第22話 距離感

 遥が目を開けると目の前には晶の姿があった。いつも見上げないと見えないところにある顔がすぐ目の前にある。遥が眠るソファにもたれかかって座る晶はまつげの一本、一本が数えられそうなほど近くにいた。

 これは夢かな。それにしてもやっぱり綺麗な顔…。あっこっち見て笑った…。

「なんだ。起きたか。」

 遥を見つめる瞳は優しかった。振り向いて頭を優しく撫でる大きな手も。

 あれれ。近づいちゃダメなんじゃなかったっけ?そっか夢だからかぁ。

「おい。心の声がだだ漏れだ。寝ぼけると全部が声に出ちまうのか。」

 えぇー!私、何を言ったっけ?ジッとみつめるとククッと笑う。やっぱりおかしい。優し過ぎる気がする。

「心配しなくても俺はここにいる。まだ寝た方がいい。」

 低い穏やかな、そしていつもより甘い声でささやいた。頭を撫でる優しいぬくもりに導かれるようにまた眠りの世界へと誘われていった。


 目を覚ますと晶はいなかった。なんだか暑くて体を見ると毛布が何重にもかけてある。

「何これ…。」

 驚いた声に晶がダイニングの方から顔をのぞかせた。

「あぁ。起きたか。それは…その…。温めた方がいいらしいぞ。その…そういう時は。」

 言いにくそうに言う晶に遥は目を丸くする。その顔に弁解するように付け加えた。

「ネット情報だ。信憑性は定かじゃないが…。」

「調べた…んですか?」

 アキが…生理痛のことを?ますます驚いて目がこれ以上丸くならなくて悲鳴をあげそうだ。

「なんだ。誰かに聞けとでもいうのか?そんなの出来るわけないだろ。」

 バツが悪そうに顔を背けた晶にハハハッと笑う。どんな顔をして調べたんだろう。女嫌いのアキが…。ものすごくおかしかった。

「うるさい。笑うな。」

 表情が見えないように腕で顔を隠すように背けた顔は赤い気がする。すごく似合わない晶に笑えてしまってつい口からこぼれ落ちた。

「アキ可愛いです。」

 しばしの沈黙の後に「ケンカ売ってるのか」と不機嫌な声がした。

 綺麗はOKになっても可愛いはダメだったんだ…。やってしまった…と意気消沈する遥にため息が聞こえた。

「ったく。向こう向いて座れ。いや。向こう向いて寝ろ。」

 遥の頭の中は疑問符だらけだったが、素直に従った。

 チビって便利だな。ソファで背もたれ側に向いて寝るなんて芸当、俺には無理だ。背もたれ側に向いて寝転ぶ姿はなんだか滑稽で笑いを噛み殺して素知らぬ顔をする。可愛いなんて言ったことをもっと反省してろ。

「ひゃ。」

 腰をバシッとたたくと遥は驚いた声を出した。その姿にクククッと笑いが止められなかった。

「それ貼っておけば毛布を巻いて歩かないで済む。」

 言われて腰を触る遥の手にほわっと温かいものが触れた。カイロだった。

 なんで普通に優しくしてくれないのかな。頭を撫でてくれた時はただただ優しかったのに…。今は嬉しいのに素直に喜べない。ムスッとした顔で遥は立ち上がった。

「おぉ?」の声とともに晶は一歩下がった。え?と思って、また一歩近づくと同じように一歩下がる。

 やっぱりさっきの頭を撫でてくれたのは夢だったんだ!急速に納得がいくと残念な気持ちになる。そりゃあんなにただ優しいだけのアキなんておかしいと思ったけど!何故か憤りを感じてそれをぶつけるように口を開く。

「そんな風に避けるんでしたら、また寝てる間にいたずらしますよ。」

 遥の言葉に晶は全然響いていない顔で答える。

「今日はリビングで寝るなんてヘマしない。」

 その顔に余計にムッとする。

「夜に忍び込んででも、いたずらしますから!」

 これにはさすがにギョッとした。

「鍵をつけてやる!今すぐにだ。」

 今度は晶の方が憤慨した様子で部屋に行ってしまった。


「危なかった…。」

 ベッドに仰向けになって天井を仰ぐ。ハルが寝ぼけてて良かった…。

 遥が夢だったと納得した様子にホッと息をつく。つい頭を撫でていつになく甘い声を出した自分。そんな自分にふと我に返って気持ち悪くなった。無かったことにしてしまいたかった。そして無かったことになった。

「あいつはクソガキじゃないか。忘れたのか。」

 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


 昼ご飯も晩ご飯も晶が作った。有無を言わさない雰囲気は遥の体調を気遣っての行動のはずなのに、それを感じさせなかった。そして一定の距離を保ったまま粛々と食べ進め、そのまま食事の時間は終わりを告げた。


 夜。そっと忍び足で歩く影。遥だった。冗談で言ったつもりだったけれど、どうにもやりきれなくてドアの前まで来ていた。それでもドアを開ける勇気はない。ジッとドアを見つめた後に諦めて足を自分の部屋に向けた。

 ガチャ。ドアが開いて振り向くと晶が立っていた。ドアを開けて立つ晶は入り口の上のところに頭がつきそうで、そこに手をかけて遥に声をかけた。

「なんだ。いたずらは諦めたのか?」

 フッと柔らかく笑う晶がいつもと違った。

「あれ。アキ。眼鏡…。目が悪いんでしたっけ?」

 黒縁のシンプルな眼鏡をかけていた。

「あぁ。いや。これはブルーライト軽減の眼鏡だ。パソコンする時だけな。」

「…そうなんですね。」

 外して見せて、またかけ直した。眼鏡をしてから髪を邪魔そうに後ろにかきあげる姿が自然でスマートだった。ドアからの登場から全てが様になっていた。

「カッコイイ…。」

 つい口から出た遥の言葉に晶の口元が緩む。可愛いじゃなくてカッコイイって言って欲しいって俺もどんだけ小学生のガキなんだ。

 ニヤけそうになる顔を見られないように部屋に体を入れて「入れよ」と後ろに声をかけた。


 晶の部屋はシンプルだった。ベッドの脇に仕事用らしい書類が並べられた本棚があって、その隣にパソコンが置いてあるだけだった。そういえば直樹さんが「殺風景な部屋だ」とか言ってたっけ?そんなことを思い出す。

「服を調べてたんだ。ショプに買いに行くのはまだ無理そうだからな。それでもハルとスーパーに行くたびに職務質問されてはたまらないだろ?」

 パソコンの画面には男物の服がずらっと並んでいた。

「男はダメでも男の写真とかは大丈夫だったよな…。見てみるか?これとかくらいなら俺も着れると思うんだが…。」

 遥を椅子に座らせてマウスを操作する晶の顔が近かった。「これどうだ?」と遥を見た顔はまたまつ毛が数えれそうなほどに近かった。

 バッと離れた晶は顔に手を当てた。

「悪い…。眼鏡をかけると距離感が分からなくなるんだ」

 決まりが悪そうな声を出すと、また一歩後退りした。

 何をやってんだ。部屋なんて直樹ですら入れたことないのに。カッコイイなんて言われて、おかしくなったのか。冷静になるとすごくまずいことをしている気になる。

「これ。似合いそうですね。でもコッチのが…。」

 気にする様子のない遥に、こんなチビに何を動揺してるんだか…。と馬鹿らしくなった。

「そういや、お前のがかけないとダメだったな。」

 晶は眼鏡を外すと遥にかけてやった。それなのにずり落ちそうになる眼鏡を見て笑った。

「ハハッ。どんだけチビなんだよ。この眼鏡だって「お客様はお顔が小さいので…」と褒められといて子ども用を勧められたんだぜ。」

 ククッと笑う晶に遥もクスクス笑う。

「じゃアキだって子どもってことじゃないですか。」

 しまった…という顔をして、それを誤魔化すように頭をグリグリした。やり返しやがって…。やっぱりクソガキじゃないか。

「ったく。思ったことを言えとは言ったが、最近は言い過ぎなんじゃないのか?」

 呆れた声の晶に余計に笑う。

「アキって精巧なロボットって思えるほどに見た目も立ち振る舞いも綺麗って思ってたのに、薄汚れたり、怒ったり、すねたり…。」

「おい。俺がいつすねたよ。」

 クスクス笑う遥に、おもちゃのロボットみたいなのはお前だろ?それにボロ雑巾だったのも。と心の中で悪態をつく。

「ほら。今だって。」

 そう可愛い笑顔で言った遥にドキッとする自分の胸を疑う。おいおい。こいつはクソガキだろうが。しかしその笑顔には到底かなわない気がした。

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