第2話
「――マリーツィア?」
繋いだ大きな手がぎゅっと、強く握りしめてくれる。ぱっと顔を上げるとレギオンが少しだけ心配そうに私を見下ろしていた。
大丈夫、そんな意味を込めて微笑んだ。繋いだ手を一瞬だけ放してフードをゆっくりと背におろした。
「――――」
息を呑む気配に、身体が震えた。
重たい空気がその場を支配している。息を吸っても肺が押しつぶされるんじゃないかと思うほどに圧力があった。
目の前の二人の、刺すような視線から逃れる術はないかと思考を巡らせるけれど、頭は上手く働いてくれない。
「……あんた、この子をどうしたんだい」
マダムの強い目はレギオンを見ていた。低く問う声は、逃げることを許さないほどの力がある。
「そこは言えない、察してくれ」
レギオンの声もマダムに負けないほどの力が込められていた。一歩も譲るつもりのなさそうな様子に、マダムは呆れたようにため息を吐く。
「騎士を辞めて人売りにでもなったのかい。うちは買わないよ」
「冗談。こいつは俺の連れだよ。ただこの外見だからな、普通の宿じゃ泊まれないだろう?」
ふ、と笑いながらレギオンは私の頭をぽんと撫でる。
「……うちは、そこらへんの安宿とも違うんだがね。まぁ、あんたには借りがあるし、一部屋好きにしていいよ」
マダムは大きなため息を吐き出しながらそう言う。よくわからないけれど、交渉は成立したらしい。
「ラナ、案内してやりな」
ラナさんはくすくすと笑いながら景気良く返事をする。騒ぎに気づいたのか他の女の人達も少し遠くからこちらを見ていた。レギオンの姿に気づくときゃあ、と明るい声ではしゃいでいる。
ラナさんを先頭に、その後ろに続いているレギオンの背中を追うようについていったけれど、周囲の視線に何故かむっとしてレギオンの隣に並んだ。
「どうした?」
隣を歩きながら上着の裾をぎゅっと握りしめると、レギオンが不思議そうに問いかけてくる。
「別に。何でもない」
湧き出た感情を上手く説明できずに、便利な言葉で誤魔化した。
レギオンに集中していた視線がこちらに向けられていることに嫌でも気づかされる。なぁに、あの子、と今頃私に気付いたらしい声に、ますます胸がむかむかする。ひどく居心地が悪い。
「ここよ。はい、鍵」
ラナさんは一つの大きな扉の前に立つと鍵をレギオンに渡した。
苦笑するレギオンの耳元にラナさんは口を寄せて、何かを囁いた。反対側のレギオンの隣にいる私にすら聞こえないような、小さな声で。
「……言われなくても分かっている」
「はいはい、そうでしょうね。そこらへん私達は責任とらないから、しっかりしてちょうだい」
くすくすと、またからかうように笑うラナに「とっとと行け」とレギオンは適当にあしらう。受け取った鍵で扉を開けると、扉の向こうからも濃い甘い匂いがした。
「何て言われたの?」
部屋に入りながら問うと、レギオンは顔を顰めて私から顔をそらした。
「どうでもいい話だ」
はぐらかされたと気づいたけれど、深く追及はしなかった。
部屋の中は思いのほか広く、その広い部屋の中には大きなベッドが我が物顔で堂々と鎮座していた。窓辺には大きめの長椅子があり、残りは化粧台と小さな衣装棚くらいだ。およそ生活に必要な家具ばかりが足りない気がする。
「ベッド一つなの?」
首を傾げながら呟く。同じ部屋を使えというから、てっきり二人部屋なのだと思った。そもそも部屋の大きさとしては普通のベッドならば余裕で二つ並べられるのにも関わらず、大人二人が寝ても余裕そうなベッドがあるだけだ。
「おまえが使え。俺は長椅子でいい」
レギオンは素っ気なく答えながら荷物を置いた。
「別に二人くらい眠れそうだよ? 大きいし」
「馬鹿」
ただ事実を言っただけなのに、たった一言で叩き潰される。
王都へ来るまで一日半使ったけど途中宿に泊まるわけにはいかなかったので野宿で過ごした。その時には私がレギオンの隣に眠っても何も言わなかったのに、おかしな話だなと思う。
・
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深い深い森で独りきり。
足元に咲くのは小さな白い花。
周囲にあるのは森特有の薄暗い闇だけで。
「――レギオン?」
不安で名前を呼んでも、金髪の青年はどこにもいない。あの綺麗な紫の瞳が見つからない。
どうして、と叫びたい自分と、ああやっぱりとどこかで諦めている自分がいた。災いを呼ぶ人間の傍になんて、誰もいてはくれない。いつも優しい仮面をつけて、心の底ではこちらを値踏みして、そして疎んでいる。
塔にやってくる人間の中には、こちらを憐れんで話しかけてくれる人もいた。しかしそれは純粋な優しさではないのだ。塔での勤務の間、ただ相手をしているだけ。ちょうど野良猫にその場限りで餌を与える行為に似ている。優しさだけを与えて、本当の意味で救ってやろうなんて思っていない。
だから、諦める癖がついていた。
手を差しのべられても、簡単にその手を取ろうとはしなくなっていた。ただ笑って誤魔化して、自分自身が必要以上に懐に入ることを防いだ。
裏切られて、傷つきたくないから。
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