特別篇
夕闇の暗殺者
8月13日。江戸川区にある10階建てのビルの社長室の中で、肩の高さまで伸びた長い髪をポニーテールに結った少女、宮本栞は夕日を眺めた。
最上階の社長室から見る夕陽は、綺麗だと栞は思った。絶景から机の上に置かれたアタッシュケースに視線を移し、彼女は溜息を吐く。
そのリアクションを見ていた、短い黒髪に細目の女性は、アタッシュケースに触れながら、首を傾げる。
「ウリエル。約束通り用意した1億円だけど、不満かしら?」
ウリエルという別の名前を呼ばれ、ハッとした宮本栞は、首を横に振った。
「そんなことはないですよ。ただ、不動産会社社長の篠宮澪さんに、私のコードネームを呼んでほしくなかっただけです。あなたの会社の内定を、私の友達が受けたようですから。だから、知りたくなかった。あなたがテロ組織、退屈な天使たちに活動資金として横領していたなんて」
篠宮澪は頬を緩ませ、ウリエルの言葉を鼻で笑う。
「我が社がここまで大きな会社になれたのは、あなた達のおかげでもあるのよ。それだけでも活動資金を提供するメリットがある」
「そうですね。それでは、失礼します。防犯カメラに映らないように、裏口から帰りますので」
ウリエルは、そう伝えると、アタッシュケースを抱えて社長室から去った。取引相手をドアが閉まるまで見送った篠宮澪は、帰り支度を整える。
丁度その時、篠宮澪の携帯電話に着信があった。携帯電話に表示された名前を見て、澪は頬を緩ませ、通話を始めた。
「もしもし。あのことだったら何度言っても同じよ。500万円持ってきたら、話を聞いてあげるけどね」
電話の相手は篠宮澪の取引に乗り、条件を指定した。
「分かったわ。今晩、午後11時に私の会社の屋上で会いましょう」
電話を切った篠宮澪は、夕やみに照らされた街並みを見つめた。新たな資金源を得ることができると、彼女は喜ぶ。これから事件に巻き込まれるとは知らずに。
一方、篠宮澪の会社の裏口を開けた宮本栞の元に、着信が入る。
「もしもし、例の取引が終わった所だけど……」
電話の相手の男は、淡々と事実を伝える。
『江戸川区で稲葉浩二が目撃された。株式会社センタースペードの産業スパイとして俺達の組織が買収した男だ』
「そういえば週刊誌で騒がれていましたね」
『奴と俺達の組織の繋がりが分かれば、大変なことになる。ということで、奴を暗殺しようとしたんだが、黄色の奴のミスで逃げられてしまった』
「それで?」
『取引現場近くで青とピンクが潜んでいるはずだ。あの2人と協力して、稲葉浩二を捕まえろ。因みに、稲葉はコルト・パイソンを1丁所持している。指定暴力団流星会のアジトから盗んだ奴だ』
「残りの弾丸の数は?」
『4発だ』
「了解。赤い鴉さん」
辺りを見渡しながら、彼女は携帯電話を切る。ウリエルがいるのは裏路地で、人気の少ない。静かな場所で、近くに潜む仲間に連絡を入れようと彼女はメールボタンを押す。
だが、微かな殺気を感じ取ったウリエルは2つ折りの携帯電話を畳み、それをポケットに仕舞った。
静寂に包まれた裏路地に飛び込んできたのは、長身の男。その男は若い女子大生を見つけると、白い歯を見せ笑う。
「丁度良かった。お嬢ちゃん。一緒に来てもらおうか」
そう言いながら、男は拳銃を取り出し、銃口をウリエルに向ける。男が所持しているのはコルト・パイソン。まさかと思った彼女は男に尋ねる。
「もしかして、稲葉浩二さんですか? 指定暴力団流星会のアジトから拳銃を盗んだ」
若い女からの質問に、稲葉浩二は驚く。
「お前、俺を襲った黒いスーツの男の仲間か? だったら追手が来る前に、お前を殺す」
稲葉浩二は拳銃の引き金に指をかける。それを見たウリエルは、黒塗りのスタンガン取り出しながら呟く。
「コルト・パイソン。装弾数は6で、2発撃ったみたいだから、4回しか撃てない。でも、銃弾なんて当たらなければ意味がない」
自信満々な女の態度に、稲葉が腹を立てる。
「スタンガンで何ができる!」
稲葉は間髪入れずに、銃弾を発射する。それはウリエルの心臓を一直線で撃ち抜くはずだった。しかし、銃弾は女の足元に急降下してしまう。
「バカな。正確に心臓を狙ったはずなのに、なんで当たらないんだ」
「だから言ったでしょう? 銃弾なんて当たらなければ意味がないって」
ウリエルは微笑み、後ろへ3歩下がる。それに合わせて稲葉浩二は、銃口を女が左手に持っているスタンガンに向けた。
数秒後、稲葉はスタンガンを狙い銃弾を撃つ。その瞬間、ウリエルは右に飛び、一直線に進む銃弾にスタンガンの電流を浴びせた。そして、スタンガンを振り下ろすのと同時に、銃弾が落下した。
「スタンガンを狙っているってバレバレでしたよ。一瞬のことで何が起きたか分からないだろうから、冥土の土産に……」
ウリエルの話を遮り、稲葉は拳銃の引き金を引く。ウリエルには油断がなく、銃弾は当たらない。
それだけではなく、稲葉の視界からウリエルが消えている。
「ゆっくりお話しさせてくださいよ」
背後から聞こえる女の声に、稲葉は驚き、後ろを振り向けながら、拳銃を構える。その直後、稲葉は至近距離で拳銃を撃った。
それでも銃弾は当たらない。なぜか女の体は無傷。悔しがる男は、女の顔を睨み付け、殴り掛かる。
「クソ。こんな女に……」
無情にも男の拳はウリエルに届かない。殴られるより先に、ウリエルは赤く塗られたスタンガンを男の下腹に当てた。全身に電流が流れ、男の体が崩れ落ちる。
指先すら動かせない男から、ウリエルは拳銃を奪う。
彼女が安堵した時、ウリエルの前方から2人組の黒ずくめの男が歩み寄る。黒色のスポーツ刈りに長身の体型。サングラスや身長まで同じ男達で、違いはネクタイの色のみ。
その男達を瞳に捉えたウリエルの背後に、同じ特徴の別の2人組の男達が立つ。
4人の男達によって逃げ道を塞がれたウリエルは瞳を閉じ、頬を緩めた。
「遅かったですね。鴉さん」
彼女の前に現れた4人の男達は、ウリエルの仲間。4人の内、赤色のネクタイを身に着けた男は1歩踏み込み、頭を掻いた。
「これでも急いだ方だ。稲葉とは電話した直後に遭遇したのか?」
「そうですね。電話を受けてから10秒後に遭遇しました。それで、30秒以内にスタンガンで気絶させました」
「40秒後に駆け付けても遅いってことっすか?」
そう発言した後で黄色いネクタイの男が腹を抱えて笑う。そのリアクションを見て、赤いネクタイの男は、サングラス越しに隣に立つ男を睨み付けた。
「元はと言えば、お前が逃がしたのが原因だろうが。それとピンクと青は、近くで張り込んでいたのに、到着が遅すぎる」
赤色のネクタイの男は、前方に立つ2人組の男達に視線を移した。すると、青色のネクタイの男が、隣に立つピンクネクタイの男の肩を叩きながら、頭を下げた。
「すみませんね。あの技を使っている所を久しぶりに見たいってピンクが言い出したので」
「久しぶりに見たけど、凄かったですよっと」
ピンクネクタイの男は、サングラスの下で笑顔になった。それに対し、赤いネクタイの男は、オートマグと呼ばれる拳銃を取り出す。
「ウリエルを守護する4人組の暗殺部隊。それが俺達だろう。あの技を使わせる前に始末しないといけない。こんな感じになぁ」
赤いネクタイの男は、気絶している稲葉の心臓に銃弾を撃ち込んだ。心臓に穴が開き、周囲に血液が飛び散る。
殺害の瞬間を見せられたウリエルは、遺体から目を反らしながら、頬を膨らませた。
「私の目の前で殺さないでくださいよ。何のために、スタンガンで気絶させたと思っているのですか?」
「お嬢ちゃんは相変わらず優しいな。銃弾の軌道を曲げるためには、かなりの電圧が必要になる。そいつを人間に当てれば、一撃で感電死するだろう。それをやらなかったのは、殺しに抵抗があるから。だから態々人間を一撃で気絶させる程度のスタンガンを使った」
赤色のネクタイの男の話を、青色のネクタイの男が続けて褒めた。
「優しさから生まれた、銃弾の軌道を曲げるという神業はスゴイと思いますよ。一瞬で銃弾の軌道を計算。そして、超人的な動体視力で銃弾を躱す。それだけでもスゴイのに、流れ弾で無関係な誰かが死ぬのが嫌だから、電圧を極限まで高めたスタンガンで、軌道を曲げさせる。ウリエルにしかできない芸当です」
2人に褒められ、ウリエルが照れる。そして、赤色のネクタイの男は手を叩いた。
「そろそろ撤退しよう。黄色とピンクは遺体の処理と犯行現場の証拠隠滅。俺と青でウリエルを自宅に送り届ける」
5人の男女が撤退しようとした頃、突然ウリエルの携帯電話に着信があった。画面には非通知の文字。
まさかと思い、電話に出ると聞き覚えのある声が流れた。
「はい。分かりました」
それだけ伝えると、ウリエルは電話を切った。それから彼女は、鴉と呼ばれる暗殺部隊に電話の内容を伝える。
「ザドキエルから新しい仕事を紹介されました。どうやら明日は、群馬県へ行くことになりそうです。詳しい話はイタリアンレストランディーノで伺います」
新たな依頼を聞き、ウリエルは2人の黒ずくめの男と共に、現場から去っていく。
沈黙の籠城犯 山本正純 @nazuna39
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます