王都編

第1話


 ずっと、世界の終わりを待ち望んでいた。

 深い深いあのグリンワーズの森の奥で。

 自分の死と共に訪れる、この小さな世界の終焉を。




 死ぬまで出ることはないだろうと思っていたはずの、グリンワーズの森の外に私は立っていた。生涯無縁だとさえ考えていた王都のにぎわいの中の一部となって、自分でもびっくりするくらい周囲の目に怯えることなく堂々と歩いている。

 はぐれないようにと隣を歩くレギオンのマントの裾を握り締める。それだけが私の中にある確かな感覚で、周囲の騒音はどこか遠いもののように感じた。彼は騒がしい人混みに慣れているのか、すたすたとよどみなく歩いている。

「ねぇ、これからどうするの? どの国にいくの?」

 足の速いレギオンに合わせると身長差があるので私は自然と小走りになる。背の高い彼を見上げて問うと、レギオンはちらりとこちらを見た後で、落ちかけていた私のフードを片手で直した。

「随分と気が早いな。本格的な旅支度をするのにしばらく王都に留まるんだよ」

 予想外のレギオンの返答に私はぽかんと口を開けた。

「え、だって……泊まれる宿あるの? 私――」

 災厄の乙女なのに、という言葉は素早く飛び出してきたレギオンの手によって声にはならなかった。馬鹿、と小さく彼は呟く。

「普通の宿は無理だろうな。だが他につてがある」

「つて?」

「いいから黙ってついて来い。おまえが口を開いていると不安で仕方ない」

 ふぅ、と呆れたようにため息がレギオンの口から零れる。

 その瞬間に胸の中に言いようのない不安が膨れたけれど、それはすぐにしぼんで消えた。きゅ、とマントの裾を強く握りしめて私はレギオンの言う通りにただ黙りこむ。俯いて、石畳をじっと見つめた。

 市場のにぎわいを抜け、裏へ裏へと入っていくと、そこはほのかに甘く芳しい香りのする場所だった。人らしい人の姿はあまり無く、店らしき建物の扉は、稼ぎ時の昼過ぎだというのに閉ざされたままだ。

 異様な空気に、何故か言いようのない不快感が湧いてくる。ここにあまり長く居たくないと本能が騒いでいた。

「レギオン、ここ、何?」

 マントの裾をくいっとひっぱって問うと、レギオンは少し困ったような顔をして見下ろしてきた。

「……歓楽街だな」

 かんらくがい。馴染みのない単語に首を傾げた。グリンワーズの森の外へ出たことのない私には知らない単語が多い。王都へ辿り着くまでも、あちこちいろんなものを見ては何度もレギオンに問いかけた。

 さらに問い詰めようと口を開いた時だった。

「あらぁ? もしかしてレギオン?」

 驚いたような、からかうようなそんな感じの若い女の人の声が聞こえ、私もレギオンも声が聞こえた方へと振り返る。

 人気のない道の真ん中で、薄手の服でまるでむき出しの肩を見せびらかすような姿の女性がこちらに歩み寄ってきた。

「ああ、ラナか」

 レギオンが何の感慨もなくぽつりと呟く。知り合いなのだろうか、と私はレギオンを見上げた。ちょっと意外だ。レギオンは堅物だから、こういう華やかな女性とは親しくないのではと心のどこかで思っていたのだ。

「久しぶりじゃない。全然来ないと思ったら……いつの間にそんな可愛い子を捕まえていたの?」

 ラナという女性は白っぽい灰色の髪に、青みがかった深い緑色の瞳をしていた。どことなく感じた違和感は、胸の中で疑問としてひっかかる。

「馬鹿言うな。マダムは館か? 部屋を借りたいんだが」

 茶化すような口調に少しも動じることなく、レギオンはいつもの真面目くさった顔で問いかける。

「……色気のない男ね、相変わらず。娼館で女も買わずに過ごそうなんてありえないわよ?」

 しょうかん。私は声に出さずに繰り返した。どこかで聞いたことのあるような、ないような単語だ。そこがレギオンの言っていた『つて』なのだとしたら、女性のこの反応はあまりよくない雲行きなのではないだろうか。

 心配する私をよそに、レギオンは勝ち誇ったように笑っていた。まるでこの先の筋書きをすべてわかっているみたいに。

「マダムに会わせてくれ。たぶん、俺の要望は聞き入れられる」

 不敵な笑みを浮かべるレギオンに、女の人――ラナさんも不思議そうに首を傾げていた。私は頭上で飛び交ったいくつもの知らない単語のせいで、いまいち状況が掴めない。

 不安を隠さずに見つめていると、そんな私に気がついたレギオンは柔らかく微笑んで頭を撫でてくる。

「行くぞ」

 そう言いながら差し出された手に、当然のように自分の手を重ねた。マントの裾よりずっと温かいぬくもりに、私がとてもほっとしたことなんてこの男は気づいていないんだろう。



 ラナさんを先頭にして向かった先は、館という言葉がまさしく似合う大きな建物だった。赤いレンガ造りの壁には蔦が這っている。その様子はグリンワーズで暮らしていた塔と、さほど変わらないはずなのに――古びた印象を持たせることなく、むしろ重厚な雰囲気をより一層濃くしているようだ。

「どうぞ。まだ準備中なんだけどね。マダム! お客様よ!」

 扉を開けると花のように甘い香りが漂った。館の中は外見に反することなく豪華絢爛だ。真紅の絨毯に、品の良い家具、埃一つないように全てに行きとどいた空間だ。貴族様の家というのはこんな感じなのかもしれない。

 その美しさに見惚れていると、ばたばたと艶やかな黒髪の中年の女性が慌ただしく駆けつけてきた。

「なんだいラナ。騒々しいね。店はまだ開かないだろ!」

 少し苛立ったように話しながらラナさんを見て――そしてこちらを見た。

「店のお客さんじゃないのよ。マダム」

 ラナはそう言いながらレギオンを指差した。マダムは目を丸くしてレギオンを見ている。

「久しぶりだな」

 レギオンが苦笑しながら挨拶すると、マダムの表情が柔らかくなった。

「久しぶりじゃあないか! 前に仕事でうちに居ついた時以来かい? 騎士団を辞めたって風の噂で聞いてだけどねぇ、いや、教官をやっているんだったかい?」

「教官も辞めたよ。今日は少し個人的な頼みで来た」

 レギオンが小さく「マリーツィア」と呼んだ。手を繋いだままだったが、少しだけレギオンの後ろに隠れるようにしていた私の背を押す。

「フードを」

 はずせ、と言われて困惑した。そのままの顔でレギオンを見上げると柔らかく「大丈夫」とレギオンは笑った。

 ずっとフードをかぶって隠していたのは『災厄の乙女』の証たる真っ白な髪と、深い緑の瞳だ。災厄の乙女がグリンワーズの森から抜け出したことを知るのはレギオンの他に、あの大神官しかいない。例えば街に同じ特徴の人間がいたとして、本物の災厄の乙女が森にいると信じられている限り問題はない、はずだ。

 問題ないと、しっかり断言できないのは『災厄の乙女』と疑われて亡くなったレギオンの妹さんのことが心のどこかでひっかかっているからだろう。『災厄の乙女』の特徴は――関係のない人々にまで影響を及ぼした。その事実を、私はもう知っている。


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