失踪の理由

 翌日、合田警部は今回の事件の調書を持ち、刑事部長室を訪れ、単刀直入に報告を始めた。

「川上早紀の証言によると、爆弾の入手や設置、セキュリティーシステムを乗っ取ったハッカーは、犯行計画を提案したという人物が手配したらしい」

「その計画の立案者と川上早紀は、居酒屋で会ったらしいな」

 刑事部長からの問いかけに対し、合田は唇を噛み締め、首を縦に振る。

「はい。だが、川上早紀が居酒屋で会ったとされる男の遺体が、横浜の中華街で発見されたそうだ。胸を銃で撃たれてなぁ。神奈川県警が犯人の行方を追っている」

「ハッカーのメールアドレスは調べたのか? 川上早紀が人質を解放した時に、メールを送ったと報告を受けているが」

「その携帯電話は、横浜の中華街で撃たれた男が所持していた。銃弾で粉々になったらしいから、復元も困難だろう」

「退屈な天使たちか。今回の事件も7年前の赤い落書き殺人事件と同様、バイトとした雇った一般人を手足のように使う手口だったな。奴らの組織のメンバーは、公安でも尻尾を掴めない」

「許せないな。奴らを表舞台に引きずり出してやる」

 合田警部は、再び刑事部長室で逮捕に執念を燃やした。


 事件解決から2週間が経過した頃、東京拘置所の面会室を、椎名社長が訪れた。透明な壁の先には、川上早紀が座っている。

 面会が始まると椎名社長は、早速頭を下げた。

「すまなかった。君に真実を話していたら、こんなことにはならなかったと後悔しているよ」

「つまり、7年前の津島永徳失踪事件にあなたが関わっていると認めるのですか?」

 川上早紀からの問いかけに、椎名社長は首を横に振る。

「それは違う。なぜ警備室の倉庫に、君の父親の肖像画を隠したのか。俺は津島永徳のような優秀な社長になりたかった。津島永徳は、中小企業だった株式会社センタースペードを、一流企業に発展させた。今の我が社は、津島永徳の功績によって成り立っているといっても過言ではない」

「だったら、どうしてあんな光も届かない暗い倉庫の中に、父の肖像画を隠したんですか?」

「7年前、アイツが失踪して俺が2代目の社長に就任した時に決めたんだよ。アイツに対して胸を張れるような社長になれたら、社長室にアイツの肖像画を飾ろうって。あんな所に絵画なんて隠したら、劣化してしまうだろう。それを避けるために、定期的に補修をしていたのが、証拠だよ。そうじゃないと、あそこまで綺麗じゃない。信じてくれるか分からないが、それが真実だよ」

 思いがけない真実を聞かされ、川上早紀は涙を流す。

「椎名と辻は関係ないからな。父の最後の言葉はウソじゃなかったんですね」

 川上早紀は、失踪という事実が衝撃的で、津島永徳の最後の言葉を信じることができなかった。最初から無関係だと分かっていたら、犯罪に手を染めることはなかっただろう。

 彼女は後悔を胸に抱きながら、涙を流し続けた。


 同時刻、神奈川県横浜市にあるイタリアンレストランディーノのドアを江角千穂が開けた。真夏という季節にも関わらず、黒色のニット帽を被った中肉中背の男がカウンター席に座っているのが見え、彼女は頬を緩める。


 閑古鳥が鳴く店内のカウンター席で先客の男は携帯電話を耳に当て、誰かと通話していた。

「君も強欲だね。あの女に自社製品の開発状況を伝えるだけじゃなくて、産業スパイのような真似をするなんて。報酬は2倍。丸儲けですなぁ。雑誌記者に目を付けられていると小耳に挟んだから、後ろには気を付けた方がいいですよ。稲葉さん」

 男は電話を切り、店主の男、板利輝と目を合わせた。

「そういえば、君も今回の事件で頑張ってくれたようだね。店を臨時休業にしたと聞いたよ」

 板利はガラスコップに水を注ぎながら、嬉しそうに笑う。

「興味本位でハッキングをしないというのが、俺の流儀だからな。7年ぶりにやったけど、腕が落ちていなくて良かった。これで失敗したら、厄介な連中が俺を殺しにくるだろう。アレしかできない俺は、抵抗することもできずに死ぬ。それが嫌だったから、気合いを入れて、臨時休業にした」

「7年ぶりの仕事で、幹部の実力が落ちていないのかを評価する。大変だな」

「そろそろ、そのテストの結果が来てもおかしくない頃だが、株式会社センタースペードのセキュリティーシステムを掌握したんだ。絶対合格だ」

 板利輝は先程来店した客に水を渡すため、足を進める。しかし、それよりも早く、江角千穂は先客の右隣りに座り直した。そして、彼女は男の横で囁く。

「もしかして、津島永徳さんですか? もしそうならば、ご愁傷さまです」

 自分の名前を言い当てられ、男の顔が曇る。板利が江角の席に水を置いた後で、津島永徳は店主に尋ねる。

「彼女は関係者か?」

「はい。先日まであなたが起業した会社で潜入捜査をしていた新人幹部で、名前は江角千穂」

「そうか。江角さんとは安心して話せるな」

 安堵した津島永徳は、隣に座る江角の顔を見て、尋ねた。

「それで、ご愁傷さまというのは?」

「川上早紀さんのことです。先日の籠城事件で、あなたの娘さんも犯罪者になってしまいました」

「早紀は昔から思い込みが激しかったからな。いつかこんな事件を起こすと思った。お前らが背中を押さなくても、俺の娘は犯罪者になっていた。だから、そんなに気にしていない」

「そうでしたか。ところで、先程あなたは、店内で稲葉専務と電話していましたね。その時、稲葉専務は焦っていませんでしたか?」

「そういえば、そうだったな」

「実は昨日、椎名社長に調査報告書を渡したんですよ。稲葉専務が産業スパイだったことを告発する内容です。稲葉さんは、辞職勧告を受けていると思います。後ろには気を付けた方がいいですよ。かつての部下思いの優しいアドバイスだと思いました」

 そこまで聞かれていたのかと津島永徳は舌を巻いた。

「君の聴力はスゴイな。地獄耳という奴か」

「そうでしょうか? 最後にもう1つだけ。なぜあなたが失踪した理由は何ですか?」

 津島永徳は女の問いに苦笑いを浮かべる。

「愚問だな。強いていうなら、ある最重要指名手配犯の支援をしていたら、7年間外国で暮らすことになった。お前らには、感謝しているよ。お前らの組織が今でも活動停止中だったら、俺は帰国できなかったからな」

 それだけ伝えると、津島永徳は席に千円札を置き、店から立ち去った。


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