第25話 心の声
出かける前に晶は家中のシーツを洗った。遥にも部屋のシーツを全て持ってこいと持ってこさせて。
「どうしたんですか?何日かおきには洗ってますけど…。」
「今日はいい天気だからだ。」
本当の理由を悟られないように空を見上げる。確かに空はどこまでも高く、いわし雲が浮かぶ秋らしい澄み切った空だった。
事務所に行くと陽菜が来ていて、気まずそうな顔をした。そんな陽菜に声もかけずに晶は自分のデスクに座る。引き出しから仕事用のPHSを手に取っている。
その行動に遥は驚いたように晶と陽菜を交互に見た。陽菜は肩をすくめて「いつものことよ」と遥にだけ聞こえるように言った。
「おぉ。アキ来たか。遥ちゃんもいらっしゃい。雑多としてるがその辺でくつろいでいってよ。で、アキ。このことで相談したかったんだが…。」
二人は仕事のことを話し始めると奥の部屋に行ってしまった。
晶は仕事の話が終わると違う部屋に来ていた。声が外に漏れない場所だ。そこで持ってきていた仕事用のPHSをポケットから取り出す。電話帳から「クソババア」を選択した。
辟易した顔を見せないように注意して遥たちがいる部屋へと戻る。そこでは遥の今後について話し合われていた。
「おう。アキ。ちょうど良かった。遥ちゃんがいつまでも家にいるのもなんだから仕事しないかって。」
仕事?外出もまだ微妙なのに…。困惑の色が顔に出ていたのか陽菜が口を開いた。
「知り合いの人が働いているところなんだけど女の人ばかりで。社員の人に男の人はいるけど優しいって。遥ちゃん自身も働かないと欲しい物を買いづらいと思うし。」
遥としては嬉しい話だった。いつまでも晶に全て世話になるのも気が引ける。確かに戸惑いがないわけではなかったが。
それでもその話が出た途端に晶が不機嫌そうなのが気になって話が半分も頭に入らなかった。
「考えておく。」
それだけいうと「もう用は済んだ。行くぞ。」と遥に告げた。
「あぁ。そうだ。前に頼まれたPHS。届いたぞ。アキと操作は同じだ。」
「助かる。サンキュ。」
直樹から紙袋を受け取るとそのまま事務所を後にした。
「新しいPHSなんてどうするの?」
陽菜は晶がいては聞けなかった疑問を口にする。
「遥ちゃん用さ。」
「スマホとかじゃないのね。」
少しガッカリした様子の陽菜にククッと笑った。
「分かってないな。心配なのさ。スマホなんて誘惑がいっぱいだ。」
呆れ顔の陽菜に余計に楽しそうな顔をする。
「遥ちゃんの仕事もどうかな。アキは遥ちゃんを手放したくないだろうね。」
「でも遥ちゃんも自立しなきゃ…。」
「それはアキも分かってはいるだろうが…。どうするかな。アキ。」
あ〜楽しい。愉快そうに顔をほころばせて直樹は張り切って仕事を始めるようだった。
事務所から出た晶がいつもの晶に戻ったように感じて遥はホッとしていた。
「私の仕事のことそんなに嫌でしたか?」
心配そうな遥に「あぁ。そのことか」と口を開いた。
「話した内容もそうだが…。俺が女嫌いなのは言っただろ?直樹の奥さんには世話になって感謝している。でもそれとこれとは別なんだ。」
何のことを言っているのか分からない顔をする遥にククッと笑う。
「家で言ってたのは、女と接した後にその時の心の声を教えてやる。ってことだ。」
「女の人と接した?心の声?」
「それを聞けば俺がどれだけ女嫌いか分かるってもんさ。」
そう言ってまた意味深に笑う。
「さっき奥さんと話しただろ?その時に思ってたことだ。…さぁここからは心の声だ。いくぞ。」
晶は少し間をあけて話し出した。顔には嫌悪感がにじみ出ている。
「うわっ。相変わらず化粧くせっ。ネイルなんてするよりも中身を磨けよ。ネイル可愛い〜。そんな自分も可愛い〜。とかどうせ思ってんだろ?ハルの仕事のことありがたいけど、そういうの余計なお世話っていうんだよ。…まだ続けるか?」
怒涛の勢いで思っていたらしい心の声を聞いて遥は目を白黒させた。
「そんな端正な顔立ちから、こんな罵りの言葉を聞くことになるなんて驚きです。」
「悪かったな。性根は腐ってて。」
自虐的に言う晶に遥は微笑んだ。
「私も男なんてこの世からいなくなっちゃえ!とか思ってました。今もたまに思います。」
「へぇ。そりゃ非道な考えだな。」
フッと晶も笑みをこぼした。
「ほら。もう分かっただろ?もうこの後は普通でいいか?」
遥は首を振った。
「ダメです。陽菜さんは知ってる方ですけど、知らない人にはどうなのか聞いてみたいです。心の声。」
「悪趣味だな。嫌な気持ちになっても責任取らないからな。」
その後は女の人と接するたびにその人が去ってからひどいことを思っていたことを遥に話した。それを遥は驚いたり時には感心したりして聞く。
どんな性格悪い遊びだよ。そう思って遥を見ると晴れない表情をしていた。
「もう疲れただろ?帰ろう。」
ついつい忘れちまうが、こいつも女だ。いい気分がするわけないのにな。そんな思いで帰路についた。
その晶の思いは的中していたようだ。リビングに入るなり「私も一応は女なんですけど…」と落ち込んだ声を出した。
「だから責任は取らないって忠告しただろ?」
ハルは特別だ。なんて死んでも言えないぞ。どうすんだ。
目を合わせたくなくて、そっぽを向いて座る。遥も定位置に座った。
「アキは女嫌いで生きづらくないですか?」
昨晩も聞かれたな。返事はしなかったか…。
「そうだな。色々と面倒だがなんとか大丈夫だ。」
「私は…ダメです。女に…なりたくなかった。なのに…。」
やっぱり体調の変化がこたえてたか。嫌でも女だと知らしめられるよな。それでも男性恐怖症と自分が女かどうかは関係ないはずだ。女になりたくないと思っていたなんて…。
遥はつらそうに続けた。
「女じゃなければ…嫌な…思いもしなくて済んだのに。」
嫌な思い…。それはいたずらされたという隣のお兄ちゃんのことを言ってるのだろうか。
心から追い出していた怒りがフツフツ湧き上がりそうになるが、遥にそれを見せるわけにはいかなかった。
どう声をかけていいか分からないでいる晶は今にも泣き出しそうな遥を見ないフリをするのにも限界があった。
立ち上がると遥の隣に座り直す。おずおずと腕を回すとやはり柔らかくて、そして頼りないほどに小さかった。
抱き寄せられるがままだった遥は堪えきれなくなったように胸にしがみついて泣き始めた。
「女じゃなくなればいいのに。女だから…嫌な思いもするし、アキにだって避けられることも…。」
そこまで言うと腕の中で顔を上げた。まだ本当は近づいちゃいけないのかな。悲しそうな瞳はそう言っているようだった。晶はその頭をポンポンとして胸の中に戻した。
「悪かった。そんな風に思ってるとは思わなかった。「近づくな」は忘れてくれ。」
「でもアキは女嫌いで…。」
腕の中でくぐもった声で話すハルをもう一度強く抱きしめた。なんと言えばいいか分からなかった。
ハルを避けたように感じるのは…女のハルが嫌なわけじゃないんだ。あの蔑んだ瞳を思い出すとハルが怖いんだ。なんて言えない。
「ハルも男性恐怖症だろ。俺は女嫌いだが。…やっぱり俺たちは似た者同士なんだろう。互いがダメなものなのに大丈夫っていう変な間柄だ。」
変な関係。そう。ただそれだけだ。
「ハルは俺のことを男と思えない。まぁたまに思うかもしれないが大丈夫だ。そうだろ?」
腕の中の小さいのがコクンと頷く。
「俺もハルのことは小学生のクソガキだと思ってる。たまに女だったなって思い出すけど。」
「もう!昨日からクソガキってなんですか?」
わざわざ顔をあげて文句を言う遥を見て笑う。
「クソガキだろうが。すぐ泣きやがって。」
涙を乱暴に拭き取ってやった。ふくれっ面の遥に余計に頬が緩んだ。
「悔しかったら俺が毛嫌いするほどの女になってみやがれ。」
遥はムッとした顔をすると頭をグリグリと胸に押し付けてきた。
「イテテテ…。くすぐったいし、なんだよ。」
腕から離れた遥がニッと笑った。
「じゃ私が絶世の美女になってみせます。」
「ハッ。到底無理だろうが、せいぜい頑張るんだな。」
なんだよ。これは。ハルは俺が嫌いな女を目指すなんて…余計に奇妙な関係だろ。晶は頭をかいた。
それでも…。それでハルが前向きでいられるのなら…。明るい顔をしている遥を見て、フッと笑った。
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