第21話 再びの騒動

 またソファで眠ってしまったらしい。カチャカチャと食器を触っている音に目を覚ました。もう朝か…。体には毛布がかかっていて、あのあと様子を見に来たんだな。と嬉しいような複雑な気持ちになる。

「起きました?顔を洗った方がいいですよ。」

 遥にかけられた言葉にのそのそと洗面台へ向かった。何日分の寝不足だ…。ちくしょう。

 目を覚ますために冷たい水で顔を洗う。さっぱりとして幾分、目が覚めた気がした。

「…ッ!おい!ハル!ハルだろ。ハルしかいない。」

  憤慨する晶が洗面台から現れるとその姿を見て遥はプッと吹き出した。頭にはかわいいリボンが至る所に結ばれていたのだ。それなのに「私じゃないです」とまた素知らぬ顔で朝食の準備に戻ってしまった。

 この家には俺とハルしかいない。それとも小人がきてやったとでも言いたいのか!

「とにかく外してくれ。今すぐにだ。」

 動くたび、喋るたびに結んだ髪とリボンがピョンピョンと揺れる。

 こんな女の気持ち悪いもの、一秒たりともつけていたくない。

「自分で取ればいいじゃないですか。」

 ツンっとして言う遥に不機嫌な声が出る。

「…自分じゃ取れないから頼んでるんだろ。」

 よりによって複雑に編み込まれていたり、どうなっているのか晶には分からない。いっそ髪の毛ごと切ってしまいたいほどだった。

「私はアキに近づくなって言われてます。」

 こいつ…。

「なんでそうなるんだ。いいから取ってくれ。」

「なんでって仕返しです。」

「仕返しって…。」

「近づくなって。」

 やっぱりやったのはハルなんじゃないか!クソッ。何が仕返しだ。文句を言ってやりたかったが、遥の機嫌を損ねてこの頭まま過ごすわけにはいかない。グッと堪えると嫌々口を開く。

「昨日は言い過ぎた。悪かった。だから取ってくれ。」

 遥はしぶしぶ晶の方へ歩み寄って「座ってください」とダイニングの椅子を勧めた。

 夜にここまでされて気づかない自分にも腹立たしいが、ハルも何故こんなことをするんだ。不思議で仕方なかった。仕返しってなんだよ。ったく言い方はきつかったかもしれないが、近づかないのはお互いのためでもあるはずだ。

 ピーンポーン。インターホンの音が響いた。なんでこんな時に限って!

「どうせ直樹だろ。今日は帰れとだけ言ってインターホンを切ってくれ。」

 遥は対応しに行くとすぐに戻って、また髪の毛からリボンや髪飾りを外し始めた。こんな頭もこんなことをされているところも直樹に見られてたまるか。

「おはよう。アキ。なかなかの見ものだな。」

 直樹の声がして愕然とする。顔を上げて直樹の顔を拝むのさえ嫌な気分でいると頭の上から声が降ってきた。

「せっかく来ていただいたのに追い返せません。」

 当たり前のことを言うように遥は平然と言った。その声には棘があるように感じた。

「なんだ。喧嘩中か?そうは見えないけどな。まぁ普通通りみたいで良かった。心配で寄っただけだ。俺は仕事に行くわ。」

 晶が声を何も発する間も無く直樹は出て行ってしまった。ものすごく面白いものを見つけた顔をして。

 普通通りってこれがか?ふざけるな。


「何故こんなことしたんだ。」

 釈然としない晶は取ってもらいながら疑問を口にした。

「何故って…。」

 遥は言いたい気持ちはあったが、言えずに黙る。

 そりゃ私が勘違いしてひどい態度を取ったのがいけないんだけど…。でもやっぱり前以上に距離を感じるのは寂しい。そう思うのは自分勝手なのかな。

 無言のまま髪を触る遥に晶は晶で、髪をいじるって男がどれだけダメか分かってないだろ。こいつ。と頭をグルグルさせていた。

 首すじをそっと撫でられるように触られて、ぞくっとする。これも仕返しと言いたいのかと忌々しく思っていると何かが肩にもたれかかってきた。

 な…何を。一瞬、動揺する晶は何か様子がおかしいことに気づいて、もたれかかってきている遥を支えた。

「どうしたんだ?具合でも悪いのか?」

 腕の中に収まった遥は顔が青ざめているようだった。

「ごめんなさい。ちょっといたずらが過ぎちゃって。こんなに近づいたら怒られちゃう。」

 離れようとする遥を支え直す。

「バカ。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。過呼吸と蕁麻疹の他にも何かあるのか?…俺が原因なら一刻も早く離れないといけなかったか!」

 慌てる晶に遥は力なく首を振る。

「違います。ちょっと…貧血で。」

 貧血…。それにしたって…。

「あとお腹も…痛くて。大丈夫です。寝てたらきっと治ります。」

 寝てたらって…。かなり辛そうだ。

「病院に行こう。なんでもないならなんでもないで良かったで終わる。腹が痛いなら盲腸かなんかって場合もあるだろ。」

「病院はちょっと…。大丈夫ですから。」

 遠慮しているのか、病院が怖いのか。前も病院の話をした時にそんな素振りだった。

「やっぱり病院に行こう。俺もついていく。女医も頼んでやる。」

 浮かない顔の遥は「じゃ陽菜さんを…。」と要望を口にした。

「直樹の奥さんは医者じゃないんだ。病院の方がいいんじゃないのか?」

 晶の言葉にとうとう苛立ったような声をあげた。

「大丈夫ですってば。女の子の…ですから。」

 女の子の…。女の…。ハッと気づいた晶は目を見開いて思わず支えていた手を離しそうになった。


 また記憶が曖昧になるはめになった晶は陽菜を部屋にあげていた。直樹に電話して陽菜に来てもらっていたのだ。

 陽菜はあの騒動の時でさえ玄関までしか上がらなかったし、遥が荷物を取りに行った時も心配でついては来たもののマンションの下で待っていた。でも今回はどうにも動揺する晶に部屋に上がらせてもらうことにしたのだ。

 ソファで横になる遥から話を聞いて「生理ね。なるほどそれで…」と晶の動揺の意味が分かった。

 ダイニングで待つ晶に「痛み止めの薬ないかしら?えっと頭痛薬ね」と頼むと力なく立ち上がった晶がゴソゴソと薬を持ってきて渡す。

 晶くん大丈夫かしら。ここ二、三日ですっかり老け込んだみたいに疲れてるけど。…仕方ないわね。あの晶くんがこの騒動じゃ…。陽菜は晶の身を案じながらも声をかけずに遥の元へ戻った。

「はい。これ。痛み止めの薬よ。薬が効いてこれば少しは楽になるわ。生理痛ひどいのね。こういう時は甘えた方がいいわ。…といっても晶くんには言いにくかったわね。」

 渡された薬を飲むと遥はまた横になった。そして戸惑ったように口を開く。

「ずっと来なかったんです。小学生の頃に何度か来て以来。」

「そう…。それじゃ驚いたでしょ。また何かあったら連絡して。…そっか。遥ちゃん連絡する手段が晶くん経由でしかないわね。何か考えなきゃね。」

 優しく微笑むと頭を撫でた。女の子の必需品をある程度は持たせてあげていて良かったわ。ナプキンを晶くんが買いに行くなんて到底できないわよね。

「少し寝た方がいいわ。晶くんには大丈夫って伝えておくから。」

 安心したような顔をして「ありがとうございます」と小さく言うと目を閉じた。

 これはどうしたものかしら。私が生理について晶くんと話し合うなんてハードルが高過ぎるわ。かと言って直樹から話せる内容でもないし…。

 悩んでいるとダイニングから晶がこちらに来て「大丈夫なのか?」と声をかけた。

「えぇ。今は眠ったわ。遥ちゃん。生理が来たのは久しぶりだったみたいなの。色々あったみたいだから止まってたのかもしれないわ。…ごめんなさい。こんな話、晶くんには酷よね。」

 固まっている晶に謝ると晶は首を振った。

「いや…。助かった。そういうことは俺では分からないから…。俺には言いにくいこともあるよな。ハルにスマホを持たせるか何か考える。今日は本当に助かった。」

 陽菜が帰るとつらそうに歪む顔で眠る遥を見下ろした。いつもは気持ち良さそうに寝てるのにな。そっと頭を撫でるとソファの側に腰を下ろした。

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