もう結婚なんてしない
堅川 ゆとり
1
「ちょっと、ねえ、見てよあれ」
大してよくもないこの耳が、どこかで聞いたことのある高い声をキャッチした。
「武田じゃね?」
「うそ、まじで」
「やばい、寄り道ばれる」
「そこかよ」
「大丈夫っしょ、武田だもん」
その声は女だ。それもきっと三、四人。声だけで顔を連想できるまでには至らないが、僕をなめたかのようなこの口調。間違いなく、女子高生。JKだ。JKとは、よく言ったもんだと感心してしまう。もちろん、ただの略語だということぐらい知ってるけど。Jに身を任せるかのようによっかかるK。なにか拠り所がないと前に進めない、そんな気持ちを具現化したかのようなこの語は、ひとつのロゴに見えなくもなかった。そのロゴは、女子高生という若さのブランドでもある。そのブランドが剥がれた時、彼女たちはそれぞれの幸せや、ゴールを求めて旅立っていく。そして僕は、その手伝いをする職人のひとりでもあった。
そんな誇らしい仕事を任された職人であるにもかかわらず、彼女たちの声に振り返ることができない度胸のなさは、なんとも情けない。それに僕に対し懸念すべきなのは、彼女たちのほうだ。僕が懸念する理由なんて、本当はないはずだった。
「せんせー」
そう、先生。これが僕の、職業だ。
「おお」
ちょっとだけ大げさに目を開いたところで、四人の生徒たちを見た。…誰だっけ?
「先生、新宿とかくるんだね」
…待て。この子たちは、何年生だ?
「なにしてたのー?」
「あ、わかった!デートだ!」
「やっぱりなー。先生彼女いるんだね」
勝手に僕をデート帰りだと決め付けた彼女たちは(実際のところそんなかんじだけど)、きっと一年生だ。学生鞄にはまだ、かすかに艶が残っている。それに、四人して短いこのスカート。みんなまだ、大人になりきれてない脚をしていた。女性ではなく、女子。寒そうな膝小僧が、顔を覗かせていた。
「いやいやいや」
僕は言った。
「そんなことよりなにしてた?こんな遅くまで。ダメだぞ、俺じゃなかったら反省文書かされるところだよ」
「はーい、ごめんなさい」
反省の気持ちなんてこれっぽっちもないこの若さが、なんだか微笑ましい。本来なら、生徒たちは寄り道を禁止されている。教師にばれたその時点で、反省文を提出しなければならなくなってしまうというちょっとしたこの縛りは、なんとも私立高校らしかった。しかし放課後の寄り道は、誰もが通る通学路といっても過言でない。それを禁止し、楽しい思い出を覆してしまうようなことは、出来るだけしたくなかった。しかも彼女たちは、ちゃんと声までかけてくれたわけだ。反省すべきなのは、僕のほうかもしれない。なんてったって、四人揃って名前を知らなかったのだから。
「みんな、一年生?」
「え、ちょ、わかんないの?」ちょっとだけ ぽっちゃり体型の女子生徒。
「うそー。まじかよ」カーディガンを腰に巻く女子生徒。
「あたしらみんな1Cだよ」まだ大人になりきれてない、痩せ型の華奢な女子生徒。
「先生日本史教えてくれてんのにー」あか抜けないおっとり系女子生徒。
名前までは思い出せないが、確かに、担当クラスの一年C組で見なくもない顔だった。顔面偏差値の割と高めなこの四人組は、接していて不愉快さを感じない。
「ほんとにごめん、名前いいかな?」と、僕。「反省文書かせたりはしないから」
人混みを抜けて、なんだかんだで新宿通りまで辿り着く。信号が赤になったところで、華奢なひとりが喋りはじめた。
「高松未奈です」
「あ、高松さんか」
高松さんは、1Cの中では僕の担当教科・日本史に関しては、毎回常に上位レベルにいた。しかし学年トップというわけではない。そういえばたまに、質問に来てくれていたかも。 本当に申し訳ない。
「ごめん、日本史頑張ってるよね」
彼女の表情が、いきなりパアッと明るくなる。街灯に当たって、えくぼがきゅっと上がっているのが見えた。
「え、やった、先生ありがと」
「未奈よかったね」ぽっちゃり生徒が高松さんの顔を覗く。それに答えて小声で、やめてよ恥ずかしいよ、なんて言ってるのが聞こえる。その表情には、まんざらでもなさそうな笑みがこぼれていた。
次に、そのぽっちゃりが名乗る。
「わたしは河原友美」
河原さん。目で記憶に焼き付けられるよう努める。
「松井理央です」
カーディガンを腰に巻いた松井さん。目鼻立ちははっきりしている。たしかこの子は、授業中いつも伏せて寝ていた気がするが、気のせいか?まあ良い。
「わたし、小川紗良です」
小川さん。これからあか抜けていって、なかなかの美人になりそうだった。化粧映えしそうな平均顔だが、僕にとっては好みのタイプだ。おっとりしていて愛想がいい。
「高松さん、河原さん、松井さんと、小川さんね」
一人ずつ脳に記録していくように、唱えてみる。信号が青に変わり、彼女たちと駅までの道のりを共に歩く。寄り道の理由を探りながら、雑談を続けた。
「で。なにしてたんだ?もうダメだぞ、寄り道しちゃ」
「今日、未奈の誕生日だったから」小川さんが言うなり、高松さんが赤面しながら僕を見る。なぜか気まずさを感じて、サッと目を反らしてしまった。
「みんなで鍋パしてたの。そこの鍋ぶたで」
「へー、そうか。高松さんおめでとう」
少し間をあけて彼女は、恥ずかしそうにありがとうございます、とだけ言った。
「いくつ?高1って」
「16、です」
「16かー、若いな、いいなー」
こんな発言をしてしまう自分がなんとも醜い。これじゃただの、オッサンだ。
「先生はいくつなの?」
小川さんに突かれる。近年、しだいに自分の年齢をいうことにちょっとした抵抗を持つようになりつつあったが、すんなりと言ってみせた。
「26。みんなの10コ上だよ。ここまできたらもう、オッサンだよなあ」
「えー、まだまだじゃん、大丈夫だよ」なにが大丈夫なのかは分からなかったが、純粋に受け入れている自分がいた。
「てか先生、全然26に見えない。就活中の大学生みたいだよ」
「童顔だかんね」と、僕。「コンビニで酒買うとき未だに年確されることあるもん、俺」
「だって先生、かわいいから」
高松さんの発言に、一同はほんの一瞬だけ静まった。なんと返せばいいのか言葉を探していると、彼女がいきなり話を変える。助かった。
「あ、そいえば、先生って、どこ住みなの?」
「俺?」なぜか聞き返してしまう。自分以外の誰にも聞いてないのに。これはちょっとした、僕の癖だった。「俺が住んでんのは、笹塚ってとこ。京王線で新宿のとなり」
なぜか口を開けままでことばを発しない高松さんの二の腕あたりを、松井さんが揺さぶる。そしてこう言った。
「え、まって、笹塚って、未奈ん家だよね?」
高松さんが僕をみる。そして首を縦に振った。
「うっそ、先生も笹塚なんだあ」
「やばいね」
他の二人が盛り上がりはじめた反面、僕も思わず口を開いてしまっていた。ことばが出ない。うちの学校の生徒、しかも教え子が、同じ最寄り駅に住んでいたなんて。
「…え、先生笹塚なの?」
改めて高松さんが僕を見る。聞きたいのはこっちのほうだ。
「高松さんこそ笹塚なの?」
「…はい」
「どこらへん?笹塚の」
まさか。そのまさかは見事に的中していた。
「…十号通りの、二つ目の小道入ってすぐのマンションです。Lの字型で、ちょっとデカめの」
ことばを失う。間違いなく、僕のマンションだ。
「え、まさか未奈と一緒なの?先生」
小川さんが顔色を伺ってくる。やばい。この若い女子たちに、今のこの気持ちを読まれていないわけがなかった。
正直、最悪な気分だった。仕事から逃げられない。むしろ、追われ続けていく。世の中には、知らないほうが幸せなことが多いということを、思い知らされた瞬間だ。これからは、会社を出てようやくプライベートな空間に辿り着けても、自分を評価する側の人間が同じ空間から、僕を監視する。きっと僕を見かけるたびに僕の行動を一から十まで記憶し、学校へ行けばネタとし周囲の生徒にのみならず、教師にまでばらまくに違いないだろう。恐ろしい。急に高松さんを、敵視してしまう。痩せ型で華奢な彼女を見るたび、これからこの恐怖を感じるのかと思うと、ゾクッとした。同時に真冬なのに、汗をかき始めたことに気付く。心と身体とは、ここまで繋がっているのだなと、ヘンなことを思った。
「…すごい偶然だね」ようやく出た渾身の一言は、安易すぎることばだ。「いや、びっくりだな」
「わたしも。ほんとびっくりだわ、先生と同じマンションなんて」
ようやく事実を受け入れた高松さんの反応ばかり気にしすぎていたせいか、ほかの三人の会話は頭に入ってきていなかった。ちょっと耳を貸すと、未奈やばいね、だとか、てか武田が笹塚住みとか笑うわ、だとかそんなことばがちらちら入ってきた。
今夜知ったことをチャラにしてくれるんだったら、高松さんになんでも奢るよ。それぐらい僕にとっては衝撃的かつショッキングなニュースなんだ。だからお願い、嘘だと言ってみせて。
そんな馬鹿げた台詞が脳裏をよぎる。それでも高松さんは、笑顔で地元・笹塚の話を続けた。内容は何一つ覚えてないけど僕も、オススメのお店なんかをペラペラと喋っていた。 不思議なことに思考回路には全くないようなことが、続々と口から出ていたっけ。
東口改札まできて、ほかの三人とはJR線のりばで解散した。高松さんとはのりばどころか乗る電車も一緒、車両も一緒、降りる駅も一緒なら入るマンションまで一緒だから、たまったもんじゃない。周囲からの目が辛かった。高松さんにとってはきっと何も感じないことと思うが、冷やかな周囲からの目に耐えられるだけの強さが僕にはない。女子高生とずっと一緒に歩くスーツの男。はたからみたら変質者に見えなくもないだろう。しかも金曜日の夜にだ。高松さんには悪いが、走って帰路を急ぎたい気分だった。どっちにしろ追ってくることに変わりないけど。
なにを話したのか、覚えてない。ただ、今のこの時間が早く過ぎればいいと思っていた。マンションの敷地内内までの道のりは長く、やっとの思いでエレベーターに乗る。高松さんより下の階に住む僕が先にエレベーターを降り、廊下を歩きはじめてようやく、ずっと出したかったため息が漏れてしまった。ようやく解放されたというホッとした気持ちと、これからずっとこの気持ちと一緒に生きていくのだろうかという不安な気持ち。そのふたつが交錯して完成したため息は、冬の空気となかなか同化せず白い煙のような姿となって現れていた。煙。スモーク。ふと、二年前までよく嗅いでいた煙草の臭いを思い出していた。
…なんでこんなことを、今更思い出したのか。
呆然と考えながら鍵を開けると、部屋の灯りに気付く。そうだった、部屋に行っててもいいよなんて言ったんだった…今日のところは、先に帰らせて大正解だった。とはいえ二人で杯を交わしたあと、どうしても好きな歴史参考書を買いたかったから、先に部屋に行かせただけだけど。そのついでにそこらをうろついていたら、高松さん達に出くわしてしまったのだ。なにも、出くわしたくて出くわしたんじゃない。それにしても、樹里に自分の教え子と一緒に帰っているところを見られるわけにはいかないもんな。
合鍵を作って二週間。彼女自ら、僕の部屋に入ってきたのは初めてのことだった。
「おかえり、買い物遅かったね」
「ただいま」短く返す。「そんなことないよ」
さっきまで接していた女子高生とはほど遠い大人女性。付き合いはじめて一年半。美人国語教師の上杉樹里は、僕が部屋へ入るなりソファーから立ち上がると、僕の肩に手を回した。何をしてほしいかすぐに読み取った僕は、それに応じるかのようにキスをしてあげた。浅いキスが終わったあと、笑顔で言う。
「はじめて自分で入ったよ。にしても相変わらずきれいだね、潤ちゃんの部屋は」
学校を一歩出ると、僕らは下の名前やあだ名で呼び合う。そのメリハリが、僕は好きだった。
「さっきのお酒が残ってるわ。お風呂借りていい?お酒抜きたいんだけど」
「ほんと酒弱いな、樹里は」と、僕。「カシオレばっか飲んでたじゃん」
「そんなことないって。潤ちゃんがハイボール飲んでた時、私も一杯ハイボール飲んでたから」
「そうだっけ?いーよ、入りな」
「ありがと」
風呂場へ向かった彼女を目で見送った。それからもう一杯飲もうと冷蔵庫を開けようとして、止まった。高松さんに見られている。そんな気が胸をよぎり、鳥肌が立った。この樹里との一連の行為を見られていたら。樹里と付き合っていることに、気付かれたら。
いっそのこと、引っ越してやろうか。合鍵を作ったばかりなので避けたいところだが、このやけに監視されたように感じる恐怖から逃げるには、それが得策かもしれなかった。このままだと、樹里にも迷惑をかけることになる。
しかし一度考えてみる。いずれ僕と樹里の関係は、ばれる可能性が高い。何人かの教師間ではだいぶ前からもう関係を認識されているわけだし、それに何より結婚を前提に付き合っているわけでもないのだから、 むしろ知られてもいいような、軽いものなのかもしれなかった。面白がる生徒の様子が目に浮かぶが、今の不安と共に生活するよりは、認知されているほうが楽かもしれない。僕らはきっと、ずっと今のようなこの平穏な付き合いを続けることはできない。もちろん僕はこの平穏な、多くを望まない恋愛が続くことを望んでいる。しかしもうじき、彼女のほうにはきっと限界がくると、僕は確信していた。限界を越えた先には、彼女の中では確実に結婚というリアルが創造されるに違いないだろう。そんな話が具体化していくのだけはゴメンだ。
僕はもう二度と、結婚なんてのはしないからな。
もう結婚なんてしない 堅川 ゆとり @nanjichan
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