第11話 コーヒー

 マンションに帰ると遥がご飯を食べずに待っていた。

「先に食べてろって言えば良かったな。」

 晶の言葉に首を振った。

「一緒に食べたいんです。」

 そう言った遥は席を立って味噌汁を温め直す。

 毎日一緒に食べるのが夢だったんですとか、面倒くせーこと言い出すなよ。そうは思っても一緒に食べたいの言葉は晶の心を温かくした。

「あの…。直樹さんが来たのは…。」

 少し不安そうな目をしている遥に、説明が必要だったかと反省する。

「昨日読んでた本で知ったんだが、少しずつ苦手なことに自ら挑むと自信がついて克服できるらしい。」

 味噌汁をかき混ぜる手が止まる。

「苦手なことを…克服…。」

 ぶつぶつつぶやいて、何かを考えている遥の手元で味噌汁がグツグツと煮立っていた。

「おい。味噌汁は大丈夫なのか?」

「あっ!」

 慌てふためく遥に、こいつ大丈夫かよ。と無謀なことに挑戦している気分になっていた。


 席につく遥にさすがに昨日世話になった上に朝食を待たせたんだと義理堅く手を合わせて遥の様子を伺う。

 それなのにまだ考えごとをしているようだ。しびれを切らして「ううん」と咳払いをすると、ハッと晶を見て急いで手を合わせた。

「いただきます。」

 心ここに在らずで合掌したままだ。

「おい。考えごとすると他のことができなくなるのか?」

 んっとにガキだぜ。蹴飛ばしてやりたいくらいのボケっと具合に付き合いきれないと晶はご飯を黙々と食べた。


 香ばしくてほろ苦い匂いに遥はフッと現実に戻る。晶はご飯を食べ終わって食後のコーヒーを飲もうとしていた。部屋中にコーヒーの香りが充満する。

「コーヒー飲めないんですが、匂いは癒されますよね。あの豆をガリガリする道具が憧れで…。」

「ハハッ。イメージ通りだ。」

 クソガキだな。コーヒーの良さが分からないなんて。香りを楽しんでから口に運ぶ。その姿は絵になっていた。

「アキだってココアを飲むから苦手かと思ってたのに…。」

 残念そうに口をとがらせるハルにますます笑うことになった。

「直樹が来るのがそんなに嫌か?」

 急に質問されてギクッとした顔は隠し切れていなかった。

「無理はしなくてもいい。ただそれなりにハルも好意的に思っていて、直樹もハルの事情を心得ている。慣らすのにはもってこいたと思うんだが。」

 黙っている遥に、やっぱり無理だったのかと諦めかけた時に遥が口を開いた。

「今のままではダメでしょうか。お邪魔にならないように気をつけます。だから…。」

 ここから追い出さないでください。の言葉が後に続くような気がした。こいつも居場所がなくて不安なんだな。これが依存ではないことは理解した。しかし…。

「別に早く男性恐怖症を治して出て行けと言ってるわけじゃない。ただそのままだと生きづらいだろ?俺もいつまでも休んでいるわけには…。」

 え?とした顔の遥に、またやっちまったか。と視線をそらしても意味がなかった。何故こいつ相手だとこうも余計なことを口走るのか…。

「休んで…いたんですか?仕事。」

 答えたくなくて誤魔化すようにまたコーヒーを飲む。

「だって 毎日スーツで…。」

「悪かったな。これしか服がないんだ。」

 プッと笑う遥に視線を戻すと、やっとリラックスした顔になったのが確認できた。

「男に慣れないと買い物も行けないだろ?…そうだな。外に買い物に行けるようになったらコーヒーメーカーを買ってやってもいい。」

 ピコンッといつしかのロボットのように今度はお宝でも見つけたような動きをした。

「本当ですね?約束ですよ。じゃその時にアキの普段着も買いましょうね。」

 上から目線のようで気に食わない気もしたが、まぁやる気になっているならいいか…。と、目をつぶることにした。


「でも仕事を休んでいたなんて…。」

 食べた皿を片付けながら遥は残念そうだ。

「弁護士の先生って何もしてなさそうなのに、こんなに素敵なところに住めるなんてと思って…。」

「悪かったな。夢まで壊しちまって。」

 何もしてなくていいなんてどんなだよ。何も知らない、んっとにガキだぜ。ガキだと思うことが多過ぎて飽き飽きしていた。


「それで具体的には何をしたらいいんでしょうか?」

 晶は自分のできる限りで優しく分かりやすく遥に教えることに努めた。そのおかげか理解したようだった。

「知っている直樹さんに慣れて、少しずつ知らない人に会っても大丈夫にするって感じですか?」

「まぁそんな感じだ。」

 だいたい俺とは大丈夫なのに、さっきの直樹はまだダメそうだったな。どうしたもんか…。

「心配なら専門家を訪ねてもいいぞ。こんなの素人判断でやっていいのか、俺も不安には思う。特に今朝のを見るとな。」

 晶とは遠慮こそしているものの、あまりにも普通に会話しているから直樹はいけると軽く考えていた。俺がただイレギュラーなだけか。

「すみません。何から何まで。でも病院はちょっと…。女の先生がいるのは分かっていますが…。」

「なんだ。こわいのか?」

 ガキだと笑ってやろうと思って聞いたのに深刻な顔で頷く遥に笑うことはできなかった。闇はまだまだ深いのか…。

「ま、どういうわけか俺はこれだけ大丈夫なんだ。そこにまず自信を持つんだな。あと、俺も直樹も無理強いはしない。そこは安心してくれ。」

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