福岡は日本のリバプール?

作久

福岡アンプロンプチュ

 田村ゆかりや野中藍。阿澄佳奈。いのくちゆか。最近だと松嵜麗。歌える声優を結構輩出してもいる福岡だがそれより前、ちょっと前にも一時期音楽でにぎわったことがある。知ってる範囲でつらつらと書いてみたいと思う。うろ覚えになってるところもあり間違っていることもあるかもしれないがとりあえずつらつら書いていこう。



 まず知る限りで古いと思うのは1960年中ごろから末期70年代頭位の海援隊。チューリップの頃になるか。


 海援隊と言えば卒業式などの定番である贈る言葉は武田鉄矢が女性に振られたことをうたったものらしくどうやら失恋ソングらしい。この頃の福岡では他にタモリが照和というライブハウス近くの喫茶店の雇われマスターかなんかをしていて、ウインナーコーヒーを頼んだ客に肉の方のウインナーを突っ込んだコーヒーを出したりしていたらしい。

 チューリップは、サボテンの花とか心の旅が西鉄宮地岳線の車内メロディに使われていたが今でも使われているのだろうか。とても気になる。

 井上陽水がアンドレカンドレとして活動していた頃もこのころではなかろうか。


 それから少し下り1970年頭か半ばくらいから1980年初めあたり、この頃がロックが福岡で芽生え花開き、めんたいロックや日本のリバプールと呼ばれていた時期だろう。70年代頭から80年のころは陣内孝則のロッカーズやルースターズ。サンハウス。鮎川誠のシーナ&ザ・ロケッツなどが活躍していたと何かで見たことがある。

 この頃の熱狂を感じられる物事として適当か不安であるが、福岡のあるライブハウスが閉店するとなったとき大阪や東京からファンが押しかけ行列をなしたくらいに人気だったらしいということを紹介しておこう。


後、鮎川誠で真っ先に思い出すのはコンビニのポプラだ。あのCMは忘れられない。


 80年代ではモッズというグループがロックで席巻し、チェッカーズもこのころだろう。ガンダム姉さんなどと呼ばれることもある森口博子もこのころからF91の時期になるか。アイドルでは松田聖子もこのころ。余談だが彼女は母校に校門を寄贈しているそうだ。

 音楽全体が発展しその市場規模がどんどんと大きくなってきていたこの頃とそのあとの90年代末くらい辺り、ミリオンセラーやダブルミリオンなる単語がすり減るほどに使われていた活況はいかなるものだったのだろうか。すっかりとすぼんでしまっている今からは全くもって想像がつかない。


 これより後になると、皆東京で売れ、そのあと福岡出身だとわかることの方が多いような印象がある。交通機関が発展し経済的にも豊かになり容易に東京にまでアクセスできるようになったためだろうがいささか寂しくも感じるモノだ。

 寂しく感じると言えば、少し前2000年のあたりくらいまで博多から天神までの道ではストリートミュージシャンが橋やちょっと広い歩道や広場のような場所でよく演奏していた。今はもう動画サイトで活動できるからかそれともそもそもの人数が減ったのか知らないが最近は見ることもほとんどない。


 話を戻そう。歴史というと割と長く感じるモノだが、福博に音楽がムーブメントとして勃興し隆盛をしていたのはこの60年末あたりから70年を通り抜け80年代、長くて末までの間の駆け抜けるようなわずかな期間ではないかと私は感じている。


 さて、ここまで福岡の音楽について知っている事覚えている事をつらつらと書いたが、音楽と切っても切れないのが録音媒体で、それはレコード、カセット、CD、MD,デジタル配信と進化してきたが一番最初に日本人がレコードに録音した音楽とされるものは何かご存じだろうか。世界最初については私は全く知らない。


 が、日本人最初はらしいというものがあってそれが福岡にゆかりの者であるというのは知っている。


 なんだと思うだろうか?

 炭坑節?

 黒田武士?


 どちらも確かに流行したものだがそれよりもずっと前に録音されたものがあるというのだ。

 それは、川上音二郎という博多出身芸人のオッペケペー節だという。正確には、彼の一座が欧米興行をした際の録音らしい。らしいというのが、この録音とされるものの枕で“先代のオッペケペー節を…”と言っているのだが、この録音は1900年のパリ万博の頃だという。

 川上音二郎が没したのは1911年の事。パリ万博から実に11年も開いているのだが…先代とはこれは一体?

 川上音二郎一座は代替わりしていたのだろうか?

 はたまた音二郎自身は欧米興行していないのか?


 というとそうでもないようで彼は1902年にフランスの芸術勲章をフランスで授与されているしパリ万博の前年あたりにはアメリカ興行をしているらしいのだ。

この録音の真偽については謎としか言いようがない。まあ、私の耳が悪く先代と聞こえて勝手に謎にしているだけなのかもしれないが。


 川上音二郎、彼自身の功績については文明開化が始まった明治の頃に演劇や芝居に強い影響を残した人らしいということより深いことを私はあまりよくは知らない。

 そんな、彼の像は博多リバレイン正面。中洲川端商店街の入り口わきにある。


失礼を承知で言うが、パッとみた像の姿はそんな偉大な人物に見えないひょうきんな形の像なのだが…。これが彼の芸風だったのかもしれない。

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