第10話 ココア

 夜中に夢を見た。自分の子どもの頃の夢。

「ママ。見て!晶ちゃん可愛いでしょ。」

「可愛いわ。さすがママの子ね。」

 母親は満面の笑みで子どもの頃の晶を抱きしめる。それなのに、次の瞬間には突き飛ばされた。

「まぁ嫌だ。気持ち悪い。男じゃないの。」

 軽蔑した目を向けられた晶は今の大人の男の姿なのに、服は可愛らしいドレスのような服を着て一生懸命に訴える。

「嫌だ。ママ行っちゃ嫌だ。あたしは女の子だよ。」

 低い声が出て、余計に泣き叫ぶ。

「これはあたしの声じゃないの。ママ戻ってきて〜!」

 うわぁあ!はぁはぁ。

 嫌な汗をべっとりとかいて晶は起き上がった。久しぶりに見た夢だった。胸の辺りをつかむと、はぁはぁと荒く息をする。


 コンコンコンッ。

 控えめなノックの音に空耳かと疑うと、もう一度、コンコンコンッと音がした。

「なんだ。」

 低い声を出して布団をぎゅっと握りしめた。うなされた声が聞こえたのか。

「あの。…眠れないです。ココアを…。飲みたくて。」

 嘘に決まってる。こんなにタイミングよく俺の部屋に来るはずがない。

「無理ならいいんです。すみません。夜中に。」

 ガチャ。

「…行くぞ。」


 ココアを2つ入れるとソファに座る。一人掛けと、二人掛けの一番端に。ほわっとした湯気が心にも染み入る温かさだった。

「ココアはやっぱりこんな眠れない夜に直樹が入れてくれたんだ。」

 懐かしく思って、つい口を開く。その時の直樹も何も聞かず、ココアを入れて一緒に飲んでくれた。


「依存って知ってるか?」

 こいつに聞いてどうするんだと自分でもおかしかったが、聞いてみたい気分だった。遥はマグカップで手を温めながら考えている。小さなその手はマグカップがはみ出るほどだ。

「依存って…。アルコール依存とかの依存ですか?」

 頷いて、そうだと示す。

「それがないとおかしくなっちゃうくらいになってるってことでしょうか?」

 それがないと…。ハハッと笑い声をあげると遥は不安そうにこちらをみている。違ったのかな?何かおかしいのかな?というのが顔全体に表れていた。

「そうだ。それだ。」

 それだけをなんとか絞り出すように言うとまた笑えてしまう。

 確かにそうだった。依存とはそういう意味だ。それなのに…。こんなチビに教えられるなんて。

 自分たちが共依存ではないかと心配した自分に馬鹿らしく思う気持ちだった。依存ではない。別に互いになくてはならないなんてことはない。無くなると禁断症状なんて出ない。

 フッと柔らかく笑った晶に遥も表情が穏やかになった。

「ココアって不思議ですね。ほっこりと温かい気持ちになります。」

「あぁ」小さく同意すると「冷えちまう前に寝た方がいい」とマグカップを受け取った。それを片手で持つ。

「ごちそうさまでした」の小さいお礼に「ん」と言うと頭をグリグリした。

 見上げた視線を感じつつも、それを見ないままシンクへマグカップを運ぶ。

「今回はお前に救われた」なんて言葉はさすがにかけれなかった。


 朝。前に食べた残りのきんぴらやひじきなんかと、焼き魚など。やっぱり和の朝食が並ぶ。そこへピンポーンとインターホンの音が響いた。

「あぁ。来たな。」

 不思議そうな顔の遥を横目に晶はオートロックの鍵を開けた。

 少しするとリビングに直樹が入ってきた。広い部屋ではあったが、男の人が2人になると圧迫感があった。遥にとっては人数の問題よりも性別の問題だったが。

「大丈夫か?遥ちゃん怯えてるぞ。」

 心配そうな顔でリビングより近くには来ない直樹にダイニングの方へ行こうと手招きする。

「大丈夫だ。ハルもこの家には慣れただろ?」

 小さく頷くが、それ以上は言葉を発しようともしなければ、動こうともしなかった。直樹もさすがにリビングから近づこうとはしない。

「まぁ。今日はこのくらいにしておくか。直樹を下まで送ってくる。悪いが飯はその後だ。」


「悪かったな。わざわざこのために。」

 街路樹の葉の色が緑から赤に色づき始め、早い葉はもう落ち葉になっているものもあった。

 そういえば最近はめっきり秋らしくなってきたな。上着を着てこなかった晶は肌寒く感じていた。

 歩きながら直樹は鞄から大きめの封筒を出す。

「これは前に言ってた資料。でも近所のお兄ちゃんってだけじゃなかなかな。どこまでをお兄ちゃんというのかってのもあるし。」

 晶に渡しながら付け加える。

「それに誰か分かったところでなぁ。遥ちゃんから詳しく聞き出そうとすれば、セカンドレイプになっちまうだろ?」

 そのくらい分かるもんだよな。俺はどうかしているんだろうか。

「そういえば…行き詰まってたのは、もういいのか?」

「あぁ。なんとかな。」

  足元の落ち葉を踏むと、軽い音がした。そんな小さなことにのんびり気にしている時間の使い方をしてこなかった。やっぱり人生の夏休みか…。そんなことを思っていると、自分をまじまじと見る直樹の視線に気付く。

「なんだ?何か言いたそうだが。」

「いや…言うと怒りそうだからやめとく。」

 愉快そうな顔をする直樹に聞くだけ胸くそ悪くなりそうだと、あえて追求しなかった。

 聞いてこない晶にそれはそれで楽しそうな顔をした。

「じゃ俺、仕事行くわ。」

「あぁ。忙しかったら俺も行くから言えよ。」

 直樹は楽しそうに手を振った。

「バーカ。仕事より夏休みの方が大切だぞ。それに休みなのにスーツかよ。いい加減、私服も買えよ。それ夏休みの宿題だな。」

 どこまでが本気なんだか。晶は呆れつつありがたく休むことにした。そしてやっぱりスーツしかないのは不便か…。今までは思ったことないそんなことまで思っていた。


 別れた後、仕事に急ぐ直樹は「まさかのアキが柔らかくなるなんてな」そうつぶやくとニマニマした笑みを浮かべていた。

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