冬の墓標 6
僕が来た頃には、杏奈さんはすでに到着していた。
「お待たせしました」
「では、中に入りましょうか」
僕たちは建物の中に入る。杏奈さんが窓口で聞くと、受付の方はすぐに僕たちを部屋へ案内してくれた。ドアを開けると、事務机の向こうに人が立っていた。
「ご苦労様です。私、交通課の
小宮山さんと佐伯さん、でよろしいでしょうか」
杏奈さんは「はい」と答える。僕もこくりと頷く。僕たちは亘さんから名刺をもらうと、椅子に座るよう勧められた。
「では、お話を聞かせてもらえますか」
亘さんはじっとこちらを見つめている。
「ええ」
杏奈さんはこちらに顔を向ける。僕は軽く軽く頷いた。杏奈さんは僕たちが事故について調べていた理由を亘さんに話している。亘さんは真剣に杏奈さんの話を聞いている。僕は湿った手をぐっと握った。
杏奈さんは僕が知りたかったことにすべて答えてくれた。それだけではない。僕自身が望むことにも応えてくれた。だからこの話は全て杏奈さんに託すことにしたのだ。僕のやるべきことは、この件の顛末を見届けること。
杏奈さんは机に資料を広げた。ある日の新聞をコピーしたものだ。杏奈さんはその記事にはぐるりとボールペンで縁取られた小さな記事を指さした。
「まずはこの記事をお読みください」
亘さんは新聞記事に目を通す。そして、新聞全体を見渡した。
接触事故 幼児が飛び出したか
昨日午前八時頃、青海大学前の交差点付近で、乗用車が女児に衝突する事故が発生した。女児は病院に搬送されたが、搬送先の病院で同市の高田空良(そら)ちゃん(5)の死亡が確認され、運転していた青海市、無職浜田隆二(25)が運転過失傷害で現行犯逮捕された。
県警青海署の発表によると、事故現場は交通量が多く、信号のある見通しの良い交差点だという。女児と一緒にいた祖母によると、目を離した隙に女児が抱えていたぬいぐるみを追いかけて横断歩道に飛び出していたという。
同署によると、女児が渡る信号は赤だったことから女児が信号を無視して横断歩道に飛び出したとみて調べている。
「これは、青海大学の信号付近の交差点で起きた事故……しかも事故が起きたのはちょうどあの事故があった日の13年前……ですよね」
「ええ」
杏奈さんは頷く。
「もちろん、浜田の前科についてはこちらも調査済みです。また、事情聴取も引き続き行っております」
「私もそのつもりで来ました。気にしていただきたいことは加害者ではありません」
「加害者ではない、とは?」
亘さんはもう一回新聞記事を読んだ。
「被害者は幼い少女、そして第一発見者は祖母……」
亘さんはようやく意図が呑み込めたようだ。
その少女といた祖母というのが、高田さんなのではないか、と。
「毎年あの日になると、あのゴミ置き場に白いウサギのぬいぐるみが捨てられているそうです。もしかして、そのぬいぐるみは、交通事故で亡くしたお孫さんのために、置いてあったものではないでしょうか」
供養のために手向けられていたぬいぐるみ。もしかしたら、事故のことも孫のことも忘れてほしくなかったのかもしれない。去る者は日日に疎し。老人会の人たちはずっとこの街で暮らしてきただろうから知っていたが、大学の近くという人の移動が絶えないこの地域には、引っ越してきた住民の方が多いのではないだろうか。事故があった現場はゴミ置き場になっていることも相まって、ウサギのぬいぐるみがただのゴミだと勘違いされたとしても、ある意味当然のことなのだ。
「まさか、浜田は自分の起こした事故のことを知る高田さんに逆恨みして……」
「いえ、そうだったのかは分かりません。あの日、あの交差点を通ったら白いウサギのぬいぐるみを見つけた途端、13年前に起こした事故の記憶がフラッシュバックしてしまった、アニバーサリー反応といいます、そういう可能性も考えられます」
犯人の心情については何も考えなかった。警察が事情聴取しているだろうとは思っていたし、どちらにせよ以前事故で死なせてしまった少女の祖母を死なせた事実はほとんど変わらない。
ただ、自分の孫の供養のために置いたぬいぐるみが、事故を誘発してしまったのだとしたら。
僕は上を見上げた。今は天井しか見えない。あの事故の日、ウサギは天を仰いでいた。もし心があるなら、何を思っただろう。
僕はやりきれないと思った。
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