第5話 あくまで推奨
月末の金曜。
世間では最近始まったプレミアムフライデーとやらが推奨される日だ。
ただしうちの場合、そんなすぐに帰れるような余裕はまったくもっていない。
うちは常にピンチなのだ。
「では、これでミーティングを横領シマス!」
「横領じゃなくて終了ですよ」
俺たちは円形のテーブルを囲むように座り、いつものエミリーさんの怪しい日本語でミーティングが終了する。
午後のミーティングというのは、昼食を食べたせいか強い睡魔に襲われる。
ついうとうとしてしまうが、今後のスケジュールを決める大事なミーティングで寝てしまうわけにはいかない。
何より、寝てしまったら誰にどんな仕打ちを受けるかわからないのだ。
「今日はヤケに真面目だねエミリー。何か良いことでもあったのかい?」
「何を言っているデスか沙織? 私はいつもマジメデス!」
「どの口がそう言うんですか?」
エミリーさんは立ち上がり自席へ戻ると、帰り支度を始めた。
「あれ、どこか外出でもするんですか?」
「いや、今日のエミリーにそんな予定は……」
荷物をまとめ終えると、部屋のドアに手をかけてこちらを向く。
そして無言のまま笑顔で手を振ると、ドアを開けて部屋を出て行った。
…………。
「ちょっと待てっ!!!」
俺は帰ろうとしたエミリーさんを慌てて呼び戻した。一旦椅子に座らせ、事情を聞く。
「なんで帰ろうとしたんですか?」
「なんでって、知らないんデスカ? 今日は月末の金曜……プレミアムフライデーデスヨ!」
「それくらい知ってますよ。もしかして帰れると思ったんですか?」
「モチモチのろんデス! 今日の私はプレミアムなエミリーなのデスヨ。もっと労ってほしいデス!」
「……ダメです」
「……ダメだ」
「……ダメ……です」
エミリーさん以外の全員の声が見事なまでハモった。
それを聞いたエミリーさんは頰をフグのように膨らませる。
「なんでデスカ?」
「何でも何も、エミリー。君はもう少し仕事と熱心に向き合うことはできないのかい? 入社仕立ての君はものすごいやる気をもっていたはずだよ?」
「え、あのエミリーさんが?」
俺は驚きを隠せずにいる。あの仕事をする気が皆無のエミリーさんがやる気に満ち溢れていた時期があったなんて。
「私は悪くないデス。部長サンが私のプリンを食べさえしなければ」
「ちっちゃいな! グレる理由がショボすぎでしょ!」
「ノットスモールッ! イットワズアビックプリン!」
「小さいのよりも私は大きい方が好きだ」
「色っぽい声で間違った翻訳をしないでください! さあみなさん仕事しますよ!」
なんで新人の俺が仕切ってんだよ。
「ところで、ケースケはいつもの私とプレミアムな私、どっちがいいデスカ?」
「まともなエミリーさんをご所望します」
「選択肢をスルー⁉ さ、さすがはニュータイプ……格が違いマスネ。それでも今日は帰りたいんゼヨー」
エミリーさんは目に涙を浮かべながら、俺の服にしがみついてきた。
どうしたものかと悩んでいた俺のところに、救いの手が現れる。
――プルルルルッ!
沙織さんのデスクの上の固定電話が部屋中に音を響かせた。
沙織さんはすぐさま受話器を取る。
「はい。WEBチームです……はい、少々お待ちください」
沙織さんは受話器をデスクに置いて、こちらに振り向いた。
「エミリー、部長からだ」
「ぶ、部長サンッ⁉ いったい何の用デスカ?」
「何か良い案件が来たのかもしれない。さあ、出てくれ」
「分かりまシタ」
エミリーさんは沙織さんの横に行き、受話器を耳に当てた。
「お、お電話変わりまシタ……エミリー・ノースロップでございマス」
「おい、エミリー……お前まさかプレミアムフライデーだからって、クソ忙しい中でこっそり帰ろうとしてるんじゃないだろうな?」
「えっ⁉ さ、さあいったい何のことで……わ、私は今日、とっても忙しいデスヨ? ビジーにもほどがあるのデス!」
「じゃあお前が大好きな野球観戦をする日がいつか教えてくれ」
「……フッフ、聞いて驚くがいいのデス! なんと今日、チクルトペンギンズの試合を観に行くのデスヨ! どうだ、参ったデスカ?」
「てめえ、帰る気満々じゃねえか…」
「うぎゃっ! しまったのデス! ついうっかり……」
「うっかりだと? 今からそっち行くから、尻洗って待ってろ!」
「ひぃ〜っ! またマイヒップが叩かれるのデス! ……え?何をするデスカ、沙織?」
「すまないな、エミリー。君を拘束しろと部長からメールが来たのでな」
「裏切りものデスヨーッ!」
沙織さんが逃げようとするエミリーさんを羽交い締めにしてから数十秒ほどで、部長が鬼の形相でやってきた。
このあと、エミリーさんはお尻をめちゃくちゃ引っ叩かれる。
その様子は見てはダメだと、俺は沙織さんの手で両目を塞がれて泣き叫ぶエミリーさんのお尻を叩く音が延々と聞こえてきたのだった。
ちなみに部長は女性なので問題は……えーっと、ない……はず。
エキサイティング! あいはな @merry
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