第2話 筋金入りの女嫌い
「でも驚きね。大丈夫かしら。あの二人…。」
リビングに残された二人は陽菜の淹れてくれたコーヒーを飲む。
「大丈夫だろ。本当に嫌なら、あいつだって断るさ。」
コーヒーの香りを楽しみながら口をつける直樹に陽菜は呆れ顔でつぶやく。
「だって私、晶くんと今日だけで1年分くらい話したわ。」
直樹の恋人だと紹介されてからも、結婚してからも、必要以上に話したことはなかった。直樹の仕事仲間で友達の晶とは少なからず仲良くなりたいと思っていた。しかしそんな思いも早い段階で打ち砕かれるほどの女嫌いだった。
「アキの女嫌いも筋金入りだからな。まだ陽菜に対しては好意的な方なんだぜ。」
陽菜は、ふぅとため息をついた。対照的に直樹はあっけらかんとしている。
「大丈夫だって。仕事では棘があるけど女の人の対応はしてるし、それよりアキの態度も見ただろ?」
確かに言われたからといって、自分から女の人にあんなに近づいた晶を見たことがなかった。陽菜が二人から離れたのは晶の女嫌いを知っていて、自分が近くにいてはいけないと遠慮したせいでもあるほどだ。そんな晶が女の子と二人…。
「だいたい晶くんのとこに住めばいいなんて…。」
「どう見たって訳ありだろ?女の子があんなボロボロで倒れるんだから帰るところもないんだろ?」
まぁ…。とつぶやいて、やっぱり勘はいいんだから…職業柄かしら。と、感心したような呆れたような視線を送ってから、陽菜も冷めてしまったコーヒーを飲み始めた。
直樹の家を出た帰り道。何故かピョコピョコとあとをついてくる自称23歳の女。晶は振り向きもせず歩く。
直樹に言われたからって、こいつどうかしてる…。だいたい男性恐怖症なんだろ?そんな疑問が後から後から湧いてくる。
それに俺もどうかしてる。断ったって良かったんだ。正確には断ったはずだったが、こいつがついてきてるだけで…。
立ち止まると冷めた視線を送る。別に走るなりなんなりして撒くことは簡単だ。なのにそれをしない俺もどうかしてる。
立ち止まった晶を見上げた瞳と目が合った。
「おい。お前。俺は男だぞ。いいのか?分かってんのか?」
「あの….晶さんはいいんでしょうか。あたしは…。」
遥の言葉に顔をしかめた。
「…ッ。いいか。俺のことは晶"さん"なんて言うな。アキでいい。俺んとこ住むならあたしはやめろ。」
俺は女は嫌いなんだ。あたしなんて毛虫が這うようにゾッとする。そう思ってこいつも男が嫌なはずだと思い出す。俺のことは俺でいいのか…。いやいや。俺の家に住まわせてやるんだ。俺は俺の好きにしていいはずだ。
「あの…。アキさんは…。」
「だ、か、ら。さん付けはやめろ。アキでいい。俺もそうだな。お前じゃなんだからハルって呼ぶ。で、お前は自分のことを僕と言えるなら住まわせてやってもいい。」
そうさ。小学生のクソガキと一緒に住むと思えば住めないこともない。そう思ったら別に大したことない気がしてきた。
「いいんですか?だって、あた…僕は女で…。」
「それはまぁお互い様だ。無理ならやめたらいい。」
遥はうつむいて少しの間、黙っていた。しかしまたすぐに真っ直ぐな瞳を晶に向けた。
「いえ。…お願いします。」
こんな感じで奇妙な同居生活が始まった。
「ここだ。入れよ。」
玄関で、じっとしている遥を招き入れる。マンションの一室。2LDKの部屋は一人暮らしには広過ぎるが、同居人はもちろん人を招くことは稀だった。ましてや女など一度も足を踏み入れたことはない。
「アキさ…アキはお金持ちなんですか?」
驚いた表情が顔に張り付いたままで晶を見上げた。
「お金持ちって…。まぁ普通に仕事してりゃこんなもんさ。俺ももう32だしな。」
また目を丸くした。くりくりとよく動く目が小動物のようだ。
んっとにガキだぜ。こいつ…。マジで23かよ…。
「32歳ってことですか。見えないです。」
こいつ俺と普通に会話してるよな。まぁ俺も女とこんなに普通に会話するなんて珍しいどころか初めてかもしれないな…。まぁこいつが本当に女ならだが。
上から下まで観察しても女だなんて思えなかった。別に確かめる必要もない。ただのガキだ。そう思うことにした。
それでも同居するなら、さっきの直樹の家みたいなことが起きては困る。どの程度か少しは調べておくか…。
ブーッブーッ。ポケットのスマホの振動に思考をストップさせて電話に出た。相手は直樹だった。
「よお。家に着いたか?」
「まぁな。」
指で遥をソファーに座るように指図する。トットットッと歩くとソファーに座った。晶は自分も一人掛けのソファーに座る。
「アキ。お前、明日から長期連休を取っていいぞ。」
「はぁ?」
思わず立ち上がると髪をかき上げる。そしてクシャクシャっとしてイライラを紛らわせようとする。そしてまたドカッとソファーに座りなおした。
「お前こんなこともないと休まないだろ?俺は何度か陽菜と旅行とかで休ませてもらってるのに。二人でやってる法律事務所だ。たまには休めよ。悪いだろ。」
「お前…!」
悪いと思ってるなら、こんなガキ押し付けるな。口先まで出かかった言葉を飲み込む。さすがに本人の前でそりゃないわな。と俺にもそれくらいの礼儀はある。電話口で直樹がクククッと笑ってるのが気に食わないが…。
「その子。遥ちゃん。訳ありっぽいだろ?アキもそれで俺の提案を無下にしなかったんだろ?」
いや。無下に断ったはずだ。そう言いたかったが、それも言えなかった。チラッと遥を見て、チッ。別の部屋で話せば良かったぜ。と心の中で舌打ちをする。
「そんなんじゃねーよ。」
なんとかそれだけ言っても直樹は晶の返事を聞いてもいないようだった。
「ちょっと心配な子だし。休みの間に普通の生活が出来るように仲良くなってやれよ。じゃ。頼んだぜ。」
プーップーッと電話は一方的に切れた。クソッ。直樹のやつ…。
晶は直樹と二人で法律事務所をやっていた。弁護士という職業柄で様々な人を見ているせいか直樹は遥のことを心配な子と思ったのだ。
直樹がダメだから、いくら女の陽菜がいても直樹の家は住まわせることは出来ないだろう。その思いは口に出さなくても直樹も晶も分かっていた。
それにしたって…。スマホをテーブルに置くと借りてきた猫よろしくの状態でソファーに座っている遥を見る。
「おい。おま…ハル…でいいよな。おい。ハル。なんか食うか?」
だいたい仕事終わりになんか食べに行こうとしていたところへ倒れた遥を拾ったのだ。
「いえ…あた…ぼ、僕は大丈夫です。」
ぐーっと盛大な音が聞こえて、晶がハハッと笑うことになった。
声を出して笑うなんて久しぶりだな。そんな思いにハハッと乾いた笑いを出す。僕って言わすのはちょっとやり過ぎだったか。そう思いながら冷蔵庫をのぞいた。
「あんま家で飯を食わないんだ。パスタくらいしかないな。パスタソースあったか…。あ、レトルトカレーがあるな。なんとか賞味期限も無事だ。」
あと米かぁ。そう言いながらキッチンをうろうろする晶を遥はじっと見ていた。
声は確かに男の人そのものだった。なのに…全然怖さを感じない。どうしてだろう。でもいくら低い声で男っぽい言葉遣いをしていても、動きや立ち振る舞いは女も男も卓越した美しさがあった。
「米はなかったが、非常食に置いておけって直樹が置いてったご飯のレトルトもあったぞ。今日はこれだな。いいか?」
晶の提案に首を縦に振った。
出来上がったカレーを渡す。遥は二人掛けソファーの端に座ったままで、その遥が座っているところから遠い方の一人掛けソファーに晶が座った。
二人はしばらく無言のまま食べ進めた。
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