ちぃちゃんの夢

しょもぺ

第1話 

ある、わらべ歌が聞こえてくる……


♪ちぃちゃん  ちいちゃん  小っちゃなちぃちゃん♪

♪いっつもいじめられ  神社の裏で泣いている~♪


♪ちぃちゃん  ちいちゃん  小っちゃなちぃちゃん♪

♪病気で弱ってお外に出れず  みんなをうらやみ泣いている~♪


♪ちぃちゃん  ちいちゃん  小っちゃなちぃちゃん♪

♪お口が赤く染まった頃  天井ながめて泣いている~♪


♪ちぃちゃん  ちいちゃん  小っちゃなちぃちゃん♪

♪誰もそばにいない  ちぃちゃんの夢は  幸せなお嫁さん~♪


かわいそうな、ちぃちゃん。

この歌には、病弱なちぃちゃんの

かなしい願いが込められているのだろうか……


オレの名前は尾上堅太(おがみ けんた) 26歳 独身

これから話す出来事は、

わたくし、尾上堅太に実際に起こった出来事なのです……


#???

「ちょっと! そんなに顔を近づけないでよ!」

バシ!

#堅太

「いて! ひでぇなエル子!」

#エル子

「アンタは、ただでさえ不気味な顔なんだから!」

#

オレ(堅太)は、仕事の同僚のエル子(栄子)と、ある焼鳥屋にいた。

大柄な女で同期の腐れ縁。ケンカしながらもいちおう仕事のパートナーだ。

もちろん、コイツとは恋人でも何でもない。たまたま営業で同じ仕事場から帰宅する途中に寄っただけだ。

今回の仕事はエル子にいろいろと助けられたので、お礼にメシでもおごると約束してしまったので、てっきり高級な店に連れてかれると思いきや、

「アンタのよく行く安い店でいいよ」 と言ってくれたので助かった。

安月給の給料前はツライのだ。いや~ホントに安い店でたすかったよ。

ジュウゥ~……

#堅太

「ゴホン! ゴホン! いや~、今日は一段と煙が目にしみるなぁ」

#

焼鳥を焼く煙が店を覆う。換気扇の調子が悪いのか、よく煙がこもるのがこの店の難点だ。

だが、それがいかにも昔の赤提灯という雰囲気をかもし出していて、オレはお気に入りだった。

#エル子

「で? なんなのよ。アンタに起こった不思議な話って?」

#

オレは仕事疲れで乾いた喉をビールで癒し、焼鳥を頬張った。タレがからまった焼鳥の味は絶品で、思わず目をつぶると、そこには銀河系が浮かぶほどの美味しさだった。

#エル子

「なに瞑想なんかしてんのよ。早く話しなさいよ」

#堅太

「いや、まて。まずはコイツをゆっくり味わってからだ。」

オレは焼鳥の串を横にスライドさせ、次なる肉とネギを一緒に味わった。

「この味、まさしく宇宙だ……」

オレはビールをグイィと流し込んだ。じわじわと胸が満たされ、ちょっぴり呂律がゆるくなる感覚を覚え、オレの話は始まった。


#

●堅太の体験談1日目

仕事疲れの毎日を過ごすオレ(堅太)に不思議な出来事が起こったんだ。

接待で飲んで遅く帰る途中に一通のメールが入った。女性らしき文章で、こう書かれていた。

『あなた、お仕事お疲れ様。明日も頑張って!』

独身で彼女もいないオレに、こんな内容のメールが来るハズがない。

間違いメールだと思い、当然返事も返さずアパートに帰ったオレは、部屋を見て驚いた。

台所がキレイに片付いて、そのテーブルの上にはなんと……

オニギリが作ってあった。


#エル子

「で、何?」

#堅太

「いやいや、不思議な話だろ? だってオニギリだよ?」

#エル子

「で、そのオニギリは食べたの?」

#堅太

「いやいや、オニギリを食べたとかじゃなくて、誰かが作ってくれたのが不思議なんだよ」

#エル子

「で、美味しかったの?」

#堅太

「まぁ、味は良かったかな……ちょっと黙ってオレの話を聞いてくれよ」

#エル子

「わかったわ。早く続けなさいよ」

#

オレは2本目のビールを飲み終え、焼酎のお茶割りを頼んだ。エル子も、「あ、じゃあ私も」と言って同じものを頼んだ。それをグイと喉に流し飲むと、オレはまた話を続けた。


●堅太の体験談2日目

あくる日にも、更なる驚きが続いた。

その夜も仕事で遅くなり、またもや午前様。そんな時、またもやメールが届いた。

『今晩なにたべたい? あなたの好きなもの作るよ』

さすがにこれは間違いメールだと思い、オレは相手に返信した。

『相手が間違ってますよ。お確かめ下さい』と。すると、すぐにメールがかえってきた。

『やだ、アナタ。私の旦那様を間違えるわけないでしょ』

オレは思った。これは相手が完全に間違えている。

でも、まぁ、こういうのも面白いかと思った反面、彼女のいないオレはちょっと意地悪な気持ちになった。それで話を合わせみようと相手に送った。

『じゃあ、俺の大好物のアレ作ってよ』

オレは相手に悪いなと思いながらもアパートに帰宅した。すると、なんと……!


テーブルには、大好物の肉ジャガが置かれていたのだ!


#エル子

「で?」

#堅太

「いや、だから、肉ジャガが……」

#エル子

「アンタの話って、なんで食べ物ばっかり出てくるのよ。オニギリの次は肉ジャガで、その次はスキヤキか何かが出てくるワケ?」

#堅太

「そうじゃないって! 食べ物の話がしたい訳じゃないんだよ!」

#エル子

「じゃあ、食べ物から離れなさい」

#堅太

「よし! それじゃあ、今度の話は決定的だぞ。聞いて驚くがいい!」


●堅太の体験談3日目

正体不明の相手からの、不思議なメールはさらに続いた。

またもや残業で遅くなったが何とか早めに帰れそうだった。そこにメールがきた。

『今日は私たちの結婚記念日だね。何時に帰れそう?』

結婚記念日か……結婚もしていないのに、まさか結婚記念日をむかえるとは思わなかったよ。

この相手のわからないメール。しかもそれが、自分を結婚した夫と勘違いしている。いや、ただの勘違いではない。実際にオレのアパートに誰かが入って片付けや料理が作ってある。

部屋のカギは掛かっているし、どうやって入ったのだろうか?

いや、それよりも何者なのだろうか? そして何の目的で? 

まさか、泥棒……? 

いや、そもそも、オレのアパートに入って片付けや料理が作ってあって、それが何かの罪になるのだろうか?

不法侵入なのはわかっている。それよりも、オレが遅く帰宅しても美味しい手料理が食べられる事は、嫌な事でもないし困る事でもないし、逆にありがたい事だ。

毎日を忙しく過ごすオレにはどうする事もできずに、ただ不思議な事だと受け入れるしかないのだろうか。

『今夜は早く帰れそうだよ』

そうメールを打って返信しようとしたその時、上司からの飲みのお誘いが来てしまった。

そして、オレはこの日も午前様確定。

酔ってモウロウとしながら、メールの返事を返していないことに気付いて、あわてて携帯を見た。すると……

『バカ!知らない!』

『ゴメン、今日は遅くなるよ』と、送ってはみたが、時すでに遅し。

そして、やっとの事でオレが帰宅すると、テーブルの上にはなんと……!

カップラーメンが置いてあった。


#エル子

「ついにカップラーメンの登場ってワケね」

#堅太

「そうそう。ついに、やっと登場のカップラーメンだ」

#エル子

「……」

#堅太

「そうじゃないって! カップラーメンが置いてあったって事は、それを食べなさいって事で、今まで手料理が作ってあったのに、いきなりカップラーメンだぞ! しかもオレの好物の塩味ときたからマズイ訳がない!」

「なんだか、カップラーメンの塩が無性に食べたくなってきたぞ。」

#エル子

「啓太がカップラーメンの事ばっかり言うから、私も食べたくなってきちゃったわ!」

#堅太

「……」

#エル子

「……」

#堅太

「話をもとにもどそう」

#エル子

「ええ。いいわ」

#堅太

「オレの話を聞いてどう思った?」

#エル子

「そうね……酔っ払っていたってとこが少々引っ掛かるけど、さすがに三度目だと信憑性も高いわね」

#堅太

「誓って言う。オレはウソをついていない。何なら、そのメールを見るか?」

#エル子

「他人のメールを見るなんて悪趣味なことはしないわ。でも、顔も見た事もない妻なんて、例えるならメール妻ね。」

#堅太

「メール妻か……」

「向こうはオレを知っているのに、オレは向こうの何も知らない……」

#エル子

「で、それからはどうなったの?」

#堅太

「それが、それっきり連絡が来ないんだ」

#

オレは、心のどこかでメールが来ない事をさみしく思っていた。それが表情に出ていたのだろう。エル子は、オレから視線をはずした。

オレとエル子はしばらく黙り込んでしまった。

この荒唐無稽な話を、どう解釈して良いものか、検討がつかなかった。

オレは、ふぅ……とため息ををつくと、グラスに残った焼酎を飲み干した。

エル子も黙ってグラスを持って考え込んでいたが、やがて口を開いた。

#エル子

「アンタなんかにゃ、もったいないメールじゃないの。」

#堅太

「ふん! こんな事おまえに話した俺がバカだったよ!」

#エル子

「そっちから相談しといてバカとは何よ! だいたい今度の仕事もあんたのせいでどれだけ大変だったか!」

#堅太

「はいはい、スイマセンねー。エル子さんみたいに男勝りに仕事バリバリ出来ませんからねー。」

#エル子

「何よ! その言い方! アッタマ来るわね!」

#堅太

「それは、こっちのセリフじゃい!」

#

「あいよ、おでんお待ち!」

そこに、ちょうど良いタイミングで焼鳥屋のオバちゃんが割って入る。

#堅太

「あれ? オレおでん頼んでないよ」

#焼鳥屋のオバちゃん

「いいから、サービスだよ。堅太がはじめて連れてきた女の子だからね」

#堅太

「はは……ちぃばあちゃんにはかなわないや」

#オレは怒るのもばからしくなり、おでんのコンニャクをはしでつつく。

#エル子

「ちぃばあちゃん?」

#堅太

「ああ、そういや、まだ話してなかったな。この人はオレの祖母の妹なんだ。オレのばあちゃんが『大ばあちゃん』で、その妹だから『ちぃばあちゃん』って呼んでいるんだ」

#エル子

「そんな大事な事もっと早く話してよ~。あの、いつも堅太くんにはお世話になっています。」

#ちぃばあちゃん

「固い挨拶はなしでいいよ。それにしても、あんた、べっぴんさんだね~。」

#エル子

「そ、そんなことないですよ! 全然! おほほ……」

#堅太

「ちぃばあちゃん、お世辞なんていいよ。調子に乗るだけだよ」

#エル子

「うるさいわね。それにしても、私が女の子ではじめてだったの? まぁモテないアンタなら当然か!」

#堅太

「うっせーな。オレの彼女は仕事なんだよ。それに……」

#

オレの頭の中にメール妻のことが浮かんできた。

すると、横からエル子の箸がにゅ~っと伸びてきた。

#エル子

「タマゴいっただき!」

#堅太

「コラ! それはオレが楽しみにとっておいたのに!」

#

その様子を見ていたカウンターの端に座るジイさんが、オレに話し掛けてきた。

#隣のジィさん

「いやぁ、仲の良いカップルだねぇ、熱燗よりもアツイね!」

#

オレ達ふたりは、どこか恥ずかしくなり赤面してしまった。

#堅太

「それだけはちがう!」

#エル子

「それはアタシのセリフ!」


#

赤面した顔をほぐそうと、熱燗を頼んでおちょこでグィと流し込む。すると、ますます体がポッポと熱くなるのを感じた。

#堅太

「ここの建物は1階がテナントの焼鳥屋で、2階はオレの住むアパートになっているんだ」

#エル子

「え、そうだったの? さりげなくオレの部屋紹介ですか?」

#堅太

「ちげーよ!」

#エル子

「それで一人暮らしのアンタは、自炊も面倒なので、よくこの店に来て夕食を兼ねて飲んでいるのね。」

#堅太

「まぁ、そんなところ。ちぃばあちゃんはここの大家で、85歳なのにひとりでお店を切り盛りしているんだぜ」

#エル子

「えぇっ!? 85歳さん…年季がちがうわね。でも、まだまだお若いですね」


#堅太

(そうだ。ひょっとしたら、ちぃばぁちゃんだったら合鍵も持っているし部屋に入る事は可能かもしれない。)

(でも、夜はお店で忙しいので手料理を作る暇なんてないし、第一それだったら一言いって料理を渡してくれれば済む事だ。)

(それに、85歳の高齢で、携帯でメールを送るなんて出来ないだろう。戦前生まれだし。)

#

そんな事を考えていると、さっきの隣の酔っ払いのジイさんがこんな事を言った。

「この古アパートは、まだ出るんだろ?」

#堅太

「え? 出るってなにが……」

#隣のジィさん

「それはなぁ…… ゆ・う・れ・い・だよ……幽霊。」


#堅太 エル子

「ゆ……幽霊っ!!」



#堅太

「……」

#エル子

「……」

#

あまりにも突然の話に、オレもエル子も黙ってしまった。

ちぃばあちゃんの顔を見ると、バツが悪そうな顔をしたまま黙っていた。

黙っている……ということは、間違ってはいないということなのだろうか?

#

オレは今の話を隣のジィさんに聞いてみた。

#堅太

「いまの話、どういうことですか?」

#隣のジィさん

「何だニイちゃん? 昔このアパートで出たんだよ…幽霊がな」


#堅太

「……」

#エル子

「……」

#ちぃばあちゃん

「やめとくれよ! そんな事いったら商売上がったりだよ!」

#

オバちゃんは不機嫌そうだったが、明らかに動揺した顔付きだ。

オレは気になって、ジィさんが店を出た後を追おうとした。

#堅太

「出るぞ! ちぃばあちゃんお勘定!」 

#エル子

「えっ? まだタマゴが残ってるのにぃ~」

#

オレは走ってジィさんに追いつき話しかけた。

#堅太

「あの、さっきの話の続きを聞かせてもらえませんか?」

#隣のジィさん

「そういや腹へったなぁ」

#

オレは、しぶしぶと仕方なく、ファミレスでメシを奢って話を聞きだした。

それは驚きの内容だった。

以前あのアパートでは傷害事件があった。

その犯人はなんと、ちぃばぁちゃんであった。

#

ちぃばあちゃんが若かりし時、あのアパートの2階で旦那さんと一緒に住んでいたそうだ。

それが、今のオレの隣の部屋だったそうだ。

当時は旦那がはじめた焼鳥屋は大賑わいで人手が足りなかった。

そして、妊娠して出産間近のオバちゃんは働けないので、アルバイトに若い女性が店を手伝った。

それが『ミサ』という名前の女性だった。

さらに、同じアパートの住人で、住んでいた部屋の場所は……

#

オレの住んでいる部屋と一緒だった……



#夫婦

しかし、ちぃばあちゃんの幸せは長く続かなかった。

浮気性であった旦那さんは、若いミサを口説き、男女の関係になってしまった。

しかも、密会する場所は、大胆にも隣のオレの住んでいる部屋だった。

ミサは、そこで、手料理を作りながら旦那さんのやってくるのを待っていたという。

だが、頻繁に会っていたらさすがにバレてしまう。だから、お互いの特別の日以外は滅多に会えなかった。

旦那さんの行動が不審と感づいたちぃばあちゃんは、女のカンで、ミサがあやしいと思った。

決定的な証拠がない以上、ちぃばあちゃんには旦那さんを問い詰める事ができなかった。

ところが、しばらくして、ミサの体調が急にすぐれなくなっていった。

原因不明の病気で、吐血を繰り返し、寝たきりの状態になってしまったのだ。

そして、旦那さんが、お見舞いと言っては部屋に出入りする際に、決定的な瞬間を目撃してしまった。

旦那さんとミサの、愛の契りだった。

そして、我を忘れて怒り狂ったちぃばあちゃんは、ミサの部屋に押し掛け、包丁で追い掛け回し、傷害事件として逮捕されたのだった。

#

しかも、その時の興奮からか、胎児は流産してしまったのだ.。

#

その日は、皮肉にも、オバちゃん達の結婚記念日だった。

そして、ミサは部屋を追い出され、旦那さんとオバちゃんは離婚。

旦那さんは、世間からは鬼だ悪魔とののしられ、若い命を絶ったのだった。

これが、悲しくも恐ろしい、真実であるのだからたまらない。


#エル子

「自殺……してしまったのね。」

#隣のジィさん

「だから、昔っからあの部屋には出るんだよ。まぁ悪いのは旦那さんとミサだから、事件起こした本人を誰も攻められねぇし、今でもああやって商売できてるんだよねぇ」

#

ジィさんはハンバーグ定食を平らげると帰っていった。

#堅太

「……」

#エル子

「悲しい事件よね」

#堅太

「メール妻の正体は……もしかしたら、そのミサという女性の怨霊なのか…」

#エル子

「でも、自殺したのは旦那さんであって、ミサという女ではないわよ。」

#堅太

「たしかに。ミサという女が自殺していたのなら、メール妻の正体はその怨霊だと考えられる……」

#エル子

「それとも、ミサという女の強い意識が、そこに残ってしまっていたら……」

#堅太

「そんなことってあるのかなぁ……残留思念ってヤツなら聞いた事があるけど。」

#エル子

「どちらにしろ、科学的には説明がつかなそうね。信じるの?」

#堅太

「たしかに幽霊だったら恐いけど……でも、何となく幽霊とか意識とかとは別の人だと思うんだ」

#エル子

「どうしてわかるの?」

#堅太

「何と言うか、幽霊とは違う温かみを感じるんだ。ぜったいに幽霊じゃないってわかる」

#エル子

「そうなんだ……」

#堅太

「なぁ、笑わないで聞いてくれよ」

#エル子

「何よ、あらたまって」

#堅太

「あのさ、その……女の人にとって、結婚記念日って特別な日なのかなぁ?」

#エル子

「女の人は当然ね。それにその人にとっては、とっても大事な日だったんじゃないの」

#

オレは、しばらく考え込んだが、考えても答えが見つからないので、その日はアパートに帰った。

その夜……

メール妻からのメールは来ない。

メール妻の用意してくれた夜食も当然なかった。




#

~次の日~会社~お昼休み~

オレは、会社の食堂の窓から、ぼんやりと外をながめていた。

透き通った空気が気持ちよい青空。

こんなに晴れ晴れしているのに、オレの心はどんよりと曇ったままだ。

よし。オレはひとつの決心をした。

それは、メール妻に対して、初めて自分からメールをしようと思った。今までのメールは、すべて相手から送られてきたもので、自分からメールするのは初めてだった。

『この前のこと怒ってる?』

返事は来ない。

しかし、10分後、メールが来たのだった。

『ううん、怒ってないよ。あなたからメールが来てうれしい!』

#堅太

「……!!」

#

それからオレは、見ず知らずの自分を夫婦だと思っている相手と、何度もたわいもない会話をメールで綴った。

正直、オレはうれしかった。

いつの間にか、相手を本当の妻だと思いながら何通もメールをしていた。

メール妻の正体が、焼鳥屋のジィさんに聞いたミサの怨念だろうが何だろうが、そんな事はどうでもよくなっていた。

オレの心は、いつの間にか、この見たこともない嫁の事を好きになっていた。

むしろ愛していたのかもしれない。心がドキドキした。とても心が安らいだ。

『今日は早く帰れそう?』

『ゴメン、今夜も遅くなりそうだよ』

『じゃあ、今夜は健康に良さそうな物を作るね』

久しぶりの手料理に、オレはワクワクしていた。

考えてみれば、オレが遅く帰る日にだけ、家の掃除や手料理を作ってくれている。

ということは、逆に早く帰る日には、メール妻はやっては来ないかもしれない。

そう考えると、仕事が遅くなる事はうれしい事なのだ。

だから、たまに早く帰れる時は、わざと時間を置いて、遅く帰った方が良いのかな。

でも、あまり遅くなりすぎると、メール妻を怒らせてしまうかな?

いかん、ニヤニヤが止まらない。ロマンティックも止まらない!

うぉーッ!! オレは心の中で大声で叫んでいた。

でも、しかし。

どうしてメール妻は、メールでしかオレと話してくれないのだろうか?

実際に会って話したいと思うのは、お互い一緒だと思うのだが……?

何か、オレとは顔を会わせられない特別な事情があるのだろうか?

そして、この先、この関係がいつまで続くのだろうか……?

また、突然、連絡もなくなってしまうのではないだろうか?

オレは、あることないことを考え出し、とても不安な気持ちになってしまった。

メール妻とメールを再開できたのは抜群にうれしい。でも、不安な気持ちも格別に大きいのだ。


#会社の同僚の男2人組み

そんな様子を、食堂の離れたテーブルから見詰める2人組。

#A男

「あやしいな」

#B男

「ああ、とてもアヤシイでしゅね」

#A男

「おい、堅太! 何ニヤニヤしてんだよ」

#B男

「そうそう。キモチわるいでしゅよ」

#堅太

「……なんだよ、おまえらかよ」

オレは、声を掛けてきた同僚に、ぶっきらぼうに返事をした。

#A男

「なんだよはないだろ。挙動不審な同僚に、優し~く声をかけてあげたのによ」

#

この男の名前は、相沢晴男(あいざわ はるお)

会社の同期で、細身の長身。

生真面目で科学的に物事を考える性格だ。あと多少イヤミなところがある。

会社の成績は優秀なのに、何かとオレにライバル意識を燃やす変わったヤツだ。

#B男

「悩みはよくないでしゅ。せっかくのメシが不味くなるでしゅよ」

#

そして、こっちの男の名前は、伊良部剛三(いらぶ ごうぞう)

同じく会社の同期で、小太り……というか太った体型だ。

言葉遣いがメチャクチャで、幼いころ両親が転勤族で各地の方言を覚えたそうだが、方言というよりはオタクな言葉まわしだ。物事を深く考えない、かなり適当な性格の持ち主。ある意味うらやましい。

#相沢

「で?  尾上堅太くんは何をお悩みかな?」

#伊良部

「そうでしゅよ。隠さずにスッキリと話してくだしゃいよ」

#堅太

「え……いいよ、悩みなんてないから」

#相沢

「一発でバレるウソをつくとこがお前らしいな」

#伊良部

「そうでしゅよ。アチキに隠し事をすると、お耳に息をフーフーとかけましゅよ!」

#

伊良部はふざけて、オレの耳元に顔を近寄せた。暑苦しい男だ。

でも、コイツらがオレの事を心配してくれているのは確かだ。けして悪いやつらではない。

#堅太

「まぁ、ちょっとな……悩みってほどでもないけど、考えたいことがあってさ……」

#相沢

「よし、じゃあ今夜聞こうか。おまえのアパートの焼鳥屋でどうだ?」

#伊良部

「この前話していた、絶品ダレの店でしゅね? ひとりじめはズルいなり~」

#

こいつの言葉遣いは本当に適当だなぁ。社会人としてどうかと思うが、それ以前に人を不快にさせていないか心配だ。オレはすでに慣れてしまっているからどうでもいいが。

2人の同僚に話しかけられ、なんとなく気持ちも和らいできた。

そうだな。あえて、人に話して相談してみるのもいいかもしれない。気持ちも楽になるかもしれない。

オレは、今夜の同僚との飲みを約束し、午後の仕事場へと向かっていった。


#

そして。今夜の出来事が……

あのような衝撃的な結果になってしまうとは……

今のオレには予想もできなかった……



#ちぃちゃん

「え~ん!……え~ん!……」

#

「ちぃちゃん、どうして泣いているの?」

#ちぃちゃん

「だって、お母さんが、私はお外で遊んではいけないというの……」

#

「まぁ、それはかわいそうに……」

#ちぃちゃん

「うえぇ~ん……ひっく……」

#

「でもね、お母さんは、けしてあなたに意地悪でそう言っているわけではないのよ?」

#ちぃちゃん

「じゃあ……なんでお母さんは……」

#

「あなたの体は病気なのよ……だから、お母さんは心配しているのよ」

#ちぃちゃん

「そうなんだ……うん、わかった。お家で休んでいるね」

#

「…………」

「かわいそうな、ちぃちゃん」

「あなたは、一生呪われた人生を歩むことになるのね……」

「そして、あなたは、まわりの人たちまで不幸にする宿命を背負って、生まれてきてしまったのね……」

「かわいそうな、ちぃちゃん」

「かわいそうな…ちぃちゃん…」

「かわいそうな……………ちぃちゃん……………」



#

オレ、尾上堅太は、普通の社会人を過ごす普通の人間だった。

だが、しかし……あるメールによって……

数奇な運命を辿ることになってしまったのです。

間違いメールだと思われた相手からのメール。

それは、オレを結婚した夫だと勘違いしたかのような内容のメールだった。

そして、オレの住んでいるアパートにやってきて、掃除をしてくれたり、料理まで作ってくれていた。

しかも、オレの好物まで知っていたのだ。

会社の同僚のエル子は、そんなメールだけのやりとりを、こう呼んだ。

『メール妻』、と。

オレは、そのメール妻を最初は不信に思っていた。

だけど、いつのまにか、それは好意に変わっていた。

いや、愛してしまったと言っても過言ではない。

相手の顔すらも見た事のない相手。

それは、オレの住むアパートで、以前に起こった傷害事件。

祖母である、ちぃばあちゃんの憎んだ相手。旦那さんを愛してしまった禁断の愛。

『ミサ』という若い女。

その、ミサという女の怨霊が、その部屋に憑依し、オレという相手を結婚相手と勘違いしているのだろうか?

でも、そんな事はもうどうでもいい。

オレは、ひょっとしたら、その『ミサ』という女の怨霊を、愛してしまっているのかもしれない。

そして、今夜。

オレは、とあるわらべ歌を聞くことになる。

どこか懐かしく。どこか悲しげな。

幼い子供、ちぃちゃんの歌を聞くことになるのだった。



#

夜~焼鳥屋~

ジュウウゥ~……

肉の焼ける音と、立ち上る煙が食欲を刺激する。

ここは、オレの住むアパートの1階のテナント。

オレの祖母である、ちぃばあちゃんの営む昔ながらの焼鳥屋だ。

暗い外から明るく照らされる赤提灯がシンボルで、誰もが気兼ねなく入店できる雰囲気の良い店だ。

今日は週末ということもあり、お客さんの入りはまずまずといったところ。

狭いカウンターのみの店内では、10人も入れば店はいっぱいになってしまう。

オレと、会社の同僚である相沢(あいざわ)と伊良部(いらぶ)。

オレたち3人は、カウンターの中央あたりに座り、ちぃばあちゃんと軽く挨拶を交わす。

店の他のお客さんは、年配のジィさんたちばかりだ。

コップ酒を片手に顔を赤らめ、機嫌よく昔の演歌を口ずさんでいる人がいる。

反対側には、これまた年配の2人組が、威勢よく昔話に花を咲かせている。

そうかと思えば、端っこで酔いつぶれて、うずくまっているお客さんもいる。

当然のことながら、この店には女っ気がまったくない。

この前、オレがエル子を連れてきたのも本当にめずらしいことで、この店で女性をみかけることはまずなかった。

おっと、ちぃばあちゃんという女性がいるのを忘れていたが、この際、女性からは省かせてもらう。

いつもの店内の、いつもの空気。

安心して落ち着いて飲み食いできる空間があるというのは、本当にすばらしいことだと思う。

それも、気の知れた同僚といるのならば尚更だ。俺はこの店を営んでいるちぃばあちゃんに感謝した。

ジュウウゥ~……

そんな事を考えていると、早くも焼鳥が焼きあがった。

#ちぃばあちゃん

「はいよ、おまち! ネギマとハツとタンね!」

#

ちぃばあちゃんが手際よく焼鳥の乗った皿を並べていく。

一皿350円のこの幸せ。冷めないうちに食べるのが礼儀である。

#伊良部

「うっ! うまいでしゅね、このお肉! タレの味も絶妙だぽ~ん!」

#相沢

「肉の鮮度もさる事ながら、炭火の遠赤外線の効果による所も大きいんだな、きっと」

#

素直にガッツく伊良部と、素直じゃなくウンチクを垂れる相沢。

どちらも満足気な顔をしているところから、美味しく味わっているのは間違いない。

さてと、オレも頂くか。

ガブリと噛み付いた歯先からは、ジューシーな肉汁がしたたり、舌の上に舞い降りる。

何度食べても飽きないこの味、この触感。ビールもガンガンと進む。

しばらく夢中になって食べ続けていたオレたちは、ひと段落ついて話をし始めた。

まだ夢中で食べている伊良部を除いて。

#相沢

「こんなに完成度の高い焼鳥を毎日食べられるなんて、羨ましいと言っておこうか」

#堅太

「さすがに毎日は食べないよ。金も掛かるし、それに夜食が作ってある時もあるし……」

#相沢

「おい、いまなんと言った? 夜食だとぉ?」

#

オレは、しまったと思ったがもう遅い。焼鳥とビールで気が緩んでうっかり口をすべらせてしまった。

#堅太

「いや…あの…はは、まぁ、そういうことなんだ」

#相沢

「話してもらうぞ、尾上堅太!」

#

相沢の気迫に満ちた顔がせまる。どうやら、誤魔化しは利きそうにない。

#相沢

「まさか、おまえ! エル子と同棲しているんじゃないだろうな!?」

#堅太

「どうして、そこでエル子が出るんだよ? んなワケないだろ」

#相沢

「そ、そうか。いや、なに……お前はエル子と仲がいいから、もしかしたらと思って……」

#堅太

「あんなガサツな女はこっちから願い下げだよ」

#相沢

「じゃ、じゃあ、エル子と付き合っているワケじゃないんだな!」

#堅太

「あたりまえだよ。どうしたよ、そんなにムキになって……」

#

相沢は、取り乱したように声をあげたのでオレは少し驚いた。

冷静なこいつにも、こんな一面があったんだなとそう思った。

伊良部は何故か、クスクスと笑っていたが、ワケがわからない。

#堅太

「わかったよ、話すよ……でも、絶対だれにも言うなよ」

#

オレは、メール妻からのメールのこと。

それと、部屋の掃除と料理のことなどを相沢に話した。

伊良部は、いまだに食い続けてはいるが、そっと聞き耳を立てているようだ。

オレの話を聞いている相沢の眉間にシワがよっていた。確実に不信感を持った顔だ。

時間にして、10分くらいだろうか?

オレの話が終わった後でも、相沢の眉間のシワがなくなる事はなかった。

話し疲れて喉が渇いたオレは、焼酎のお茶割りを注文した。

ゴクリと喉奥に流し込むと、オレはグラスを置いてため息をついた。

#相沢

「結論を言うと、その女、いやメール妻のことを好きになってしまったと?」

#堅太

「まぁ……そういうことかな。どうせ、相沢の事だから信じていないだろ」

#相沢

「おまえの話している内容は信じるよ。でも、そのメール妻がいることは信じない」

#堅太

「どういうことだよ?」

#相沢

「つまり、おまえは、存在しないメール妻という幻想に、取り付かれてしまったってことだ」

#堅太

「引っ掛かる言い方だな」

#相沢

「俺はこう解釈している。おまえは、仕事の疲れで幻覚を見やすい常態になっている」

#堅太

「……」

#相沢

「そして、精神的な疲れもあり、まして、泥酔中の出来事なら、その確立が高いと考えるのが当然だ」

#堅太

「……たしかに、おまえらしい意見だよ。でも、部屋の掃除や料理はどう説明すんだよ?」

#相沢

「例えば、おまえの母親が、そっと様子をみるためにアパートに寄ったとかはどうだ?」

#堅太

「それはないよ、絶対に」

#相沢

「なぜだ?」

#堅太

「オレの母さんは、昔にこの世からいなくなっているからさ」

#相沢

「……そうか、それは、すまない事を聞いてしまった。謝るよ」

#堅太

「別にいいよ。だから、もしオレの身内だったら、コソコソとやって来ることはしないと思う」

#相沢

「そうか、残念な結果になってしまったか」

#堅太

「また、含みのある言い方だな。どうして残念なんだよ?」

#相沢

「考えてみろ。今回の一件が、おまえの身内ではなかったとしたら、あとは何が残る?」

#堅太

「何って……だから、メール妻がいたってことだろ」

#相沢

「いいか、堅太。常識のある一般人は、そうは考えない。考えられることは……」


#相沢

「おまえを……だまそうとしている奴がいる……」


=====================


#堅太

「そんな……そんなことって……」

#相沢

「なぁ、堅太。落ち着いて聞いてくれよ。俺はおまえをバカにして言う訳じゃないんだ」

#堅太

「わかっているつもりだよ。事実があって結果がある……おまえの口癖だろ」

#相沢

「その通りだ。」

「いままでの話を集約すると、どうしても第三者の存在がいる事は明らかだ」

#堅太

「だから……それは……」

#相沢

「それは、メール妻だと言いたいのはわかる。では、そのメール妻はどうやってお前にメールを送るんだ?」

#堅太

「どうやってって……そりゃ、携帯電話のメールからに決まってるだろ」

#相沢

「そうだ。相手は携帯電話のメールを使用していることから、携帯電話を所有しているのはわかる。もしくはパソコンからかもしれない」

#堅太

「だから、それがどうしたよ?」

#相沢

「相手は携帯電話やパソコンを所持し、プロバイダー契約等をして通信料を払っている人物」

#堅太

「あたり前だろ」

#相沢

「そう、当たり前の話だ。だから、その人物は確実に、この社会で生活している人物だ」

「お前のいうような、どこか現実ではない、夢か幻、はたまた幽霊なんて存在じゃないんだ」

#堅太

「……」

#相沢

「どうだ? 少しは現実に戻れたか?」

「おまえは、新婚の夫婦がやりとりするようなメールと、部屋の掃除や食事に騙されているんだ」

「そうすると、相手の目的はなんだと思う?」

#堅太

「…………」

#

オレは、相沢の的を射た現実的な話に、反論できなくなっていた。

#相沢

「その目的はなぁ……」

#堅太

「言うなあぁーッ!」

#

オレは思わず大声を出してしまった。

#相沢

「新手の詐欺だ……」

#堅太

「ちがうっ!」

#相沢

「なぜ、違うと言える?」

#堅太

「ちがうんだ……ぜったい……そうだ!」

「メール妻の正体は……」


#堅太

「ミサだ!」





#相沢

「ミサ……だと? 誰なんだ、それは?」

#ちぃばあちゃん

「堅太! その話はおやめ!」

#堅太

「ゴメン! ちぃばあちゃん。でも、オレ、もしかしたら、その人が何か関係していると思うんだ」

「本当にゴメン! でも、オレ、このままじゃ納得できないんだよ!」

「だから、あの話を相沢に聞かせてやってもいいかい? ちぃばあちゃんが辛いところは省くから!」

#

堅太の気迫に飲まれ、ちぃばあちゃんは無言でうなずいた。

#堅太

「サンキュー、ちぃばあちゃん」

#

オレは、ミサとこのアパートのオレの部屋との関係だけを、相沢に話した。

ちぃばあちゃんの旦那さんや、傷害事件の事はなんとかうまく隠して話しをした。

相沢は、またも眉間にシワを寄せて考え込んだ。

#相沢

「さらに最悪の結果だよ、堅太」

#堅太

「いや、だから、もしミサという女の願望か何かが、オレを結婚相手と間違えているんじゃないかと……」

#相沢

「それは何年前の話だよ? 60年以上も前の話だろ?」

#堅太

「だから!……何年経っても、その思いは続くとしたら……!」

#相沢

「話にならない!」

#

オレと相沢は睨み合ったまま身動きひとつとらなかった。

オレの考えを完全否定する相沢。相沢の話を完全否定したいオレ。

両者の話はぶつかり合うしかなかった。

そんな時……

静かに肉を平らげていた伊良部が動いた。

そして。ある歌を歌いだした。


=========================


#ちぃばあちゃん

「なんで、その歌をしっているの!?」


=========================

#

ちぃばあちゃんは大声を上げて驚いた。

パリーン!

ちぃばあちゃんは動揺して、持っていたお皿を落としてしまった。

#伊良部

「ボクが子供の頃に聞いた歌でしゅよ」

#相沢

「そういえば、伊良部の父親が転勤族で、日本全国を駆け回ってたんだよな」

#伊良部

「そうでしゅ。それで、どこの県で聞いたか忘れたけど、こんなわらべ歌があったんでしゅよ」

#相沢

「それで、その歌が何の関係があるんだよ?」

#伊良部

「この歌のちぃちゃんは、お嫁さんになる夢をみながら幼い頃に病気で死んだんでしゅよ。きっと」

#相沢

「まさか、その霊だとでも言うのか? バカらしい」

「もし、その子供がメール妻の正体だとしても、何で、子供が料理を作ってるんだよ?」

#伊良部

「霊だって成長するんでしゅよ」

「そして、果たされぬ夢を大人になって実現したいという怨念が、堅太にとりついたんじゃないでしゅか?」

#相沢

「アホくさくてあきれ返るよ、ただのわらべ歌だろ」

#伊良部

「でも、堅太って霊感強いでしゅよね~」

#相沢

「そんなバカな。霊感なんてあるわけない……なぁ堅太」

#

たしかに、どこにでもありあそうな悲しいわらベ歌だ。

日本全国、誰もが子供の頃に聞いた事のあるわらべ歌。

わらべ歌の歌詞の内容は、一見なごやかな内容だと思うものが多いが、実は、あまり大声では言えない内容があったりするらしい。

オレは、伊良部の歌ったわらべ歌を、どこかで聞いたような記憶があった。

まぁ、よくある話で、デジャヴュー現象というやつだろうか。

それにしても、ちぃばあちゃんの驚きようは何だったのか?

もしかしたら、ちぃばあちゃんは今のわらべ歌を知っているのかもしれない。

#相沢

「ちょっと待てよおまえら。正体のわからないメール妻が幽霊だとか怨念だとか、はたまた、わらべ歌に出てくる女の子だとか。どうかしてるぜ!」

#

相沢は、苛立ちを隠せないようで吐き捨てるように言った。

#相沢

「じゃあ、こうしよう堅太」

「お前がメール妻にそんなに会いたいのなら、会ってみればいいだろう」

#堅太

「え? どうやって」

#相沢

「外食にでも誘ってみればいいだろう? それで来なかったら、そいつはニセモノだよ」

「幽霊やわらべ歌の女の子でもなんでもない。ただの詐欺師だ」

「おまえが、そこまでメール妻に惚れ込んでいるのなら、当然信じてやれるだろう?」

#

相沢の、挑発的な提案に、オレに拒むことは出来なかった。

#相沢

「よし。じゃあ、一週間後の今夜だ。期間を設けたのは、急用で来れないと言い訳されても困るしな」

#堅太

「わ、わかった……」

#

『今度、外食でもしよう』

ついに、オレは、メール妻を外に呼び出してしまった。

確かに、オレに尽くしてくれる相手なのに、顔を見せる事が出来ないのはおかしい。

なぜ会って話をしようとしないのか理由がわからない。

オレは、会えない理由を知りたいし、会って話をしたいのも事実。

メール妻を……あいつの事を信じている。

だから、信じてあげることが、オレの愛なんだ……

あいつは、きっと来るさ。

きっと……

#

こうして、不安と期待にまみれた夜は過ぎていった。

そして、その夜、アパートにはメール妻が寄った形跡はない。

当然、手料理もない。

メール妻からの連絡は……

まだこない。


================================<scene6>


#

一週間後の夜~

メール妻とは何回か連絡を取った。

だけど、今夜の外食の話題を振ると、返事がこなくなる。

やはり、外で会うというのは、何か訳があるのだろうか?

#

オレは不安な気持ちを抑え、一方的に連絡した待合場所まで向かった。


================================<scene6>

#

雨の降る駅前のタクシー乗り場。

メールでオレが指定した集合場所はそこだった。

約束した時間は19時。

今日は一週間前から仕事の上司に連絡し、了解を得ていた。

上司からは、「結婚相手のご両親とでも会うのか?」と聞かれたが、

「ちがいますが……それくらい大切な日なんです」、と答えておいた。 

この日の為に花束を予約しておいたので、それを持ちたたずむ。

大きな花束を持ちながら、なんとか傘を肩で固定して雨を凌ぐ。

10分が経ち……

20分が経った……

雨は時折、強くなったりもしたが、なんとか大雨の一歩手前で持ちこたえてくれていた。

それでも足元の、革靴とスーツの裾はビチャビチャで、なんとも言えない不快な感じだ。

30分が経った……

まわりには、タクシー待ちをする人の他に、オレと同じように、誰かを待ち続けている人が何人かいた。

ちらほらと、その待ち合わせの相手が現れ、楽しげな会話とともにこの場を去っていく。

男性と女性の待ち合わせ。

お互いが連絡し合い、時間を決めて集合場所で落ち合うという、ごく当たり前の後景。

しかし、その当たり前の後景すら、今のオレには与えられていない。

もしかしたら、今夜は来ないかもしれない。

いや、今夜だけではなく、これからの関係すら断ち切られてしまう事への不安。

不安という名の雨は、尚もオレをビシャビシャに濡らして行く。

50分が経ち、そして、1時間が経った。

メール妻は、まだ来ない……

すると、そこに、携帯の着信音が鳴った。

オレは、急いでメールの内容を確認した。


#

「いま、アナタの後ろに立っています」


=========================<scene6>

#

「これがメール妻の正体……」

すると、後ろから雨音ににかき消されたような声が聞こえた。

それは、男性とも女性ともわからないような声だった。

オレは、急いで後ろを振り返った。すると……


========================

#

そこにいたのは、相沢だった。


#相沢

「これで目が覚めたか? メール妻の正体なんてこんなものだ」

#堅太

「どうしておまえが? どういうことだ!?」

オレは怒鳴った。

#相沢

「まだわからんか。おまえのメールアドレスを知っているヤツが、おまえをバカにして遊んでいただけだ」

#堅太

「何だと? ウソだっ!」

#相沢

「今、送ったメールは俺のアドレスだけどな。こうやれば誰でもメール妻になることは可能だ」

#

オレは急いでアドレスを確認した。確かに、今入ったメールは相沢のものだった。

#相沢

「おまえは、まわりが見えなくなって、誰のアドレスか確かめる事も出来ない状態なんだ」

#堅太

「やっぱり、おまえのウソじゃないか!」

#相沢

「確かに今のは俺のウソのメールだ。お前が怒るのも当然の事をしたと思っている」

#堅太

「あ……あいつは、本当にいるんだ! ここに来るんだよ!」

#

オレは、もはや疑う事を知らない本気の目になっていた。 

#相沢

「それは妄想だ! いいかげん目を覚ませ!」

#堅太

「うそだ、うそだ、うそだーッ!!」 

#

2人は、雨の中で取っ組み合った。

傘は折れ、花束はひしゃげ、雨に濡れながら大声をあげながら。



#

「ちょっと! ケンカはやめて!」

それをとめる女性。それはエル子だった。

#堅太

「うるせーよ! 何でオマエが出てくるんだよ!」

#エル子

「それは……偶然とおりかかっただけで……そしたらアンタたちが大声出していたから……」

#堅太

「……」

#

オレは黙り込むと、またもその場に待ち尽くす。

#堅太

「アイツはぜったいに来る! オレは信じる!」

#エル子

「……」

#相沢

「……」

「まったく、強情なやつだよ……」

#

相沢は、心配そうにしているエル子の顔を横目で見た。

#相沢

「焼鳥屋の事件は堅太から聞いた。エル子も一緒にいたのなら、そんな話信じないだろ?」

#エル子

「ミサという女の話ね……」

「もちろん、信じてないわよ……でも、メール妻は確かにいるわ……」

#相沢

「なんだって?」

「エル子までそんな事言って……どうしてそんな事を信じるんだ!?」

#エル子

「どうしてって……そういう訳じゃなくて……」

「いたら……いいな…って思うから……」

#

エル子の表情は寂しげだった。

相沢は、それ以上何も言えなくなった。そしてその場を去った。

3時間が経った……

エル子は、堅太を慰めてあげたかったが、その言葉が思いつかない。

遂に、何も言えずに、堅太の前から去っていった。

そして、雨の中、5時間が経った。

疲労困憊した堅太の顔つきは、絶望に覆われていた。

#???

「…………」

#

そこに。

堅太の様子を、遠くから見詰める女の人影。

それは、はたして誰なのだろうか?

もしかしたら、その人影こそがメール妻本人なのかもしれない。

だが、今それを確認する方法は、何もないのだった。

夜中の12時。

堅太は、さすがに諦めて帰宅していた。

ずぶぬれになりながらも、グシャグシャの花束だけは離さなかった。


そして、帰る途中、メールが入る。

それは、今度こそ本当のメール妻からだった。

『今日はあなたと会えません。それと、しばらくあなたと連絡できません』

#堅太

「…………」

「…………う……あぁ…………」

「うわぁあああああああぁーっ!!!」

それ以来、妻からのメールは全く来ない。

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