第2話 海上の激戦

 「謀反か。」

 「はい。執政官の一人である者が父である王・アルセニオスを幽閉、

  実権を握ったのです。影で隣国であるアイドーネウスが糸を引いて

  いるのは明白ですが。」


 船室に6人のドラコーンとテオドロス、そしてカノンがタシアを囲むようにテーブルについていた。テーブルには其々の前にカップが置かれていて、香しい花の芳香が立ち昇っている。アルジュナが入手した中国の花茶、つまりジャスミン茶だ。

 この時代お茶はヨーロッパ貴族たちが貴金属以上に珍重した超高級品である。鼻腔に花の香りを吸い込んでタシアは内心でホッとする。海賊と言えば当然男の集団であり、船上生活が主体である彼らと彼らの船は汗や埃の入り混じった、いわゆる「男臭さ」でいっぱいだからだ。

 この船室で改めてタシアは蒼き龍の艦隊の中枢である彼らに雇い主として会見、今回の依頼内容について説明をしているのだった。


 グラウコーピス聖王国。エーゲ海に浮かぶ数多い島々の中に存在する小さな王国である。火山を要する峻厳な岩だらけの部分とそれよりはやや小さいがなだらかな丘陵に耕地が広がる二つの島がつながった瓢箪形状の島国だ。この島で生産されるオリーブとオリーブ油、ハーブ類は極めて薬効が高い事で知られ、火山の恩恵で豊かな温泉をもつ。だがこのいともあっさりと侵略されて不思議もない小さな島国は聖域とも聖母や大天使ガブリエルの恵みの国とも呼ばれ、不可侵の国とされてきた歴史を持つ。

 代々王家の直系の未婚の女子、すなわち純潔の乙女の血は奇跡的な回復をもたらす霊薬であり、元々は女神アテナの恵み受けし国と呼ばれていた。ある代の女王の時、その血の力は時のローマ法王の重篤な病すら治癒したという。その件をもって

本来異教の神を異端・排撃するカトリック教会からも聖母と大天使ガブリエルの加護を受けし国として認定を受けた不可侵の国として扱われるようになった。グラウコーピスとは女神アテナの名に冠される称号で「輝く瞳を持った者」の意である。


 「また頭目の気まぐれが出た訳ですね。」


 女性と見紛うような整った顔立ちの青年が溜息交じりに言葉を吐いた。秀麗な眉と瞳が少しキツイ印象を与えるドラコーンの一人、拳銃の名手ディオンである。元々は騎士でもある貴族の息子だったらしいが故あって海賊となった。戦闘の無い時は横笛を操りハイサムともよく一緒に演奏する。見た目を裏切る毒舌でカノンにも歯に衣を着せない物言いで嫌味や抗議を言える数少ない存在だ。

 王位を実質簒奪した謀反人は、次期女王であるタシアを亡き者にしようとしている。聖王国の、それも未婚の純潔の王女の人心と周辺諸国への影響力は絶大であるから彼女の下に討伐軍がすぐに結成されてしまうのは明らかだからだ。老いたとはいえまだ初老の国王に新たな直系の王族を設けさせ傀儡として実質的に聖王国を併合、王族の神秘の血の力とエーゲ海の島国としては豊かな恵みを手中に収めんとするのが隣国アイドーネウスの王の真意らしい。アイドーネウスとは「見えざる者」の意で冥王ハーデスのことである。


 「私は何としても帰りつき父王を救いださねばなりません。その上で代々

  女王を守る聖騎士たちを率いて同盟の名の下にグラウコーピスを支配

  しようとするアイドーネウス軍を退けねばならないのです。」

 「ということだ。この中々気の強いお姫様をグラウコーピスまで送り届け、

  ついでに襲ってくる謀反人の一味を片付けて女王様に据えるのが俺たちの

  今回の仕事という訳だ。」

 「つまり海賊の俺らがとりあえずはお姫様を守るはずの聖騎士の代わりを

  努めるってわけだ。中々面白いじゃないですか、俺は旦那の酔狂にのったね。」

 「俺もいいぜ。貴婦人を守る正義の騎士なんて面白そうじゃん。」


 オウロとニコが陽気な口調で告げる。


 「聖騎士とやらがいるという話だが、そいつらは一体何をしているんだ?」

 「聖騎士は代々女王に仕える騎士なので父王の代の今は空席なのです。

  資質を認められた候補はいるはずなのですが彼らも父王を人質にとられて

  いる今は国の内外で潜伏中の兄のバシレイオスと共に対抗策を練っている

  です。」


 テオドロスの問いにタシアは淀みなく答える。女王としての勉強の為にネーデルラントやイングランドへと身を寄せていた王女は世界の覇権を狙う諸国の王たちの動きや活気あふれる商人たちの活動を目にしてきた為か貴婦人にありがちな弱々しさがない。中でもイングランド女王エリザベスの手段を選ばない国家経営には賛成は到底出来かねるが大きな衝撃を受けたようで、貴婦人にありがちなおっとりした風情はなく、寧ろ驚くほどはっきりとモノを言う。


 「あのクソババアには一度誘いをかけられたな。海賊を飼い慣らして

  こき使おうとするとんでもない強欲ババアだ。ドレイクはよくあんなのと

  組む気になったものだが相当えげつない事をやってるぞ。」

 「まあ、同じ女王様ならこっちの若い方がまだいいな。俺は暴れられるなら

  この話構わんぞ、カノン。」


 ドレイクとは大海賊フランシス・ドレイクの事だ。女王エリザベスの下、海軍提督にまで任命され、イギリス人としては初めて世界一周航海を成し遂げた人物だ。スペイン船やスペイン領を情け容赦なく襲ったのでスペイン側からは悪魔の化身・ドラコの名で忌み嫌われている。ちなみにドラコもドラコーンも龍の意味である。同じ龍の名を冠しているからか、カノンがさも辟易した様子でぼやくとテオドロスがニヤリと笑みを浮かべて今回の仕事に賛成の意を示した。


 「私はお頭が決めたのなら従うのみです。爆薬の実験にはなりそうだ。」

 「俺もだ。」

 「反対したところで頭と副頭揃ってやる気じゃどうしようもないでしょう。」

 「成功すれば名高い聖王国のオリーブ油も手に入るのだろう?商売としては

  そう悪くないのではないかと思うから俺も皆の意見に従う。」


 アルジュナ、ハイサムが賛意を示し、ディオンが溜息交じりに同意する。イザークが淡々とした様子で現実的な意見を告げた事で、蒼き龍の艦隊のトップ会談はサックリと終った。


 「と言う事だ。さしあたっては補給の為にキティラに寄港する。今後はあんたは

  護衛の為にも俺と行動を共にしてもらう。寝泊まりも俺のこの船室だ。」

 「何ですって、冗談はよして!」

 「冗談ではない。ここは船の上だ。それも海賊船、つまり軍艦だ。武器や弾薬も

  積んでいるからスペースに余裕はない。此処が嫌なら船底の倉庫で鼠と一緒に

  寝るか、他の乗組員どもといっしょくたになって雑魚寝しかないぞ。まぁ別に

  俺は構わんが。」

 「お姫さん、わかってないみたいだけどお頭の傍が一番安全なんだぜ。

  命狙われてんだろ?それに頭の傍に居る限り野郎どももチョッカイは

  かけないし。」


 カノンと同室、と言う言葉に思わず立ち上げって叫んだタシアにニコが頭の後ろで腕組みして面白そうに言った。その言葉にハッとなってタシアは黙り込む。


 「・・・・わかりました。どうか皆さん、よろしくお願いします。」

 「聞き分けが良くて助かる。」


 暫しの沈黙の後、承諾の言葉を告げたタシアにニヤリとカノンが笑う。甚だ不満はあるが、それでも深々とテオドロスとドラコーンたちにも頭を垂れる。


 「あの、何処かに寄港するのでしたらソフィアをそこで船から降ろして

  欲しいのです。」

 「ソフィア?ああ、一緒に来たあんたの侍女か。」

 「ええ。貴方がたと契約したのは私の一存ですから、彼女を危険な目に

  合わせたくないんです。ですから・・・。」

 「どうせ壊れた船と人間をこの先の補給地で開放する。あんた意外にも

  護衛せねばならない人間がいるのは面倒だから、降りてくれる方が

  俺も助かる。好きにすればいい。」


 肩をすくめてやや面倒そうにカノンが答えた。本当に噂通り奴隷売買には興味がないらしい。自分はともかくソフィアが危険な目に合ったり辱めを受ける事態を案じていたタシアはホッと胸をなでおろす。


 「変わった王女だな。」

 「確かに。」

 「何と言っても飛び切りの別嬪さんだ。暫く目の保養に困らないのはいいねぇ。」


 テオドロスの呟きにディオンが賛同する。オウロがご陽気な声を上げた。

 自分の身より侍女を案じるのか・・・・。王女らしからぬタシアの言動と、やはり王女らしいと言える毅然とした気丈な佇まい。無言だったニコとハイサム、アルジュナとイザークたちくせ者揃いのドラコーン一同、この少し変わった王女を内心で気に入ったのだった。


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 「さあ野郎ども、思いっきり垢を落として羽を伸ばしてきていいぞ。

  但し補給班は仕事を片付けてから交代だ。これからひと仕事になる。

  手抜きするなよ。」


 船が碇を下ろすと男たちが転がり出るように降りて行く。エーゲ海の西の端、波穏やかな港を多く要する島、キティラに入港していた。新鮮な食糧や水、武器や弾薬等の補給の為である。海上生活は新鮮な野菜や食べ物がどうしても不足する。真

水は貴重であるから風呂にも中々入れるものではない。嵐が続くと普段は海に直接落としてしまう排泄だって船の中でやらねばならなくなる。つまり海賊船に限らず海上にいる時間が長くなればなるほど、船は男どもの汗や体臭でクサい上にクル病などの栄養の偏りが原因の疾病なども出てくる不衛生甚だしい状態となるのだ。定期的な寄港で補給を行い、海上生活の垢やストレスを落とすことはかなり重要だ。もちろん男所帯で溜まった欲望も吐きだしに行く事は欠かせない。海原をかける海賊、といえば非常にロマンチックな響きだが当時の船の性能と航海事情では現実はまあそんなものだ。勿論、収奪したお宝を売り捌くことも外せない。


 「船を降りる。あんたも来るんだ。」

 「私にはタシアと言う名前があります。」

 「それは失礼。用事は色々ある。行くぞタシア。」

 「離して!最初からだけど、あなた失礼だわ。」


 カノンに腕を掴まれて抗議の声をあげる。が、カノンは一向お構いなしでタシアを引きずるように船を降り港町を歩いていく。見上げる長身の男が早足気味で歩くからタシアはと言えば、やや小走りに腕を掴まれたままで歩くわけだが男の強引さに内心で腹を立てた。

 仮にも小国とは言え一国の王女に対する態度ではない、と思うのだがこの男の機嫌を損ねては自分の目的が果たされる事は到底望めないから不満をぐっと飲みこんだ。バルバリアの海賊たちに囲まれた時、突然自分の前に舞い降りてきた蒼銀色の髪がなびく長身を見た時、タシアは瞬間的に信頼できる騎士だと思った。この男こそ自分を守り必ずや自分の為すべきことを成就する為に力を貸してくれるだろうと、何故か確信したのだ。

 だが、はっきり言って紳士でもなければ騎士とも言い難い。海賊なのだから当然だと思う一方でそれでも腹立たしくなる。とにかく強引でこちらの都合などお構いなしなのだ。


 しばらく歩いてとある一軒の店に入った。一階に食堂、二階が宿というよくある業態の店だ。


 「おおカノン、いらっしゃい!バルバリアの奴らを派手にブッ飛ばしたらしい

  じゃないか。どうする?港に船が入ったって聞いて風呂もいれてあるぜ。」

 「久しぶりってほどでもないが、相変わらずだなダモン。俺は先に酒と飯

  をもらうから、このお嬢さんを風呂に入れてやってくれ。」

 「こりゃまたエライ別嬪さんじゃないか。カノン、あんたもやっと人並みに

  女に惚れたか?」

 「馬鹿言え。これからしばらくの間の俺の雇い主だ。」

 「へぇ、このお嬢さんが?あのスペインの強欲オヤジの誘いも蹴ったあんたが?」


 ダモンと呼ばれた店主らしい男がマジマジとタシアの顔を覗き込むように眺めた。

銀灰色の髪とやや赤みのかった茶色の瞳をしたまだ若い男だ。


 「何でもいいから早く仕事をしろ、ダモン。」 

 「ヘイヘイ、おーいクリス‼クリストスちゃん、こちらのお嬢さんを風呂に

  案内してやってくれ。」

 「いらっしゃい、カノン。貴方が女連れとは珍しいね。」

 「元気そうだな。このお嬢さんを風呂に頼む。それから船の上で生活しやすい

  服を見繕ってやってくれ。」


 ダモンに呼ばれて奥から現れたのは誰もが美女と見まごうばかりの容貌の青年だった。元は北国の人間らしい薄水色に見える見事なプラチナブロンドにアクアマリンを思わせるやはり薄い色の瞳が息を呑むほどに華やかだ。名をクリストスというがもっぱら女性名にも使われるクリスで呼ばれている。


 「どうぞ、こちらへレディ。」

 「カノン、あの・・・?」

 「これからしばらく風呂なんぞ雨でも降らないと入れないから、行ってくると

  いい。ついでにそのヒラヒラした服も船の上向きじゃない。着替えてくるんだ。」


 クリスに連れられて二階へとタシアは上がっていった。店の奥、カウンターに

腰かけてカノンはダモンの差し出した赤ワインに口を付ける。


 「エリアスには知らせたか?」

 「伝令を走らせておいた。バシレイオス様たちにはアナスタシア様の無事は

  とっくに届いていると思うぜ。」

 「本国の城の方はどうだ?」

 「変わりなしだ。国王陛下に死なれては困るから敵さんもそれなりに丁重には

  扱ってるみたいだな。幽閉場所が地下牢ってのが頂けないが今のところ心配は  

  ない。」

 「まあそうだろうな。」


 やや小声で話しながらダモンが手際よくスープやパンや肉と野菜の煮物、それに山盛りのサラダと果物を皿に盛って差し出すのをカノンは口に入れた。瑞々しい果物や野菜の食感を楽しむ。


 「これからキュロス商会へ?」

 「ああ、アルジュナが考案した新型砲弾とそれに見合う改良型の砲台の件でな。

  火薬も大量に必要だし何より情報を仕入れに行く。各国の裏事情はジノが

  一番詳しい。」

 「イングランドから中国商人まで相手にする天下の海商王だからなあ。綺麗な顔

  した兄ちゃんだが俺は苦手だ、どうにも喰えねぇ。」

 「喰えない点ではお前も相当なものだろうが。」

 「あんたもな。」


 自分もワインに口をつけてダモンが肩をすくめて笑った。港の食堂で荒くれ達を相手にする店主はカノンの馴染みである。だがグラウコーピスの若き宰相・エリアス直属の情報収集を仕事とする軍人というのがその正体だ。クリストスも同様である。不可侵の王国とは言え、国力では取るに足らぬエーゲ海の小国が平和に生き残って行く為には各国の情報収集は欠かせない。ダモンとクリストスは宰相エリアス直属の生え抜きの騎士であり、本国と他の諜報員との連絡を取り合う要なのだ。


 「今回は本国まで行くんだろう?兄上が会いたがってたぜ。」

 「まあ無事仕事が片付けば嫌でも顔ぐらい合わすだろう。」

 「兄貴と違ってクールだよなぁ、あんたは。」


 双子の兄・・・・。カノンには血肉を文字通り分けあった存在がある。グラウコーピス宰相、その優美な物腰と端麗な容姿、他社の追随を許さない優れた政治手腕から大天使の異名で呼ばれるエリアスそのひとである。カノンはタシアと同じグラウコーピスを故郷とするれっきとしたグラウコーピス人なのだ。

 

 「カノン、お嬢さんこれでどうだい?」


 クリスに連れられてタシアが階段を降りてきた。生成り色のシャツの下にやはり生成り色の白いズボン、その上からふんわりとした刺繍の施されたスカートをはいている。更にその上から長い前開きの上着を羽織って腰帯を結んでいた。この時代のオスマン帝国の一般的な衣装である。長い上着は日本の着物や中国の漢服と同属の物で元々は男性の衣装だったがこの時代には女性の衣装としても用いられていた。高貴な身分になるほどこれらには細かで精緻な刺繍やビーズなどの装飾が施されるが今タシアがきている物はシンプルなものだ。頭には柔らかな布地をターバン状に巻いて帽子代わりにしている。エキゾチックな衣装が、小柄な美女と呼ぶにはまだ少女の面影が残る白百合の様な容姿をかえって際立たせていた。


 「オスマンの衣装だけれど体を絞めつけないし、動きやすい。彼女かなり高貴な

  身分だろう?海賊の船にしばらく乗るんだったらこれくらい肌も体の線も見せ

  ない方がいいし、彼女も気に入ったようだよ。」

 「あの・・カノン、これでいいでしょうか?」

 「・・・・ああ、いいんじゃないか。護衛するにしても、自力で走るのにも

  支障があるさっきの服ではな。それに・・・なかなか似合っている。」

 「へぇ、美人は何着ても美人だね。エキゾチックでいいねえ。カノン、あんた

  今一瞬見惚れただろう?」

 「馬鹿が。雇い主の、それもこんな小娘に気を取られるほど俺は女には困って

  いない。」

 「まぁ、あんたは黙って立ってるだけで女が寄ってくるからなぁ。」


 カノンの返答に奇妙な一拍程の間があいた。ダモンがカノンの背後のカウンター

越しからニヤニヤした笑いを浮かべる。


 「ダモン、クリス。このお嬢さんに何か食わしてやってくれ。俺は小一時間

  ほど出てくる。言っておくが大事な雇い主だ。二階の部屋に上げて他の客の

  目に触れさせるなよ。」

 「じゃあ、私が何か音楽かお話でもお聞かせしておいてあげるよ。」

 「助かる。頼んだぞ、クリス。」

 「あの、カノン何処へ・・・・。」


 呼び止めたタシアの声が聞こえなかったのかカノンは背中を向けるとさっさと店から出て行った。長身が歩いていった戸口を暫し見つめる。

 似合っていると言った。よく言われる社交辞令やおべっかではない事は何となくわかる。あの海賊王はそういう言葉を使う必要など無い自由な身だ。その男が似合うと言ったのならきっと真実だ。何故だか少し嬉しく思う反面、見知らぬ場所に置いていかれた事にタシアは僅かに戸惑う。


 「海賊と言っても大艦隊の司令官と同じですからね、結構彼は忙しいんです。

  この港は蒼き龍の艦隊の重要な補給地で取引場所でもあるから用事も多い。

  意外かもしれないけど時間には結構正確だから小一時間でちゃんと戻って

  きますよ、レディ。」

 「ありがとう。それなら地中海の現状などお聞かせいただけるかしら?私、つい

  先日までずっと北のネーデルラントにいたから、詳しい情勢を知っておきたい

  のです。こういう所では普通では入手できないような情報もあるのでしょ  

  う?」

 「喜んで、レディ。」


 ただ守られてるつもりは無くてご自分でも情報を集めたいとは。これはなかなか頼もしい次期女王様だ・・・。

 強く理知的な輝きを宿すタシアの瞳に見上げられて、クリストスは華やかな笑顔で答えた。


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 「今製作中の物を工房をフル稼働させてなんとか20台仕上がりますよ。

  砲弾の方も注文数もうすぐ出来上がります。」


 優し気な容姿に理知的な瞳の青年が言った。何とも人懐こい魅力的な笑顔を向けてくる。


 「流石はキュロス商会、という所だな。頼んでおいた甲斐がある。」

 「貴方にお褒め頂けるのは光栄だな。何しろ我が社最大のお得意様で且つ

  無くてはならない仕入先で用心棒だからね。最大級に大事にしてるつもりだし

  私にとっては貴方は大切な友人だ。」

 「どうだかな。敵に回すと面倒だから抱え込んでいるだけだろうが。」

 「傷つきますね、それも勿論あるけど私は貴方の事は友人としてちゃんと

  好きですよ。」

 「まあ俺もお前の事は一応友人とは思っているし気に入っている。」


 瀟洒な作りの邸宅の一室でカノンはどっかりとソファに腰を下ろしていた。向かいに座るのは地中海を中心に世界の海運取引を掌握するキュロス商会の総帥、ジノヴィオス・キュロスだ。

 まだ年若く少年の優しさを残した端麗な面立ちだが、武器から奴隷売買まで裏社会の流通も一手に管理し、各国の王家とも全て繋がっていると言われる闇商人の顔を持つ。カノンにとっては武器や弾薬類の入手先であり、アルジュナが考案改良した砲台や砲弾の製作をも任せている相手だ。各国の裏情報の入手口であり、代わりに横行する海賊からキュロス商会の船を守っている。スペインやイギリスの列強を歯牙にもかけないカノンが唯一対等に取引をしている相手という訳だ。 


 「今回は大変な美少女づれだとか。故郷の為には貴方でも一応働く訳ですね。」

 「情報が早いな。実の兄から泣きつかれているからな。中々気丈なお姫様で

  いい退屈しのぎにはなりそうだ。」

 「へぇ、貴方が女性を褒めるのは初めて聞きましたね。」

 「女性と言うより、まだ小娘だがな。」

 「でもオスマンのスルタンが動いていますよ。聖王国の神秘の血の噂を耳にした

  ようですね。よくある話ですが権力と栄華の次に望むものといえば相場が決ま

  ってますからね。」

 「つまり敵は一つだけではないと言うことか。モテるのも良し悪しという訳

  だな。」


 ドアをノックする音がして、女中が飲み物と箱をトレイに載せて入ってきた。二人の前に其々飲み物を置き、ジノヴィオスの手元にはやや大きめの木の箱もそっと置いて出て行く。


 「そうそう、これを貴方に。」

 「何だ?」


 差し出された箱の中に入っていた冷たく重い物。


 「拳銃か。」

 「ええ、スナップハンスロックと言う形式です。精緻な作りが必要なので

  高価ですが暴発の危険性が極めて少ないです。イングランドや北方の方で

  普及し始めているようですね。まあお試しに、貴方の所のアルジュナの

  所見も伺いたいので使ってみてください。」

 「フン、あまり好みではないが海戦同様、陸戦もこういうものがじきに主流に

  なっていくのは間違いないだろうな。まぁ機会があれば使ってみよう。」

 「ちゃんと持っていてくださいよ。貴方がたのお眼鏡にかなうようなら、先々

  改良しつつ量産するつもりですから。ああ、それとオウロが別室で待ってま

  すよ。彼との商談はもう終わってます。貴方の参謀でドラコーンじゃなかっ

  たら私の片腕にぜひとも欲しい所なんだけどなぁ。あののんびりしていて

  陽気な雰囲気も好きだし。僕に譲ってくれませんか?」

 「何が〝僕”だ。年下を強調しても無駄だ。それにオウロは物じゃない。」

 「言ってみただけですよ。」


 クスクスとジノヴィオス・・・ジノが楽し気に笑う。こういうじゃれ合いが出来る相手はカノン以外、数える程もいない。カノンにとってもジノは取引相手としては無論、人間的にも闇商人の顔を持つ一方で何処か美学のような物を持つ点を気に入っている。互いに自分が認めた人間しか本気で相手にしないと言う点では似た者同士なのだろう。


 「頭、あっちこっちにアルジェ臭いのがいますぜ。お姫さん狙いでしょうね。」

 「ダモンの所に預けてあるが仕方ないな。船に戻るか。」

 「イザークとディオン達が先に向かってます。」

 「上出来だ。」

 「旦那との付き合いは長いですからね。」


 別室にいたオウロと合流してキュロス邸をでる。まだ俺は風呂にも入っちゃいないのだが、仕方あるまいと内心で僅かに溜息を吐く。角々で不快な気配を捉えつつオウロを伴ってカノンはダモンの店へと向かった。

 

    🔶=====================🔶

 

 「ディオンとハイサムが先に囮その1になって出て行った。クリスちゃんが

  出た後に二人は出てくれ。」

 「悪いな。お前と飲むのはまた次の機会だな、ダモン。」

 「上物入れて待ってるぜ。」

 「それじゃカノン、私が裏口からそれっぽく出て行くから。」

 「ああ、気をつけてな、クリス。」


 裏口から女物のドレスを着てマントを羽織ったクリストスが出ていく。店の周辺で様子を伺っていた男たちが追いかけていくのを確認すると、カノンはタシアをつれて船へと戻るべく走り出した。


 「ほお、結構足が速いじゃないか。」

 「着替えたお陰で動きやすくなったもの。この服、快適だわ。」

 「それは結構。だが生憎と簡単には船に帰れそうにない。俺から離れるなよ。」


カノンが言い終わらぬうちに行く手の路地から10数人ほどの男たちがバラバラと現れた。浅黒い肌をしたバルバリア海賊たちだ。殺気と敵意を隠そうともせず手に手に剣を持って二人を取り囲む。


 「むさ苦しいアルジェの盗賊どもが。誰にケンカを売っているか解っているのか?」


 不敵な笑みを浮かべてカノンが腰の剣を引き抜いた瞬間、空気が変わる。カノンとタシアの周囲に一種近寄りがたいフィールドが出来たような錯覚に囚われた。奇妙な、だが息苦しくなる重圧感に支配されて男たちがゴクリとつばを飲み込む。数瞬ほどの後、その重圧に耐えかねて一人が切りかかってきた。

 ガツン!と言う重い剣のぶつかる音が響く。柄近くで斬撃を受けた瞬間ニヤリと笑うと瞬間カノンはフッと力を抜いて僅かに後ろに下がる。つっかえ棒が取れたようによろめく相手を柄で後頭部を殴打、そのまま前方に跳躍するように突進して横払いに二人を切り裂く。刀身が長く重めのサーベルはスピードが加わることで一撃で首を落とすことも可能となる。返す手でサイドからの攻撃を叩き落として腹に蹴りを入れ、さらに体の回転力を乗せてその背後から続いて斬りかからんとした男に後ろ回し蹴りを食らわした。さらに着地と同時に左斜め前方へ踏み込んで再び二人まとめて切り払う。血飛沫が飛び一人の男の手首が腕から離れて転がり落ちた。


 「アルジェの海賊、この程度か?ガキに稽古をつけているわけではないぞ。」

 「くっそお!目的はあの小娘だ、あの小娘を捕まえろ!」


 男たちの顔が恐怖に歪む。不利と見て取った数人が少し離れて事態を見守っていたタシアの方へ走る。


 「馬鹿が。」


 再び口角を上げてカノンがニヤリと笑う。タシアめがけて走る数人の前に突如黒い影が空から降るように現れたかと思うと呻き声と石畳に剣が転がり落ちる金属音が響いた。

 ある者は腕を折られ、あるものは脛を抱え込んで苦悶の声を上げている。両端30cm強が鉄で出来た160cmほどの棒を持ったイザークがタシアを背にして立っていた。この棒は真ん中の木製の部分にも表面に薄い板状の金属が張られていて斬撃を防ぐと同時に、突きや軽い殴打だけでも重量とスピードの相乗効果でとんでもない破壊力となる。剣のような刃こぼれも無ければソードブレーカーによる破壊も不可能。イザークの手にあっては瞬殺兵器と同様である。


 「退け、俺は向かってくる奴には容赦しない。」


 深遠な森を思わせる深緑の隻眼が冷たく男たちを見下ろす。男たちの背後ではカノンがさらに4人ほどを切り捨てている。まともに戦える状態のものは既に3、4人ほどしか残っていない。前後を挟み撃ちにされた格好の男たちはとうとうその場から叫び声を上げて退却していく。その後姿を見送るともなく見送って剣を収めようとしたとき、カノンは僅かに目を見開いた。


 「何をしている?」

 「剣を頂くのです。気の毒だけれどこの方にはもう必要ないでしょう?

  貴方がたを雇ったとはいえ、自分でも身を守ることは考えねばなりませんから。」


 タシアがどうやら息耐えたらしい男の指を開いて比較的小振りの剣を取ろうとしているのだった。


 「剣が扱えるのか?持っているだけではただの重りだぞ。」

 「貴方がたには遠く及びませんが、これでも一応身につけてはいます。

  ただ黙って守られているのは性に合いません。」

 「フッ、お姫様としてはかなり面白いな。サーベルは重いから使うのは無理だ。

  船にもっと軽いのがあるから、それを貸してやろう。さっさと帰るぞ。」

 「もう!引っ張らないでください!自分で歩きます!」


 愉快そうな笑みを浮かべるとカノンはタシアの腕を掴んで歩き出す。最初の出会いからそうだったが、とても貴婦人や王女というだけで片付けられない気丈さは充分評価に値する。女神アテナの恵みは神秘の血の力だけではないようだ。いくら双子の兄の依頼で己が故郷と言えども、気に入らなければ船底の船室の奥にでも荷物と一緒に突っ込んでさっさと送り届けるだけにしようと思っていたのだ。

 だが・・・面白くなってきた。新しく作らせた大砲類もちょうど良く仕上がってきた。色々と試すのにお誂え向きに敵も複数。久々に暴れ甲斐がありそうだ、とカノンは笑みを浮かべた。


 「離してったら!」


 相変わらず引きずるように自分の手を引っ張っていくカノンにタシアは抗議の声を上げる。やっぱり海賊は海賊だわ!と内心で悪態をつくが、先ほどの斬り合いが

浮かんで言葉にはしなかった。怖かった・・・。兄の稽古で剣のぶつかり合いは幼い頃から目にしてきたが、実際の斬り合いは初めてだったのだ。でも・・・それ以上にカノンの強さに圧倒されてもいた。男達が剣を振るう光景はネーデルラントでも目にする機会はあったが、あれほどのスピードと正確さは目にした事が無い。あれだけの人数を相手にしながら息も上がっていなければ、その動きは何処か優雅ですらあったのだ。グラウコーピスでは兄のバシレイオス他数人が国随一の使い手だったが、その兄とどちらが強いだろうか?などと思う。

 けれどタシアの腕を掴んだままで大股に歩いていく男にやっぱりカチンときて

タシアはまた抗議の声を上げる。カノンは涼しく無視するばかりだ。

 そんな様子を隻眼に映しながらイザークが二人の後ろを無言でついていった。



 「天下の蒼き龍に海でも陸でもケンカを売ってくるなんて、貴方がたは

  馬鹿ですね。それともよほど目が眩むような報酬の約束でもあるのですか?

  まあ今更報酬など必要ないでしょうけど。」


 暗緑色の瞳に冷ややかな光を浮かべてディオンが引き金を引く。両手の拳銃から放たれた銃弾は大きく振りかぶって切りかかってきた男たちの心臓を正確に射抜いた。その斜め前方でドスッと言う鈍い音が響く。銀色の大振りな刀身が煌くや、ひげを蓄えた男が確実に石畳の上に転がっていく。ディオンが次の発砲に入るより早く、10人ほどの追っ手は伏して動かなくなった。暗青色の瞳をまるで揺るがすことなく、ハイサムは剣を一振りして血糊を飛ばすと鞘に収める。小さく溜息をつくとディオンはやれやれと言う風情で身につけていたドレスを脱ぎ捨てた。


 「全くダモンはすぐに面白がって私に囮をやらせるんですから。女性は大変

  ですね。こんな窮屈で動きにくい服を着ていなければいけないなんて。」

 「だが、ディオンのお陰で1/3はこちらに引きつけられた。お頭たちの方も

  そろそろ片付けて船に戻っているはずだ。」

 「単純な小国の王権争い、と思いきや思った以上にあのプリンセスは大変な

  立場のようですね。まさかオスマンのスルタンまで狙っているとは。」

 

 そこへドレスの裾を翻したクリストスが駆けてきた。かなり大柄でマントの下のドレスは寸足らずで足首が見えているが、一見すると艶やかな美女そのものだ。


 「そっちも片付いたみたいだね。」

 「クリス。」

 「色々と情勢が目まぐるしく変わる可能性が高い。近々でまた会うことになると

  思うけどカノンによろしく伝えておいてくれ。」

 「わかりました。」

 「今回は君の笛が聞けなくて残念だよ。」

 「また近々会うんでしょう?そのときお聞かせしますよ。」

 「楽しみにしてるよ。」


 キティラでの早々の襲撃を退けたカノンたちは数日後、新たな砲台や弾薬、食料等の補給と取引を完了して出帆した。ここから先は完全にエーゲ海、東にアナトリア半島を望む。つまりオスマン帝国の勢力がより強くなる海域となる。同時にクレタやロードスといった島々が連なる波穏やかな神話の海でもある。航海術の稚拙な古代から島づたいにこまめに寄航・補給が出来たことも長くヨーロッパの交易の中心舞台として機能し続け、しばしば覇権が争われる理由だった。裏返せば、古代から数多くの海賊が横行する略奪と戦いの海でもあったのだ。

 

 「エーゲ海は潮流はともかく、風が穏やか過ぎるのがつまらんな。」


 黄金の髪をなびかせてテオドロスが前方に視線を向けて呟く。


 「ふん、争乱の風には不自由しない。それで文句はなかろうが。」

 「まあな。アイドーネウスには黒の双頭と呼ばれる桁外れに強い奴が

  いるらしい。そいつらが出てくると楽しいのだがな。」

 「嫌でも出てくるようになるだろうよ。」

 「だな。」


 テオドロスのサファイアの瞳に例の獰猛な光が煌くのを認めてカノンもまたうっすらと口元に笑いを浮かべた。前方にクレタ島の巨大な島影が見える。船首近くで絹糸の髪を風に泳がせてタシアがやはり前方をじっと見据えている。船は穏やかに波の上を滑っていった。 

  

   🔶=====================🔶 

       


 「じゃあタラサはほとんど生まれた時から船の上なのですね。」

 「はい。マストの綱と船員たちが遊び相手でした。」

 「本当に人魚姫かと思うくらい泳ぎが上手なのもそのせいね。羨ましいくらい。」

 「私なんて。カノン様は凪いだ海なら2海里ぐらいは平気で泳がれます。」

 「まあ、海賊王は魚の親戚なのね。」


 旗艦タラサドラコーンのキッチン。食事の用意をするタラサをタシアは手伝っている。小国とは言え流石に王女の身分では家事経験は皆無で基本的には役には立たないから、もっぱらタマネギやジャガイモの皮むきである。ジャガイモはコロンブスの新大陸発見と共にヨーロッパ世界にもたらされ、それまでは毎年飢餓者が出る

のが当たり前のようだった当時の食料事情を画期的に向上させた。ゴロンとした泥の塊のような見かけなのに結構美味しいことにタシアは最初随分驚かされた。けれど今はカノンの泳力の方に素直に驚くと共に、その不敵な人を見下したかのような顔を思い出して俄かに不機嫌に見舞われていた。。ちなみに1海里は1852mである。


 『確かに雇い主で丁重にもてなすとは言ったが、船の上では無駄な役立たずは

  いらん。料理も出来んようでは只の生意気な小娘だ。雑用でも出来ることは

  やるんだな。この船の上では俺が絶対だ。』


 蒼い双眸で殊更に上から目線で見下ろしてきた男の顔が浮かんで思わずタマネギの皮をクシャㇼと握りこんだ。暴君!ならず者!俺様!大嫌い!馬に蹴られればいいんだわ!と内心で思いっきり悪態をつくが、ひとしきり罵ってみてから自分で赤面する。口に出していないとはいえおよそ一国の王女の言動ではない。それに海上には馬なんかいないからあの俺様な海賊提督を蹴り飛ばすには自分でやるしかなさそうだ。

 船と同じ名を持つタラサは蒼き龍の艦隊で一番の高齢者の孫娘だ。両親が彼女が

生まれてすぐに亡くなってしまったため船の上で祖父に育てられた。タラサドラコーン艦の全胃袋を掌握するマスコットガールだが艦でも一、二の泳ぎの名人でもある。タラサとはギリシャ語で海の意であり、祖父が海の加護を願って、また家でもある船の名からつけた物だ。


 「私も泳げれば少しスッキリするかしら?もう何日もお風呂に入って

  いないわ。」

 「船の生活では真水は命ですから。でも今日は雨が降るから、お頭に

  言えばお風呂に入れると思いますよ。あ、ほら、雨雲の下に入った

  みたいです。」


 キッチンの小さな窓の外を見ると暗い雲が広がっていて雨粒がポツリポツリと、やがてすぐに本降りの雨に変わった。


 「カノンにお風呂をお願いしてくるわ!甲板にいるわよね。」

 「え、あのでも今は・・・」


 反射的に立ち上がるとタシアは何か言いかけたタラサには気付きもせずに甲板へと走りだしていった。ジャガイモと包丁を持ったまま呆気にとられたタラサが呟く。


 「でも今甲板に出たら、きっと大変な事になっているはず・・・・。

  大丈夫かしら?」



 海上生活では真水は命そのものだ。補給の為に寄港や停泊で碇を下ろさない限り船上で風呂に入る事など数える程もない。だから嵐は頂けないが、ちょっとした雨雲の下での通り雨などは船乗りたちにとっては恵みの雨そのものだ。飲料水の補給は勿論だが、こぞって甲板に上がってきて何をするか?答えは一つ。素っ裸になってのシャワーと大洗濯大会だ。甲板は一瞬でヌーディストビーチも真っ青のむくつけき男たちの裸体オンパレードとなるのだ。


 「カノン!雨が降っているのならお風呂に入っても・・・・・・・。」


 勢いよく甲板に駆け上がってきて叫んだ言葉をタシアは中途で失って立ち尽くした。眼前の光景に完全に硬直してしまう。何?これは何なの?私は今何処にいるの?


 「何だ、わざわざ見物に来たのか?見たければ俺たちは一向に構わんが。」


 蒼銀色の長い髪もすっかり濡れて裸の上半身に張り付いているカノンがタシアに気付いて近寄ってきた。ズボンはまだ身につけている。見たくもないのだが固まってしまって動けない視界に降りしきる雨の中、すっかり素っ裸になっているテオドロスやハイサム他ドラコーンたちの姿もあるから、カノンも脱ぐ直前だったのだろう。

 見事なまでに無駄なく鍛え上げられた胸板がタシアの眼前にある。雨のなかで紫の光を帯びた蒼い双眸がヒョイとタシアの顔を覗き込んだ。濡れた前髪が普段よりも長くその瞳にかかっていて、端正な顔が至近距離になる。そう、普段はその不敵な眼差しに目が行ってしまいがちだが、この男は実はひどく整った顔立ちをしていたのだと、殆ど思考停止しかけている頭の隅でぼんやりと思う。


 「何をしげしげ眺めてるんだ、王女様?それとも折角だからお前も素っ裸

  なって雨を浴びるか?爽快だし、野郎どもは大喜びするから遠慮はいらん

  ぞ。」


 ニヤリと如何にも小馬鹿にしたような意地の悪い顔で笑うと、耳元に顔を寄せてきてカノンが低く囁いた。


 「なっ・・・・なっ・・・・!」


 吐息がかかってゾクリと一瞬痺れが走る。男がまた意地の悪い笑みでタシアの顔を見つめている。心臓が文字通り飛び出すのではと思う程鼓動が早まり、顔から耳たぶまで瞬間的に熱くなった。真っ赤になっているのが自分でもわかる。


 「そんな事する訳ないでしょう!最低!馬鹿!野蛮人!大嫌い!」


 何が何だか分からぬ間に大声で叫んで一目散に踵を返して駆け出した。


 「あーあー、旦那、なに大人げない事やってるんですか?お姫様真っ赤っ赤

  でしたぜ。」

 「王女様にはこの光景は刺激どころじゃないだろうが、いきなり現れたのには

  こっちもちょっと驚いたぞ。」


 雨に打たれながらさも楽しそうに笑うカノンにオウロが声をかけた。すっかり素っ裸で金髪を全身に貼りつかせたテオドロスが暢気に体を洗いながら笑う。 


 「反応がいちいち面白いから、つい揶揄いたくなる。王女様は風呂に

  入りたくて仕方がないらしいな。いい具合に雨が降っている。オウロ、

  あとでタラサと王女様に風呂を入れてやれ。」

 「了解です。旦那も解かってて揶揄うんだから本当お人が悪いですぜ。」


 オウロが自分も麻布で体をこすりながら首をすくめて見せた。



 「もう本当に野蛮だわ!信じられない!」

 「雨の日はいつもああなんですよ。こんな時でないと思う存分水を浴びたり

  なんて出来ないですから。」


 茹蛸のようになって駆け戻ってきたタシアをタラサが苦笑交じりに宥めている。

止める間もなく飛び出してしまった彼女が何を見たかはタラサには勿論解かっている。驚くほど気丈で好奇心旺盛な王女様。自分が抱いていたプリンセスのイメージとはかなり違うが、やはりこういう所はお姫様だなと思う。それにずっと彼らと一緒に暮らしてきたタラサだって今の甲板の光景は正直見たくはない。タシアに大いに共感と共に同情した。


 本当に性質が悪いわ。海賊なんだから、貴族でも貴公子でもないんだから、

 当然だけど。


 まだバクバクと苦しいくらい早い鼓動にタシアは内心でひたすら愚痴っていた。

顔が、耳が、熱いままで一向に冷めない・・・。低くて艶のある声がまだ耳元を吐息と共にかすめているような気がする。日焼けした胸板や広い背中が頭の中から離れてくれないのだ。ネーデルラントに行く前は兄のバシレイオスも良く剣や武術の修練の後は、上半身を脱いでしまって温泉に行くのを何度も見た記憶があるのに・・・。

 兄はどうしているだろうか・・・。船に乗ってからは情報も入手しようがないから心配だ。武技にも知性にも優れていたから、きっと無事でいるはずだとは思うのだが。

 兄の事を思いだして、少し落ち着いたのかタシアは、ほぉと息を吐きだした。兄のバシレイオス、その兄の親友でもある宰相のエリアスは二人ともが謀反が起こった直後から行方が知れないままだ。恐らくは潜伏して反撃の機会と計画を練っているのに違いないのだが、やはり心配だ。タシアとバシレイオス、エリアスは幼馴染で小さな頃は何時も一緒だった。明るくて屈託ない、王子とは思えないやんちゃ坊主の兄と天使のように優しいエリアス。小さな王国の小さな王家では代々の重臣であるエリアスの家とは親しく、子供同士は主従関係なく兄弟のように育ったのだ。野苺狩りや川遊び、花畑での駆けっこ。宮城の庭では飽き足らず、森や野を駆けまわって日が暮れるまで四人で遊びまわった。一日のうちには王族としての学習の時間もちゃんと決められていたのだが、如何にして学習係を出し抜いて脱走するか、なんてことで知恵を絞って父王からもよく怒られたものだ。

 

 「・・・・・・?」


 ふとタシアは動きを止めた。鼓動も熱もすっかり収まったようだと思いホッとする反面、ふと記憶に引っかかるものがある事に気付く。

 四人・・・・そう四人だ。もう一人いたような気がする。バシレイオスやエリアスといつも一緒の、もう一人。小さくて歩いていても遅れがちだったタシアの手を黙ってつないでくれたり、時には背中におんぶしてくれたりもした少年がいたはずなのだが・・・。従者の子供、それともエリアスのお付きか何かだったろうか。何故だか顔が浮かばない誰か・・・。つないだ手や背中が幼いタシアにとっては暖かくて、とても広かった。そう、大好きだったはずなのに・・・。


 エーゲ海に入ってからは平和な日が続いていた。何度か小規模な艦隊戦を交えたが接舷戦闘に至るまでもなく、蒼き龍の相手にはならなかった。船の性能、火力、砲手や操船のレベルが圧倒的に違うから砲撃だけで相手を沈めてしまえるのだ。もちろん航行不能なまでに追い込んだら、切り込んでお宝があれば頂いてしまう訳だが・・・。技術や戦力で言えば海賊と言うよりれっきとした軍事艦隊そのものと言ってよかった。それも当時の地中海がガレー船での接舷戦闘を主体としていた事を考えると帆船を主体とするそれは、時代を10年以上は先行する型破りなスタイルでもあったからだ。しかも数が多い。総数20をこえるそれは当時のスペインの正規艦隊より幾分少ない程度なのだ。

 海賊たちは矢張り野蛮で船は汗臭かったが、彼らは案外気のいい者たちばかりだった。タシアは海賊王であり艦長であるカノンの客人としてそれなりに丁重に扱われていた。どちらかと言えばカノンだけがタシアに厳しいと言っても良かった。いや、厳しいと言うのは適切ではない。時折王女とかお姫様と呼ぶ割にタシアをやたらと小娘扱いしてからかうのだ。キティラを出てからの10日ほどの間にすっかりそれはタラサドラコーン艦の新しい名物となっていた。腹を立てて野蛮人!大嫌い!と泣く子も黙る海賊王へ真っ向から悪態をつく小柄な王女の姿に船員たちは陽気に笑い、オウロやタラサがタシアを宥めると言うのがお決まりだ。好奇心旺盛で生来怜悧な性質であるから、ハイサムやオウロに艦の仕組みや航行術などを学べば理解も早い。日課としてイザークに剣の指導も受ける。小柄ゆえの非力さはともかく、王女と言う身分にしてはタシアの剣の腕は海賊たちにも意外な驚きを与える程度のレベルだった事も、荒っぽい男たちに好意を持って受け入れられた。船と海賊たちにすんなりと馴染んでいったのだ。

 ネーデルラントやイングランドでは小国とは言え侮られないように降るまい、社交界の陰湿なやり取りや駆け引き、表面上は華やかだが世辞と下心ばかりの言葉の応酬に正直辟易していたタシアにとってはむしろ精神的には居心地が良い場所でもあった。海賊船の上の生活は不満は多々あれど悪くはなかったという訳だ。



      🔶=====================🔶




 「どうやらタシアはカノンと共に無事こちらへ向かっているようだね。」

 「ああ。ダモンからの報告では刺客を叩きながらの航行になるから時間は

  少々かかるだろうということだ。カノンはこちらへ到着するまでに徹底的に

  敵を叩いて本体を引きずりだすつもりらしい。」

 「カノンらしいな。」

 「王女を連れているのだから安全にと伝えたのに、あの愚弟は・・・・!」


 グラウコーピスにほど近い島のとある町。粗末な宿屋の一室で長身の男二人が語らっている。一人はやや暗めの金茶色の瞳と髪に陽だまりの如き暖かな空気を纏った青年。一人は暗めの蒼銀色の髪と瞳に端正な顔立ちが大天使を思わせる青年。そしてその貌は発散する雰囲気や瞳が放つ光の強さが真反対である事を除けばカノンと瓜二つである。髪と瞳の色合いが僅かにカノンより暗いだけで寸分違わない造作と言っていい。但し印象があまりにも違うから一見しただけでは双子とは思う人間は少ないだろう。金茶色の方がグラウコーピス王子バシレイオス、タシアの兄である。溜息を吐いている暗い蒼銀色の髪と瞳の青年の方が宰相エリアスだ。二人、正確にはエリアスとカノンとバシレイオスの三人は生まれた時からの幼馴染であり親友だ。


 「はは、そう怒るなエリアス。グラウコーピス内を内乱や戦場にしなくてすむし

  何より名だたる蒼き龍だ。敵が業を煮やして双頭の一人でも送り込んでくるの

  を仕留められれば陰謀の尻尾をつかめる。捕まえられなくても充分な脅威を与

  えられる。私がカノンの立場でも同じ事をすると思うよ。」

 「しかし戦場の真っ只中のようなものだ。アナスタシア様に何もなければよい

  が。」


 エリアスが苦りきった表情をするのでバシレイオスは苦笑する。双子の弟を信用してタシアを任せたはずなのに、こうやってあれこれいらぬ心配をする。そのうち剥げるのではないかとこちらもいらぬ心配をしたくなるというものだ。


 「それにしても海賊船かあ。いいなあタシアは楽しそうだなあ。私も一度

  のってみたいものだなあ。」

 「何を言ってるんだ。一国の王子が海賊船にのるなどと!」

 「エーだって面白そうじゃないか。王子なんて身分じゃなかったら私も

  カノンと一緒に暴れまわるんだがなぁ。」


 一応逃亡潜伏中の身の上なのだが、バシレイオスには緊張感の欠片もない。しきりに妹姫を羨ましがるのは能天気なのか豪胆なのかエリアスには本気で判断しかねるから溜息しか出てこない。大体において潜伏しているこの島は今回の謀反の黒幕、アイドーネウスからもかなり近い位置にある島なのだ。


 「平気平気、灯台下暗しだ。それに私はお前と父上が国政を仕切っているから

  公の場には殆ど顔を出していないだろう?お陰でこの辺りまで商人のボンクラ

  息子の振りしてちょくちょく顔を出してたから怪しむ者もいないんだ。」


 国政に参加しろよ、王子なんだから!!眉間に深く皺を寄せてエリアスはぐっとその叫びを心中に押さえ込んだ。どうしてこの男はこういつもヘラヘラしているんだ。決して無能ではない。無能どころか、武技も学問も判断力や統率力においても、贔屓目抜きで地中海どころかヨーロッパ屈指の優れた男のはずなのだ。宰相として名だたる列強の王や将軍たちを見る機会の多いエリアスをしてバシレイオスは飛びぬけている。あのレパントの海戦でオスマン軍を打ち破った英雄、ドン・ファン・デ・アウステリアをも凌駕するのではないかと思う。

 だが・・・なぜかこの男は国政はエリアスと父王に丸投げで国内や周辺諸国を商人の息子の格好で遊び歩いてばかりいるのだ。


 「ああ、そうだエリアス、お前の方が父上と共に広く国外にも顔が知れ渡って

  いるからこの部屋から出るのは禁止だぞ。グラウコーピスの大天使は有名だ

  からな。」

 「解っている。幽閉されている国王陛下のことを思えば、部屋の中で過ごすなど

  どうと言うことはない。むしろ陛下が心配だ。地下牢に閉じ込められている

  と言う情報だ。お体に障りなどなければいいが。」


 テーブルの上のイチジクに手を伸ばしながらエリアスは一層眉間の皺を深くした。二人は丁度昼食の時間なのだ。憂いに満ちた表情はなるほど大天使の名にふさわしく、一見しただけだとカノンとあまりにも雰囲気も表情も与える印象も違うから双子だと思う人はやはり稀であろう。


 「大丈夫さ。あの異常に元気な親父が地下牢くらいで弱るもんか。きっと

  ラビス辺りが見舞いにいって“この虚けが!”とか言って怒鳴られてる

  のが落ちだ。年をとったとは言え、れっきとした聖騎士の一人だったん

  だから。」


 タシアとバシレイオスの父、現王アルセニオスは先代女王を守る聖騎士であり、先代女王の夫だった。不慮の事故により急逝した女王に代わり国王となった。グラウコーピスは女神アテナの恵み受けし国として基本的には代々女王国だ。女王を守る7人の聖騎士は就任時に女王から血を分け与えられ、常人をはるかに凌駕する力を持つ戦士となるのだという。聖騎士の証である黄金の装飾を施された甲冑を纏って闘う彼らは、女王の血によって確かに並外れた体力や回復力、持久力をもち五感をはじめとした身体能力も飛躍的に上がる。だが決して不老不死というわけではなく、回復不能な重傷を負えば死ぬし、常人よりは幾分緩やかとはいえ年もとっていく。不死の霊薬でもなければ死者を生き返らすことも出来ない。もし死の淵に瀕した者に血を与えたとしても、その者の生命力が既に尽きているのだとしたら、やはり助からない。

 周辺諸国で信じられているような万能の奇跡の薬ではないのだ。代々の宮廷医師に言わせると、女王の血には人間が本来持っている能力を活性化させ引き出す作用があるのだろう、ということだった。ちなみにラビスというのはアルセニオスの

直弟子であり、この師弟は戦士であると同時に甲冑や武器類の優れた製作者でもある。聖王国に仕える臣下は総じて優れた戦士であると同時に何らかの専門的な技能や能力を持つことも大きな特徴だ。元々は戦女神であり技芸や技術を司るアテナの加護の島であったからだろう。。


 「だがカノンがこちらに帰ってくるまでには俺たちも反撃の手はずを整えね

  ばな。」

 「無論だ。その為にレヴァインも謀反人に加担した振りをしてくれている。」


 バシレイオスがカップのワインを飲み干してから窓の外へと視線を向ける。


 「カノンとタシア、お互いのこと思い出すといいんだがなあ。意地悪されて泣く

  癖に、兄の俺が嫉妬するほど何故かタシアはカノンに懐いてたんだが・・。」

 「当時アナスタシア様は3歳だ。私たちもまだ少年だった。カノンは体力面

  でのショックも負担も大きかったからな。想いだすかどうかは、それこそ

  神の御心次第だろう。」


 バシレイオスの呟きにエリアスが眼差しをやや伏せて答える。


「さあて、ロードスにも手紙を送ったし、色々準備にかかるとするか。」


 バシレイオスは立ち上がると、大きく伸びをした。


  

      🔶=====================🔶


 「何の旗も上げていないが、クサいな。」


 望遠鏡をのぞいていたテオドロスが呟いた。白く波に洗われた岸壁の上、海風を受けて奇妙に捻じれた風情の木の一枝に腰かけている。


 「ああ、艦列が妙に揃い過ぎている上にアルジェの海賊にしては数が多すぎる。

  艦もでかい。オスマンの連中の可能性大だな。」

 「あの色ボケした馬鹿スルタンの海軍が動きだしたという訳か。」

 「偉大な祖父さんが残してくれた権力と栄華がオヤジも死んで転がり込ん

  できた。次は不老不死の霊薬を、と言う事らしい。しかも純潔の王女様だ。

  頭の軽い愚帝が如何にも喜びそうだろう?」

 

その木の下で幹に持たれて立っているカノンが答える。


 「確かにハーレムで色ボケした馬鹿の考えそうなことだな。」

 「だが、実際に政務をとる宰相たちとオスマン海軍自体はそこそこのものだ。

  それにアイドーネウスがどうやら奴らと通じているようだな。ジノからの

  情報だ。」

 「悪役同士、手を組んで一気に潰しにきたというところか?まあ俺たちが

  正義の味方ってのも奇妙だが。」

 「チンケな海賊どもでは埒があかないとようやく理解したらしい。それに

  あの生意気な王女様を殺すのではなく、オスマンに高値で売り付けようと

  いう所だろう。直系の血は王か王子のバシレイオスがいれば保てるし、

  アイドーネウスとしては途絶えてしまったところで公然と併合できるように

  なって好都合なんだろうよ。」

  

 蒼き龍の艦隊はエーゲ海の東寄り、とある小さな無人島の島陰に停泊していた。数日前に襲ってきた嵐を避けて入り組んだ島の岸壁に抉れるようにできた巨大な洞穴へ避難していたのだ。

 強大にして偉大な名君と称えられ、オスマン帝国を絶頂へと導いた第10代スレイマン大帝から時代を下った1580年代当時は、スレイマン大帝の孫、ムラト3世の治世である。このスルタンは一言で言えば典型的な愚帝、暗君だった。政治・対外政策においては祖父の代からの名宰相たちに支えられ自身はひたすらハーレムで遊興に耽っていた事が記録されている。


 「お頭、補修全部完了したみたいだぜ!水と果物も補給できたし、アルジュナ

  たちが魚もごっそり釣り上げたみたいだから今日はご馳走かな。」


 岸壁の上にいるカノンとテオドロスの所へニコが駆け上がってきた。そしてヒョイとテオドロスの横に登って海上に視線を投げる。


 「何あいつら、ひょっとして俺たちを探してるのか?」

 「どうもそうらしいな。今回は本命っぽいぞ。」

 「へえ、じゃ久々に戦闘らしい戦闘になるかな?」


 ニコが嬉しそうな笑顔を見せる。まるで前から欲しかったオモチャを貰った子供の顔だ。


 「ああ、砲台も武器もしっかり手入れしておけよ。今晩は盛大に喰って飲んで

  おけ。皆にも伝えるんだ。おそらく明日がグラウコーピスへ向かう為のメイ

  ンイベントだ。」

 「イエッサー。」


 カノンの指示にニコが岸壁を猿のようにかけ降りて行った。


 「双頭のどちらかにでもお目にかかれるかもしれんな。どうもムズムズする。」

 

 テオドロスも木から降りてきた。


 「俺もだ。明日は久しぶりに熱くなれるだろう。ハイサムたちも順調なようだ。

  グラウコーピスで合流になるだろうな。」

 「楽しみだな、今のところ世界最速らしいじゃないか。積んでいるのも今回の

  改良型砲台なんだろう?」

 「ああ、微弱な風でも充分に生かして尚且つ足も速い。今の帆船としては速さ

  と操船の両方を可能にするギリギリの接点で作ってある。砲撃の距離の延長

  と軽量化もかなりクリアできた。海戦のやり方そのものを俺たちが変えて

  やれる船だ。」

 「海戦の方法を変えるか・・・・楽しみだな。」


 ハイサムはキティラ出帆の際に数艦を率いて別行動をしている。かねてから建造を進めていた新造船を率いてくるのだ。もう何年も前から速度と機動性、そして外洋への遠距離航海に耐えうる戦闘艦としての改良や工夫を加えた船をジノに依頼して進めてきた。海賊行為やキュロス商会の商船の護衛で得た利益の殆どはこうした船や武器にまた投資しているのだ。


 「お姫様はどうする?舟底にでも放りこんでおいた方が良くないか?彼女のいる

  こっちの旗艦目がけて当然殺到してくるだろうが。」

 「だな・・・。イザークでもつけて別の艦にでも突っ込んでおく方がいいかも

  しれんが・・・・言う事は聞かんだろうな。」


 テオドロスの言葉にカノンが苦い顔をする。


 「女神アテナの恵みというのは真実かもしれんな。普通なら女など戦闘時に

  いたら足手まといの何物でもないが、あのお姫さんがチラッとでも甲板に

  出てきた途端、野郎どもの士気が異常に上がるからな。」

 「ああ確かにな。本人も良く心得ているから邪魔になるような馬鹿はやらんが。

  それにしても俺にはいちいち突っかかるくせにイザークやオウロのいうこと

  は大人しく聞くのはどう言う訳だなんだ。」

 「不満そうだな。お前がやたらとからかうのが悪いんだろうが。日頃の行いって

  奴だろうよ。イザークはお前と違っていらん事を言わないから紳士に見えな

  い事はないぞ。」


 テオドロスがカラカラと笑った。潮風に豪奢な金髪が踊る。タシアが乗船して以来、気丈な王女とどうにも俺様な大海賊とのやりとりを一番楽しんでいる一人がテオドロスだ。補給の為に寄航してもカノンとテオドロスはひたすら飲んで騒ぐだけで女を買いに行くことは皆無に近い。白粉や香水に包まれた女よりも、潮風の中に混じる血や火薬の匂い、剣と剣がぶつかり合う戦いの喧騒の方がはるかに胸を躍らせ血を熱くするから興味がわかないのだ。頭の悪い商売女相手より新しい艦隊戦の戦略や武器の改良点について語らうほうが面白い。今は地中海を猟場としているが、そろそろ新大陸にでも向かう方が面白いだろうということでジノとキュロス商会に依頼してもう何年も前から新造船を増やしてきている。ある意味、常に新しい玩具と遊び場を求める永遠の悪童こそがこの二人の本質に近いのかもしれない。


 「嫌・で・す。何の役にも立たないのは解かっています。けれど雇ったとは言え

  臣下でもない貴方がただけ闘わせて安全な場所にいるわけにはいきません。

  この艦にいます。船室から出るなというのならそうします。」


 結局この夜、タシアはカノンの言葉を断固拒絶、戦闘が始まったらタラサと共に下の船室から出ないと言う約束となる。念のためにイザークを旗艦に乗船させ、普段は旗艦にカノンと共に乗り込んでいるテオドロスが別艦で指揮を取るということで収まったのだった。自分だけが安全な場所に身を置くことをタシアは好まなかったのだ。それに万一戦局が絶望的になった時、自分の身を対価とすればこの汗臭い陽気な海賊たちを多少なりとも守ることが出来るかもしれないと思う。戦場、ましてや海上の艦隊戦においてそれは極めて甘い考えだとは百も承知ではあったが。

 海賊たちがタシアを気に入ったようにタシアもまた、この汗臭く野蛮だが、裏表のない海の男たちを信頼し大切に思い始めていたのだ。



     🔶=====================🔶



 「やれやれ、まさか我々双頭が二人して乗り込むことになるとは

  思いませんでしたね。」


 優美だが、一種形容しがたい氷の人形めいた空気を持つ男がワインのグラスを手に微笑した。精巧な彫刻を思わせる容姿は筋骨隆々としているわけではないが均整が取れており、長く黒い前髪に瞳が隠されていても優美で端正な面立ちであることが伺える。


 「いいではないか。まさかオスマンの船に乗るとは予想外だが地中海に鳴り

  響く海賊、遊び相手としては申し分ない。」


 隣にいたやはり黒髪の男が答える。やや小柄な印象だが東方の民族の特徴を漂わせる容姿は野生的で肉食獣の獰猛さを思わせる。手には同じくワインのグラスを手にしている。


 「頭目のカノンとか言う男は俺が仕留める。手は出すなよ。」

 「どうぞご自由に、タイタニス。但し我々の目的はあくまで王女の奪取です。

  まあ私としては面倒ですからお亡くなりいただいても一向に構わないの

  ですが。ハーレムに籠りっきりの愚昧なスルタンに差し出されるよりは

  王女ご本人も殺された方が幸せかもしれませんし。」


 タイタニスと呼ばれた男が鈍く昏い黄玉を思わせる瞳に鋭い光を浮かべると、長い黒髪の男が冷ややかな声音で答える。タイタニスは殆ど額で繋がりそうな太い眉毛を顰めた。そうすると暗い褐色の髪と瞳とも相まって一層険しく近寄りがたい空気を醸し出す。一口で言えば武人そのものという印象だ。


 「あの男とは一度真っ向勝負でやってみたかったんだ。海賊だが陸戦でも

  おそらく戦士としては一級品のはずだ。」

 「本当に貴方は勝負がお好きですよね。以前たまたま目にした蒼き龍と

  闘いたいが為に陸戦が専門の貴方がわざわざ船に乗り込むなんて。」

 「だが俺もその気持ちは解かるぞ。手応えのある相手と一戦交えたいと思うのは

  戦士なら当然だ。最近はこれと言う相手もいなかったからな。」


 長い黒髪の男、銀糸の髪のゼノンがやや呆れの混じった口調で呟くと、もう一人の短い黒髪のアクタイオンが手にしたワインのグラスを一気に開けて続いた。

 この二人こそが黒の双頭、と近隣諸国から恐怖と共に呼ばれる男たちだ。アイドーネウス国軍における海の司令官である。公の場では黒い甲冑や衣装を纏い、携える剣も黒で装飾を施されている上に二人ともが漆黒を思わせる黒髪の持ち主である事からそう呼ばれる。

 非公式での取引としてオスマンと手を組んだアイドーネウスは一向に埒のあかない王女アナスタシアの捕獲、蒼き龍の艦隊との戦いについに業を煮やしたのだった。オスマンから派遣された海軍だが、あくまで国籍不明の海賊船を装って現在こうして航行している。オスマンの宰相たちはこの当時、他国への進撃に消極的だった。イランとの戦闘は行われていたもののオスマン帝国自体は軍事国家から官僚国家へと移行している時期で大規模な軍事行動は好まなかったのだ。

 アイドーネウスとしても不可侵の聖王国への攻撃を公然と行って周辺諸国、なによりカトリック国である大スペインの不興を買う愚は避けたい。ましてや聖王国の象徴ともいえる次期女王を拉致してオスマンのスルタンのハーレムに差し出そうとしている事を知られる訳にはいかないから、僅かな直属の配下を連れて非公式の形で乗り込んでいるのだった。


 「どうやら目標を補足したようですよ。」


 一人の乗組員が船室へ報告に現れた。タイタニスが眼光を鋭く光らせて剣を手に立ちあがった。見上げる長身は見事に鍛え上げられている。寡黙だが黙って立っている姿には静かな、だが圧倒的な迫力が漂っている。手にしているのはずっしりと重く分厚いバスタードソード。アイドーネウス軍において陸戦を統べる最高司令官であり、時にゼノンとアクタイオンと合わせて漆黒の三柱とも呼ばれる武人だ。当時のガレー船主体の戦闘では接舷後は彼ら陸戦の戦士たちが敵艦に乗り込んで闘うのが普通で、有名なレパントの海戦で大勝利したスペインのドンファン・デ・アウステリアも本来陸戦の将だった。先程から一滴のワインも口にしていない男は地中海最強の名を頂く海賊王との一騎打ちの勝負を欲してこの船に乗り込んでいるのだ。

 ゼノンとアクタイオンも同様に立ち上がると眩い陽光と潮風踊る甲板へと上がった。海上に艦首を明らかにこちらへ向けて迫ってくる一団を確認する。

 

 「蒼き龍・・・早く来るがいい。」


 タイタニスが低く唸った。眼光に静かに燃焼を始めた闘気を見て取ってゼノンが僅かに首をすくめる。


 「噂には聞いていましたが、殆どがガレオン船とは。この地中海の、

  さらにエーゲ海で随分常識破りですね。それだけの技術なり力が

  あると言う事なのですね。」

 「なに、こちらのガレーとて武装はかなりの物だ。何といっても漕ぎ手も

  余るほど載せている。この風の弱いエーゲ海で帆船なぞ亀のような物だ。

  すぐに切り込んで乗っ取ってやろう。」

 「頼もしい事ですが、油断は禁物ですよ、アクタイオン。」


 ゼノンが冷笑を浮かべる。


 「全艦、攻撃準備、各自配置へ。敵は前方蒼き龍の海賊。船足を上げて

  一気に囲みますよ。」


 一方旗艦タラサドラコーン上でもカノンが前方に視線を向けて、いつもの不敵な光をその蒼い双眸に浮かべていた。


 「フン、デカいガレーが多いな。砲台の数も相当なものだろう。アルジェの

  ハイレッディンをてなずけて以来のオスマン自慢の海軍力というわけだ。」

 「向こうは当然機動力にものを言わせて接舷をしかけてくるでしょうね。」


 カノンの背後にイザークも立って同じように前方に視線を向けている。


 「今日はおあつらえ向きに波も穏やかだ。艦首砲台を開いて祭りの始まりの

  合図を打ち込んでやれ。それから旗もあげろ。すぐに見えなくはなるだろ

  うが、折角の楽しい時間だ、賑やかに行くぞ。」


 カノンの指示に船の空気が瞬間に戦闘態勢のそれへと変わる。


 「さあ野郎ども、楽しむぞ!」


 当時、船と船同士の連絡は信号旗と呼ばれる旗で行われた。だがこれは砲撃による硝煙ですぐに見えなくなる事の方が殆どだったと言う。

 カノンの号令に男たちが咆哮を挙げる。船室でその音を聞きながら、タシアも闘いが始まった事を肌身で感じていた。



     🔶=====================🔶




 ドゴォーンという雷鳴にも似た轟音が響いた。ゼノンたちが乗る艦の前方、艦首に砲弾を喰らってグラリと揺らいだ艦が見える。立て続けにまた轟音が響く。次は壊れた艦首を突き抜けて船首楼が木端微塵に砕けた。飛び散る木片が周辺にいた兵を巻き添えにし、マストに叩けつけられて動かなくなった者が幾人も転がる。


 「何ぃ!この距離で砲撃が届くのか?!」

 「飛距離が相当なものですね。しかもここまで正確に当ててくるとは。」


 アクタイオンが驚嘆の声をあげ、ゼノンが感心したように呟く。ゼノンはじっとマストの方を見上げていたが、再び口元に冷笑を浮かべる。


 「漕ぎ手を増加しなさい。今日は風が弱い。この辺りは潮流も穏やかです

  からこちらに分があります。一気に取り囲んで砲弾をお見舞いしてやり

  ましょう。」

 「近づいて大事なマストをまず潰してやるか?」

 「それもいいですが、艦はこちらの方が全て大型です。砲の数では勝って

  いますが油断すると移乗攻撃に移る前に舷側に穴を開けられてしまいま

  すよ、アクタイオン。」

 「どうせオスマンどもの船だ。多少弾除けに潰しても構わんだろう。」

 「あまり大きな声で言うものではありませんよ。その通りではありますが。」


 不穏な会話を交わす二人の横でタイタニスは無言で前方を睨み付けたままだ。ゼノンの指示で漕ぎ手が増えたのだろう。船のスピードが上がる。


 一方、旗艦タラサドラコーンの左翼にいるテオドロスが敵の動きにニヤリと笑いを浮かべる。


 「奴ら案の定スピードを上げてきたな。機動力に自信があるのはお見通しだ。

  そろそろこちらも動くぞ。補助帆を増やせ。縦帆角度調整しろ!」


 ある程度の大きさの帆船には幾つもの種類の帆が張られ、それらはロープで角度や張りが調整される。ガレー船が漕ぎ手の数で機動力が決まるのに対し、帆船では如何に風を読み利用する技術があるかが鍵になる。ガレーがスピードを重視すれば漕ぎ手に人力を割かれるのに対し帆船ではそれはない。だが操帆の技術がお粗末では風の弱い時は文字通り亀のような動きしか出来なくなる可能性があるから、帆の形状や張り方、種類の組み合わせ、そして操帆の技術の高さとタイミングが帆船の足の早さを決定づけるのだ。

 テオドロスの指揮する左翼が動いた。敵の進行方向を遮るような形で斜めに縦列で動いていくから、敵からはやや遠ざかっていくように見える。


 「アルジュナ、棒火矢だったか?お見舞いしてやれ、届くんだろう?」

 「命中精度も破壊力も低いですが。」

 「あれだけデカい船だ、何処かには当たるだろう。帆に当たって火でも付けば

  大騒ぎだ。その間に砲撃をお見舞いしてやる。」

 「了解です。」


 アルジュナが大口径の砲筒、今で言う所のランチャーのような物を抱える。導火線に火をつける所謂火縄銃の大きいものだ。ガレー船中心の戦闘では基本、敵に対し艦首を向け横に並んだ形で布陣する。相手も同じように並んでいるのが普通でそのまま突っ込んで艦首で突撃、オールを折り、或いは相手の艦首を破壊してそこから乗り込むというのが最もスタンダードなガレー船での戦闘だ。故にガレー船の方がガレオン船より艦首砲の数も多い。艦首砲も舷側砲も当時の大砲の性能ではかなり近くないと届かない上に、ただの鉛球の重量とスピードによる衝撃で破壊するものであったから、砲撃戦も接舷の為の露払い程度。砲撃だけで相手艦を沈める事は

ほぼなかったらしい。故に戦闘開始寸前の場合は敵味方互いに艦首を向け合っているのが当時としては普通だったのだ。

 ところが今テオドロスたち左翼の動きは相手に対して斜めに舷側を見せるように進んでいく。

 距離にして1km強。当時の艦載砲は射程距離1kmをまだ超えないものだった。当然舷側、つまり砲門が見えていても砲撃されるとは思っていない。

 アルジュナが抱えた砲身から鈍い音が放たれた。細長い砲弾が唸るような音をあげながら敵艦方向へと飛んでいく。


 「何か敵艦から飛んできます!」

 「何だ?!」


 風が穏やかなせいもあり、砲弾は緩やかに飛んで艦の一つ、その甲板上に到達した。パアーンという音が響き、弾が炸裂する。破片が飛び散り爆発で甲板の一部が砕けて木片が辺りに飛び散った。推進力の補助として張られている帆に引火する。不運にも破片を受けて瞬間に負傷、数人ほどが苦痛に悲鳴をあげた。衝撃と恐慌が命中した艦を走り抜け、周囲の艦にも瞬く間に驚愕が広がる。

 同時代、波穏やかな近海や内海での戦闘が殆どだった日本、水上戦と言えば河川での戦闘の割合が高かった中国では船同士が近いため、西洋の海戦とは異なる戦法が盛んに工夫された。薬莢式を採用した連射に優れた軽量砲や、大型手榴弾に相当する投げ焙烙、果ては竹筒で作った砲身に火薬を詰めて水に浮かべる時限式の水上爆弾まであったと言う。アルジュナが今打ち込んだのも、火薬の爆発による推進力を利用した原始的なロケット弾のようなものだ。戦国時代が終焉を迎えた慶長の頃の日本で発明された棒火矢と呼ばれるもので記録によれば3㎞程の距離を飛ばすことも出来たと言う。

 破壊力においては軽微なものだが前述したように西洋の大砲がこの時代、まだ1㎞を超えなかった事を考えると極東の技術の方がかなり進んでいたようである。瀬戸内の村上水軍の兵法書には手動のスクリューを2つも装備した船や、潜水艦のように水面下から接近して攻撃を加える竜宮船なるものまで記録されている。織田信長が九鬼水軍に命じて世界初の鉄板で装甲させた船を作ったのは良く知られるところだ。ちなみに西洋においてスクリューや金属装甲の船が登場するのは19世紀、蒸気機関の発明以降の話である。


 「はっは-!奴ら慌ててるぞ。さあ、次々行くぞ野郎ども、砲撃開始だ!」


 テオドロスが楽しくて仕方ないといった笑みを浮かべて号令を発する。船の動きは早くはないが斜め気味に舷側を敵に向けて砲弾を叩き込んでいく。あるはずの無い遠距離からの攻撃にガレー船の方は浮き足立っていた。搭載数が自慢の大砲もこちらからは届かないのでは反撃のしようがない。


 「慌てるな!帆船にしてはこの風で確かに早いがスピードではこちらが上だ。

  右翼側、距離を詰めて砲撃!中央は並列でこのまま前進、漕ぎ手増やして最大

  速度で進め!狙いは敵旗艦ただひとつだ!」


 アクタイオンの吠えるような怒号が響き渡ると、兵が落ち着きを取り戻した。


 「ガレオン船は総じて艦尾が脆弱です。艦首砲台、並びに左翼側は回頭して

  艦尾を狙いなさい。」


 続いてゼノンの指示によりスピードを上げたガレーからも砲撃が開始された。中

央の旗艦タラサドラコーンに向けてどんどん距離を詰めていく。


 「予想通りだな。全砲門開け、存分に打ち込んでいいぞ!」


 カノンの号令と共に砲門が火を噴いた。テオドロスの左翼に続くように中央艦隊も舷側を見せて航行を始めていた。キティラで積み込んだ新型砲弾が敵艦に当たるたびに小規模な爆発を起こして船を破壊していく。弧を描いて少しづつ進んでいく蒼き龍の艦隊、その龍の喉元に食いつかんとするようにゼノンの指示で猛烈にスピードを上げた艦隊がやはり二重の弧線を緩やかに描きながら進んでいく。距離を詰めてきた前衛艦が蒼き龍たちに向けて砲撃を開始した。巨体のガレーから次々と砲弾が吐きだされていく。


 「艦列を乱すな。砲手、正確に狙え!舷側に当ててオールを破壊してしまえば

  奴らは身動きはとれん!」

 「お頭、右舷より前方急速接近してきます!」

 「全砲斉射!叩き潰せ!右舷のオウロとニコに敵艦後方に回り込むよう指示!」


 急速に巨体で迫ってきたガレーに派手に砲弾が撃ち込まれる。砕け散った木片が海面に飛び散り硝煙が視界に立ち込めはじめる。その煙の中にあってカノンの蒼銀色の髪が鈍い光を放つ。容赦のない砲撃にガレーの巨体が揺らいで傾いた。


 「おい、槍はあるか?それからロープだ、細めの物でいい。」

 「槍・・・ですか?」


 それまで黙って甲板上で前方を見据えていたタイタニスが一人の兵を捕まえて槍を持ってこさせた。槍の端にロープを結わえ付けると、驚くべき身のこなしでマストに駆け上がる。そして上まで登ると大きく体をしならせてその槍を投げた。低く唸りを上げて槍が真っ直ぐに飛んでいく。


 「お頭、目の前です!」

 「チッ、味方を弾除けにして近づいてきたのか。気に入らないやり方だ。」


 大きく傾いたガレーの巨体が海にその身を少しづつ沈めて行く。立ち込める硝煙の中で海面には無数の木片と投げ出された男たちがもがいている。それらを無慈悲に押しのけながら硝煙の中、別のガレー船が至近距離に迫ってきていた。二重の艦列でゼノンは前列艦を文字通り弾除けにして肉薄してきたのだ。


 カノンが舌打ちをした時だった。タン!と言う音がしてマストに槍が突き刺さった。ピン!とロープが一瞬しなって張られる。次いでゴオォッと言う音が聞こえた。


 「蒼き龍!」


 黒い影が過った。

 マストからマストへ、ロープの上を恐るべき速さで空中を黒い影が走り抜ける。


 ギィーンという金属音が艦上に響く。剣と剣とが重い衝撃と共にぶつかりあった。


 「蒼き龍、お前の首、俺が貰い受ける。」

 「あの距離を走り抜けてくるとは中々見事な綱渡りだが、誰だお前は?」


 ギリギリと互いに押し合い至近距離で睨み合う。カノンの蒼い双眸と暗い褐色の色を映した獣めいた双眸とが交差するや、互いに剣を跳ね上げて一瞬で飛び退く。


 「我が名は黒龍のタイタニス。お前と同じ龍の異名を持つ者だ。」

 「黒龍・・・噂に聞くアイドーネウスの陸将か。わざわざこんな海上まで

  お出ましとは俺も中々人気があるという訳だな。」

 「俺の望みは血が沸騰するような強い男と闘う事だ。お前は今までの誰よりも

  俺を滾らせてくれるはずだ。」

 「悪趣味だな。だが強い奴は嫌いではないぞ。」


 再び火花が散るほどの衝撃で剣が交わった。今度は間髪入れずに二合三合と相手の隙を狙って打ち込み合う。互いに攻撃に移る隙を伺い合い、紙一重で唸りを上げる刃を交わすと剣圧だけで服が避け、皮膚がぱっくりと割れて鮮血を滲ませた。


 「本名を教えろ、蒼き龍!俺の敬意を捧げる対戦者としてその名を墓碑に

  刻んでやる!」

 「本名も糞も俺の名はカノン一つだ。折角の申し出だが墓にはお前の名を刻んで

  おくのだな。」

 「言ってくれるわ!」


 広くはない甲板上で俄かに死闘が始まった。


 「頭目!カノン!」

 「ディオン、容赦はいらん!群がってくる艦は全部叩き潰せ!弾は

  たっぷりある!」


 タイタニスの猛攻を弾き返しながら事態に気付いて駆け寄ってきたディオンに指示を出す。艦隊運動はゆっくりとではあるが右翼と左翼でゼノンたちの艦隊を囲み始めているが、当然気付いているから敵の方もその包囲を阻止するべく動きだしている。

 

 「全速力で最前列艦は敵の前方へ!囲まれたら蜂の巣ですよ。」

 「タイタニスは早速始めたようだな。」

 「困った方ですね。司令官としては申し分ないのに、強い相手との勝負となると

  目の色が変わってしまうのですから。」

 「海上では接舷するまで奴の仕事はない。蒼き龍を仕留めてくれれば

  構わんだろう。」


 各艦に指示を出しながらゼノンとアクタイオンが船上で始まった一騎打ちを眺めて会話する。


 「しかしタイタニスは規格外ですね。まだ橋を渡せる距離に足りないと言うのに

  事もあろうに綱渡りで渡ってしまうとは・・・。」

 「まあ目標にした敵しか見てないからな。」


 一方オウロとニコの方は廻りこむのに若干の苦戦をしていた。風上を取っているとは言えその風自体が確かに微弱だから思う様には速度が上がらない。だが普通の帆船ならば身動きが出来ない状況になってもおかしくはないのだ。


 「くっそー!あっちの方、面白い事になってるみたいだ。」

 「まあ敵さんの狙いがお姫様な限り、旦那の船に殺到するのは目に見えてる

  からなぁ。さあ、いい具合の距離になってきたぞ、ニコちゃ~ん。」


 敵艦列の動きを見ながらオウロがニンマリとした笑みを浮かべる。やや遠巻きにしつつ敵艦の背後へ回り込んでいくルートをゆっくりと描きだしはじめている。敵の方も旗艦のタラサドラコーンに気を取られているものの数艦がこちらへと艦列を作って攻撃態勢に入っているらしかった。


 「アルジュナの新砲弾、もう少し威力でないかなぁ。もっと派手に爆発すれば

  玉数少なくて沈められるよな。」

 「そのためには砲身やら全部に改良が必要なんだと。だがハイサムが引き連れて

  くる新しい船はオール改良型だそうだ。」

 「へぇーそれは楽しみだな。」

 「さあ、一丁料理と行きますか、ニコちゃん。」

 「ウース!全砲斉射!目標、右舷斜め前方、ガレー船艦隊。外すなよ!」

 

 ニコとオウロの艦隊からも砲声が上がった。



 死闘が続いていた。それほど広くはない甲板上で二人の男が近づいては離れ、剣と剣をぶつけ合う。硝煙が漂う中、タイタニスの重いバスタードソードとカノンの刀身が厚いサーベルがぶつかり合い、鈍い金属音が立て続けに響く。離れ際に柄で殴りかかれば、交わすその手で相手は刀身で足払いをかけ、また返す手で腹を狙って切り払う。剣と剣がせめぎあう力もスピードも完全に拮抗していた。互いの汗が飛び散り、剣圧が細かな裂傷となって鮮血でシャツを彩っている。


 「面白い!面白いぞカノン!甲冑を纏わぬ俺のスピードに後れを取らなかった

  者はお前が初めてだ!」

 「船の上で陸の軍人がそれだけの動きが出来るとは大したものだ。一応は

  褒めてやるぞ。だが甘い!」


 マストの綱を握るやカノンがその綱を放り投げる。同時にマストに駆け上がるや、綱を咄嗟に避けたタイタニスめがけてマストを蹴り上方から切りかかった。その攻撃を察知していたタイタニスが僅かに後方へ重心をずらすべく動く。


 「しまった!」


グラリ、と重心がぶれて後ろによろける。操帆の為に複雑に張られ、垂らされたロープの端に足を取られたのだ。瞬間的にタイタニスは剣を体の前で盾として防御の体制を取る。襲い来る斬撃の凄まじさを覚悟した時だった。


 銃声が響いた。


 続いて鈍い金属音がして剣が床に転がる。パタパタと鮮血が甲板の上に鮮やかな赤を散らした。低く呻いてカノンが片膝をつく。左肩を抑えた指の間から血が滴り白いシャツが見る間に染まっていった。


 「ゼノン、貴様!手出し無用といったはずだ!」

 「おや、あの斬撃を甘んじて受けるおつもりだったのですか?折角僚友の危機を

  救わんとしたのに、そのように睨まれるのは心外ですね。」


 タラサドラコーン艦、その甲板の縁にゼノンが佇んでいた。手には華麗な装飾を施された銃が握られている。


 「流石に名だたる蒼き龍の艦隊。もう少しというのに接舷させてくれないもの

  ですからタイタニス、あなたの真似をさせていただきました。狙いは王女

  ただ一人、無能なオスマンの兵士たちを連れて切り込んでも足手纏いなだけ

  ですからね。」


 タイタニスが小さく舌打ちをする。体中の血が滾りたつような折角の勝負に水を差されたことに怒っているのだ。そんなことは百も承知、とばかりにゼノンは実に涼しげな様子でカノンに視線を移した。


 「お初にお目にかかります蒼き龍。我が名はゼノン。アテナの恵み受けし

  聖王女、貰い受けに参りました。」

 「双頭の片割れまでがお越しとは勿体無くて笑いが出てくるぞ。


 焼け付くように肩が傷む。だが普段のそれより一層不敵な光をカノンはその双眸に浮かべた。これだ、この感覚だ・・・。全身の血の巡りと共に突き刺してくるような肩の痛みよりも、更に熱く湧き立つ感覚。血の付いた手を己のシャツで拭きとって、足元に転がり落ちた剣を拾い立ち上がる。不利な状況になるほど鋭く、いや増してくる闘争本能に身を委ねると痛みがその主張を控えめな物へと変えていく。傷口から流れる血すら心地よい熱さに変わっていくのだ。


 「悪いが俺は請け負った仕事はきっちりこなす主義だ。あの小生意気な王女を

  お前たちにもオスマンの愚帝にもくれてやる気はない。」


 その眼差しと全身から漂う只ならぬざわめきを伴った空気にタイタニスは満足げな笑みを口の端に浮かべた。これこそ俺が闘いたかった男だという奇妙な喜びに全身を震わせる。ゼノンは眼前の海賊王が放つ気に前髪に隠された眉を僅かに顰めた。


 「貴方ほどの大海賊ならそうでしょうね。それに中々素晴らしい部下を

  お持ちです。この私を随分と手こずらせてくれましたよ。」

 「イザーク!」


 瞬間カノンの表情に衝撃の色が浮かんだ。ゼノンの足の下、甲板上のロープ類の陰になっていたが、血まみれのイザークが転がって踏みつけられていたのだ。武器の棒を持っていないほうの肩がダラリと投げ出されている。腕を折られているのだ。

  

 「さあ、これ以上人死にを出すのはあなたも本意ではないでしょう?

  出てきてご同行願えますか、聖王女。それとも清らかな花のままで

  自決なさいますか?」


 砲撃の応酬は絶え間なく続き、カノンたちがいる艦も発砲の余波と海面の乱れに揺れている。硝煙が立ちこめる中、典雅な詩でも詠みあげるようなゼノンの声が

奇妙に響く。


 「イザークを放しなさい。彼に用はないのでしょう。」

 「出て・・・くるな!」

 「イザーク様!」


 凛とした声が響いた。途端伏していたイザークが叫ぶ。下層甲板へ通じる通路入り口に毅然と顔を上げゼノンを睨みつけてタシアが立っていた。その背後にはタラサが蒼白な顔でイザークの名を呼ぶ。


 「成程、アテナの恵みが真実に思える気丈さと気高さですね。ではどうぞ

  こちらへ、貴女が来られたら彼を解放しましょう。」

 「彼を放すのが先です。」


 握り締めた拳の震えをこらえながらタシアは真っ直ぐゼノンの視線を正面から跳ね返してイザークの解放を要求する。途端カノンの怒号が飛んだ。


 「馬鹿!船室から何があっても出るなといっただろう!」

 「自分だけ隠れているわけにいかないでしょう!私を守っていた為に

  イザークがが殺されそうになっているのですよ!すぐに馬鹿って言わ

  ないで!」

 「馬鹿は馬鹿だろうが!」

 「こんな時まであなた失礼だわ!」


 思わず怒鳴り声を上げたカノンを睨みつけてタシアが応酬する。その怒鳴りあいにカノンに変わって艦隊指揮をしていたディオンが事態に気づいた。


 「頭目!」

 「手を出すなディオン!砲撃の手を緩めるな、完膚なきまで叩き潰せ!」

 「しかし・・・。」

 「お前のなすべきことをしろ!」


銃にかけた手をディオンがギュッと握る。


 「生憎だがこのままだとお前たちは帰る船をなくすことになるぞ。先刻も

  言ったが俺は一度受けた仕事は手を抜かない。王女はあきらめて帰る方が

  身のためだ。」


 シャツを紅く染める鮮血すら船上の装いであるかのように、蒼銀色の髪をした男の双眸に常にも増して鋭くも静かな光が浮かんでいる。


 「そうも行きません。それでは今回我々が出向いた意味が無いのでね。もっとも

  私は面倒ですから王女には死んでいただいても一向に構わないのですよ。」

 「王女、タラサ屈め!」


 言い終わらぬうちにゼノンの手が引き金を引いた。再びの銃声が響き、船尾楼の窓ガラスが甲高い音で砕ける。カノンの声に咄嗟に地面に倒れ込んだタシアとタラサの頭上をすり抜けて弾丸が当たったのだ。この一見優美な黒髪の男は元々時間や手間をかけてタシアを連れ帰りたいわけではないから、すかざず撃鉄を引いて発砲準備にかかる。

 その刹那、イザークが動いた。折れてない方の腕で棒を跳ね上げてゼノンの手首を打つ。拳銃がゼノンの手から弾け飛び、その一瞬の間隙にカノンが跳躍、タシアの前に降り立った。ゼノンの前髪の下の瞳に凶悪な光が宿り、小さく舌打ちの音が聞こえた。


 「おやおや、まだ動けたのですか。ですが邪魔をしたのは許せませんね。」


 肩で息をして這いつくばっているイザークの顎を蹴り上げる。甲板の縁に叩きつけられてイザークは今度こそ昏倒した。


 「イザーク様ぁ!」


 タラサの悲鳴が上がる。


 その時、轟音が響いた。近くに接近していたガレー船が炎を吹き上げる。ディオンの指示で容赦なく叩き込まれる砲弾のせいで船倉の火薬庫に引火したのだ。黒煙と炎が海面の上で壮麗な乱舞を描き出す。


 「感覚を開けるな!どんどん打ち込め!残らず沈めて構いません!」


 ディオンの鋭い声が飛ぶ。マストの帆が僅かにはためいている事に気付いてゼノンは表情を険しくした。風も出てきている。このままでは完全に囲まれる可能性もある。

 

 「どうやら艦隊戦では分が悪いようですね。ですがこのまま引き下がる訳には

  行きません。」

 

 ゼノンが右手を一閃した。銀色の煌きが風を切って飛んでくる。幾本ものダガーがゼノンの手から放たれて飛んでくるのをカノンが剣で叩き落した刹那。


 再びの銃声が響いた。


 「カノン!」

 「ぐっ、貴様・・・・!」

 「私はね、銃は常に二つ携帯しているのですよ。素晴らしい武器ですがまだまだ

  不安定な代物でもありますからね、二つあればこういう時に威力を発揮して

  くれるでしょう?」


 脇腹からも鮮やかな鮮血を滴らせてカノンがゼノンを睨みあげた。脂汗が噴出し、膝がガクリと床に落ちる。


 「さあ、然しもの蒼き龍も鉛球を二つも受けては立っているのがやっとの

  ようですね。気の毒ですから楽にして差し上げま・・・・!」


 冷笑を浮かべていたゼノンの言葉が途切れた。タシアがカノンの前、自らの身を盾にしてゼノンの前に立ちはだかったのだ。


 「ほお、王女の身で海賊風情を庇われるのですか?」

 「彼らは私が雇っただけです。臣下でもなければ身内でもない。無関係の者を

  これ以上むやみに傷つけさせる訳に行きません。」

 「何をしてるんだお前は!引っ込んでろ!」

 「黙りなさい!」


 一瞬の奇妙な静寂が訪れた。口の端に浮かべた冷笑をゼノンは失い、カノンも蒼い双眸を見開いて言葉を失う。微かに震えていたはずの王女は菫色の眼差しに恐ろしいほどの静かな光を浮かべてゼノンを見据え、両の手を広げて真っ直ぐに立っていた。長い髪が風に踊り、戦士のそれとは明らかに異なる、だが他を圧する空気があたりを満たしている。 


 「これは・・・驚きましたね。なるほどアテナの化身かと思うほどの威厳

  ですが・・・。尚更我が国にとっては貴女が生きておいでなのはデメリ

  ットでしかないようです。やはり清らかな身のままでポセイドンの御許へ

  行っていただきましょう。」


 炎上するガレーから熱風が吹きつけ甲板が揺れる。漆黒の髪を揺らして銃を構えたゼノンが優美に一歩を踏み出し撃鉄を引く。三度の銃声が響いた。


 「カノン、カノン!」


 タシアは顔色を失い半ば狂乱状態で声を上げた。自分に覆いかぶさるようにして倒れている男の背中が見る間に真っ赤に染まっていくさまに恐怖で全身が凍ったように動かない。


 「この・・・海賊風情が・・・・。」


 一方ゼノンも片方の肩を抑えてその表情を苦悶に歪めていた。倒れているカノンの脇腹の辺りから銃口がうっすらと煙を上げている。しかも拳銃を持っていた方のゼノンの手首には小ぶりのダガーが突き刺さっていたのだ。


 「タイタニス、貴方・・・何故邪魔を!」

 「カノンは俺の獲物だ。邪魔をするなと俺は言ったはずだ。それに状況を見ろ。

  早急に戻って艦隊を立て直さねば本当に海の藻屑になるぞ。」

 「・・・・仕方ありませんね。」


 怒りに震えていたゼノンの表情が急速に冷笑を浮かべるそれへと戻る。


 「カノン、この勝負しばらく預ける。それまで間違っても死ぬなよ!」

 「しつ・・・こい男だな・・・。」


 タイタニスの言葉にカノンが背中越しに辟易したように答える。

 その時、手に手に剣や銃を持った男たちがバラバラと現れた。三度目の銃声に業を煮やしたディオンが引き連れてきたのだ。艦隊船のほうは既に敗走し始めている敵艦を海賊たちが追い込みにかかっていた。


 「あの二人を逃がすな!囲め!」


 ディオンの指示によりタイタニスとゼノンを囲まんと男たちがにじり寄ろうとし

た刹那、黒い長身が動いた。弾丸の如き速さで踏み込み、数人を切り払う。返す動

きで柄と拳で両脇の二人を殴打、背後から切りかかってきた男を振り向きざまに一閃する。さらに体を返して踏み込むとタイタニスは続けざまに3人をその重いバスタードソードで殴り切った。


 「退却するぞゼノン!」


 そのまま間髪いれずに踵を返すとゼノンの腕を掴んで甲板から身を躍らせた。咄嗟にディオンが甲板の縁に駆け寄る。大きな水しぶきが上がった。数瞬の静寂の後、海面を自艦に向かって泳ぐ姿をディオンは視界に捉えたが拳銃も届きはしない。


 「流石は三柱と呼ばれるだけありますね。二人いたとはいえ頭目に

  手傷を負わせるなんて・・・頭目!カノン!」

 「ディオン!早く!早く手当てを!血が流れ続けているの、早く!」


 叫び続けるタシアから倒れているカノンをディオンが自分の方へ抱き起こす。見たことがないほど蒼白なカノンの顔色にディオンも一瞬体が強張った。


 「ジノの・・・お陰で助かったな。・・・銃も悪くない。」

 「しっかりしてください!すぐにアルジュナを呼びますから。」

 「お姫さんを・・・落ち着かせろ。声が傷に響く・・・。」

 「頭目!」

 「カノン!」


 ニヤリと不敵ないつもの笑みをその蒼白な顔に浮かべてカノンが意識を失った。すぐさまディオンは艦隊に指示を出して追撃を中断、アルジュナのタラサドラコーン艦への帰還の指示を飛ばす。


 「カノン!カノン!しっかりして、目を開けて!」


何かに憑かれたようにタシアはカノンに取りすがってその名を呼び続けていた・・・。

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