第36話 ガキと優しさ

 急だから無理だ。と断ってくれ…との晶の願いも虚しく、二つ返事でOKだった。今は遥と頼まれた買い出しを済ませて直樹の家に向かう途中。

 どうせならゆっくりしていってと、お昼から晩ご飯までを過ごすことになった買い出しは大量だった。

 そんな長居しなくてもいいはずだ…。そう思うのに遥と陽菜が電話で盛り上がって晶が意見をする前に予定は決まってしまった。


 嫌々ながらにインターホンを押す。

「はい。…ブッ。ハハッ。アキ…お前…。」

 顔を合わせる前からこれかよ…。晶はうんざりした顔で家に上がることになった。


「いらっしゃい。あら。晶くんがスーツじゃないなんて初めて。」

 陽菜まで驚いた声を出す。針のむしろのような視線にこの場から立ち去りたくてジリジリした。遥は隣で嬉しそうにはしゃいでいる。

 チッ。人の気も知らないで。

 晶はこちらも楽しそうに肩に手をかけてきた直樹の腕を振り払う。

「なんだよ。つめてーな。」

 最高に面白い。傑作だ。の声が聞こえてきそうな顔を一瞥して荷物をキッチンへ運んだ。

「ありがとう。助かるわ。」

「いや。こっちも急で悪かった。」

 建前を口から吐き出すとリビングのソファにかけた。

 遥は陽菜と一緒にお昼ご飯の準備をするようだ。二人で食材を冷蔵庫にしまいながら楽しそうに話している。

 その姿を見て、まぁ来ても良かったか…。と思うことにした。

 

 直樹がグラスを持って隣に座った。

「何も言うなよ。自分でも分かってる。」

 先手を打って直樹に牽制するとクククッと笑った。

「よく似合ってる。」

 そう言った後もクククッと笑う直樹に、思ってもないクセによ。と冷めた視線を送った。

「それにしても良かった。もう家に遊びになんて来れないんじゃないかと思った時もあったぞ。」

 軽口をたたくように言う直樹にフッと息を吐く。つい2、3日前のことなのに、その日々は世界の終わりのようだった。ただ遥が側にいなかっただけで…。

 じっと黙ってしまった晶の背中をたたいた。

「しけた顔すんなよ。俺まで思い出すだろ。毎日しけた面を見せられてた俺の身にもなってくれよ。」

 わざと大袈裟におどける直樹に、力なく笑う。

「ハハ…。悪かった。あの時は…助かった。本当に。」

 直樹はニヤッとするとポケットに隠し持って来ていたらしい缶ビールを晶に投げる。

「まぁ飲もうぜ。」

 おいおい昼間っからかよ…。呆れつつもプルタブに手をかけた。


「もう飲んでるの?」

 言葉とは裏腹に陽菜の手にはおつまみが盛られたお皿があった。そういう手際のよさや気の利きようはさすがだ。

「そんなに飲むと足りなくなっちゃうわ。2階から飲み物を下ろすの手伝って。」

 腰を浮かせた晶に、俺だけで大丈夫だ。と直樹は手をあげて階段の方へ行く。陽菜も一緒に行くようだった。

 残された二人。テーブルの前でサラダボウルを持ってきていた遥が申し訳なさそうに口を開いた。

「あの…すみません。来るの本当は嫌でしたか?」

 ここに来た時に顔が引きつっていたことを感じ取ったのかもしれない。そういうところは相変わらずか…。

「気にするな。別に直樹とはいつもこんなもんだろ?」


 確かにその後は思ったよりも良かった。たわいもない話で盛り上がって食事をして、終わるとカードゲームをした。

 直樹が負けると酒が入っているからだと素直に負けを認めず、晶が俺も飲んでるぞと言えば、こいつは人間じゃないからだと憎まれ口をたたいた。

 遥と陽菜はそんな二人を見て顔を見合わせて笑った。こんな日がずっと続けばいいと思えるほどだった。


「お酒、空になってるわね。」

 昼からダラダラと飲み始めて、いつの間にか夕方だった。

「何か持って来よう。冷蔵庫開けて構わないか?」

「えぇ。」

 立ち上がった陽菜は晶と一緒にキッチンへ向かった。そして少しすると陽菜だけが戻ってきた。

「晶くんがカルパッチョ作ってくれるって。お魚も捌けるのね。晶くんって…かっこいいわね。」

 陽菜の発言に直樹はフッと笑みをこぼした。

「今さらアキに惚れるなよ。」

 苦笑する陽菜は直樹をたたく。

「そんなんじゃないわよ。でも…表情もすごく柔らかくなったわ。それに普通に接してくれてる。」

 それは遥も感じていた。いつか見た時の晶は陽菜の存在を無視しているのかと思える接し方だった。今は遥や直樹と話す時と変わらない。

「それは遥ちゃんのおかげだろ?なぁ遥ちゃん。」

 私は何もしてない…。返事ができなくて遥はうつむいた。

 そこへ戻ってきた晶はお皿を持っていた。お皿には彩り鮮やかなカルパッチョが並べられていた。

 「わぁ美味しそう!」「ここまでやれると逆に嫌味だ。」「まぁそう褒めるな。」「おいアキ。俺は褒めてないぞ。」そんな楽しそうな会話が遥にはどこか遠い世界のことのように思えた。まるでテレビの画面を見ているような自分とは関係のない遠い世界。


 みんなが食べ始めても遥はぼんやりしていた。晴れない表情の遥を見て陽菜が口を開く。

「せっかく美味しいのに、飲み物が足りないんじゃない?買って来てくれないかしら。」

 えー。もういいだろ?と不満顔の直樹に遥が立ち上がった。

「私が行ってきます。何がいいですか?」

 まだ沈んだ顔をしている遥はこのままどこかへ行ってしまいたいとさえ思っていた。

「バカ。ガキが夜に出歩くな。」

 ガキ…。その単語は気持ちが沈んでいても聞き捨てならなかった。度重なる人前での子ども扱いにカチンとしている遥にさらに付け加える。

「だいたいお前じゃ酒を売ってもらえねーんだよ。直樹、行くぞ。」

 なんでだよ〜とまだ不満そうな直樹を引きずるように二人は出て行った。

「フフッ。晶くん。優しいわね。」

「あれのどこがですか?」

 ぷーっとむくれている遥を見て微笑む。

 だって今の一言ですっかり遥ちゃん元気になったじゃない。陽菜は口には出さずに目を細めた。

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