第7話 脱獄する男

 ゴルから連絡があった。

 例の密会スポットに夜中寄ってみると、明日の朝指定の場所に来い、という暗号メモが置いてあった。

  ……そもそもなぜあの男は、わたしたち帝国出身の密偵の暗号を知っているのか。ファルネはそんなことにも苛立つ。

 一時期は、彼こそが帝国密偵ギルドの長<灰色>ではないかと思ったものだ。全く的外れだったが。


 翌朝、メイド服で庭にある古い東屋のひとつに向かう。半地下になっているスペースに入り、壁にしか見えない扉を押すと、音もなく開いた。

 こんな場所があるなんて、まったく把握してなかった……。ファルネは唇を噛む。先日、ゴルが言っていた「あるかもしれないもの」とは、こういう隠し地下室のことだったのか。

 狭くて暗い螺旋階段を降りてゆくと、また壁にしか見えない扉に突き当たる。中に入ると、小さめの食堂ぐらいの、薄暗い空間が広がっていた。

 ファルネはさっと周囲を見回す。地下牢だ。左右に三つずつ房がある。房の間は石造りの壁で仕切られ、正面には鉄格子がはまっている。


「誰じゃあ?」


 間延びした老人の声がした。正面奥の壁ぎわに椅子と小さな机が置いてあり、公爵家の鎧と兜を身に着けた老人が座っている。長く白い顎髭が鎧の胸に届きそうだ。ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。


「美人さんじゃあ」


「お、来たか。ファルネ、こっちだ」


 老人の横、いちばん左奥の房の中からゴルが顔を見せ、鉄格子の間からひらひらと手を振ってみせた。


「ゴル、何をやってるの?」


「ここで暮らしてる。ちょっとした調査と休暇を兼ねてな」


 意味がわからない。ファルネはため息をつきながら、ゴルに向かって歩いてゆく。


「それにしてもあんた、牢屋にいるの似合うわねえ」


 言ってやった。


「ああ、自分でもそう思うぜ。男っぷりがあがるだろ?」


「ハッ、皮肉も通じないのね」


「ファルネ、彼はブルスト、この地下牢の守衛だ。ブルスト、こいつはファルネ、俺の仕事の知り合いさ。公爵家のメイドだから警戒する必要ないぜ」


「そうか。美人さんじゃあ」


「こんにちは、ブルストさん」


 二度も美人と言われたので、最上級の笑顔で挨拶してあげた。


「それで、ここにわたしを呼んだ理由は?」


「何か見つけたら教えると約束したからな。ここが、公爵家の隠し地下牢だ。たぶん知ってる奴は数人しかいない」


「……そう。情報ありがとう。いまはあんたしか入ってないようだけど」


「それはどうだろうな」


「……どういう意味?」


「まあ、そのうちな」


 返事になってない。


「さて、じゃあ俺は朝から一杯飲むぜ。ブルスト、イカいるか?」


「おお! あれはいいもんだあ」


 ブルストはにんまり笑い、鉄格子の間からゴルが差し出したイカの足を受け取った。


「……わたしにはくれないの?」


「ちっ、こいつは値打ちもんなんだが……しゃあねえ。ほれ、一本やるよ」


「イカの足ひとつにケチケチする男って、イヤねえ」


 そう言いながら受け取ってなにげなく口に入れると、強烈な塩気と、生臭くなる寸前まで濃縮された旨味がファルネを直撃した。


 (……裸足で走った森の暗さ。足裏に突き刺さる松ぼっくりの感触。ファーレ。ファーレの涙をたたえた瞳……。)


 はっ、と我にかえり、ファルネはイカの足を吐き出す。

 これは何だ。眠っていた何かを呼び起こすこれは……。

 思わずゴルのほうを見ると、彼はイカをもむもむと食べるブルストに、真剣な顔で話しかけていた。


「ブルスト、あんたは言ったんだったな。かわいそうに、と。そこまでせんでええのに、と」


「……うむ……。そう言ったわい……」


「誰にむかって、そう言ったんだ?」


「……だれ? だれ……だれじゃった? うむ……ようわからん」


「……そうか。その、ようわからん誰かは、牢屋でなにかしなかったか……?」


「ああ……。そうじゃの……。光が……なにか光がな……」


 夢うつつでそう答えるブルストの頬には、なぜか光るものが見えた。

 ゴルはファルネのほうに目配せした。もう行け、という意味だと取って、小さくうなずく。ゴルは「今日の夜」と口の動きだけで伝えてきた。

 ファルネは静かに泣いているブルストをちらりと見たあと、音を立てずに地上に戻っていった。



☆★☆★☆



 その日の深夜近く、隠密衣装に着替えてふたたび地下牢に下りていったファルネは、ブルストが椅子に腰掛けたまま、ぐっすりと寝ているのを見た。

 ゴルは朝と同じように牢の中におり、ごろんと寝転がっていた。

 その眼は昏く濁っているように見え、ファルネはわずかの間、声をかけるのをためらった。


「よう」


 ファルネに目をやると、ゴルのほうから手を挙げて挨拶してくる。


「ブルストさん、どうしたの?」


「ああ、疲れて寝ちまった。だいぶ無理させちまったよ……」


「……何かわかったの?」


「この牢には房が六つあるが、たぶんもう長いこと、誰もここで暮らしたことはないな。囚人はなにかしら跡を残したがるもんだが、ここには落書きも引っかき傷もまるでねえ」


「つまり、もう使われてないってことでしょ?」


「使われてない牢屋に、守衛を置くかい?」


「…………」


「何かしらあると思ってしつこく聞いたら、ブルストが思い出してくれたよ。それも、わりと最近さ。二年ほど前だ。爺さんの話から時間を確定するのは苦労したぜ……」


「……ねえ、あのイカの足はなんなの? ブルストさんに害はないのよね?」


「害なんかあるもんか。ベアリグ海で獲れる貴重な魚介類の干物だ。真実イカっていうんだ。頭の働きをよくする、とくに記憶を戻すのに効き目があるって言われてるのさ。医療にも使われてるマジックフードだぜ」


 ゴルは憤然とした口調で言い返した。


「ついでに言えば、干物一束で、ミスリルの鎧が買えるほどのお値段だよ」


「どうせ、どっかの誰かからタダで巻き上げたんでしょ」


「……ご名答だ!」


 ゴルは満面の笑みを見せた。


「まあいいわ。それで、何が聞き出せたの?」


「この牢には、仕掛けがあるってことさ」


 ゴルはむくりと起き上がった。


「ブルストの記憶はだいぶ封じられてたが、思ってた通り、この牢のからくりを心の底に刻んでくれてたぜ。この歳までぴんしゃんしてるんだ、生来脳の働きがいい人間なんだろうな」


「からくり……? この牢のどこに、からくりが……?」


「この牢の本体は……この奥の壁だ。他はぜんぶ見せかけの飾りだよ」


 ゴルは奥の壁に向かって立ち、掌を壁に押し当てる。壁はどう見ても普通の石壁にしか見えない。


「さて、行けるかね……。いけなきゃ、魔術師を呼んでこなきゃいけなくなるが……」


 ぶつぶつ呟いたあと、ゴルの口調が変わる。


「<テバミス……テルバミス……テスバスミス・テス……>」


 ゴルの口から、呪文のような音が漏れると、壁に薄緑色に発光する魔方陣が浮かび上がった。


「<解放せよ!>」


 壁の中から、男の身体が浮かび出てくるのを見て、ファルネは思わず息を呑んだ。

 顔全体を覆う黒い仮面をつけた男は、浮き彫りのように壁の中で静止していたが、少しずつ押し出されるように前に出てきて、頭のほうからべろりと傾いてくる。

 もたれかかってくる身体を、ゴルはいかにも嫌そうに受け止め、男が完全に壁を抜けると、ぞんざいに床に放り出した。

 男は意識がないらしく、全く動かない。


「……生きてるの?」


「ああ。体温はちょっと冷たいな」


「そう……。たぶん魔術的封印ってやつね。魔術師ギルドなんかで使われる刑罰のひとつだと聞くわ」


「さすが帝国屈指の密偵、詳しいねえ」


「やめて。それより、その仮面……」


「そうだな、やばい感じがする。うかつに外せねえタイプかもな……。ちっ、ひとつ謎を解いたらまたひとつ、か」


「これ、誰なのかしら……」


「顔も見えねえのにわかるかよ」


 ゴルは気だるげにゴキゴキと首を回した。ものすごく不機嫌そうだった。


「だが俺が思ってる通りなら、これを仕組んだ奴は、俺以上の鬼畜だぜ」


 ゴルは険しい顔で、眠るブルストに目をやる。どうやらかなり怒っているらしい。怒りの理由もわからぬままファルネはその迫力に呑まれ、横顔を息を殺して見ていた。



☆★☆★☆



「すまんな。今日はここで寝てくれや」


 牢の中にブルストを寝かせ、汚い毛布をかけてやりながら、ゴルは呟いた。そして、その横に自分もごろんと転がる。


「何してるの、あんた」


「寝ようとしてる。ファルネ、あんたはすまんが、その男を伯爵邸に運んでくれ。ここに寝かせてたら衰弱するばかりだからな。魔術師を呼んで仮面を調べるよう、伯爵に頼んでくれや」


「女に人ひとり運ばせて、自分はのうのうと寝てようっての? 冗談じゃないわ。あんたも来なさい」


「俺が行ってどうする。おまえと違って、俺はここ出たらもう入れないぞ」


「密偵なめんじゃないわよ? 秘密の出入り口はここ来た日に開拓してあるからね。あんただって出入りできる完璧なルートよ。あんたは安心して、伯爵と交渉なさい。でなきゃわたしも、ここ動かないわ」


「いやだから、俺が行ってどうなるんだっての……」


「ぶつぶつ言わない! さあ、夜は長くないのよ。行きましょ」


 渋るゴルを一喝すると、ファルネは仮面の男を背負った。幸い男は痩せて小さな体格だった。もちろんずっしりと重いが、ファルネにとってはどうというほどのこともない。


「勘弁してくれよ……」


 なおも愚痴をこぼすゴルを従えて暗い庭に出ると、例の密会ポイントを目指す。

 密会ポイントから少し離れた塀際に貼り付き、ファルネは衛兵の気配に耳を澄ます。塀の外に人がいないことを確認したあと、男をいったん肩から降ろして、鉤爪つきのロープを使ってするすると塀を登り、打ち込んであった金具に縄を結び、その縄を伝ってまた下りてきた。


「はあ、やっぱ縄かよ……」


 ゴルは小声で文句を言う。


「縄以外に何があるってのよ。ちゃんと塀の上に金具打って、重たいものも運び出せるようにしたんだから……感謝しなさい」


「なんで俺が感謝しなきゃいけないんだ……?」


 不平をもらしつづけるゴルはもう放置して、ファルネは仮面の男の身体を担ぎ直し、手早く縄をたぐって塀を登った。一流の密偵なら、この程度のことは遅滞なくできて当たり前だ。

 登りきったところで、下にいるゴルに、上がってこいと合図する。「うええ……」と情けない声がして、はっ、はっ、と荒い息が聞こえはじめた。

 ファルネは塀の上で、ちょっとだけにんまりする。ゴルが苦労している声を聞くのは、気持ちがいい。

 訓練を積んだ密偵ではないかとゴルを疑うたびに、結局否定することになる最大の理由が、これだった。ゴルは運動能力が極度に低いのだ。常人以下、それもかなり下だと言っていい。まあ、あれだけ飲んで寝てばかりいたんじゃ当たり前よね、とファルネは思う。


「まだなの? ここ丸見えなのよ! 衛兵に見つかっちゃうわよ!」


「はっ……はっ……だ……だから……俺は行きたくない……って……言ったじゃねえか……くっ……」


 ようやく塀の上にたどり着いたゴルは、もう息も絶え絶えだった。


「や……やべえ……腕が痛え……」


「さあ、まだ先は長いわよ。今度はこれを降りるから」


 いま使った縄を金具からほどいて巻き取る。金具にはもう一本、壁にあわせて色を塗った長い縄が結んであり、屋敷の外に向けて垂らしてある。その縄をゴルに握らせながら、ファルネは言う。


「この下、河だから。だから衛兵がいないのよ。いちおう下に船をつないであるけど、少々濡れるのは覚悟して。あと、落ちたら大怪我するかもしれないから、縄離さないように」


「も、もうイヤだ……悪魔め……」


 ゴルの泣き言に、くくくっ、と喉の奥から笑いが漏れるのを抑えられない。

 久々に楽しい気分で、ファルネは男を背負ったまま、慎重にロープをたぐり地の底に降りていった。

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