ヴァリダシオン
白昭
第1話 不安
同級生の
そして今日、先生が言った。
「明日から、このクラスは転校します」
明日に備えた準備もあるだろうからと、授業は午前中で終わった。準備といっても普段よりも一時間早く登校すればいいらしい。なので、主に心の準備という意味だろう。
「
電車に揺られる僕に問いかけたのはクラスメイトの
「早く家に帰れって言われただろ」
「こんなに早く帰ってどーすんだよ。両親とも働いているから家には誰もいねーし」
「私もそうね」
学級委員長の
「まあ、家もそうだけど」
いまどき専業主婦なんて夫が公務員でない限りありえない。
「じゃあ、いつものとこに寄っていこうぜ」
「確かにあそこにも暫く行けなくなるか」
「君達はほんと毎日毎日飽きないね。少しは勉強したらどうだい?」
眼鏡のブリッジを押さえ、呆れたように呟いたのは
「勉強って何をだよ。テストは先週終わったばかりだろ」
「君も相変わらず間の抜けた事を言うね」
武蔵の言葉に智史がわざとらしくため息をつく。
「なんだと!」
「隔壁の外に決まっているじゃないか」
僕は思わず車窓から外を見やる。
学校は午前中で終わった。なので太陽はまだ真南の位置にある。空はいつものように雲一つない気持ち良いほどの青空。
まあ雨が降るとしても基本的に夜だけだから当然といえば当然か。
緑や田畑もあるが、大地の多くはコンクリートで塗り固められている。その青と灰色の境目。そこには大きな漆黒の闇が広がっている。左右見渡す限りずっとだ。それは電車に乗って移動しても常に変わることのない見慣れた風景。どこまで行っても高い壁に囲まれているのだ。
「本当にあれの外に出るのか」
「怖いよね」と七海。
「そもそも、もう大丈夫なのかが気になるね」
智史は顔を顰める。
「は、何言ってるんだ。浪漫だろ! あの壁の向こうに出るのは人類の永年の夢だろ!」
「はあ、誰も君の夢のことなんて聞いていないよ。君だって外の世界の事はよく知っているだろ」
「当たり前だ! 外は多くの食料で満ち溢れているんだ。虫なんか食わなくていいし、広大で自由な世界だってな」
「きみは、どんなゴシップ記事を信じているんだい。馬鹿もここまでくると救いようがないね」
「なんだと!」
「二人とも、いい加減にしてよ!」
いがみ合う武蔵と智史。そしてそれを叱りつける七海。いつもの光景に僕はため息を吐く。
「みんな、そろそろ止めといた方がいいよ」
僕は顎で車両の端を示す。警棒を持って壁にもたれ掛かる警備員がこちらを睨んでいた。これ以上は粛清の対象になりかねない。二人も仕方なく口を噤む。
「五十年前の第三次大戦で世界中の人々が死に絶えた。地上は放射能に塗れ、人が住める環境ではなくなった。残された人々は地中深くの非汚染土を命がけで運び、安全な大地を作った。そして周囲から注がれる放射線を防護するために、分厚く高いこの隔壁を作った。この保護区はそうしてできたって授業でも習ったよね」
僕は昨年習った授業の内容を手繰り寄せて話した。
「正人はそうかもしれないけど、僕らは小さい頃から耳に蛸が出来るほど親からそれを聞かされているよ」
「そうね。保護区の外の土壌は未だ強く汚染されている。作物や動物に高濃度に濃縮されていて、食用には適さない――」
智史に七海が追随するのに対し、武蔵が反論する。
「それは政府の奴らの情報操作だろ! 保護区の遥か上空を飛ぶ機影を見たとか、隔壁の外から大きな音が聞こえたとか、多くの証言があるんだぜ。そもそも外の人類は滅びちゃいないってのが真実だってな」
「こういう輩がいるから、三流出版社がいつまでたっても潰れないんだろうな」
「なんだと!」
「だから二人ともよしなさい!」
再び口論になりそうな二人。それを傍目に僕は物思いに耽る。
僕らの住んでいる地域はさっきの話にあったように保護区と呼ばれている。少なくとも日本国内で生き残った人類はここにしかいない。それが常識だ。
この保護区は東西に約五十キロと長いが、細かった。線路は東西線と呼ばれる一路線のみ。線路から南北方向に五キロ離れた位置で保護区は終わる。
境界上には高さ百メートルほどの黒い壁が聳える。無論、東端と西端でその壁は繋がっている。隔壁の外は、決して足を踏み入れてはいけない死の世界。僕以外は小学一年生でも知っている常識らしい。
僕らは明日からその外の世界に出るという。しかも先生はクラスごと転校と言っていた。これは一体どういう意味なのか。僕らはまさか人体実験の対象にでも選ばれてしまったのだろうか。
「ほらほら! 行くわよ!」
七海の声で我に返る。彼女は武蔵と智史の間に入って二人の背中を押していた。いつの間にか電車が停止しドアが開いていた。
「正人も! 何ぼやっとしているの。着いたわよ!」
「あ、ああ……」
四人とも同じ駅で電車を降りる。僕らは同じ中学の出身らしいのだ。なぜそのような曖昧な表現になってしまうのか。というのも、僕は中学までの記憶がないからだ。
「正人、僕はちょっと図書館に行って色々と調べてくるよ」
「智史は相変わらずだね」
「あとで店に顔を出すと思う」
「わかった。暫くいると思うけど念のためコールして」
「ああ」
僕らは智史と別れ、高架下を歩く。五分ほどで目的の店に着いた。ガード下にある小じんまりとした店だ。古臭い外観で正直いけていないと思う。
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