スピンオフストーリー

紫煙の悪夢~春の眠りは永遠に続くより

 焚火台に薪と小枝を乗せ終わると、100円ライターで綿に火をつける。これが学生生活の中で最後のキャンプだというのに、全く実感が湧かなかった。振り返れば文化祭以降まともに来ていないからだろうか。就活とゼミに追われていたせいかもしれない。沙綾さあやに言われるまで春キャンプのことはすっかり忘れていたのだ。

 ワンダーフォーリッジではボーイスカウトの子どもたちとともにキャンプを行う夏キャンプと冬のスキー合宿が全員必須参加のイベントで、他にもほぼほぼバーベキュー会となっている夏の沢歩きや冬山登山と温泉に行く冬登山、そして今回のようなボーイスカウトの子どもたちと春休みの山に行く春キャンプのような行事が多々ある。2年生はグループを組み、何かしらのイベントの企画・運営を行うことになっていた。俺はサークル長ということもあって夏キャンプの責任者をやっていた。

 3年生の文化祭までは一応名前だけはサークル長をやっていたが、実態はほぼ当時の2年生が運営していたし、そうなるように次期サークル長の御簾みすに引き継ぎはしていた。そのおかげで春キャンプはつつがなく行われている。

 まだ人肌寒いこの時期、わあっと子どもたちが焚火の周りに寄ってきた。

「もう火ついてるから、あんまり近寄ると危ないからねー!」

 沙綾が声をかけつつ、あまりに近づきすぎている子を引き離している。最近、メイクが派手になった気がする。

「ひっさー、もう火、ついてるよ!」

「わかった、これ片付けたら手伝う」

 点火棒を片手に持った1年生がそういって戻っていく。子どもたちははしゃぎながら夕飯づくりの手伝いに向かっていった。


 子どもたちが寝たかどうかを確認するまで、すごく長く感じたと思う。テントにはしっかり鍵をかけたし、中で物音がすればわかるはずだから大丈夫だとは思う。

 グループ長の磯野いその曰く、夕ご飯の前後で俺たちのグループで使うテントの中に置いておいた荷物の配置が何となく変わっていたという。ひとまず中身を確認し大学生組だけで話し合った結果、鍵をかけられるところは鍵をかけ、貴重品はシュラフの中に入れて肌身離さないようにする、ということになった。

 この時期は春休みでほかのキャンプ客が同じ施設を利用したりはする。しかし、ワンダーフォーリッジは大所帯なので一番近い他のベースキャンプからも歩いて5分はかかるし、焚火を行ったところを必ず通ることになるから他の利用客が来れば怪しむはずだ。それに、テントから離れるときには必ず鍵をかける。鍵をこじ開けようとしたような跡はなかったというし――。

 暗闇の中で何かがうごめく。誰かが起きぬけてきたのだろう。ただ、まだ深夜のはずなので外は暗い。トイレか、とも思ったが入り口とは反対方向に向かってくるのが足音でわかる。

「おい」

 そいつに声をかけた。そいつは明らかに俺の荷物に手を出そうとしていた。

「……何?」

 磯野が寝ぼけなまこの中起き上がろうとしてくる。俺は、荷物に手を出そうとした奴の手を取った。

「トイレだとさ。連れてく」

 そう言ってそいつをテントから引っ張り出した。


 その子はあまりに浮かない顔をした男子だった。確か新小学6年生だったと思う。彼は俺に引っ張り出された手首を優しく握っている。

「お前が欲しかったのはこれか?」

 俺は自分のポケットから出した箱から、1本引き抜いて見せる。彼はますます青ざめた表情を見せた。図星だったようだ。俺は盛大にため息をついた。小学生がタバコなんか欲しがるなんて。

 内部の人間が物取りというのは想定内だった。そもそも他のキャンプ客なら、大学生と小学生の集団なんか狙わないだろう。小学生も大学生も、魔が差して人のものをくすねることもあるのだから。そしてこの夜、こいつは俺の荷物にまっすぐ向かってきた。100円ライターで焚火に火をつけたあの時から、俺なら持っていそうだと目を付けたのだろう。今や大学生の喫煙者はほとんどいない。

「何でこんなもん欲しいの」

「ママは、パパと喧嘩した時、よく吸ってるから……殴られたときとか、特にそう」

 少年は涙をボロボロこぼしていた。鼻水まで垂らしている。ティッシュを持ってくればよかった。

「言っとくけど、一応こういう場ではこっちも持ち込み禁止ってことになってるからな」

「……何で持ってきたの」

 違反してまで持ってきた理由。俺は取り出した1本を箱に戻し、ポケットにしまった。

「何でだろな」

 沙綾の様子が変わってきたのは、新たに彼氏でもできたからだ。噂にはなっていたが、おそらく本当のことだろう。そして俺はそれを今でも引きずっているのだ。俺と別れてからも楽しそうな沙綾を見たくなかった。付き合ってる頃に辞めたはずなのにまた手を出してしまう。結局は俺も彼の母親と一緒ということか。

「もう寝ろ」

 そう言われても少年は寝られるわけもないだろう。俺も寝付けそうにない。うっかりポケットに手をやってしまいそうになる。

 そうだな、嫌なことは、すっかり忘れてしまえればいいのに。


「春の眠りは永遠に続く」を読みたい方はこちら

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882046943/episodes/1177354054882047006

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