またいつかどこかで会おうね

平戸

またいつかどこかで会おうね


 不思議と眠れない冬の夜だった。

 少女はゆらゆらと浅い眠りを繰り返した。まどろむたびに夢を見た。夢を見て、ぼんやりと目が覚めたかと思えば、また次の瞬間には夢の中にいるものだから、なんだか夢世界と現実の境界線上にいるような感覚であった。そして少女を取り巻くそれらの夢は、いずれもあまり内容は覚えていないものの良くない夢だったように思えるのだった。…少女にはどうすることもできなかった。しかしなぜだかこの夜はそれに不快感を覚えることはなくただ少女は自らの状態を受け容れている節があった。

 何度目かに目が覚めた時のこと、少女には初めてはっきりと起きている感覚があった。というのも少女はベッド脇の窓から入る薄い光に起こされたからだ。明らかに夜の色ではない。不透明なガラスのせいで鮮明には見えなかったがそれは確かに…火の色だった。

 ああ、火事が起きているのだ!そう認識すると迷わず布団から出る。室内でも冷たい空気が肌を刺した。階段を降りると寝まきはそのままに厚手の古着のコートを羽織り、外に出る。

 外は夜に似つかわしくない明るさだった。いつもの夜の黒い闇、それをじわじわと侵食する火の気配は町を微かに濡らしていた。現場は思っていたより遠くであるようだ。少女は明るい方へと向かった。町は不思議なほどしいんと静まり返っている。…誰も気づいていないのだろうかと少女は思った。

 しばらく歩いて着いたそこは村の広場の公会堂であった。日頃入ったことのないその木造の建物は鮮やかに鮮やかに燃えていた。これだけ燃えていれば人が来ていそうなものだが、不思議と人の気配はない。世界にわたしだけがいるみたいだわ。少女はそう思った。

 少女はこの光景を、炎に包まれる公会堂を見て、ただ一心に綺麗だと思った。そして暖かさを感じた。無意識に少女はコートの前のボタンを外した。冬の日だというのに春のような暖かさであった。また少女には、もちろん記憶はないが母親の胎内に居たときの羊水の暖かさのようにも思えた。少女はただ黙って闇に躍り上がる鮮やかな炎を見ていた。どうしてだか消そうなどという気は全く起らなかった。

 不意に、人の気配がした。今まで静まり返っていた広場に、まるでひとりだけの世界であったこの場所に、少女の背後からふと足音がしたのだ。少女は振り向いた。

 そこに居たのは友人の少年だった。少女が少年の名前を呼ぶと少年は良い夜だね、と返し、薄くわらって、そのまま少女の隣に歩いて来て少女と同じように炎を見つめた。その瞳にはしっかりとオレンジ色の炎が映っていたが――少女は少年が炎を見つめる理由は自分とは違うような気がした。


「ねえ、」


 少年が呟いた。少女は少年の方を向いた。少年はただ炎を見ていた。 


「もし僕が火を点けたって言ったらどうする?」


 真っ直ぐに炎を見つめているせいで少年の目からは何の感情も読み取れなかった。少女の頭の中でぐわんぐわんと言葉がリフレインする。なぜだかその質問はこの場にはひどく不釣り合いなものに思えたからだった。…そして少女の視線を受けながら、少年はゆっくりと、来ているコートのポケットからライターを取り出した。


「…嘘でしょう」


 少女の口からはまるで思ってもいないような言葉が滑り出た。少女は自分でも不思議に思った。すると少年は微笑んだ。少女はなぜだか不似合いな気がして微笑み返すことができなかった。少女は少年が火を点けたのであろうとそうでは無かろうと、そんなことはどうでも良かったのだ。それよりも…それよりも何か言うべきことがあるような気がした。唐突に、喉の奥、膜を隔てて、言葉が口に出されるべく待っているのを感じたのだ。…しかしそれはついに言葉にならなかった。

 二人はそれ以降一言も口を利かなかった。しばらくたって公会堂が炎に耐え切れず崩れ始め、…それを合図としたかのように二人は炎に背を向け、挨拶もせずにそれぞれの家に向かって歩き出した。

 帰り際に、少女は少年が何か言ったような気がした。それはしずかすぎる世界に耐えかねていまだ盛んに爆ぜる炎が見せた錯覚だったのか、本当に少年が何事か呟いたのかは分からなかったが少女は聞き直すことはしなかった。聞こえなかったように振る舞った。それが少女にとって正しい行動に思えたからだった。

 炎から遠くなるにつれ冬の寒さが戻ってきた。少女は外してあったコートのボタンを掛けると、次第に濃くなる闇に紛れるようにして家へ帰った。そしてすぐに、…朝まで泥のように眠った。



 翌朝少女は起きるとすぐに、何かざわざわとした予感のようなものが背中を駆け巡り、コートを羽織って広場へ向かった。何をしようとしていた訳ではない、ただ何かの予感に従ったのに過ぎなかった。

 広場に着くと少女は目を瞠った。…公会堂がそこにあった。昨晩あれほど鮮やかに綺麗に燃えていた筈の公会堂は、炎に呑まれて崩れ落ちた筈の公会堂は、昨晩という時間がそのまま抜け落ちたようにそこにあったのだ。少女は右手を伸ばしてその壁に触れた。しっかりとした木材の感触が返ってくる。…そのまま呆然と立ち尽くした少女の姿を広場を行き交う人々は不思議そうに見ていた。


 少女は考えた。昨晩のあの出来事はいったい何だったのだろうか。少女はこのときになってやっと、昨晩あれの前までまどろみと夢の狭間に揺蕩っていたことを思い出した。夢のような現実で起き、現実のような夢を見たことを思い出した。ここに公会堂があるのは確かに現実で、…だとすればあれは、あれは夢だったのだ!…それではこの予感は?

少女はその答えを知っているような気がした。


 その後家に帰った少女に、仲の良かった少年が――あの現実のような夢に出てきた少年が、昨晩自殺していたことが告げられた。少女はぼんやりとした予感の正体を知った。…しかし悲しいという感情は湧いてこなかった。涙も流すことはなかった。ただ、なんて鮮烈なさよならなんだろう、そう思った。



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