【企画参加】駅 sideB

柿木まめ太

駅 sideB

 昼を少し過ぎたこの時刻でも、JRに連絡する路線はまだ利用客が多かった。こちらに転勤になって驚いたことのひとつだ。朝のラッシュほどに込み合うわけではないが、余裕を持ってゆっくり歩ける空気でもないのが可笑しかった。この街は忙しい。


 到着の列車に乗り込む人々は朝の時間帯ほど我先に急いだりはしないが、前傾姿勢で突入するような勢いがあり、こちらまで釣られてしまう。俺を含めた五人ほどが同時スタートを切って開いたドアの中へと飛び込んだ。

 五人が順繰りに入っていっても良さそうなものを、勢いに釣られてしまって競争のようになる。少し恥ずかしく感じる。車内は空いていて、座席もちらほらと空きがあるくらいだ。突入する必要性などどこにもなかった。


 乗り込んだ乗客は吸い寄せられるように空いた座席を埋めていく。それが当然の流れであるかのように、俺も何も考えずに目に付いた緑色のシートを埋めた。二つ分空いていた座席はまだ半分が剥き出しで、少し居心地が悪いように感じる。たぶん、次の停車駅に着けば埋まるのだろうけど。

 空いた座席のライトグリーンがいやに鮮やかで、ブロックの欠けにも見えた。ドアが閉まります、のアナウンスが始まってもまだ車両内には欠けが幾つもあった。


 隣に座っていた誰かが身じろぎ、その膝にプレゼン資料らしき冊子を広げる気配を感じた。とたんに、意識の外と内とが逆転した。座席に座る人々と、空き座席のグリーン。中年層の社会人たちと学生たちが入り混じる車内だった。


 ドアが閉まります、ドアが閉まります、アナウンスが急かすように何度となく繰り返して流され、それでいて追い立てるブザー音と合成音声だけで一向にドアは閉まりそうにもない。何回目のアナウンスで閉める気だろうかとドアに注視していた。


 駆け込み乗車の客がまばらに飛び込んでくる。老いた男女の姿を見咎めた時に、心はざわめいた。若い乗客ばかりの中の異質な存在は目を引いた。二人はまっすぐ俺の隣を目掛けて急いでいる。反対側から同じ席を目指していたらしきサラリーマンは歩みを緩めた。


 目顔で合図しあう三人はごく自然な流れでこちらを向いた。妻の背に手を添えて、夫は空いた席には妻を座らせようとしている。サラリーマンは満足げに手摺りを掴む。ご主人の方と目が合ったことをきっかけに、俺も流れで席を立った。ご主人は少しばかりの遠慮の後で、夫人に手を引かれてその席に着いた。

 老夫婦は何度も何度も頭を下げ、若い男二人は表情だけで応える。無声映画のシーンのように誰も声を発しないのが少し奇妙だ。隣に立つ会社員と目配せで挨拶を交わし、俺はドアの前へと向かう。


 なんだか気恥ずかしい。ワンテンポ遅れての親切は少し格好が悪い。取り繕うようなこの態度も自意識過剰だろうかと思ってしまう。開閉ドアの傍に設置された手摺りに背を預けて、読みかけの単行本を鞄から引っ張り出してきて。それさえ他人からは見え見えの誤魔化し工作のように見えるだろうか。


 何気なく視線を向けた先にあった女性客の微笑みとばっちり目が合ってしまった。やっぱり挙動不審だったのだ、それとも席を譲る行為を正しく評価してくれての賞賛だろうか、それとも。

 彼女の柔らかく穏やかな笑みに見覚えがあると気付いたのはその直後だった。走馬灯というと御幣がありそうだ、けれどそれが一番しっくりと今の俺の脳裏に起きた事柄を示している。一気に駆け抜けていった甘い記憶や苦い後悔が俺の視線をそのまま紙面に縫い付けた。


 ちらりと盗み見た先で、彼女の細い指先にあるべきものを探してしまう。何も嵌まってはいない事を確認して、なぜだか胸を撫で下ろしていた。これからどうするべきなのか、次の思考はもうそればかりに染まってしまい、他には何も考えられなくなった。


 迷いがあり、後悔が怖気ずく心に波を被せて前へ前へと押し出していく。あの時こうしていたなら、そんな思いが次第に強くなっていく。列車は無関心に走り出し、すぐに次の停車駅のアナウンスを始めた。


 チャンスなんだろうか、紙面を追うふりで中身などまるで読んでいない。自然に顔がにやけていき、心も次第に固まっていく。

 列車が走る速度をゆっくりと落とし始めた。


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