戦勝の宴

「ふむ、興味深いな」

「まあ、兄上の歴史では起きなかった戦いですからね」

「ふ、そう仕向けたやつが言いよる」


 長篠の戦の概要を話し終えると一度息を吐いた。


「まあ、あれだ。勇名とか評判というやつはあれで侮れんからなあ。そういう意味では儂も権六や又左に助けられておった」

「ほう、珍しい。部下をほめるとか」

「ふん、部下の大切さを説いたのはそなたであろうが」


 いつぞやの飲み会での説教を思い出していいるのか、二日酔いの薬を噛み締めたような顔をしている。


「余計なことでしたか?」

「いや、良薬口に苦しという。諫言を退けるほど狭量では天下は取れぬよ」

「そう思っていただければよいのです」

「しかし、あの一言は堪えたわ。部下は使うもので頼るものではないと父の教えを盲信しておった。だがおぬしの存在がその蒙を啓いた」

「大げさな」

「おぬしの知る歴史でわしが天下に届かなんだはそういうことであろうよ」

「であれば口幅ったいことを言うた甲斐があるというもので」


 そして俺たちは目を見合わせて笑う。いつぞやの戦勝祝いの宴を思い出していた。


 永禄三年。尾張は驚愕と興奮に包まれていた。勝ち目は皆無と思われていた戦に勝利した信長を皆が称えた。

 尾張南部を除き7割程度が織田弾正忠家の支配下にあった状況であるが、今川の当主討死という最悪の敗退によって勢力図は塗り替えられた。三河国境地帯の国衆はこぞって人質を差し出して織田家への服従を誓う。

 長島に近い地域はいまだ願正寺の勢力が及んでいるが、敵対行動は鳴りを潜めた。この時点では本願寺勢力と敵対しておらず、潜在的な敵対勢力という状況であったことにもよる。


 清須城では戦勝の宴の準備が執り行われていた。正室の帰蝶が陣頭指揮を執り、裏方、女衆に下知を下す。

「よいか、殿は大きな武勲を上げられた。殿の名は天下に鳴り響いた。日ノ本一の弓取りにふさわしい宴に仕上げるのじゃ!」

「「「ははっ!」」」


 信長は力持たぬ者に対しては優しかった。村長に財産を横領された老婆を助け、村長を斬った噂は尾張ではよく知られている。一銭斬りの布告で国内の治安は急速に安定化した。

 私利私欲のために力を振るうものは許さず、譜代の家臣の縁者を罰したこともあった。

 祭りの環に入ってひとしきり踊ったときは村長が腰を抜かし、そのさまを見て大笑いした。

 末端の民とふれあい、その話をよく聞いた。秀隆の勧めもあるが、すぐに改善できることは借財をしてでも実施した。

 国が富めば商売がしやすくなる。信長の経済政策を敏感に察知した商人たちは織田家への援助を惜しまなかった。

 こうした国づくりが実を結び、そして今川撃破につながったのだと領民はこぞって喜びの声を上げる。


「この野菜をお殿様と兵の皆さまで召し上がってくだせえ!」

「酒をお持ちしました! 都の美酒にございます」

「これで今川におびえなくて済みます! この米、皆様で!」


 商人や領民が食料や酒を持ち込む。どこの誰が持ってきたかを詳細に記録するのは秀隆の命だった。

「もらいっぱなしは義理に反するよね」


「皆のもの、此度は当家の勝利を祝いささやかながら宴を張ることとした。楽しむがよい!」

 信長が音頭を取る。そこに秀隆がすっと割り込んだ。

「お主らの勇戦が此度の勝利を呼び込んだのだ。働きに応じて扶持を与える故楽しみにしておるがよい!」

「ちょ、秀隆!?」

「いやあ、兄上は太っ腹じゃ。こんな天下一の主君を持てて我らは幸せじゃのう!」

「「「うおおおおおおおおおおお!!」」」

 秀隆が信長の脇をつつく。杯を上げてその先を促した。

 信長はやや憮然とした表情をかくし、笑みを浮かべて乾杯の音頭を取った。


「どういうつもりじゃ! 三河国境は確かに平定されたがいまだ表裏穏やかならぬ。鹵獲物資はあるがそれも大したものではない。恩賞をどこからひねり出すのじゃ!?」

「まあ、一時金でしょうな。領土は今後の働きに応じてということで」

「ぐぬ。また赤字ではないか……」

「今川の脅威が去り、三河方面が落ち着けばすぐに元は取れます。人は欲によって動くのです。気前の良い主君という評判は裏切りの危険を大きく下げられます。ここは孫子て得を取りなされ」

「うぬ。仕方あるまい」

 笑顔で談笑しているふりをしながら裏側では舌鋒鋭く議論をしている。というか事実上は秀隆に丸め込まれる信長。

 それに本人も気づいているのか、杯を開ける回数がいつもより多い。そしてやや酒が過ぎた状態で下戸の木下小一郎に絡み酒を始めた。

 木下兄弟は秀隆の抜擢を受け、農民出身ながら武士の身分を受け目覚ましい働きを見せている。当然というか嫉妬のまなざしが集まり、信長が絡んでいることの尻馬に乗ってはやし立てる者も出だした。


「ほれ、祝い酒じゃ。ぐっといかぬか」

「申し訳ございませぬ。これ以上飲んでは粗相をいたしかねませぬ。平にご容赦を」

「お殿様。弟は生来酒に弱く、粗相があっては申し訳のしようもございませぬ」

「なんじゃ? わしの酒が飲めぬのか?」

 信長の表情がどんどん剣呑になってゆく。そして状況を打破する者は唐突に現れた。信長の側頭部に飛び蹴りが突き刺さったのである。

「兄上、我が部下の不手際、代わって謝罪申し上げる」

 横倒しになった信長のマウントを取り、徳利を手に笑顔で告げる秀隆。

 そのまま鼻をつまみ、口を開いたところに酒を流し込む。

「どうも兄上は酒が足りておらぬ様子。今宵はめでたき宴故、心行くまで痛飲されよ」

「もが、もががががががががががーーーーー!?」

 周囲の家臣は目を丸くして秀隆の蛮行に唖然とする。一気に酒を流し込まれ、信長はさっくりと昏倒する。

「おお、酔いつぶれられましたか……義姉上、兄上の介抱をお願いいたす」

 騒ぎを聞きつけてやってきた帰蝶に信長をポイっと投げ渡す。

 そのあとは秀隆が宴を盛り上げていった。勇戦した者にはその戦いぶりをたたえ、情報を持ってきた者には孫子を引用して勝利に貢献したと告げる。無論その言葉は信長から聞いたのだが、殿は素直でないところがあるため、これはこっそりと告げるのだ、と言い添えた。

 こうして家臣たちは織田家への忠誠を新たにして宴を楽しんだのだ。


 翌朝、信長に呼び出された秀隆は昨晩の様子を伝える。附子をかんだような顔で聞くが、家内の結束が高まったことを聞いてとりあえず矛を収めた。

 そして秀隆の反撃が始まった。


「さて、兄上は当家を崩壊させるおつもりか?」

 信長のキョトンとした顔は珍しい。そう思いつつ秀隆は言葉を繋げる。

「家臣の働きがあって当家は存続しており申す。兄上一人の力ではない。無論兄上の力量に負うところは大きいですし、兄上なくば当家は存続すら難しいでしょう。新興勢力ゆえね」

「何が言いたい?」

「木下兄弟は良く働いてくれております。そのことについてはどう思いますか?」

「お前の言う通りじゃ」

「なれば、絡み酒はおやめなされ。また家臣たちにも同様の布告を。体質というものがあり申す。力が強い者、足が速いもの、それぞれ個性があります。酒が強い、弱いもそこによります」

「む、うむむ……」

「酒が弱いものに無理やり飲ませれば死ぬこともありますぞ?」

「なに?!」

「昨日、小一郎に無理やり酒を飲ませ、その結果あ奴が死んだとすれば、藤吉郎とそれにつながる川並衆の離反は避けられませぬ。そこに思いは至っておりましたかな?」

「すまぬ。秀隆よ、また助けられたな」

「いえ、ですが、酒は毒にも薬にもなり申す。そこをお忘れなきよう」

「そう、じゃな。まずは小一郎に詫びよう。そして家中にも酒については布告を出そう」

「それがようございます」

 そして秀隆は明るい笑顔を浮かべた。


「あ、あはははは。若気の至りって怖いですねえ」

「まあ、あれ以降、酒毒で身体を壊すものは減ったからな。よかったんだと思うぞ」

「ならば、そういうことにしておきましょうか」

「おお、そうだ。現代の言葉でアルハラというものがあったな。酒のトラブルで悲劇もあったと聞く。未成年者の飲酒や、アルハラのトラブルについての厳罰化を行うとしようか」

「飲食店あたりから反発が起きませんかね? 酒を飲む人が減るとか」

「酒税の比率を少し下げればいい。酒自体の価格を下げて間口を広げよう。酒は人類の友でもあるからな」

「友との付き合い方は本人次第、ですか」

「その通りだ」

 信隆はいつかの信長うり二つの笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る