第12話
本来の目的を、と村の中心部へ向かうと、徐々に異様な空気が漂っていることに気づいた。もともとあまり穏やかではない村だが、これはあまりにも異常だ。
俺の姿を見つけた村人たちは、目を逸らし身を隠し、遠目にこちらを窺っている。村に到着してから時折外に出ていたが、こういったあからさまな反応はなかったはずだ。
――嫌な予感が、胸をよぎる。
自然と小走りになった。小さな村だ、すぐにその姿は見つかる。人込みに隠れるようにフードを被っているのではなく、その誰の侵入も許さぬ真白い髪が日の元に晒されているのなら、なおさら。
「マリーツィア!」
呼ぶと、彼女の白い髪が揺れる。隣に立つリュカは周囲を警戒するように睨みつけていた。
何かを恐れるように、マリーツィアとリュカを取り囲み様子を見る村人。それは、悪い夢か何かのようだ。
「レギオン」
小さすぎず、けれど大きすぎるわけでもない声が俺の名前を呼ぶ。こちらを見た深緑の瞳は、戸惑いから安堵へと色を変えた。
何があったのかは知らない。マリーツィアが自分からフードを外したとは思えない。何かしらのアクシデントがあったんだろう。昼時の、人々の多い村の市場で。
「――怪我はないな」
俺を避けるように割れた人々を無視して、マリーツィアのもとへと駆け寄る。マリーツィアは俺を見上げて「うん」と微笑んだ。安心したのはこちらも一緒だ。
「帰るぞ」
こんなところへ長居する必要はない。俺はマリーツィアの膝裏へ腕を差し込み、そのまま有無を言わさず持ち上げた。マリーツィアは驚いたように声をあげたあと、甘えるように俺の首に抱きつく。
「リュカも。……ちょっと付き合え」
「――ん」
村人の注目を集める中、心地よくもない視線を受け流して家へと向かう。リュカは少し後ろを大人しくついてきた。俺たちの背を見つめる人間はいても、そのあとを追う奴はいない。家が見え始めた頃には、居心地の悪さはなくなっていた。
家に着いた途端、マリーツィアがごめんね、と呟いた。
緊張して固くなっていた身体が、わずかに弛緩する。
「ごめんね、レギオン。気をつけているのに、どうしてこうなっちゃうんだろうね」
腕の中で小さく震える少女は、まるで悪夢にうなされているかのように、何度も何度もごめんねと繰り返した。
普段の無邪気な彼女からは想像できないほど小さくなった姿に、彼女のこれまでの人生が思い知らされる。災厄の乙女として過ごしてきた十五年間は、どれほど彼女を悪意の目に晒したのだろうか。あの閉ざされた森の中ですら、人々は小さな少女へ負の感情を投げつける。
あの森を出てから、マリーツィアはいつだって心のどこかで怯えていた。やっと掴んだわずかな希望が、ほんの些細なことで簡単に崩れ去ってしまうのではないかと。
「ごめんね」
何度も繰り返される言葉に、胸が締め付けられるようだった。
「……気にするな。不可抗力だ」
本当はどうしてあんな状況になったのか推測しかできないが、マリーツィアの頭を撫でてそう答える。彼女は白い髪を隠していた。それだけは聞かなくても分かる。
「でも」
「いいから」
なおも自分を責めようとするマリーツィアの目を手で塞ぐ。泣きたいなら泣いてくれ、頼むから耐えないでくれ。そう何度願っても彼女は一滴も涙を流さずに、俯いて、唇を噛み締めて、身体を震わせる。素直に泣いてくれれば、こちらも慰めることができるのに。
「落ちつけ。俺は怒ってないから。おまえは悪くない、いいな?」
静かに、ゆっくりと、マリーツィアに言い聞かせると、泣くこともしない少女はゆるゆると頷いた。
マリーツィアを椅子に座らせて、振り返る。玄関から一歩の動かずに、申し訳なさそうな顔をしてリュカが立って――立ち尽くしていた。こいつも自分を責めているんだろうな、と俺は胸に溜まった息を吐き出した。
「リュカ」
名前を呼ぶと、リュカの肩がびくりと震える。叱られる前の子どもみたいだ。
「おまえもこっち来て座れ」
「いや、でも……」
躊躇う姿に、ため息を吐き出す。すぐ傍のキッチンで鍋にミルクを注ぎ、温める。リュカはおろおろと俺の背中を見つめているばかりで、座ろうとしない。
「リュカ。おまえまで俺がエスコートしなきゃ座れないのか?」
茶化すように言うと、リュカは頬を赤く染めて椅子を乱暴に引いた。マリーツィアを向かい合わせで座る。
くつくつとミルクが鍋の中で温められる。ほどよい頃合いを見計らってカップに注ぎ、マリーツィアとリュカの前に置いた。ホットミルクなんて、子どもっぽい飲み物も、こういう時は心を癒してくれるだろう。
二人ともしばらく無言のまま、湯気のたつホットミルクを見つめていた。俺はキッチンに背を預けて自分用のコーヒーを飲む。石かなにかになったんじゃないかと疑いたくなるくらいに、座ったまま固まっている二人を見て「冷めるぞ」と声をかけた。すると先にマリーツィアがカップに手を伸ばして、そっと口をつける。ここまで香る甘い香りに、マリーツィアはわずかに頬を緩めた。つられるようにしてリュカもまた一口飲む。ほぅ、と一息吐きだすと、固くなっていた身体がゆるゆると力を抜いていく。
カチコチと、時計の音がやたらと大きく部屋の中に響いて。
自分のコーヒーを飲みほしたところで、俺は二人を見た。
「……それで、どうしてあんなことになったんだ?」
二人ともホットミルクを数口飲んだところで、あまりきつくならないように声を抑えて問いかけた。リュカはカップを両手で包み込んで俯き、マリーツィアは俺を見上げる。
「ちゃんと、フードをかぶっていたんだけどね。男の人とぶつかった時に、フードがひっかかっちゃったみたいなの。それで、気づいたら……」
村人の目は、その白い髪に集まっていた。この村にとってはまさに災いの象徴ともいえる、その白に。
「ああいうの、久しぶりだったから、足が竦んで動けなくなっちゃった」
苦笑いを浮かべて、マリーツィアは温くなり始めたカップを握りしめた。グリンワーズの森にいた頃の彼女は、どんな視線を浴びせられても、気にもせずに笑っていた。それは、とても歪な笑顔ではあったものの、彼女は自分を守るために気づかないふりを続けることができたのだ。心の痛みに鈍感になること。それは、果たして良かったのか、悪かったのか。こうなるとよく分からなくなる。
「……仕方ないな、マリーツィア。出立の準備をしておけ」
はぁ、とため息を吐き出してそう告げると、マリーツィアは顔をあげてこちらを見る。大きな瞳は、どうして、と訴えていた。
「こんな状況で、長居できるわけがない」
ヒルダの二の舞なんてごめんだ。言外にそう告げると、リュカは唇を噛みしめて俯いた。しかしマリーツィアは意志の強い深緑の瞳で、俺を射抜くように見つめてくる。
「大丈夫だよ」
どこからそんな自信が湧くのだろうかというくらいに、しっかりとした声で、彼女は俺に告げた。先程まであんなに怯えて、震えていたくせに。
「びっくりしたし、ちょっと怖かったけど、でも大丈夫。この村の人は、私を傷つけたりしないよ」
「……どうしてそう言い切れる」
既に前例があるというのに。俺はわずかに苛立ち始めた心を理性で抑えつけながら、マリーツィアを見下ろした。
「村の人も、怯えていただけだよ。殺意とか憎悪とかあったわけじゃない。分かるの、私は今までいろんな人から、いろんな目で見られたから」
だから、大丈夫だよ。マリーツィアは柔く微笑みながらもう一度そう告げる。それは、確証があるわけでもない、ただの少女の勘。
結局のところ、この少女に絆されてしまうんだと俺は知っていた。彼女が決めたことを、俺は覆せない。この先彼女に危険が及ぶようなことがあるとしても、彼女はその道を進むという。なら、俺はその傍にいることしかできない。
「……わかった。今回だけ、見逃してやる。次に同じことがあったらもう譲歩しないからな」
釘をさしながらも、結局折れるのは俺の方だ。勝敗なんて初めから分かっているけれど、負ける度に苦々しい。本当はすぐにでも村を発ってしまった方が、マリーツィアが危険な目にある可能性は格段に減るのに。
「うん、勝手にするね」
マリーツィアは嬉しそうに笑って、そういうものだから、本当に始末に負えない。十も年上の男を手のひらの上で転がしてやがる。それも無自覚で。
「……俺は、あんまりおすすめしないけど。けどまだこの村にいるっていうなら、少しくらい協力してやるよ」
カップに残っていたミルクを飲みほして、リュカは立ち上がる。あまり気乗りしていないその表情は、たぶん俺と同じことを懸念しているからだろう。
「俺はこの村の人間だけど、他の奴らの考えていることは分からない。でもたぶん、マリーが言っていることは間違っていないと思うよ。……誰だって、傷つけたいわけじゃないんだ」
玄関の扉を開け、外へと出る瞬間、リュカはぽつりと呟いた。それはまるで願いのように、小さく、小さく。
ぱたん、と閉じた扉の音が、その願いを押しつぶすように空しく響いた。
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