冬の墓標 7
寒さも和らぎ、春一番が吹いたころ。
僕はいつもの道を通って大学に向かう。散った桜で埋め尽くされた道路を軽やかな足音を立てて多くの学生や社会人が歩いていく。車道は車が行きかい、以前ほどではないにしても、子どもたちは歓声を上げて登校していく。
青海大学前の交差点の方からゴミ収集車が走り出した。近所の人たちは信号待ちをしている学生たちに挨拶をしながら掃き掃除をしている。
僕が交差点に到着した時には信号が赤になってしまった。僕の目の前で多くの車が通りすぎる。
掃き掃除を終えた人たちが散り散りになっていくと、ゴミ置き場にはゴミ出しの曜日が書かれた看板以外、何も残っていなかった。もう、花を手向ける人も、ぬいぐるみを置いていく人もいない。僕もいつか忘れてしまうだろうか。
信号を待っている人の中に、杏奈さんを見つけた。僕は彼女の隣に立った。
「おはようございます」
「おはようございます」
杏奈さんもまた、明るい笑顔で挨拶してくれた。
「あの日以来、でしょうか」
杏奈さんは信号を見つめたままつぶやく。事故の真相を警察署で話した日。あれ以来、確かに僕たちは会うことがなかった。メールも電話もしていない。結局被疑者がどうなったのかは知らない。僕も、自分の知りたいことを知って満足してしまった。きっと、杏奈さんもそれでいいと思っているのだろう。その続きは何も言わなかった。
「あの」
僕は杏奈さんに呼びかけた。杏奈さんはこちらを見た。
「覚えていたんですね」
言いたいことがあったはずなのに、出てきた言葉がそれだった。
「人は覚えている人がいる限り生き続けている、という人がいます」
杏奈さんは言葉を続ける。
「去る者は日日に疎しというように、亡くなった人のことは皆忘れていきます。忘れることで進める未来もあります」
この事故に限らず、杏奈さんと会う時はいつも事件に巻き込まれて嫌な思いをしてきた。だからって甘い思い出だけ残して後は忘れていいと思えるほど、些細な出来事だったのだろうか。
「でも、忘れたくはないです」
僕ははっきりと言った。
「それでいいと思います。忘れるのは今を生きるためですから」
僕は前を見た。杏奈さんが見ているのと同じ景色。横断歩道の向こうには、花が散りだした桜とコブシが植えられた、僕たちが通う大学。
信号が青に変わる。僕たちは大勢の学生たちとともに、横断歩道を渡り出した。
スピンオフストーリーはこちら
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882046943/episodes/1177354054895868790
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