新たな問ひかけ

 あの悲惨な出来事から幾年。

森の奥に屋敷だけが取り残されていた。

ヒューが剪定した植木も、刈り上げた芝生もすっかり自然と同化していた。

そしてあの池も、雑草に覆われて姿が見えなくなった。

 重く沈んだような空模様と冷たい空気、その中で木々がゆらゆらと揺れる姿が恐ろしく見える。

時が過ぎて古くなった屋敷は、天気のせいか悍ましい雰囲気を出している。

まるで人が住んでいた事が嘘のように。


 しかし、こんな状態でも訪れる人はいるものだ。

寧ろその状態だからこそ彼らは来たのだろう。俗に言う”肝試し”という道楽だ。

まだ完全に成人しきっていない、子供と大人の間にいるだろう中途半端な齢の若者たち。それが今回の来訪者だ。

 1人が運転する小さな車でやってきた男女4人、好奇心が服を着て歩いてるような彼らは、この屋敷が危険だという事を知らない。

グループ内のリーダー的な男が先導し、全員が屋敷に入っていく。


 屋敷はあの時から全く手を付けられておらず、家具も置かれたまま埃被っていた。

そこを懐中電灯の小さな光で忙しなく照らされる。

男は静かな玄関ホールで、この世で一番強いのは自分だと言わんばかりに揚々と話しだした。

「なぁ、ここ絶対って!こんなに気味悪いし!」

騒ぐ男に、華やかな出で立ちの女が答える。

「出なくて良いわよ、怖いじゃない」

「なんだよ、そういうの求めて来たんじゃないのかよ」

「違うわ、ただこういう雰囲気が好きなだけよ」

そして呑気に欠伸しながらもう一人の男が話に混ざる。

「でもさ、せっかくこんな所まで来たんだし、それっぽい声は聞きたいよなぁ」

それに驚いた気弱そうな女が言う。

「そんなの聞いたら怖くて眠れないよ……」

「大丈夫よ、どうせ何も出やしないわ」

心配そうな友人に寄り添い、並んで回りを照らす。

「だけど、この屋敷での生活が後の絵画に影響したって……彼の著書に書いてあったよ」

「らしいわね。でもそれが事実とは限らない」

「そ、そうだよね」

それから気弱な女は、小声で”大丈夫”と繰り返し呟き続けていた。


 一通り玄関ホールを眺めた一行。

そこでリーダーがとんでもない提案した。

「あ、そうだ。ここらで一旦別々に見て回ろうぜ!」

あまりにも無謀で危険を顧みない行動だが、全員が同意した。

別行動、とは言え3つのグループに分かれるだけなのだが。

 男はそれぞれ別に動き、女は2人で見て回る事にした。

探索が終わったら玄関ホールに集合、という単純な取り決めをして解散した。

リーダーは1階の左、能天気な男は右。女2人は2階を見る事にした。

別れる間際、冗談半分に男達が言う。


「生きて帰ろうなぁー!」


「そうだなー!」


 この屋敷での会話でなければ、この屋敷での出来事でなければ、彼らにとっていい思い出になっただろう。

現実は非情なものだ。




 場所は1階、屋敷の右側に位置する場所。食堂に切り変わる。

ここには呑気に欠伸しながら歩く男がいた。

この屋敷に来るまでの道中、車内でずっと眠っていたがまだ寝ぼけているらしい。

緊張感もなく、自宅を歩くように気楽さがそこにあった。

 かつて、とある家族が暖かい食事をした空間であったが、その面影はほとんど消えている。

部屋の中央にあるテーブルには燭台等が置かれたままで、壁にも金縁の絵画が掛けられていた。何故家具がそのまま置かれているのか、この呑気な男には分からなかった。

しかし、この屋敷に住んでいた住人はとても豊かな暮らしぶりだったのだろう、という事は分かった。以前は輝いていただろう、豪華な調度品たちに厚く被さった埃が物語っているからだ。

 ある程度見終わった男は、そのままの足取りで食堂の奥へと進んだ。

数分前までは聞こえていた友人達の足音も完全に消え、今や彼の音しかしていなかった。

扉の向こうは厨房になっており、そこには素人目でも分かる程に立派な機械が並んでいた。と言っても、全て前時代的な機械である為、今も稼働出来るか分からないヴィンテージ物だ。

 物珍しそうに見ていたもののすぐに興味を失った男は、次の部屋へ行く事にした。

厨房の奥にある扉を開くと、暗い廊下がすぅっと伸びていた。

そして、廊下の横には3つの扉が並んでおり、それぞれ扉にプレートが掛けられていた。手前から「マット」、「ヒュー」、「スザンナ」の順で並んでいる。

 当然ながら、この男は真っ先にスザンナの部屋へ入った。これほどの屋敷に狭い部屋で暮らしていたのだ、昔語りで聞く侍女というものだろう。と思ったのだ。

その期待は的中していたのだが、彼女はあの悲惨な出来事で心身ともに疲れ果てたのだ。現在は何処かの療養所で残りの余生を貪っている。

 ギィィ、と音を立てて開いた扉の向こうには、男が描いていた理想などなかった。

男の目に飛び込んできたのは、大きくひび割れた鏡台の鏡、空になった精神安定剤の容器、綿が飛び出る程に裂かれた枕、ピッタリと縫い合わせられたカーテン。

それらから、この部屋の主に”何らかの異常”が来していたのは明白だった。

 この光景を見て、少年のように浮かれていた男の表情は固まり、情けなく震えていた。

「何があったんだよ、マジで。狂ってる……」

それでもこの男にも意地があったのだろう、固唾を飲み込んでスザンナの部屋へ足を踏み入れた。

 先程までの気の抜けた顔は消え失せ、心許ない懐中電灯の明かりを頼りに歩いていく。まず向かったのは、部屋の右側にある机だ。

そこにはノートが1冊置かれており、今まで見てきた家具と同様に埃被っていた。

違いがあるとすれば、このノートは飾りも何もない質素なもので、上質な素材ではないだろうという事だけだ。

 この部屋の惨状からして、そこに置かれたノートに平和的なものが書かれている筈もないが、彼の求めていた”恐怖”がそこにあったのだろう。

 ノートの埃を軽く払って、適当にページを開いた。

開かれたページには、黒いインクで何かが書かれていた。

いや、正確に言えばページ全体を黒い靄が覆ってる様にしか見えない、よく見ると文字が書かれていると辛うじて分かるが……。

 しかし、この男にはその文字が何かは全く分からなかった。

そんなページがその前後に幾つも続き、ページを捲る度に底知れぬ恐怖感を抱きだした。だが、どうしてこの部屋の主がこんな状況になったのか、この男には検討も付かなかった。

 それ以外には何も書かれておらず、好奇心が満たされぬままノートを閉じた。

もしこの男が解読する力があったなら十分に満たされていたが、本人の実力不足なのだから仕方がない。この屋敷で悪趣味な部屋を見つけただけとなった。




 時計の針を戻し、女2人組が探索を始めた場面へ移る。

右側の廊下は何故か板で塞がれており、その先は暗く何も見えなかった。

そこで2人は、2階の左側を見る事にした。かつてステファニーとアンソニーが悪夢にうなされた、寝室がある方向だ。

当時、ステファニーが楽しそうに駆け回った廊下だが、今では明かりが灯らぬ寂しい場所となっていた。

 2人は手前にあるステファニーの部屋から入る事にした。

暗い廊下から可愛らしい家具ばかりが並ぶ部屋ではあまりにも対照的で、2人して驚いていた。

「随分子供っぽい部屋ね」

「確かここは画家の娘が住んでいた部屋だと思う、当時は6歳くらい?」

「そう、もっと幼い子かと思ってた」

「きっと凄く愛されてたんだと思う、画家にとっては一人娘だから」

「それなら納得かも」

薄い桃色の家具とぬいぐるみが色んな所に飾られ、布製のものにはフリルとリボンが必ず付いている程だ。

 特に寝台は本人の暮らしぶりを知るには適切で、この部屋の場合は”極限まで愛された少女”というのが見て取れた。

埃が深く被っていても、彼女が愛した人形やぬいぐるみたちは今にも動き出しそうな不気味さがあった。

 この愛情が深く詰まった家具を置いて、どうして屋敷を出て行ったのか。2人にはそれらしい答えが見つからなかった。

ふと、外が見たくなった気丈な女が、窓辺に寄ってカーテンを開けた。

そっと開けたがそれなりに埃は舞い、2人して少し咳が出た。

「ごめん、こんなに舞うと思ってなかった」

「ううん、大丈夫」

等と言って、それぞれ別に行動した。

 外を見ると、空はまだ曇りのままで重い雲が蠢いている。

この部屋は屋敷の玄関側に位置しているらしく、窓から自分たちが乗ってきた車が見える。そしてその横には人が。

と、そこで思考を巡らせる。

彼女にとってその人物が誰なのかというよりも、何故そこに立っているのかが不思議で仕方なかった。

 生い茂る雑草の中に立つその姿はいびつで、明らかに真っ直ぐ立っていなかった。遠くてはっきりとは見えないが、背の低い男性に見える。

もっとよく見ようと窓の鍵に手を伸ばした時、その人は首をねじり上げ彼女をじっと見つめた。まるで獲物を見つけた獣のように。

 当然、彼女はすぐに後ろへ下がり、埃っぽい床にしゃがんだ。

心配そうな友人が慌てて駆け寄り、声を掛けるも彼女は震える細い指で窓の外を指差すだけだった。

何事かと思った女は、指差された窓の外を見た。

するとそこには何もなかった。

「何もないよ?」

「嘘よ、嘘だわ。さっき変な男が……!」

と言いかけた時、彼女に不思議な声が聞こえる。


『……は、どこだ……』


「誰?誰かいるの……?」

辺りを懐中電灯で照らしてみるも、自分たち以外には誰もいない。

それが当然だと知りながら、確認できた事で安心していた。

「どうかしたの?さっきから怯えてるけど……」

不安そうな顔で友人から心配されるも、それにはっきりと返答できないでいた。

この声が聞こえているのが私だけなら、このまま何も伝えない方が良いんじゃないか。と、考えたのだ。

「いいえ、いいえ。何でもない、大丈夫よ」

「本当に?」

「えぇ、大丈夫。平気」

「そ、そう。なら良いんだけど……」

気弱な女はそれ以上聞けなかった。聞き方を知らないからではない。

自分がそうなった時に、自分が友人に”大丈夫”と伝えた時に、それ以上は話を広げて欲しくないからだ。

「もうこの部屋は良さそう。隣の部屋を見る?」

「良いけど、でも隣は娘のボディーガードが使ってた部屋だって……あんまり面白くなさそう」

「確かに。じゃあもう下へ戻りましょう」

まるで部屋から逃げ出すように女は廊下に出た後、少し遅れて彼女について行く。

しかし、その部屋を出ても彼女に聞こえる声は止まない。

『どこだ、あのはどこだ』

それはまるで、闇の底でうずくまる悪魔の囁きだった。




 時はそのまま、場所は玄関ホールへと変わる。

階段に腰かけて頬杖をつき、貧乏ゆすりしている男がいた。

彼が行ったのは屋敷の左側、この屋敷の持ち主であった画家のダスティンとその妻が使っていた部屋だ。

 あの夫婦に関して、全く知識を持っていない男にとっては”ただの埃っぽい部屋”という認識でしかない。

その為、現代美術の巨匠が数日だけ滞在した謎の屋敷に興味はなく、森の奥に怪奇現象が起きそうな屋敷があるという点だけにそそられて来たのだった。

しかし彼が望むような事はその部屋で起きず、ただ時間を無駄にしただけとなった。

 なので、今の彼は少し苛立ち気味で、まだ探索している友人たちを待っている。

全く怪奇現象が起こらないのなら来た意味がない、さっさと街へ戻って遊んでいた方が愉快だろうと思っているのだ。

友人たちはそれぞれ異変に気付いているにも関わらず、だ。

 先に戻ってきたのは2人組の方で、怯えた様子でゆっくりと階段を降りてきた。

最初は気弱だった女が友人を支えるようにして降りてきたのを見て、待っていた男はケラケラと笑って言った。

「おいおい、ビビりすぎじゃね?そんなに2階やばかったのかよ!」

「うるさい、黙って。外に聞かれたらどうするの」

「はぁ?外って、この近くに誰かいるわけねーだろ」

半笑いを浮かべながらも、その表情はどこか引き攣っていた。

「そ、それがいるかもしれないんです」

「マジかよ、お前ら見たのか?」

「2階の窓からね、私はそいつと目が合ったわ」

凍える様な顔つきで女は答えた。

普段の態度から想像もつかない大人しさの彼女を見て、男は少しずつ恐怖への探求心を募らせていった。

あと数分、食堂の方から男が戻ってくるのが遅れていたら、探求心の高いリーダーは2階を駆け上がっていたに違いない。

「おっ、戻ってきたな!何かあったか?」

「ぼちぼちだな、ほんとに狂ってるって感じだった」

「何だよそれ、お前も収穫ありかよ!」

いじける男を横目に、階段に座っている2人組に声を掛ける。

「お前さんらはどうだったのさ、面白いのあった?」

「たぶん、ほとんどあなたと同じ。変な物を見せられただけ」

「そっか……まぁ、そんなもんだよな」

「チッ、お前らばっかり面白いもの見やがって……」

足癖が悪いのか、床に積もった埃を足で蹴飛ばしていた。

まるで子供のような駄々の捏ね方だが、気持ちの切り替わりも早いらしい。

どちらかと言えば飽きっぽい性質なのだろう。

「まぁ、いいや。さっさと帰って遊ぼうぜ」

そう言って男が玄関の扉に歩み寄ろうとすると、怯えた顔の女が叫ぶ。

「待って!外に誰かいるの!」

鬼気迫る顔つきで言うが、この男には何の効き目も無かった。

「そういうのいいから、お前らも早く車に来いよ」

振り返りもせず、そのまま手を振って歩き出した。

その間も青ざめた顔の女にはが聞こえており、男が玄関に近づくにつれてそのははっきりと聞こえてくる。


『あの小娘を出せ、でなければ貴様らを生きては返さん』


「あ、あぁあ。どうしよう、どうしましょう」

頭を抱え、怯える事しかしなくなった女と、それを見守るだけの友人。

どうせ演技だろうと高を括る男たち。

絶望の時は刻、一刻と迫っている。

それまでの余生をどう過ごすかは彼ら次第、そしてこの結末は変えられないものなのだ。

 男が扉を開け、外を見る。

そこには来た時と同じ光景が広がっていて、空も周囲の木々も変わりなく、自分たちが乗ってきた車もちゃんとそこにあった。

「ほらな!誰もいないじゃねーか!」

と言って振り返る男の目には、恐怖に慄いた顔の友人たちがいた。

目を大きく見開き、口をぽっかりと開けた。そんな顔をしている。

全員で自分を怖がらせようとしているのか、そう思ってと思っていた外をまた見る。

 そこには1人の老人が立っていた。背はそれほど高くなく、白髪頭で皺くちゃな顔をした。

しかし、その顔は加齢による皺ではない事が分かる。何者かによって顔が歪むまで殴られ、急所であろうと構わず傷つけられて出来たものだった。

それに一同は驚き、ずっと声を聞いていた女は叫び声を上げた。

 扉付近にいた男は後ずさりし、老人から距離を取る。

よく見ると、老人が着ているローブは所々がボロボロに切られ、隙間から赤黒い肉が見えている。更に老人はそのか細い足元に赤い液を垂らし、玄関を少しずつ浸食しているかの様だ。

「お、おい、爺さん。俺たちさ、もう帰るから通してくんない?」

だんまりの老人に恐る恐る話しかける。

だが、それに答える声はなく、ただただ沈黙が続いた。

 この場所でこの老人の声が聞こえるのは彼女だけだろう。

老人の口があったであろう場所が少し動く度に、顔を一層蒼ざめさせるのだから。

横で座っていた女の心配が頂点に達し、ようやく尋ねた。

「ねぇ、本当に大丈夫なの?」

頭を抱え、綺麗な髪をぐちゃぐちゃに乱し、震えながら口にする彼女が発したのは次の様な言葉だ。

「ステフ……」

「え、誰?」

「……ステファニーを!ここに!!」

それから彼女はしばらく”ステファニー”という言葉を繰り返し、友人たちは更に恐怖した。

老人が掠れた声を上げながら屋敷の中に入ってくる。

それと同じく扉もゆっくりと音を立て閉まっていき、やがて大きな音を立てて扉は完全に閉ざされた。

そして玄関ホールは暗闇に包まれる。

不思議な事に、その場にいた誰も動けなかった。逃げ出せた筈なのに、足が動こうとしなかった。

まるで屋敷が強い力で全員の足を掴んでいるように。ここから逃れられないように。

暗闇の何処かから声が聞こえた。

それはまるで公園で遊ぶ子供の声、無邪気で悪意のない笑い声。

何時かの事件と同じように、それらがここに者たちを嘲笑っているのだ。

そしてこの場にいる全員に老人の声が聞こえる。


『ステファニーはどこだ』


はっきり、そして深く。

言葉で体を貫かんとする程の気迫ある声だった。


『私が殺されたかったのは……あの小娘ではない!!』



 ふと気づいた時には、一同はそれぞれ自分の頭上に立っていた。

とても痛かっただろう、とても悲しかっただろう。

しかし、既にそういったものは忘れ去られてしまった。

全てが終わった後にまた目覚めた所で、空っぽになった4体の抜け殻を眺めるだけなのだ。



こうなりたくなくば、この屋敷に近づくな。

そうなる事を望んだとしても、この苦痛を願う事はするな。


また新たな”問ひかけ”を増やしてはならない。

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地下からの問ひかけ 柊 撫子 @nadsiko

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