第2話 いつものトレス

「へいらっしゃい! なんだ、またお前らか」


「マスター。僕らを見て明らかにテンション下げるのは止めてください」


「誰もこんな時化た店にこねーよな」とは武蔵。


「相変わらず失礼な奴らだな。お前らは安い飲み物ばっかりで長々とたむろするからな。俺の料理の腕を奮う客が寄り付かなくなるだろ!」


「いや、マスター。むしろ逆かと」


「あん?」


 マスターは本当に気づいてないのだろうか。しかし、世の中には言っていい事と悪い事があるしな。


「正人はっきり言ってやれって、あんたの料理が不味いから誰もこねーんだって。俺らは家に飯が待っている学生だから来るんであって――」


「いいから奥に行こうよ。マスターとりあえず、いつもの三つね」


 言い返そうとするマスターを制するように七海は注文し、部屋の奥へとすたすたと進んでいく。僕は肩を竦めてその後に続く。一番奥の五人掛けの丸テーブルに座る。いつもの席だ。


「おらよ。コークトレスだ。今日はあんま飲み過ぎんなよ」


 座って間もなくテーブルの上にドンと三つのグラスが置かれた。グラスまでキンキンに冷やされている。


「ぷはー、暑い時は、やっぱこれに限るな」


「五臓六腑に染み渡るわよね」


「七海、そのセリフはどうかと」


 こう見えて学校での七海の人気は性別に関わらず高い。教師からの覚えも良い。だが、時たま発されるおばさん臭いセリフは頂けないと僕は思う。


「しかし、あれだよな。この店に暫く来れなくなると思うと」


「妙に愛着湧くわね」


「なら、あれも頼んでおこーよ。マスター! いつもの唐揚げお願い!」


 厨房の方から、「おう!」と返って来た。どうやらすでにスタンバイをしていたようだ。


「外でもトレスってあるのかな?」


「おそらくないでしょうね」


「まじかよ。これ無いと耐えられないぞ。代わりにビールやワインを飲ませてくれねーかな」


「確かに、そろそろ三パーセント未満には飽きたわよね」


「七海は今でも酒癖悪いから止めといた方がいいよ」


「なんですって!」


 彼女は酒好きではあるが、アルコールには滅法弱い。そして酔っぱらうと色々と面倒なのだ。主に被害者は僕だが。いまもすでに危うい感じである。


「正人だって一人で顔真っ赤にしてるじゃない」


「俺は赤くはなるが絡んだりしないし」


「誰が絡むっていうわけ!」


「いや……」


「ほらよ、セミカラ三人前だ」

 

 タイミング良く、マスターが摘まみを持ってきた。


「あ、飲み物もお代わりで」


「次はなんだ?」


「僕はジンジャートレスで、武蔵はコークトレスのままだよね」


「勿論だ。俺はこれしか飲まない」


「私はレモントレス」


「ソフトドリンクにしないの?」


「何よ! 私がトレスを飲むことに何か文句あるわけ?」


「いや別に……」


 僕はため息をつく。今日も帰りが大変そうだ。


「追加の料理はいるか? たまには別の料理も頼めよ。腕の奮いがいがねーんだよ」


 無言で手を振る七海。マスターは渋い顔をしてカウンターへと下がっていった。


「この店、これだけは美味いよな」


「そうだね。ついついお代わりしちゃうよね」

  

 パリパリとした食感。塩味が効いていて、酒がよく進むのだ。


「油で揚げて塩を振るだけよ。どうやっても失敗しないでしょ」


「でもちゃんと揚がってなかったら最悪じゃないか」


「止めろよ! 生の蝉とか想像しちゃったじゃねーかよ!」

 

「それより、明日から僕たちどうなっちゃうんだろうね」


「もしかして、外が安全になったかどうかの人体実験?」


 あ、七海も僕と同じ事を考えていたのか。おそらくクラスメイトの何人かは僕と同じような不安が頭の片隅にあるだろうな。


「んなわけねーだろ! やっぱり俺の言った通り、外の世界も滅びずに、普通に人が暮らしているんだって。へへへ、これで昆虫食ともお別れだ!」


「でも、それならおかしいじゃない。なんでこれまで隔壁の外に出る事を禁じられていたのかしら?」


「うーん。もしかしてここ最近、外が汚染されていないことがわかって先遣隊が街を作ったとか」


「先遣隊何ているのかよ」


「いや、犯罪者が保護区の外に連れて行かれるって話を聞いたことがあって……」


「嫌だな。正人まで武蔵に感化されちゃったのかい」


 後ろを振り返ると智史が立っていた。


「あれ? もう調べもの終わったの?」


「ああ。あ、マスター、ストロベリートレスを一つ」


「相変わらず女みたいな飲み物頼みやがって」


「頭を使うとね。無性に糖分を求めるんだよ。君には無縁のことかもしれないけどね」


「なんだとこの野郎!」


 いや、コーラも十分甘いから。智史もわかっていて憎まれ口を叩かないで欲しい。


「こんな所に来てまで止めて頂戴!」


 二人は素直に口を噤む。だって七海の目が座りだしていたのだ。口答えすると何倍にもなって返ってくるのは目に見えている。


「ところで智史。調べものって隔離壁の外の世界について?」


「違うよ。それは今まで何度も探したけど、まともな文献が見つからなかったしね」


「じゃー、今日は何しに?」


はじめの事が気になってさ」


「え、どういうこと――」


「彼がなぜ自殺をしたのか気になってさ」


「虐めにあってたんじゃ?」


「クラスの不良グループよね。わたし全然知らなかったわ。学級委員長失格よね」


 七海が俯き肩を落とす。やばい今度は泣き上戸か。


「いや、僕だって知らなかったんだよ」


「奴ら許せねえ!」


「でもさ、一はお婆ちゃん子だったよね。お婆ちゃんを残して自殺なんて信じられなかったよ」


「そう、まさにそれなんだ。僕もそれが納得できなくてさ。しかも、先週の彼の行動が少しおかしかったから気になっていたんだ」


「なにかあったっけ?」


「自殺する数日前から挙動不審で落ち着かなかったじゃないか。僕は用事があって放課後に声を掛けたんだけどさ」


「ああ、なんか授業中に周りをキョロキョロと見回してたな。何に怯えているんだって思ったよ」


「げ、武蔵でも気づいたの。私は全然気づかなかった」


「七海、お前まで俺の事……」


「で、一はどういう反応だったの?」


「ああ、『僕を見るな! お前もか!』って怒鳴られてさ。教室を飛び出していったよ」


「どういうこと?」


「わからない。ただ、どうしてもその行動と虐めが原因の自殺というのが結びつかなくてさ。実は精神的な病だったとかあるのかなと思って。色々と図書館で症例を調べていたんだよ」


「なにかわかったの?」


「いや、それがまったく。検討もつかないから切り上げてきたよ」


 智史は話を一旦区切るとストローに口をつけ、ストロベリートレスを一口吸った。そして再び口を開く。


「まあ、それはおいおい考えていくとして、今は明日からの話をした方が有用だと思うよ」


「先生は普段通りの格好で登校するだけで良いって言ってたけど」


「そういえばプリントが配られたわね」


 七海が鞄に手を入れ、一枚の紙を取り出した。相変わらず綺麗に整理整頓されているようだ。僕だったらこうはいかない。直ぐに出さないといけないのなら、鞄ごとひっくり返さないと無理だろう。そのあと他の物を仕舞うのが大変だが。


 プリントには簡潔に明日の注意事項が記載されていた。


一、朝の七時までにグラウンドに集合する

一、服装は制服とする

一、私服を含めた着替えの持ち込みは厳禁とする

一、明日からは寮生活となる

一、化粧品は持ち込まない

一、最低限の身の回りの所持品は可とする

一、現金は必要ない

一、グラウンドにて所持品等のチェックを行う

一、禁止物の持ち込みがあった場合は没収とする


「着替えは下着を含めて学校側で全て用意するっていってたしな。楽でいいや」


「それは女子には聞き捨てならないけどね」


「え? なんでだ?」


 おい、武蔵よ。そこは聞いたらいけないとこだろ。お前ももう高校二年生だろ。いまどきの小学校高学年だってそんなこと女子には言わないぞ。


「そういえば携帯と充電器はオッケーだって言ってたね」


 気まずくなる前に話を変えよう。


「私の化粧品ってマイナーなのに……」


 あれ、七海って化粧していたのか。そうは見えないのだが。スッピン美人だと思っていたよ。まあそこにも触れないでおこう。なんか藪蛇になりそうだ。


「なあ、寮ってテレビあるのかよ。俺、毎週楽しみにしてる連ドラがあるんだけど」


「電気は普通に使えるって言ってたけど。テレビはわからない。何があって何がないのかさっぱりだよね。でも、寮なんていつの間に外に建てたんだろう」


 僕は首を傾げる。そんな話はニュースでも聞いたことが無かった。


「軍が先に外に出て準備をしたのだけは確実だろうね。少なくとも即死するような危険な状態ではなくなったのかもしれない」


「即死って……。他の学校からも生徒が呼ばれているのかな」


「わからないことばっかりね」


「先生は、明日説明するの一点ばりだったからな」


「帰ったら親を問い詰めないといけねーな」


「武蔵のいう通り、保護者には絶対に事前説明をしているはずだね」


 珍しく智史が武蔵の意見に賛同していた。


「そうよね。よく可愛い我が子を保護区の外に出すと決めたわよね。ちょっと信じられないわ」


「僕なんて来週末は家族で旅行することになっていたんだけど……」


 両親が僕に嘘をついたのだろうか。裏切られた思いがして胸が痛くなった。


「まあ、家の親なら金を積まれれば喜んで外に出すだろうけどな」


 武蔵が不貞腐れていた。ああ、中学の頃から喧嘩で問題ばっかり起してたんだっけか。親が良く学校に謝りに来ていたと七海が言ってたな。


「とりあえず、今日はこの辺でお開きにしようよ」


「あ、待って。マスター! メロントレスシャーベット一つ!」


「あ、僕もそれお願い」と智史も続く。


「何だよ。まだ頼むのかよ」


「やっぱり最後はデザートで締めないとね。次はいつ食べられるかわからないもの」


 智史も頷いている。ほんと甘党だな。でもデザートでいいならアルコール抜きのを頼んで欲しいところだ。特に七海には。


「でも武蔵じゃないけどさ、本当に低アルコール飲料が飲めなくなったら、耐えられる自信がないよ」


「まだこの制度が始まって五年だからね。外で準備できるかは疑問だね」


「そもそもこれの効果は出ているのかしら?」


 一向に減少しない犯罪。殺人に始まり、暴行、強姦、窃盗、恐喝その他もろもろの犯罪。その多くは酒に酔った二十代の若者によるものだった。政府は飲酒を禁止するのではなく、アルコールの耐性を成人になるまでに徐々につけさせてはどうかと画策した。


 それで出来たのが低アルコール飲料のトレスだ。アルコール三パーセント未満の飲料を高校入学時から飲用可にしたのだ。酒税はかからない。


 ジュースと同額で飲める低アルコール飲料。多くの学生達はこぞってこのトレスを飲むようになった。普及はしたが、結果として若者の犯罪が減ったかどうかは不明だ。少なくともいまも保護区内では犯罪が多発している。


「さて、食べ終わったのならそろそろ帰ろうよ。明日は普段よりも一時間早い登校なんだしさ」


 僕らはマスターにご馳走様と挨拶して店を出た。明日から暫く来れないとは伝えなかった。それを言うとなぜかここに戻って来れないような気がしたからだ。

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