第31話 前へ
直樹は放心状態のアキを横目に、言い過ぎちまったか…。と反省の色を浮かばせていた。でも…。
家では陽菜が、自分が変なことを言ったせいなんじゃないかと落ち込み、遥は無理に明るく振舞っている。沙織も人間味のない晶と接していて楽しいわけがない。
それに、こんなアキを見てるのはもう…。
「んな、しけた面をいつまでも見てたくねぇんだよ。アキ。今日は帰っていいぞ。」
晶の肩をバシッとたたくと直樹は自分の席へと戻った。
晶はしばらくの沈黙の後、おもむろに立ち上がると部屋を出て行った。部屋の外から「クソッ」と晶の声が聞こえた。
「ハハッ。悪態をつくくらいの元気はあったか。」
直樹は乾いた笑い声をあげると天井を仰いで深いため息をついた。
こっからはお前次第だぞ。アキ。祈るような気持ちで直樹は目を閉じた。
晶はここ何日か泊まっているビジネスホテルに来ていた。部屋に入るとベッドに横になる。
俺は…。
遥のために読んだ本。そこで知った名称に反発や憤りを感じながらも自分が長年苦しんだものはこれだったのだと安堵する気持ちにもなった。
機能不全家族…アダルトチルドレン…毒親…そして女嫌い。それらの納得する症状に自分を当てはめて、だからなんだ。そう思ったのは確かだった。それを…言い訳にしていたのだろうか。
晶は思い出さないように努めていた遥のことを思い出す。怯えながらも直樹に会い、少しずつ話せるようになったこと。晶が誘ったからといって、外出までしたこと。
直樹が言うように遥が頑張っていた姿とともに晶に向けられた笑顔が浮かぶ。懐いた小動物の笑顔。
なぜあの笑顔を忘れてしまってたんだろう。いつだってハルは笑顔を向けてくれていた。それなのにどれだけ小さなことで俺はハルが離れて行ってしまったと思ったんだ。そう勝手に思っていただけなんじゃないのか。自分が傷つくのが怖いだけで…。
こんな簡単な答えを直樹に喝を入れられないと気づけないとは、どこまでバカなんだよ。
晶はふいに急激な睡魔に襲われた。あぁここ数日まともに寝てなかったな…。突然の睡魔にあらがうこともせずに目を閉じた。目には知らぬ間に涙がにじんでいた。
目が覚めると朝だった。開けっ放しのカーテンの窓からはまぶしい朝日が降り注ぐ。水の中から世界を見ていたような、もやがかかったような世界ではなかった。まぶしかった。
ホテルの部屋を出ると清掃のスタッフとぶつかりそうになる。
チッ。朝から女にぶつかりそうになっちまったぜ。
当たり前に浮かんだ思いに笑った。
ハッ。そんな気持ちさえも忘れてたな。晶の見る世界に彩りが戻っていた。
晶はいつものように沙織と会うためにカフェに来ていた。今日は自分の気持ちを話せる気がしていた。
沙織は遅れてやってきて、席につくといつものように話し始めた。しかし内容はいつもと違う内容を。
沙織はもう答えを出していた。会うたびに無表情な顔と無機質な声の晶に。
「私、分かったんです。私は晶さんが好きだったわけじゃなくって…。」
何を言いたいんだろう。俺はまた何かを失うのか。いや…そうじゃないだろ。それがなんだっていうんだ。晶は自分自身を鼓舞した。
沙織は続きを口にする。
「晶さんが穏やかになられた…大切な人を想っていらっしゃる晶さんが素敵に思えたのです。」
微笑んだ沙織はどこか寂しそうで、晶は何も言えなかった。
「もうお会いすることもないでしょう。さようなら。」
晶は何も発せないまま沙織は去っていった。
晶は直樹に電話をしていた。
「あぁ。悪い。用事を済ませてから事務所に行く。」
それだけ伝えると電話を切った。そして電話帳の「ハル(クソガキ)」を表示する。まだかけたことのないそれを選択しようと伸ばした指を戻した。
まずはマンションに帰って、それからだ。晶はホテルに寄ってからマンションに足を向かわせた。
沙織は父親に電話をかけていた。
「お父様。私、晶さんとはもうお会いしません。」
「おぉ。そうか…。」
電話口からは安堵したような心配しているような複雑な心境であろう父親の気持ちが垣間見える。
「それで…お願いがあるんです。勉強したいので大学に行かせてください。」
「な、なんだって?沙織…どうしたんだ?沙織?」
沙織は可愛い娘に何不自由なく育ててくれた父親に感謝していたし、幸せになれるように素敵な人を許嫁にしてくれたことも感謝している。全てに感謝していた。でも…。
「どうしても叶えたい夢ができたんです。詳しいことはおうちに帰ってから相談に乗ってくださいね。」
「あ…あぁ。」
戸惑っている父親との電話を切ると、沙織は真っ直ぐ前を見て歩き出した。
沙織はいつ会っても凛としていた美しい晶を思い出す。常に立ち振る舞いが綺麗で無駄がなかった。そんな晶が穏やかになり、そして今は壊れかけている。
あの病室で震えた手。助けたいと思った。でも…それは自分ではなかった。
そんな壊れてしまいそうな人を助けられる人になりたい。ここ何日間で強く思うようになり、それは揺るぎない目標となった。
「夢を叶えられたら…晶さんの隣に大切な方がいらっしゃっても笑顔で祝福できますよね。」
そうつぶやくと悲しそうに微笑んだ。今はまだ…。
晶さんは何もお互い知らないとおっしゃられたけど、私は口数が少なくても当然のように車道側を歩いてくれる晶さんの優しさを知っていましたよ。
涙が出そうになる瞳を閉じる。「大丈夫、大丈夫」
沙織はまた前を向いて歩き出した。
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