチのカミサンなんじゃ!」

#エル子

「奥さん……お名前が、ちぃちゃん……」

#校長

「ワシがこんなにやつれているのは、あいつのせいなんじゃ! ワシがどれだけ苦労して金をかせいでも、アッという間に使いきりおる!」

#堅太

「はは……」

#校長

「おまけに力も強くて、すぐワシに暴力を振るんじゃぁあッ~!!」

「だっ、だれか! ワシを助けてくれ~ッ!!」

#

校長先生は、オレの膝に両腕をまわすと、激しく懇願してきた。

#堅太

「いや、いや、そう言われても困ります!」

#エル子

「お気持ちはわかりますが、それでも今まで耐えてきたという事は、奥様を愛していたからじゃないですか?」

#

エル子、いいフォローだ。

早く校長先生を引き離してくれ。

#校長

「そう……耐えてきた……しかし、それももう、終わったことだ……」

#

校長先生は、ガックリとうなだれていた。

離婚してしまったのか……相当なショックを受けているようだ。

#堅太

「別れたんですか……」

#校長

「いや、ちがう」

「今朝……ワシが殺してきた……」

#堅太 エル子

「え?」

#校長

「包丁でグサッとな……」

================

#堅太 エル子

「ええええっーーーーッ!!!」

#校長

「ふふ……ワシの人生はもう終わりじゃ……これから自首してくるよ……」

#

オレとエル子は、驚きのあまり声もだせなかった。

#校長

「仕事の契約は心配せんでもいいよ……他の先生に引き継がせるから……」

#エル子

「はぁ……ありがとう……ございます」

#

エル子は、なんとか声を絞り出して返事をした。

#校長

「ではワシは行く…最後に若い方と話ができて良かったよ……」

#

そう言って、校長先生は、教室を出て行った。

外の風はさらに強く暴れ、ロウソクの火をも消してしまった。

そう。校長先生の人生が消えていくように……


==========================<scene10>

#

しばらくして。

帰りの車の中、オレたちふたりは無言でいた。

校長先生の衝撃すぎた告白。

女の子のわらべ歌など、どうでもよい話に感じてしまう。

#堅太

「それにしても……なぁ?」

#エル子

「ええ……そうね」

#堅太

「あまりにも……だぞ?」

#エル子

「まったく……本当に」

#

オレとエル子は、しばらく会話として成立しない会話を続けていた。

#堅太

「…………」

#エル子

「…………」

#

またも沈黙が続いたので、息苦しくなってオレがエル子に言葉をかけた。

#堅太

「運転代わろうか? 疲れてるだろ」

#エル子

「あら、優しいお言葉ね。でも、そのセリフは免許を取ってからにしてちょうだい」

#堅太

「あい、すいやせん……」

#

またも沈黙が続いたその時。

#エル子

「アッ!」

====================

#

キーーーッ!!

エル子が急ブレーキを踏んだ。

#堅太

「どうしたんだ一体!? 何か轢いたのか!?」

#エル子

「ちがうわ……見えたの……」

#堅太

「見えたって……何がだよ!」

====================

#エル子

「女の子……赤い着物の……」

#堅太

「ええっ? まさか!」

#

オレは車のドアを開け外に出た。そして、前後左右をくまなく見回した。

どこにも、女の子の姿などなかった。

#堅太

「見間違いじゃないのか? どこにもいないよ」

#エル子

「見間違いなんかじゃない! たしかにいたのよ!」

#

エル子はひどく動揺していた。肩が小刻みに震えている。

オレはどうしたらいいか分からなくなったので、とりあえずハンカチを差し出した。

泣いている訳ではないのに、ハンカチを渡してどうするよ? そう我ながら思った。

だけど、エル子はそれをギュッと握った。何かを触って安心したい気持ちが伝わる。

#堅太

「とりあえず、落ち着こう? な?」

#

オレは、エル子にペットボトルの水を渡し、それを飲ませた。

#堅太

「あのさ、オレの考えだけど、さっきの校長先生の話が凄過ぎて、それで気持ちが動揺したんだよ」

「だから、あのわらべ歌に出てくる赤い着物の女の子が、錯覚で見えちゃったんだよ」

#

いくら動揺していても、そんな事あるか? と我ながら思ったが、今のエル子を落ち着かせるには仕方ない。

「運転は……無理そうだな……そうだ、車の保険でレッカーが来てくれると思うよ」

#

オレが運転できない以上、運転手はエル子ひとりしかいない。

そのエル子が運転できないのなら、この車で帰ることは無理だ。

オレは、レンタカー会社に連絡し、事情を説明してレッカーを呼んでもらった。


#

車を側道に停車したまま、迎えが来るのを待つ。

強い風は、いつしか雨粒をも運んできた。

#堅太

「まさか、降るとは思ってなかったなぁ……」

#

エル子を横目で見ると、いまだに震えて怯えている様子だった。

#堅太

「あのさ、お腹空かない?」

#エル子

「…………」

#

何か会話がないものかと考えたが、突拍子もない話題では続かなかった。

#エル子

「堅太……ひとつ聞いていい?」

#堅太

「ん? なんだ」

#エル子

「さっき、私が赤い着物の女の子を見たって言ったじゃない?」

#堅太

「ああ、そうだね」

#エル子

「それで健太は、その女の子を、わらべ歌に出てくる女の子だって思ったのよね」

#堅太

「……うん、そう思った」

#エル子

「わらべ歌に出てくるちぃちゃんが、何故、赤い着物だと思ったの?」

#堅太

「夢に……出てきたんだよ……今朝、そんな夢を見たんだ」

#エル子

「そうなんだ……」

#堅太

「でも、それがどうしたって言うんだ?」

#エル子

「見たの……」

#堅太

「え?」

#エル子

「見たのよ!」

#堅太

「それは、わかっている。さっきエル子が運転中に見たんだろ」

#エル子

「ちがうの……私も……」

#堅太

「何?」

=================

#エル子

「私も、今朝、夢で見たの……」

#堅太

「なんだって! そんなの……ぐ、偶然じゃないか!?」

#エル子

「赤い着物の女の子、ちぃちゃん……そのわらべ歌をふたり同時に見るなんて、おかしいわよ!」

#

エル子は息が荒くなり興奮しているようだった。

オレは、それをなんとか落ち着かせようとしたが、どうにもできない。

#堅太

「落ち着けって! ちぃちゃんのわらべ歌の事はふたりとも知っていたし、その夢を偶然同じ日に見てもおかしい話じゃないよ」

#エル子

「着物の色が赤いことも偶然なの!?」

#堅太

「う……まぁ、それは……」

#

確かに。

お互い知っているわらべ歌の夢。それを同じ日に見て、しかも、赤い着物の女の子が出てくる確率は、かなり低い。

#エル子

「堅太に届いたメール妻からの連絡、焼鳥屋のミサさんの一件、そして、わらべ歌の夢……」

「こっちに来てから、おかしい事が続くわ……一体、わたしたちに、何が起こっているっていうの!?」

#

エル子は、さらに取り乱したように叫んだ。

オレは、その様子を見て背筋がゾッとするのを感じた。

オレだって、すべてが偶然や間違いであって欲しい。

でも、あまりにも、オレのまわりに起こった出来事は、偶然では済まされない事ばかりだ。

#

#エル子

「うわぁあ……ああぁ……!」

#

エル子は、震えながら泣き叫んだ。

それは仕方のない事だ。日中から幻覚が見えてしまえば、その恐怖は計り知れない。

しかも、それが、夢で見たわらべ歌の女の子ならば尚更だ。

#堅太

「大丈夫……大丈夫だ!」

#

オレは、思わずエル子の肩を抱きしめてしまった。

肩まである長い髪が、オレの手先にそっと絡まる。

体格の良いがっしりした体付きだと思っていたが、その肩から伝わる感触は、意外とやわらかだった。

ほのかな香水のにおいが鼻を刺激するが、オレは深呼吸に合わせて誤魔化した。

エル子を抱きしめる……そんなシチェーションなど考えもしなかった。

だが、それは、実際に現実に起こっている。

オレも、確かに動揺していたのかもしれない。

その動揺は、次の瞬間、戦慄に変わった。

=====================


#堅太

「……!!!」

目を疑うべき後景が起こった。

車内から、雨の降り注ぐ道路の前方に、黒い影が見えた。

それは見覚えのある人影……夢の中で見た女の子の姿……

まさに、わらべ歌に出てくる赤い着物……ちぃちゃんそのものだった。

#堅太

「う……! わああぁーッ!」

#エル子

「きゃああぁぁッ!!」

#

オレとエル子は同時に叫んだ。

そして、エル子は失神してしまった。

#堅太

「うわぁ! くっ、来るなぁッ!!」

#

赤い着物を着たちぃちゃん。幼い子供の可愛さなど微塵も泣く、無表情のままスーッと滑るように近づいてくる。

オレは、恐怖のあまり気が動転し、無意識のままに車のドアを開けて外に飛び出した。

エル子を置いて、このまま逃げ出してもいいのか?

そんな考えが脳裏にチラリと浮かんだが、恐怖が勝りそれを払拭してしまった。

#堅太

「ひぎゃ!……キィヤアアッ!!」

犬とサルがケンカをするような、意味不明な叫び声が喉奥から放出され続けた。

ヘタヘタと立たない足腰を引きずりながら、オレは手で地面を掻くように逃げた。


=============

#

ケタケタケタ……

着物の女の子は、無表情で、どこから声を出しているのかわからないが、笑っているように聞こえた。

オレは、無我夢中になって逃げた。いや、這いずり回った。

このままでは、追いつかれてしまうのは時間の問題だった。

ついにはオレは観念した。

ここで、オレは殺されてしまうのか?

何故? なんで? オレが何をしたというんだ? どうしたらいいんだ?

すべてが納得できない疑問だった。

だが、しかし。この恐怖の前には、そんな葛藤など無意味なのかもしれない。

いや、無意味なのは明白だ。

=============

#

ケタケタケタ……

#

遂に、オレの目前に、着物の女の子がせまってきた。

#堅太

もうダメだ! そう思った瞬間。


============

#

キーーーッ!!

そこからオレの記憶は途絶えてしまった。



=========================<scene11>

#

目が覚めたのは、次の日の昼過ぎ。

宿泊しているホテルのベッドの上だった。

訳もわからず、昨日の記憶を手繰る。

レンタカー会社に連絡して、とりあえずお礼を言った。

レッカーの運転手が言うには、錯乱したオレが、急に車の前に飛び出してきたという。

そして、その場には、エル子以外だれもいなかったそうだ。

だとすると……

オレが見た着物の女の子は誰だったのだろうか?

いや、そもそも、そんな女の子は本当にいたのだろうか?

#堅太

「そうだ! エル子は?」

#

エル子も同様に、自分の部屋で休んでいるという。

オレは、会社の上司に事の説明をした。

もちろん、着物の女の子の霊を見たなどと、バカげた事は話さず、エル子が疲労で寝込んでしまったと説明した。

幸いに、仕事の契約は2件もとれたので、斉藤上司の計らいで穏便にすませる事ができた。

こっちであと1日ゆっくりするか、それとも、今日の便で帰ってもどちらでも良いという事だった。

オレは、エル子の携帯電話に連絡した。しかし、話に出ることはなかった。

#堅太

「昨日あんな事が起こったんだ。疲れていて当たり前か……しばらく、そっとしておこう」

#

オレは、しばらくボーッとしながら、今までの出来事を思い出していた。

しかし、すべてが謎のままで、考えても答えを見つけることはなかった。

#堅太

「この出来事の、事実はなんだ……結果はなんだ……」

「そうだ! 相沢に連絡してみよう」

#

相沢なら、この状況を冷静に判断してくれるだろう。

考えがまとまらない今のオレでは、何を考えても無駄だ。

携帯電話にかけると、相沢は丁度、休憩中だったので話をする事ができた。

オレは、こちらで起きた不可解な出来事を話した。すべて隠さずにだ。

#相沢

「ふむ……おまえのまわりでは、不可解な出来事が起こっているんだな……」

#堅太

「ああ、その通りだよ。なぁ、どういうことか説明がつくかい?」

#相沢

「無理だな……事実があって結果がある……」

#堅太

「いつものおまえの口癖だな」

#相沢

「そうだ。だが、今回の事は、どこにも結果がない」

#堅太

「わからない事だらけってことか……」

#相沢

「……」

「なぁ、堅太」

#堅太

「なんだ? いつにも増して深刻そうな声で?」

#相沢

「実は、もっと不可解な出来事が、こっちでも見つかったんだよ……」

#堅太

「見つかった? 何かの証拠でも出てきたような言い方だな」

#相沢

「その通りだ。証拠が出てきた」

#堅太

「どういうことだ?」

#相沢

「それは、おまえがこっちへ帰ってきてから説明する」

#堅太

「ああ……わかったよ」

#相沢

「それと……もうひとつ……」

#堅太

「その深刻そうな声はやめろって」

#相沢

「おまえに、重大な忠告をしておく」

#堅太

「……?」

#相沢

「エル子には、もう会わない方がいい……じゃぁな」

#

そう言って、相沢は電話を切ってしまった。

どういうことだ?

そりゃ、エル子は、今つかれているから、そっとしてやりたいのはわかる。

相沢の、『もう会わない方がいい』……という言い方。

まるで何か、エル子と会うことがいけない事のようなニュアンスだった。

エル子に会うとどうなるというんだ?

相沢に相談した事で、ますます謎は深まってしまったような気がする。

#堅太

「悩むのは必要だけど、考えてもわからない事は、悩んでも仕方ないか……」

#

オレは、無理に楽天的な考えで自分を誤魔化そうとした。

#堅太

「そうだ。夕方になったら、エル子でも誘って、うまい物食って元気付けてやるか」

「せっかく北海道まで来たんだ。今までの事は忘れて楽しむか!」

#

オレは、夕方になるまで、ホテルの周りをブラブラ散歩したり、夕食をとる場所をネットで検索したりしていた。


======================

#

そして、夕方ー

#堅太

「エル子、いるかぁ?」

携帯電話に連絡しても、相変わらず通じないので、オレは仕方なく部屋のドアをノックした。

#堅太

「ひょっとして、いま着替え中だったりして……それともシャワーを浴びているとか……」

#

オレは、よからぬ妄想を働きながら、もう一度ドアをノックした。

だが、何も返事は返ってこない。

#堅太

「いないのかな……それとも、気晴らしにどこかへ出掛けてしまったのかな?」

#

オレは一応、ホテルのフロントへ行ってみた。

もしかしたら、エル子がオレに何かメッセージを残しているかもしれない。

だが、しかし。エル子は……

#ホテルの受付嬢

「お連れ様の、 瀬野栄子様ですね。すでにチェックアウトされていますが」

===============

#堅太

「チェックアウトだって?」

#ホテルの受付嬢

「はい。本日、午前10時にお帰りになられました」

#堅太

「あの、何か言付けとかは……?」

#ホテルの受付嬢

「そいうったメッセージはございません」

#堅太

「そんな……」

#

エル子が、先に帰っただって?

いくら昨日の出来事があったからって、オレに何も言わずに帰ってしまうなんて……

オレに連絡することも思いつかない程、弱っているのか?

オレは、仕方なく、ひとりで海鮮居酒屋へと向かうことにした。

===============

#

居酒屋で、ひとりで飲む酒は美味しくなかった。

地酒の味も、無味無臭な液体にしか感じなかった。

とれたて新鮮な活魚を食べても、舌が何も反応しなかった。

ひとりでいる事が、こんなに虚しいなんて、今まで感じた事はなかった。

エル子と一緒にいる事が、とっても楽しい時間だった事をひしひしと感じた。

#堅太

あいつは、ガサツなヤツだったけど、話しやすい奴だった。

何というか、こちらの気持ちを読んでくれているような……

それでいて、気持ちよく会話をキャッチボールできたような……

あいつなら、何でも気軽に会話することができた……

オレにとって、大事なパートナー……

大事な友達……

なのか?

オレは、あいつの事を、ずっと友達だと思っていたのか?

いつも仕事で一緒で、いるのが当たり前。

いつだったか、あいつが風邪で会社を休んだ時。何か心にポッカリ穴が空いたような寂しさがあったような……

オレは、あいつの事をどう思っているんだ……?

しばらく考えてみたが、何も答えは見つからない。

無味無臭な液体でも、大量に体に摂取すれば、ふわりとした浮遊感を感じる。

それに、まわりの雑踏や話し声が、やけにうるさく感じた。

飲みすぎだな……オレは店を出た。

そして、無意識のうちに、1日目にエル子と訪れた夜景スポットへと足を運んでいた。

======================

#

ヒュウ。少し肌寒い風が吹く。

こんなにも寒かったかなぁ。

エル子ときた時はもっと暖かったような記憶がある。

#堅太

「あ、お祭りまだやってたんだぁ」

=====================

#

夜景から離れた場所では、地元のお祭りがにぎやかに行われていた。

でも、今夜はそのにぎやかさが、何だかうっとうしく感じる。

#堅太

「いかん、いかん」

#

自分の荒んだ気持ちを改めようと、オレは顔を振った。

=====================

#

そして、また夜景に目を移した。

やっぱり、どこか虚しい。

ひとりでいる事。エル子がいない事。

そして、何故、エル子はひとりで帰ってしまったのか。

考えれば考えるほど不安になってくる。

オレは、その不安を拭うかのように、エル子に何度も連絡を入れてみた。

もしかしたら、急ぎの仕事が入ったので、オレには内緒で帰ったのかもしれない。

ありえない事実をいろいろと作り出してみる。

でも、結局、そんな事はありえないだろうという考えに行き着く。

そんな時。メールが入った。

『いま何しているの?』

何と、それは、あのメール妻からだった。

========================

#堅太

「え? マジかよ?」

オレは、ひさしぶりに来たメール妻からの連絡に、心が躍った。

すばやく返信。

「いま、北海道にいます」

どこかしら、他人行儀な返事。

無理も無い。1ヶ月以上も連絡がなかったのだから。

オレは、ひとりでいる寂しさから、何度もメールを送った。

その度に、迅速に返事が返ってきたことがとても嬉しかった。

北海道の出張の話。こっちで見たこと聞いたこと。そして食べたこと。

すべてをこと細かに連絡した。

あの、わらべ歌の、あの着物の女の子の話をのぞいて。

会話も盛り上がり、いつもどおりの会話を続けることが出来た。

オレは、何故、以前、食事に誘った時に来てくれなかったのか?

そして、どうしてオレを知っているのか?

核心を突いた会話をしたくてたまらなかった。

だけど、前のように、全く連絡をくれなくなる怖さを思い出し、そういう話はしなかった。

そして。衝撃は突然訪れた。

#

『出張は、誰といっているの? ひとり?』

『会社の同僚だよ』

『知っているわよ、エル子だよね』


=========================

#堅太

「え?……」

『何で知っているの? どういうこと?』

『いまにわかるわよ。エル子から電話が来るから』

#

え? え? え?

どういうことだ?

あまりに突然で意外な言葉に、思考回路がついていかなかった。

それから、すぐに、オレの携帯電話に着信が来た。

それは、エル子だった。

メール妻の言ったとおり、本当にエル子から電話が来た。

オレは、目をパチクリしながら、恐る恐る電話に出た。

#エル子

「もしもし……」

#

小さくつぶやくような声だった。

#堅太

「エル子か? オレだけど……ど、どういう事だよ? どこにいるんだよ!?」

オレは、無意識に早口で質問攻めをしていた。

#エル子

「…………」

#堅太

「どうしたんだよ? 何でだまっているんだよ? どこか具合でも悪いのか?」

#

オレの質問攻めは尚も続く。

#堅太

「どういう事かさっぱりわからないよ! メール妻がおまえの事を知っているって! なぁ!?」

#

つい声を荒げていたオレはハッとした。

#堅太

「あ! 悪い……つい色々言い過ぎて……その……」

#エル子

「今から、本当の事を話すわね……」

「メール妻の正体はわたしよ……」

===================

#堅太

「ええッ!?」

#エル子

「そして、あのわらべ歌を夢で見させたのもわたし……」

#堅太

「いや…何を言って……そんなバカな……」

#エル子

「クスクスクス……本当よ」

#

エル子は、下品な声で笑っていた。

#堅太

「だ……だまされた……騙したのかッ!」

========================

#

オレは、その笑い声を聞いて怒りが沸いてきた。

まさか、メール妻の正体がエル子だったなんて夢にも思わなかった。

オレの事を心配するフリをして、実はそれを見て笑っていたのかと思おうと、殺意に近い怒りが沸いた。

#堅太

「おまえッ! ゆるさないぞッ!」

#エル子

「単純なアンタの事だからうまくいくと思ったけど……クスッ……」

「まさか、こうも完璧に思いどおりに騙されるとはねーッ! あははっ!」

#

信じられない。あの、エル子が。

生意気だけど、けして人の気持ちを踏みにじる事などしないと思っていたのに。

それなのに……それなのに……

#堅太

「どこにいるんだッ! オレの前に姿を現せッ!」

#エル子

「もう、いるよ」

#堅太

「何だって!?」

#エル子

「う・し・ろ。見て」

#

なんと、そこに。

振り返ると、エル子の姿があった。

その姿は、スーツでも私服でもなく、黒い袴のような物を着ていた。

どこかしら、その井出達には不気味なものが感じられた。

いつものエル子からは想像もつかない異質さが感じられた。

オレは、その姿を見て、少しばかり萎縮してしまった。

本当に、コイツはエル子なのか?

しかし、オレは拳をグッと握ると、ヅカヅカと近寄っていった。

さきほどの怒りがオレを突き動かす。

このまま、エル子の顔を引っぱたいてやろうという衝動に駆られた。

すると、なんと、エル子は……

#エル子

「うぅ……」

#

苦しそうに顔をゆがめて、その場に膝を落としてしまった。

#堅太

「?……」

その態度を見て、またもやオレは、少しひるんでしまった。

そして、エル子の目からつたるのは、涙だった。

泣いている? どうして? 罪の意識? それとも……

オレは完全に困惑している。

さっきまでは、怒りに身を任せていたが、今では、その気も消失し、ただうろたえるばかりだ。

#エル子

「甘い男だ……尾上堅太」

#堅太

「えっ?」

#

そう思った瞬間。エル子はすばやく体を跳ね上げ、拳をオレの腹部へと差し込んだ。

一瞬が長かった。思考回路が吹っ飛び、意識が朦朧としたのは、体が痛みを感じ始めたからだ。

心臓を握りつぶされたような、今まで感じた事の無い痛みが、全身をビリビリと伝染した。

#堅太

「うえぇっ!」

思わず、その場に崩れ落ちる。

エル子の顔は、涙で濡れてはいるものの、目つきからは殺意がほとばしっていた。

#堅太

「どうじで……うえぇ……」

#

オレは、言葉にならない言葉を搾り出した。

#エル子

「ごめん! ごめんね!」

#

そうかと思えば、今度はオレに抱きついて謝ってきた。

この変貌ぶりは何だ? まるで、何かに憑依されているようだ。

オレは、とにかく危険を感じ、しびれる体を無理に起こして距離をとった。

#エル子

「運動不足のくせに、逃げ足だけは得意なんだな」

#

またしても。エル子の態度が変わっていった。

これでは、まるで、二重人格のようだ。

#堅太

「ごほっ!………どういうことだ?」

「オレを……ぐっ……どうしようというんだ?」

#エル子

「最後にアンタに教えてあげるよ」

「私の役目は……」

#堅太

「…………」

#エル子

「アンタを殺すことさッ!」

==============

#堅太

「な、な?……なっ、なあぁッ!?」

オレは声にならない声を上げた。

#

一体全体どういうことなのだ?

エル子とメール妻が同一人物だったということは衝撃的だった。

たけど、どうしてオレを殺す?

殺して何のメリットがあるというのだ? 騙すだけじゃ飽き足りないのか?

もし、そうだとしても、この統治国家の日本で殺人を犯せば、どんな罪で裁かれるかぐらいわかるだろう。

百歩譲って、なんとか逃げ切ろうと思っていたとしても、それ相応の覚悟が必要ではないのか。

#堅太

「どうしてオレを殺すんだ? わからない!」

#エル子

「わからなくてもいいよ。苦しんで死ぬことに変わりはないからさ」

#堅太

「おまえがメール妻がだったことは、もうどうでもいいんだ!」

「おまえは、何かにとりつかれて……そう、心の病気かもしれない!」

「だから、オレはおまえを信じる!」

#エル子

「大根役者の三文芝居……くさいセリフはやめな!」

#

エル子が疾風のように近づき、オレの懐に飛び込み、強烈な蹴りを放った。

#堅太

「うがッ!」

だがオレは倒れない。逆に体勢を崩したエル子の両腕を掴んで動きを止めた。

#エル子

「離せッ! この!」

#堅太

「はなさないッ! ぜったいに離さないッ!」

#

オレはエル子の両肩も囲うようにして抱きしめた。

だが、エル子の力は相当だった。いくら体格が良いと言っても、女性にこれだけの力が出せるのか。

オレは必死に耐えた。そして、エル子の耳元で叫んだ。

#堅太

「オレをひとりにしないでくれ!」

「オレにはおまえが必要なんだ!」

#エル子

「何をバカなことを! 私はアンタを殺そうというんだよ!」

#堅太

「それでも……オレはおまえが好きなんだーッ!!」

#エル子

「ばっ……ばかっ!? いったいなに言って……」

#堅太

「本当なんだ! オレは気づいたんだ! おまえを愛しているんだ!」

#

オレは、痛む体を奮い立たせ、全力で叫んだ。

その瞬間。エル子の腕から力が抜けるのがわかった。

エル子の顔つきは、悪魔のような形相ではなく、いつものエル子に戻っていた。

#エル子

「たすけて……わたしを……助けて……」

#

エル子は泣きながら懇願していた。その涙はけして嘘ではないと、はっきりとわかった。

#堅太

「オレが……たすけ……る……」

オレは最後の力を振り絞ったが、残念なことに全身の力を使い切ってしまった。

その場にドサリと倒れこむと、エル子は小声でつぶやいたまま去っていった。

#エル子

「わたしは、呪われた子なのよ…」

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