第3話 自宅

 ほろ酔い気分で街灯の下を歩く。今日は明るいうちから飲んでいたから少し飲み過ぎたかもしれない。


「おい、七海、おまえ大丈夫か?」


「は? 何言っているの! 大丈夫に決まっているじゃない!」


 とはいうものの、彼女は千鳥足気味だ。口調も素面のときより荒くなっていた。


「ほら、危ないぞ!」


「きゃっ!?」


 俺は七海を引き寄せる。その脇を白と紺のツートンカラーのピックアップトラックが通り過ぎる。車体の上部の青と赤の点滅が目に痛い。


「まったく、いつになっても犯罪が減らないよな」


「う、うん」


 ピックアップの荷台には金属製のポールで櫓が組まれていた。それに寄りかかる人影は進行方向とは反対を向いている。つまり僕らの正面だ。防弾チョッキとヘルメット、肩に掛ける自動小銃。それが保護区治安維持隊の標準的な姿だ。


「ねえ、もう私大丈夫よ」


「あ! ごめん」


 俺は慌てて抱き抱えていた七海の体を離す。


「先週もこの通りで強盗があったらしいわよ」


「それで、犯人は?」


「いつもと同じよ」


「ああ、治安維持隊に射殺されたのか」


「すぐに捕まるってわかるわよね」


「運が良ければな。悪ければその場で撃たれて終わりだ」


「それなのに何故そんな馬鹿げたことをするの。私には理解できないわ」


「そうだな……」


 交差点ごとに治安維持隊が立っているのだ。ここだけじゃない。保護区の至る所に立っている。電車も一両ごとに配備されているのだ。七海の言う通りこの状況で犯罪に手を染める人間の気が知れない。


「しかし、いつの間にか、ここら辺りはマンションだらけになっちまったな」


「正人、あなた記憶が無いんじゃなかったの?」


「いや、なぜかこういう曖昧な風景は記憶に残っているんだよ」


「ふーん。私の事すら忘れていたくせに」

 

 口を尖らせる七海。やばい目が座っている。


「す、すぐに思い出したじゃないか」


 駅から十分も歩くと次第に高層住宅から低層の戸建て住宅へと様変わりする。駅から徒歩十五分の我が家は比較的良い物件だと自分でも思う。深夜になるまで帰ってこない父親に感謝だ。


「それじゃ、また明日ね。寝坊しないようにね」


「ああ」


 七海は僕に手を振って隣の家に入っていった。親子ぐるみで付き合いの深い幼馴染なのだ。なぜかよくわからないが、クラスの男子メイトから凄く羨ましがられる。


 確かに可愛いとは思う。ただ、小さい頃から一緒だった記憶があった。なので異性というよりも兄妹のような気持が先に来るのだ。といっても、それらの記憶も非常に朧気おぼろげではあるのだが。


「ただいま」


「あら、正人お帰りなさい。今日は少し早いのね。お店には寄ってこなかったの?」


 台所に立っていた母さんが振り向いて訊いてきた。


「いや、寄って来たよ。今日は短縮授業だったんだ」


「ああ、そうだったわね」


「なあ、母さん。ちょっと話があるんだけど」


 母親の後に立ち、僕は声をかける。


「なに? 見てわかると思うけど、いま夕飯の準備で忙しいのよ」


「明日から保護区の外に転校することになった」


「そうね」


「やっぱ知っていたんだ」


 さも当然のような回答が返ってきた。裏切られた気がした僕は母さんを睨む。


「ええ、二週間前に学校に呼び出されてね。説明を一通り受けたわ」


「なんで教えてくれなかったんだよ!」


「仕方ないじゃない。学校では児童にはくれぐれも漏らさないようにときつく念を押されたのよ。政府の方針だから守らないと罰せられるとも言われたわ。同意書まで書かされたのよ。不審がられないように何か予定が入っていたらそれも変えないようにと指示されたわ」


「だからって……」


「そこまで心配しなくても大丈夫よ」


「保護区の外だよ! 母さんは僕がどうなっても良いっていうの!」


「正人、そんなに声を荒げないで」


「だって!」


「保護者全員が納得して送り出すのよ。危険があるなら、政府の方針といえど大事な子供達をそう易々と手放したりはしません。明日になればわかるわ」


「本当に危なくないんだね」


「心配性ね。大丈夫よ。それに今日は真人の好きな料理をたくさん作るからね。お腹一杯食べてね」


「ああ、もうわかったよ……」


 たしかに晩御飯はご馳走だった。滅多に口にできない鳥の肉まで出て来たほどだ。普段帰りの遅い父さんも今日は夕飯までには帰ってきた。普段あまり話しかけてこないのに、あれこれ聞いて来るので少しウザかったけど。


「ああ眠れない……」


 ベッドに潜ってすでに二時間は立っていた。食べ過ぎだろうか。確かに下っ腹が張っている気がする。旨すぎる夕飯だった。そもそも母さんは料理上手だと思う。学校の給食なんて目じゃない。店のマスターの料理とは比べるまでもない。


 そして、それが暫く食べられない。そうと思ったら余計に箸が止まらなくなった。でも眠れない理由はやっぱり明日からの事が気になって仕方がないからだ。


「はあ、なんか喉が渇いたな」


 ミネラルウォータでも飲もうか。深夜なので両親を起こさないようにしないと。僕は二階の自室から静かに階段を下りる。あれ? リビングの明かりまだ点いている。


「上手くいくだろうか。心配だな」


「大丈夫よ。ちゃんと優しい子に育ったわ」


「でも、もう残された時間は少ないんだぞ」


「あの子を信じましょうよ」


「そうだな……。俺らの夢が叶うといいな」


「そうね。待ち遠しいわ」

 

 ダイニングで父さんと母さんが向かいあって座っていた。父さんは琥珀色の酒を傾け、母さんは頬杖ついて話をしていた。普段はとっくに寝ている時間のはずなのに。どうしたんだろう。それに夢って何だろう――。


「あっ!? 正人! どうしたんだ。まだ寝てなかったのか」


 リビングの入口に佇んでいた僕。それを視界に収めた父さんが、幽霊でも見たかのように体をビクッと震わせていた。そこまで驚くことだろうか?


「いや、ちょっと喉が渇いて」


「もしかして眠れないのか? じゃあ、よく眠れるように父さんと同じくこれ飲むか?」


 父さんが氷の入ったグラスを掲げる。


「未成年の息子にウィスキーを薦める親ってどうなのよ」


「いいじゃないか。お前だって毎日のように友達とトリスを呑みに行っているって母さんから聞いているぞ」


「僕のは合法。父さんのは違法だから」


 僕はため息をつくと冷蔵庫を開ける。ミネラルウォータのボトルが所狭しと並んでいた。ボトルキャップはどれも色が異なりカラフルだ。


「眠れないならカモミールがいいわよ」


「そうだね」


 黄色のキャップがついたボトルを取り出す。最近、ミネラルウォーターにハーブの香料を入れるのが流行っているのだ。ボトルの色によってハーブの種類が違う。例えばこの黄色はカモミール、紫はラベンダー、白ならジャスミンといった具合だ。


「明日居眠りしないように、早めに寝るんだぞ」


「父さんは飲みすぎないようにね。んじゃ、おやすみ」


「ああ、おやすみ」


「おやすみ、正人」


 父さんと母さんの笑顔はどこかぎこちない気がした。

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ヴァリダシオン 白昭 @hakusho

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