海駆ける戦乙女と蒼き龍
はるか
第1話 蒼き龍・カノン
波がさざめく。
大西洋からマゼラン海峡を抜けて地中海へ。肌をチリチリと焼くような、眩くも明るく煌めく光。その光を反射して輝く紺碧の水面。鼻腔から肺いっぱいに満ちる潮の香りと、頬や髪を撫でていく風。五感の全てが懐かしさに騒めいて、永い船旅がようやく終盤に近付いたことを実感する。
イングランドやネーデルラントの暗く重い空の色や空気とはまるで違う。
帰ってきたんだわ・・・・。
タシアは大きく深呼吸をした。潮風に淡い紫のドレスの裾や胸の飾りリボンが揺れる。何よりも緩やかに明るい栗色の髪が風と戯れては、サラサラと背中に長く落ちる心地よさに身をゆだねる。イングランドやネーデルラントの宮廷では髪はきちんと結い上げるのがレディの嗜みとされていた。けれど本当はこうしてサイドをゆるくまとめ上げておくだけの方が好きなのだ。髪型一つのこととは言え何だかとても解放された気分になれる。故郷のグラウコーピスではいつもこの髪型だった。こんな風に髪を下ろして潮風に吹かれていると、本当に「帰ってきたのだ」という実感が湧いてくる。
「姫様、アナスタシア様!また甲板にお一人で。」
「ソフィア。」
呼ばれてタシアが振り返ると侍女のソフィアが呆れ顔で立っていた。王女という高貴な身分にもかかわらず、タシアはすぐに一人でフラリと行動する。ごく幼い時からの侍女であるソフィアが慌てて探しに来て叱る、というのが二人の間のお約束のようなものだ。お転婆王女に振り回される侍女兼お目付け役というのがタシアとソフィアの関係で、もう10年以上それは変わらない。立場としては王女と側近の侍女だが、タシアにとってソフィアは最も信頼できる幼馴染のようなものだ。
「姫様・・・あの、本当に・・・本気で海賊と交渉するおつもりなのですか?」
「勿論よ。謀反の裏側にはアイドーネウスが控えているのよ。あの強力な軍事
力に対抗する手立てが他にあって?」
ギュッと着ているドレスの布を握りしめ、眉間に皺を寄せて尋ねたソフィアにアナスタシアは静かに微笑んで見せた。その笑みにソフィアは益々眉間の皺を深くする。
「それは・・・・ですが矢張り海賊などと!ならず者の男たちなんですよ。
姫様に・・・姫様の身に何かあったら!!」
「ありがとう、ソフィア。でもね、私は聖王国グラウコーピスの王女なの。
王族というものは自らの智と力と身でもって国家と国民の安寧を図るもの。
私に出来る事があるなら自らの保身など二の次。それが王族の使命だわ。」
そう、地中海はおろか遠くイングランドまでその名が響き渡る大海賊、蒼き龍。彼らを味方につけることが出来るなら、私の身一つくらい安いものだわ・・・。
ソフィア同様に淡い紫のドレスを両の手でギュッと握りしめて、タシアは自らに言い聞かせるように胸の中で呟いた。幽閉された父王を救い出し、おそらくは国外で逆襲の機会を窺っているのだろう兄たちと共に謀反人を討つ。そして謀反を裏側から支援した上で、我がグラウコーピスを併合しようとしている隣国、強大なる軍事国家アイドーネウスを退ける・・・・。
遠い水平線に向けて菫色の眼差しを睨むように投げる。自分はやがて聖王国と呼ばれる小国・グラウコーピスの女王となる身。王族たる者の最大の務めは国家と国民の安寧を守護し繁栄をもたらすこと。物心つく頃からタシア・・・王女アナスタシアはそう教えられてきた。そしてその使命と務めを自分でも誇りに思っている。
大国スペインのような繁栄はないが慎ましくも穏やかな気候と実りに恵まれたエーゲ海の小さな国、聖王国グラウコーピス。素朴で暖かな敬愛を王族に注いでくれる国民たち。火山の恵みの温泉を擁する島国は小さいが緑と花が絶える事はない。幼い頃から兄と共に野や森を駆け回って育った。たとえ王族でなかったとしてもタシアにとっては守りたい大好きな故郷だ。そのために自分に出来ることならば何だってしようと心に固く決めている。そう、たとえ辱めを受けることになっても。心を、魂を高潔に保っていればいいのだからと繰り返し自分に言い聞かせてきたのだ。
タシアは今、ネーデルラントからエーゲ海にある故郷の国、グラウコーピスへと帰る為の船の上にいる。14歳の時に王女としての勉強と教養を磨くためにネーデルラントの地へと赴いてから4年。東インド会社を通じて着々と国力を蓄えつつあるイングランドはじめヨーロッパ諸国の実情と政策を学ぶと共に、宮廷で淑女としての振る舞いを身に着け各国の王族や有力者との繋がりを作るための留学である。
グラウコーピスは代々女王国。だがタシアが2歳になるのを待たずに不慮の事故で先代女王(つまりタシアの母)が早逝したため、今現在は先代女王の夫であるタシアの父が暫定的に王の地位についている。18歳になったタシアは正式に女王となる為に秋になる前に帰国することになっていた。
その矢先に届いた謀反の知らせ・・・。
王と宰相の下で政務を補佐する執政官の一人が王を地下牢に幽閉、宮城を武力鎮圧したうえで、隣国アイドーネウスとの軍事同盟の締結を行うと宣言したのだ。エーゲ海には古代から幾つもの小国家が存在しているが、元々資源や生産力に乏しい隣国アイドーネウスは武力でもって近隣の小国家を併合する軍事国家として成長してきた。今回の謀反も明らかにアイドーネウスの陰謀と支援によるものであるのは明白。兄である王子とその親友でもある宰相はちょうど外交で国外に出ていたから、その間隙を狙って事は起き、現在二人は刺客と追手から逃れて行方をくらませている。
知らせを受けたタシアはすぐさま必要な準備を整えると世話になったネーデルラント王に別れと感謝を告げて帰郷の船に乗り込んだのだった。
「そろそろ彼らのテリトリーだと思うの。もう何時襲われてもおかしくない。
ソフィア、貴方は船室に降りていた方がいいわ。」
「とんでもない!それに絶対襲われると決まった訳ではありませんわ。」
「どうかしらね。」
残念だけど確実に狙われると思うわ、とはタシアは口にしなかった。無事な航海を祈るソフィアを悪戯に怯えさせたくはないからだ。けれど一応護衛艦を付けているとは言え、この船はネーデルラントやイングランドからごっそりと高価なスパイス類や茶葉、絹織物などを積みこんできている、いわば動く宝の山だ。海賊たちにとっては垂涎モノの獲物に他ならない。
蒼き龍は必ず現れる。だからこそ、この船を選んで乗ったのよ・・・。
水平線の彼方へとタシアは舟影を探すように黒味のかった菫色の瞳を向けた。波の煌めきの眩しさに僅かに目を細める。
十六世紀後半のヨーロッパ。「陽の沈まぬ帝国」と呼ばれる強大なるスペインが覇を唱えていた時代である。そのスペイン正規艦隊に匹敵する数の船を擁して地中海を支配する大海賊の襲撃をタシアは待っている。この時代の戦艦の主力、何十もの艪と漕ぎ手で動かすガレー船ではなく、帆を動力とするガレオン船を主体とした異例の海賊艦隊を。地中海は外界に比べて風が弱いから、通常は漕ぎ手を増やすことで機動性やスピードを上げ小回りの利くガレー船の方が戦闘においても有利だ。にも関わらず、操船技術・スピード・戦闘における機動性や攻撃力において他の追随を許さぬばかりか、接舷戦闘における乗組員の戦闘力は獰猛なまでの強さだという。各国の王たちが自国の海軍力として雇いたがるが、一時的な傭兵契約以外では何処にも属さず、何物にも膝を折らず、その報酬が法外なまでに高い故にスペイン王ですら一度雇ったきりで諦めたのだと言う。「蒼き龍」とは畏怖を込めて彼らと彼らを率いる頭目である男、カノンにつけられた呼び名でもある。
青い海原を支配する無敵の海賊艦隊。彼らを味方につけることが出来れば謀反人を討つのは勿論、国の規模相応の小さな軍事力しか持たないグラウコーピスであってもアイドーネウスに必ず勝利できる。彼らと速やかに接触し、頭目であるカノン
という男に交渉する為には彼らの獲物である船に乗り込むのが一番確実で早い・・・。
謀反人を討ち、グラウコーピスを守る為にタシアはそう結論付けた。様々な情報を集め、ネーデルラントからマゼラン海峡を抜けて地中海を航行するこの船に乗
り込んだのだ。蒼き龍は物品の略奪のみで奴隷売買は行わないし、非戦闘員は基本的には殺さない事で知られている。艦隊としても異例ならその行為もまた普通の海賊たちとは異なる。何しろイングランドのように国家が海賊行為と人身売買を行っている時代なのだから。おまけに大スペインからの貴族待遇の申し出すら何者にも膝を折る気はない、という理由であっさりと蹴り飛ばしたのだと言う。彼らと接触すれば交渉に持ち込む余地は大いにあるはずなのだ。
大丈夫、きっと成功させて見せるわ。ああでも、神様・・・。何処かに
いらっしゃる兄様もどうか力を、私に勇気を・・・!
覚悟はしている。けれど気を抜くと勝手に体が震えだしてくる。タシアは無意識にドレスの布地を握る手に力を込めた。
「姫様、あそこに・・・・!」
ソフィアの半ば悲鳴に近い声にハッとして振り返る。水平線のうえに黒い船影が次々に現れてくるのを認めて、タシアは小さく息を呑んだ。
「さあカノン、勝負だ!今日こそ記録を塗り替えてやる。」
「いつもながらに血気盛んで朝から無駄に元気だな。生憎と俺は昨日は一滴も
飲んでいないから快調すぎる程快調だ。残念だが今日もお前の負け記録の方
が増えるだけだと思うぞ。」
「ぬかせ。その絵にかいた様な俺様な態度が出来ないようにしてやるぞ。」
甲板の上が俄かにどよめいた。すっかり登り切った朝日が眩く海原を輝かせ、まだ少し冷たい潮風が大まかはたたまれているマストの帆を揺らす。海からの照り返しと空からの朝日との二つを受けて、滝の如く流れる見事な金糸の癖の強い髪が輝く。朝の爽快な空気には不釣り合いなほど危険で獰猛な光をサファイアの瞳に浮かべて、テオドロスが剣を抜いた。切っ先を真っ直ぐカノンの方に向ければ細身のレイピアが鈍い光を放つ。
「お前のその血の気の多さには正直感心するぞ。誰か、剣をよこせ。」
やや面倒くさげにカノンが溜息を吐く。光を反射する白い帆がたたまれたガレオン船の甲板の上は「恒例の日課」を見物すべく既に人だかりが出来ている。
「お頭、今日も勝って儲けさせてくださいよ。」
「最初から勝負が見えていては賭けにならんだろうが。」
「ウワハハ、それもそうだ!」
豪快な笑い声と共に投げられた剣をカノンが片手で受け取ってスラリと引き抜く。やはり細身のレイピアだ。主として刺突系の剣だが、この時代最も身近な護身用の武器であり、それ故に銃が主力兵器となっていった後の三銃士の時代でも決闘用あるいは日常的な武器として活躍している。先端部分に刃がついているから、実はカットや押したり引いたりすることで切り裂くことも出来るのだ。
潮風に無造作に首の後ろで一つにまとめられた蒼銀色の長い髪がフワリと踊る。端正な顔立ちの中の蒼い眼差しは地中海の深い海底を思わせるが、鋭く恐ろしいまでに不敵な眼光は並の戦士では一睨みされただけで気迫負けするであろう覇気に満ちている。
「行くぞ!」
テオドロスが声と同時に踏み込む。唸りを上げて突進してくる切っ先をスルリと体を捻じって躱すと同時にカノンの切っ先もまたテオドロスの喉元へ突きだされる。剣元でそれを押しのけてテオドロスが一挙にコンタクトレンジに飛び込むや、見透かしていたカノンが腹を膝で蹴り上げた。
「くっ、させるか!」
反射的に後ろへ飛んでかわせば今度はカノンが間髪入れず切っ先を繰り出した。互いに剣を繰り出すと同時に隙あらば蹴りや肘での攻撃をいれ合い、かわすその勢いでまた相手の腹や喉元を狙いあう。足払いをかけてくるのを飛んでそのまま回し蹴りをいれ、唸りを上げる蹴りを上体だけを捻ってかわす。捻じった反動を利用して剣先を横払いに払って切りつける。目まぐるしく体勢が入れ替わり、甲高い剣のぶつかる音が波間に響いた。互いに紙一重で躱しているから、時折テオドロスの金糸の髪の先やカノンが腰に巻く布帯の先が僅かに切り裂かれて風に舞う。
「いいぞォ~蠍の兄貴、やっちまえ!」
「お頭~遊んでないでサクッと行っちまってくださいよ!」
男たちの歓声と野次が甲板上を飛び交う。カシャーンと甲高い音がして木の甲板の上にレイピアが転がり落ちた。
「痛っ!」
「勝負あったな。悪いが今日も俺の勝ちだ。これで通算47勝45敗。俺の方が
2勝リードだ。」
「ハっ、2勝ぐらい敢えてくれてやってるような物だ。」
「いつもながらに減らない口だな。」
手首に思いっきり手刀を入れられて剣を取り落としてしまったテオドロスにカノンがニヤリと口角を上げて剣の切っ先を突きつけていた。
地中海の蒼き龍。
畏怖を込めて各国からその名で呼ばれ恐れられる海賊艦隊。長距離射程のカノン砲や全カルバリン砲と短距離射程の半カルバリン砲とを搭載した帆船であるガレオン船を中心とする常識破りの海上の王者として名を馳せる大海賊である。
その旗艦タラサドラコーンの甲板でほぼ毎日行われる海賊王・蒼き龍のカノンと副頭である蠍のテオドロスとの勝負は乗組員たちの賭けのネタとして重要な娯楽の一つだ。現在の所僅かにカノンがリードし、その僅差がそのままカノンとテオドロスとの実力を物語っている。そして今日も朝から乗組員たちから規格外扱いされる二人の勝負でひとしきり甲板は盛り上がっているのだった。
1580年代。日の沈まぬ国と称えられフェリペ2世統治下でスペインが世界の覇権を握り繁栄のまさに頂点を極めていた時代である。15世紀、羅針盤がイスラム世界を経てヨーロッパに伝わり、外洋の長距離航海に耐えうる船が建造されるようになった事でヨーロッパの植民地経営を主たる目的とした大航海時代が始まった。同時期にヨーロッパで起こった宗教改革。急速に台頭してきたプロテスタントに対抗し、カトリックの勢力回復を図るローマ法王がこの新世界開拓を支援する。すなわち新たな領土からの莫大な富の収奪と信者獲得の為の布教活動である。
一方アメリカ大陸の発見でヨーロッパの交易における地位は低下したとはいえ、地中海はヨーロッパ諸国にとっては重要な交易の海でもあった。しかし16世紀のこの頃、地中海はオスマン帝国率いるイスラム勢力の支配下にあり、更には北アフリカ沿岸を拠点とするバルバリア海賊が横行し地中海沿岸のヨーロッパ諸国を襲っていた。海賊たちの主な収奪目的はキリスト教徒をイスラム社会向けの奴隷として売り払うこと。この状況は1571年のレパントの海戦においてスペインが勝利、西半分がスペインの勢力下に奪回された事でやや変化するが海賊の横行自体は19世紀まで続いたという。
そんな状況の中、女王エリザベスは大海賊フランシス・ドレイクをナイトに叙してその活動をバックアップ、何と国家が黒幕となって略奪品売買と黒人奴隷密輸と言う大型国際犯罪で富を蓄積、スペインに代わる覇権をイングランドが虎視眈々と狙いはじめていた。
大洋へ乗り出して生き抜く力と才覚、そして運があれば身分に関係なく莫大な富を得る事が出来る可能性に多くの男たちや商人が船へと乗り込んでいった時代。冒険と覇権への野望、未だ未知なる世界と海への希望が大海の上に渦巻いていた時代である。
「お頭~、いたいた!ネーデルラントの旗をあげた船だ!」
「どっちだ?」
「北西の方角。でも先客が来てるぜ、火の手が上がってる!」
「何だと。」
マストの天辺、赤毛のまだ少年の風情を残すニコが声をあげた。やや吊り気味の大きな瞳をしていて、マストの上をヒョイヒョイと走る様がネコかサルを思わせる。マストの綱を握るや、そのニコのいる位置までカノンは数瞬で駆けあがった。
よく晴れて凪いだ海面に数隻の船団が礫のように小さく見える。そのうちの幾つかから黒い煙が上がっていた。
「この俺の目と鼻の先で仕事をするとはいい度胸じゃないか。」
「バルバリアの奴らだな、きっと。」
蒼い双眸に不敵な光が煌めく。口角の端を僅かに上げて笑うや、カノンはマストの綱を再び手にしてフワリと甲板に飛び降りた。
「帆を張れ!ハイサム、北西10時の方向だ。全艦全速前進、命知らずの
馬鹿どもに地中海の礼儀を教えてやれ。」
「全艦全速前進!帆を立てろ!戦闘準備だ!砲手配置につけ!」
カノンの一声に男たちが一斉に動きだす。明るい亜麻色の髪に暗青色の瞳をした青年が全艦隊に指示を飛ばす。やや物憂げな風情の整った顔立ちをした青年は風と潮の流れを読むことにかけては天才と称される。元々はオスマン帝国の奴隷の身分であったところを単身小舟で脱走、海上を彷徨っていた所をカノンに拾われた。風読みのハイサムの異名を取る青年は片刃のサーベル使いであり分厚い刀身の一振りで敵の首を落とすことも出来るが、普段は物腰静かで日本の琵琶とも近縁の弦楽器・ウードの名手である。
「煙が上がってるな。獲る物だけ獲ったら商品になる奴以外は皆殺しか?」
「ネーデルラントの船だ。アラブの王侯たちが好む金髪が多いだろうから
狙われたようだが、生憎あれは俺が先に襲うつもりだったんだ。」
「ネーデルラントの船ならお宝もごっそりありそうだな。」
「ああ、とびっきりのお宝があるのさ。」
甲板の上で進行方向を見据えるカノンの横にテオドロスが立つ。船は海上をまさしく滑るように走り、見る間に船団へと迫る。甲板を走る武器を手にした男たちや、一か所に追い詰められている人々が見えた。
「丁度いい。アルジュナが新しく開発した砲弾を奴らにお見舞いしてやれ。
どの程度の威力か見ておきたい。但し中央の襲われている船には当てるな。」
「近すぎるかもしれません。ゆくゆくは長距離射程での効果的なダメージを
狙っていますから。どの程度威力が及ぶか・・・ですが。」
「何事もやってみなければ解からん。どのみちお試しの20発ほどしかない
んだ。」
いつの間にか浅黒い肌の青年がカノンとテオドロスの後ろに来ていた。蒼き龍の艦隊において火薬・弾薬の専門家であり、医療担当でもあるアルジュナだ。その外見が示す通り、中東のはるか向こう、中国・インド辺りから流れてきた彼は当時としては貴重な先進の知識や技術を携えており、長槍の扱いにおいては無双を誇る強者だ。
大航海時代の始まり、ヨーロッパ人が世界航路を苦難の末始めて発見したと現在でも一般的には語られるが、そもそも外洋の長距離航海を可能にするために必要な羅針盤や航海術は中国からイスラム世界を経由してもたらされている。ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回りインド航路を発見するより70年余りも遡る頃、既に中国の鄭和率いる艦隊が南アフリカまで到達して各国と朝貢関係を結んでいた。ガマが喜望峰到達後に無事インドに辿りつけたのはイスラム商人の案内があったからである。当時のオスマン帝国は世界最高水準の技術と知識を集積しており、十字軍遠征の失敗に伴うイスラム勢力のヨーロッパへの伸長が、中国・イスラム世界の優れた知識や技術をもたらしたのだ。ヨーロッパ人が世界中に漕ぎ出すよりはるか以前からアジア・イスラム各国は新大陸を除く世界航路を既に開拓、多少の揉め事はあっても平和的な交易関係を結んでいたのである。収奪と植民地支配を専らとしたキリスト教諸国よりも精神的にも進んでいたと言って過言ではない。
「俺はニコを連れてあのネーデルラント艦に移る。アルジュナ、ハイサム、
イザークに砲撃と接舷の指示は任せる。バルバリアの馬鹿どもが反撃して
来たら適当に料理してやれ。」
「わかりました。」
優美な弧を描くサーベルを手にカノンが甲板のへりに足をかける。ハイサムとアルジュナ、そして影のようにいつの間にか隻眼の青年が甲板に控えていた。深緑の瞳をしたイザークは年若いが棒術やサーベル使いとして乗組員の指導も務める。無口で冷静、その白兵戦において相手の悲鳴も聞かぬうちに仕留める俊敏さで氷のイザークの異名を取り、カノンが信頼を置くドラコーン(龍)の一人だ。
蒼き龍の艦隊には6匹のドラコーンがいる。風読みのハイサム、漆黒の槍のアルジュナ、氷のイザーク、そして俊敏さと驚異的な命中率を誇る投げナイフで恐れられるニコもそのメンバーである。何れも年若いが一癖も二癖もある強者揃いの上に、優れた操艦センスの持ち主だ。一人で一艦隊を率いる事が出来る技量を持つ。彼らドラコーンの頂点に立つのが蒼き龍、龍の海賊と恐れられるカノンである。そのカノンと双璧をなす副頭・蠍の名で呼ばれる男、テオドロスがいる。光あふれる紺碧の地中海を背に蒼銀色と黄金の髪をなびかせた端正な顔立ちの長身が並び立つ様は、それだけで荒くれる海の男たちを奮い立たせ戦士の血を騒めかせる圧倒的な吸引力を放ち、相対した敵にはいやが上にも畏怖を与える覇気に満ちている。
「おいカノン、まさかお前だけで行こうってんじゃないだろうな。」
「そうだが。副頭まで艦隊をカラにする気か?」
「だったら頭のお前がそもそも行くべきじゃないだろう。」
右舷に寄せてきたガレー船に乗り移ろうとするカノンをテオドロスが呼び止める。先ほどの勝負で負けた鬱憤を晴らすべく自分も行く気満々のようだ。正論をかましてどうだ!と言わんばかりの顔でいるからカノンは小さく溜息をつく。
「まあいいじゃないですか。地中海はおろかヨーロッパ中にその名も鳴り響く
蒼き龍の艦隊のトップ二人が揃って乗り込んで行ったとなれば、あんな
ちんけな連中あくびしてる間に片付くってもんでしょう。」
ガレー船の方から妙に暢気な声がする。蒼き龍の艦隊の物資補給他経営面を一手に引き受ける参謀、オウロである。抜け目のない回転の速さとアラビア語や中国語を含めた数か国語を操るドラコーンの一人だ。カンの良さを通りこして相手の強い感情や思考が頭に浮かぶという特殊能力の持ち主でもあり、占いと短刀であるダガーを得意とする。
「旦那、まだちょっとおぼこいがとびっきりの別嬪さんがいますぜ。
早く行かないとありゃ海に飛び込んじまいそうだな。」
「オウロ、全速で突っ込め。行くぞ、テオドロス。」
「そう来なくちゃな。」
カノン、テオドロス、ニコの3人がオウロのいるガレー船へと飛び移った。大積載量と遠洋航海に耐えうる性能を備える帆船のガレオン船に対し、ガレー船は大量の櫂による手漕ぎ舟だ。風が弱く不安定な地中海では漕ぎ手さえ確保できれば急旋回や加速等の運動性能において帆船より有利な点も多く長く軍艦の主力として用いられた。今乗り移ったガレーは突撃船首と小型の短射程砲を持つ完全攻撃型の軍艦である。当時のガレーはスパイク付きの橋を装備、敵の船に強行接舷してその橋で船同士を固定、一気に兵士を突入させると言う戦術が一般的だった。1571年のレパントの海戦はガレー船同士の激闘であり、この接舷切り込み戦法を当時のスペイン無敵艦隊は最も得意としていたのだ。
カノンたちが飛び移るや、オウロの指揮するガレーが前方の船に突っ込んだ。ドゴォーンと言う轟音と共に衝撃が走り、突っ込まれた方の商船が大きく揺れる。甲板上の海賊たちが血相を変え何事かを叫んだ。
「あ、そぉーれっと!」
オウロが鈎付きのロープを投げる。ロープは唸りを上げて向こう側の船の甲板に食いついた。
「橋をかけろ!バルバリア以外は殺すな!」
カノンの指示に船員たちが細身の長い板を何本か持ち出して次々に向こう側の船へと橋を渡す。板にはスパイクが付いていて双方の甲板の縁に固定されるが、それよりも早くカノンはロープの上を走り抜けて渡っていった。その間にもアルジュナやハイサムたちの指揮により周囲にいた海賊船に砲撃がぶち込まれる。砲弾が当たった瞬間、小規模な爆発がおこる。炸裂する破片や爆風に武器を持った男たちが瞬時に何人も倒れ、木造の船に一部では引火して火の手があがる。敵方に大きな動揺が走り瞬く間に戦意が低下するのが感じられた。当時大砲は石や文字通り鉛玉を火薬の力で射出する物が普通だった。中に火薬が詰められ炸裂する砲弾が海戦に登場するのは時代を下った1840年代のことだ。
「これは・・・スゴイな。」
「中国や極東で海戦に使われている焙烙火矢というものからヒントを
得たのだ。」
「成程、長距離射程でこれが十分に効果を発揮すれば相当な攻撃力になるな。」
イザークとハイサムが僅かに息を呑み、アルジュナが冷静に威力と効果を分析しつつ眺める。焙烙火矢はぼ同時代、日本で毛利氏の厳島の合戦や、織田信長配下の九鬼水軍と毛利氏率いる毛利・村上水軍が激突した木津川口の闘いで使用されていた事で知られる。この時代のヨーロッパの海戦においては大砲類は現在の我々が思う程の破壊・殺傷能力は無く決定的な武器ではなかったのだ。
「それ以上近寄る事は許しません!」
凛とした声が響いた。真っ直ぐな絹糸の髪が潮風に踊り、強い光を瞳に湛えてタシアは短刀を手に叫んでいた。暗い菫色の瞳、象牙の如き柔らかな白さの滑らかな肌、意志の強さを伺わせる高雅で整った顔立ちは大輪の白百合を思わせる。その顔を怒りで微かに紅潮させている。今タシアはソフィアと共に船の端も端、船首の先端に追い詰められていた。下卑た笑いを浮かべた浅黒い男たち十数人ほどが手に手に刀を持って迫ろうとしている。清楚だがあきらかに裕福な身分である事を思わせる貴婦人の出で立ちの少女はイスラム諸国への奴隷売買を専らとするバルバリア海賊たちにとっては格好の高額商品となる。タシアは剣の柄を握る手に力を込めた。まさかバルバリアの海賊たちに襲われるなどとは想定外だったのだ。エーゲ海の遥か東、オスマンに売り飛ばされるなど冗談ではない。男たちの手が触れようものならばそのまま海に飛び込もうと覚悟を決めている。
折角の商品に飛び込まれて死なれては元も子もない。売り飛ばす前の「味見」を考える海賊たちも取り囲んで追い詰めはしたが手を出しあぐねているのだった。
「さあ大人しくするんだ!」
「嫌!」
「姫様!」
業を煮やした一人の男がタシアの動きより早く腕を掴んだ。そのまま捻じり上げられて短刀が転がり落ちる。蒼白な表情で震えていたソフィアが悲痛な叫びをあげた時だった。
「ぐぅっ!」
空気がどよめいた。男たちの目の色が変わる。タシアの腕を捻じり上げた男の腕に銀色のダガーが深々と突き刺さっていたのを目にした瞬間、痛みに腕を抱えた男が吹っ飛んだ。驚きに目を見張るタシアの前に、蒼銀色の髪をなびかせた長身の背中が頭上からフワリと降り立った。眼前をなびく長い髪と宮廷に出入りする貴族たちとはまるで異なるガッシリトした広い背中が埋めた。
「この船は俺が目を付けたものだ。死にたくなければ失せろ。」
白銀に煌めくサーベルを手にタシアを背にしてカノンが蒼い双眸に冷たい光を浮かべて男たちを見下ろす。目標の船に乗り移るや、ダガーを投げると同時に跳躍、男を蹴り飛ばして着地したのだった。狼の鬣のように背中に長く垂れる蒼銀色の髪が風に踊り、切れ長の瞳の端正な顔に不敵で酷薄さすら漂う笑みが浮かんだ。
「ドラコーン・・・・。」
「蒼き龍だ。」
浅黒いバルバリア海賊たちの顔に驚愕の色が浮かんだ。ザワザワと空気が震える。
「俺の名を知っているようだな。ならばわかっているはずだ。このまま
立ち去るか、それとも魚の餌になるか、どちらにする?」
ゴクリと唾を呑む音がした。男たちの目に恐れと凶暴な光とが入り混じる。
「上等だ!数ではこっちが上だ、地中海の蒼き龍、俺たちが仕留めてやるぜ!」
手にしたサーベルやソードを振り上げて一斉に男たちが動いた。
「馬鹿が。」
ニヤリとカノンは口角を上げた。スッと身を沈めるや、一気に踏み込んで横払いに払う。常人を軽く凌駕するスピードの乗った斬撃が走った。二人の男が呆気なく腹を切られて倒れるのを、さらに踏み込んで蹴り込み後方にいた男にぶつける。返す体の回転でそのまま側方から襲ってきた剣を払い落して裏拳を入れ、さらに反動を利用して二人を薙ぎ倒すよに斬る。返す手でスピードと重力を利用して上段から切り込んだ。刀を振り上げた男が額から腹までかち割られるように切られて血飛沫が上がる。返り血が甲板とカノンの白いシャツを彩る。頬にも矢張り血飛沫を受けて蒼い双眸が獰猛さすら浮かべて輝く様は、獲物を追い詰める狼を思わせた。
「クソっ!化け物だ!」
数瞬の間に三分の二の人数が呆気なく斬り伏せられた。男たちは微かに恐怖をその顔に滲ませると踵を返して走り出す。が数歩も走らぬうちに、声もなく全員が甲板に崩れ落ちた。
「一度ケンカを売っておいて逃げようなどと甘い。しかし手応えがなさすぎる。
バルバリア海賊ってのも大したことないな。」
金の髪をなびかせて、血糊の付いたサーベルを手にしたテオドロスがぼやいた。逃げ出そうとした男たちを、あっさりとまとめて切り捨てたのだ。
「所詮数に任せて村や大した武装もない商船を襲っているにすぎん。手応えなど
無くて当然だ。」
「お宝類はごっそり奴らが集めてくれていたから既に回収している。人間の
方はどうする?この船はまぁ辛うじて航行は出来るから詰め込んで連れて
行くか?」
「どうせ補給のためにキティラに寄るつもりだったから、引っ張っていけば
いい。そこで放りだせばいいだろう。」
蒼き龍の艦隊は奴隷売買に興味がない事でも有名だった。奴隷を船に乗せて運ぶと言う事はその分食料や水も余分にいる。荒くれの男所帯であるから、当然奴隷の女性を巡っての揉め事も多くなって面倒だからだ。金品やモノの方が腐らないし扱いやすいという理由である。
「さて、立てるか?」
踵を返してカノンはタシアに手を差し伸べた。瞳を見開き呆然として目の前の闘いと呼ぶには実力差のあり過ぎた光景を眺めていたタシアは、呆然としたまま反射的にカノンの手に己の手を差し出して重ねた。菫色の瞳はじっとカノンの顔を見つめたままだ。
「貴方が・・・・貴方が蒼き龍の海賊?」
「そうだ。」
「貴方を、いえ貴方がたを雇うことは出来ますか?」
「何?」
ほとんど無意識だった。名高い最強の海賊はタシアが予想していたのとはまるで違う、若々しく整った顔立ちの美丈夫だった。だがそんな事はどうでもいい。この男をこそタシアは待っていたのだ。今ここでこの男と交渉して味方になってもらわねばならない。
ヒュー!とやはり乗り込んできていたオウロが口笛を鳴らした。普通なら目の前の惨劇に怯えて声も出せないか、気絶していてもおかしくないだろう高貴な身なりの少女の予想外の反応にテオドロスも驚いて目を瞠る。
「私はアナスタシア。グラウコーピスの王女です。地中海、いいえ遥かに
ネーデルラントやイングランドまでその名が響く蒼き龍。どうか我が小
さな王国の為に貴方の力を貸してください!」
カノンに手を取られて立ち上がったタシアは、毅然として顔をあげると真っ直ぐにカノンを見上げて告げた。あたかもそれは己の騎士を任命するかの如き威厳を感じさせ、その場にいたオウロやテオドロス、ニコは不覚にも瞬間呆然としてタシアを眺める。カノンも蒼い双眸を僅かに見開いた。奇妙な沈黙の時間が流れる。
「くっ・・・・・。」
カノンがくぐもった声を出した。そしてそれはすぐに高笑いへと変わる。笑いながら血糊の付いたサーベルの切っ先をタシアの喉元にピタリと突きつけた。
「中々面白い冗談だ。言っておくが俺は相手が誰であろうが跪く気もなければ
命令を受ける気もない。」
「ですから雇いたいと言っているのです。」
カノンの蒼い双眸が細められた。血の滴る刃を突きつけられて顔色は蒼白だ。だが真っ直ぐにカノンを見上げる視線は揺るがない。その真っ直ぐな視線とスッと伸びた姿勢の良さに内心で僅かながら賞賛の念を抱いたのだ。仮にも王女たる高貴な身分の女ならば、このような状況ではそれこそ失神するか慄いて声も出せないはずだとカノンも思っている。
「生憎だが俺たちを雇いたがっている王侯や貴族は掃いて捨てるほどいる。
だがあのフェリペ2世も臨時雇いだけで諦めたんだ。スペイン以上の高値で
俺たちが雇えるのか、王女様?」
「残念ながらわが国にはスペインのような国力はありません。ですがどうしても
貴方がたの力が必要です。王位を不当に簒奪した謀反人を誅すると共に、私の
生命を狙う者たちを退け、我がグラウコーピスを手中にせんとするアイドーネ
ウス群を退けて欲しいのです。この地中海でそれを確実に成しえるのは貴方が た以外にはないはず。幾らなら、いいえ、何を差し上げれば雇えますか?
貴方がたは単純な金銭や栄誉など欲しているわけではないのでしょう?」
「ほぉ、人と戦力を見る目は中々あるようだな。」
蒼い双眸をカノンが細めた。声音に愉快そうな色が滲んでいる事にニコとテオドロスは気付く。
「グラウコーピスと言えば、女神アテナと聖母マリアの恵み受けし聖王国と
呼ばれる小さな国だったな。大天使ガブリエルの祝福だったか?その国の
王女ということは要するに次期女王様という訳だな。」
「そうです。」
「フン・・・・面白い。丁度退屈していた所だ、雇われてやってもいいぞ。」
カノンの言葉にタシアは一瞬瞳を大きく見開いた。同時にテオドロスやニコも驚きに息を呑む。
「報酬はそちらの提示できる金額でいいだろう。但し・・・・。」
「但し?」
「成功報酬で構わん。見たところどう見ても処女なのは間違いなさそうだ。
あんたの、次期女王様の純潔を頂くとしようか。」
おいカノン!とテオドロスが頓狂な声をあげ、ニコがあんぐりと口を開ける。オウロは一瞬目を見開くが、すぐにこれは面白いといった表情を浮かべた。菫色の瞳を大きく見開いたままでタシアも絶句した。暫し表情も何もかもが固まってしまったように立ちつくす。
純潔・・・・?純潔って言ったの?ある程度の予測はしていたとはいえ、こんな風に真面かつ露骨に報酬として要求されるとは思っていなかったのだ。純潔をこの男に捧げるの?余りの事に上手く頭が回らなくてタシアは暫しの時間、声も出せずにカノンを見つめる。ギュッと両の拳を握りしめた。胸の鼓動を心の内で数えて、可能な限りのゆっくりとした呼吸を数度繰り返した。それからようやく形のいい桜色の唇を動かす。
「いいでしょう。私の身一つでグラウコーピスの平和と安寧が実現できるのなら
異存はありません。」
キッと視線を上げて凛とした声で言い放つ。その迷いを感じさせない声と眼差しにカノンは今度は愉快気な笑い声をあげる。ドレスの布を握りしめるタシアの手が白くなって震えている事に気付いているが、それでもカノンからとうとう視線を外すことなく言い切ったのだ。男でもカノンに睨まれただけで竦みあがってしまう者が殆どだ。精いっぱいの虚勢とは言え、この気丈さは正直賞賛に値するではないかと内心で思ったから、見て見ぬ振りをする事にする。
「気に入った。たった今からあんたは俺たちの雇い主で客人だ。
俺の船に来るがいい。出来る限りで丁重にもてなしてやろう。」
「本当に?!ありがとう!嬉しいわ、蒼き龍・・・。」
「カノンだ。ドラコーンでもカノンでも好きな方で呼べ。テオドロス、
引き上げるぞ!」
未だ驚きから抜けきれぬテオドロスやニコ達にはお構いなしで指示を出すと、カノンはタシアをやにわ荷物を持つように肩に抱え上げた。タシアの視界に癖の強いカノンの髪がいっぱいに瞬間広がる。
「ひ、姫様ぁ!」
「何をするの!離しなさい!」
「暴れるな。俺の船に戻るんだ。あの橋を一人で渡れるのか?」
それまで恐怖に固まったままだったソフィアが悲鳴を上げ、タシアもいきなりの事に息を飲んだのも一瞬、大きな抗議の声を上げた。ジタバタと体を揺すってカノンの背中を両の手で殴るが、カノンの方は一向にこたえていない。ヒョイと抱えなおすとタシアの顔を自分が乗ってきたガレー船の方へと向けてみせる。
カノンが顎でしゃくって見せたのは、切り込みの為に先ほどかけた狭い板状の橋だった。スパイクによって二つの船の甲板に固定されているとは言え、眼下遥かに波が飛沫を上げていてまるで高所の平均台が動いているような状況だ。どう考えたってタシアには渡れるはずもなく、タシアは絶句した。足がすくんで立ち上がれないソフィアがそれでもカノンに取りすがろうとしたのを、同じようにテオドロスがヒョイと抱えあげたから、ソフィアは瞬間蒼白になって気を失ってしまう。
無言で大人しくなったタシアの様子に小さく笑うとカノンはこの華奢な荷物を肩に抱えて自分の艦へと悠々と戻っていった。それが地中海を支配する最強の海賊、蒼き龍・カノンと王女アナスタシアとの出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます