第23話 クソガキ

 服選びは難航していた。想像以上にハルが目移りしていたからだ。

「こっちもきっと似合います。」

「だから、こういうのだとサイズ感が難しいんだ。体周りぴったりだと袖が短かったりするし。だからワイシャツの方が楽なんだよ。」

 もう私服はやはり面倒だと晶は半ば諦めかけたいた。背もあって手足は長いのに体は華奢で完全に規格外だった。ワイシャツもセミオーダーで作らなければピシッと着こなせなかった。

「ズボンは切らずに済むから楽なんだけどよ。あぁ。悪い。ハルは半分くらい切るのか?それとも最初からキッズか?」

 ククッと楽しそうな晶に遥はふてくされた顔をする。

「私もキッズでもダボっとするので服選びは大変です。」

 確かに同じ背丈の小学生の方がよっぽど肉付きが良さそうだと思えるほどに痩せていそうだった。ただ普段から体の線が出ない服を着ているため、どの程度なのかまでは分からなかったが。

「やっぱり直接買いに行きましょう。着てみないと分からないです。」

 こんな迷うのを店でやるのかと思うとげんなりだった。やっぱりこれだから女は…と思うのに、それよりも自分と遥が押し問答をしている姿を見られるのが耐えられない気がした。例え二度と会わない店員や道行く人だとしても。

 ハルに「似合います」と言われて調子に乗る自分…。それを冷めた目で見る目が笑っていないにこやかな店員。あぁ嫌だ。


 うわの空の晶に遥は心配になっていた。そして晶は激震に襲われることになる。

「アキ…。今日はここで寝ちゃダメですか?」

 頭を鈍器で殴られた気がしたのは言い過ぎではない。なぜだ。理由を簡潔に述べて欲しかった。

 黙ったままの晶に遥は極めつけのセリフを吐いた。

「直樹さんが好きなんだから私と一緒に寝るくらいどうってことないですよね?」

 遥は思っていた。いつも距離が縮まったと思うと前よりも距離ができていたりする。それは必ず一緒にいなくなってからだった。だったら離れなければいいんだ。

「ちょっと待て。それとこれとは別だ。ハルは男がダメだ。前のこと忘れたのか?またあんな騒ぎはゴメンだ。」

 そうだとも俺もあんな目を向けられるのはゴメンだ。そのせいで眠れないほどにトラウマなのに。

「だからそれはアキが直樹さんを好きだから大丈夫です。」

 どういう理屈だよ。

「俺の女嫌いはどうしてくれるんだ。」

「アキは私のこと女だと思って見てるんですか?」

「グッ…。愚問だ。」


 シングルのベッドに長身とチビが一人ずつ。いくらお互いに細身だとしても、そもそもがシングル。どんなに距離を取ろうとしても無理な話だった。

 おかしい…。俺は一定の距離を保って過ごすつもりだったんだ。なのに距離ほぼゼロってどういうことだ。だいたいここで寝るって別に一緒のベッドでなくてもいいはずだ…。

 そう頭をグルグルさせる晶はさきほどの会話のあとに「もう勝手にしろ」とベッドに入った。

 それがいけなかった。まさかそんなことするとは思わなかった。遥がその後に続いてベッドに入ってきて現在に至る。

「アキは…女嫌いで生きづらくはないですか?」

 今は息がしづらい。動揺と緊張で。意味不明な思考回路に嫌気がする。それでもそれを悟られないように口を開く。

「それよりもいくらなんでもこの状況はやっぱり変だ。ここで寝るのは百歩譲ってやる。だがここからは解放してくれ。」

 ムクッと起き上がるとパソコン用の椅子に体を滑り込ませた。ホッと息をつくと寂しそうな瞳と目があった。それは捨てられた子犬のような目だった。

 やっぱりちんちくりのガキんちょだ。そう思うとやれやれと椅子の背もたれの方に腕と顎を乗せた。背もたれは小さくギィーッと音を立てた。

 反対向きに座った晶の長い脚はベッドのすぐ側にまで伸びていた。その端をベッドから出した手でそっとつまむ。

「どこか行ったりしないですか?」

 不安そうな遥。

「なんだ。まだ俺がくたばっちまうとでも思ってるのか。」

 また不安定なのか…。理由が…。あるか?あるような…。でも俺は関係ないはずだ。

「アキはそこで寝るんですか?眠れなくないですか?」

「ベッドが占拠されてるからな。」

「だからこっちで寝ましょう。ちゃんと邪魔にならないように寝ますから。」

 邪魔かどうかって話じゃないんだよ。ったく…。

「だいたい病気…ではないかもしれないが体調はよくないはずだ。ちゃんと自分の部屋で寝た方がいい。」

「アキが一緒じゃないなら嫌です。」

 なんでこんなに頑固なんだ。頭をかかえ髪をクシャッとしてみたところで答えはみつかるわけなかった。仕方なく視線を遥に向ける。

「何が心配なんだ。言ってみろ。」

「心配…。」

「なんか不安があるから一人じゃ眠れないんだろ?」

 沈黙をしばらくの間、待つ。晶のズボンの端をつまんだままの手は小さくて、のぞいている腕も華奢で頼りないほどに細い。

 コロつきの椅子を転がしてベッドの側に行く。そしてそれをそっと持ち上げると毛布の中にしまってやった。

「アキ?」

「ん?なんだ。」

 潤んだ瞳と目があった。

「寝て起きても…優しくしてくれますか?」

「はぁ〜?」

 理解不能な要望に思わず呆れた声が出た。優しくなんてそもそもした覚えはない。

「そんな抽象的じゃなく具体的に言ってくれ。全く理解できない。」

 少し考えた後に遥が口を開いた。それはもっと衝撃的なものだった。

「朝起きたらハグしてくれますか?」

 ズリッと椅子の背もたれから落ちかけた体をなんとか持ちこたえさせると上ずった声が出る。

「な、なんでだ。ハグって…あ、あれだよな。今までそんな状況…。」

 いや…。あったか。記憶から抹消したい。もちろんハルの記憶も。いやいや。あったからといって理由もなく朝起きてハグする必要はないはずだ。明確な結論に達するとその答えを口にする前に遥が口を開いた。

「私が落ち込んだらしてくれるんですか?」

 こいつ何を言ってやがる…。それはともすれば病気のふりをして愛情を得ようとする精神疾患だ。確かミュンヒハウゼン症候群…。アレルギーマーチなんて言葉があったはずだが、精神疾患にもそんな状況があるんだろうか…。

「馬鹿なことを言うな。仮病なんて使ってみろ。そうだな…。病院に入院させて図太い注射を毎日…。」

 アハハハッと笑う遥に脅し文句は中断された。

「やっぱりアキはおばあちゃんに似てます。悪いことすると病院で注射してもらうよ!って。」

 フフフッとまだ笑う遥に、またばあさんと同列かよ。と苦笑する。

「ほら。分かったなら寝ろ。ワガママが過ぎるぞ。」

 つい頭に手を伸ばすとその手をつかまれてドキッとする。

「あれが夢じゃなかったらなぁ。」

 あれって…あれだよな…。

「どんな夢だよ。」

「すっごくいい夢です。…アキには教えない。」

 ふくれた顔の遥に、どこがいい夢なんだか…。なんとなくムスッとする。

「朝のハグを約束してくれたら、ちゃんと自分の部屋で寝ますから。」

「…絶対だな。」

「それはこっちのセリフです。」

 はぁと盛大なため息をつくと「あぁ」とだけ言って立ち上がる。そして寝ている遥の前にかがみこむと頬をつまんだ。

「こんのクソガキが!」

「イタッイタタッ。」

 つまんだ手を離すと晶の手と交代して痛さを紛らすように遥が頬をさする。

 ククッといたずらっぽい笑い声を漏らすと部屋のドアを開けた。

「お帰りはこちらです。」

 ドアマンさながらの真似ごとは悔しいほどにカッコ良かった。

「クッ…。クソジジイ…。」

 悔し紛れにボソッと言い残して遥は自分の部屋に戻っていった。

 ハッハハッ。何がジジイだ。ガキが。そう思いつつお腹周りを触る。

「チッ。ランニングでも始めるか…。」

 晶のつぶやきはドアを閉める音とともにかき消された。

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