長篠合戦考察

 戦国最強を謳われた武田騎馬軍団。甲陽軍鑑にはこう記述がある。騎馬武者は敵前にて徒立ちになり突撃を敢行する。

 仮にだが、騎馬の兵が多かったとして、騎兵だけを集めての突撃などは行われていなかった可能性が高いことを意味する。

 また当時の軍馬は今でいうポニーのような大きさで、持久力はあったが速く駆けることはできなかったと推測されている。また、馬を養うには高いコストがかかり、それを失うリスクが高いこともある。

 騎兵突撃で勝利を得た局地戦はあったものの、騎馬だけで構成された部隊は存在しない。要するに、騎馬軍団は存在しなかった。これが結論であろうか。

 だが、騎馬軍団は虚構であったとしても信玄率いる武田軍団は常勝不敗であった。それは紛うことない事実である。


 戦国時代は小氷河期であった。応仁の乱末期の飢饉では、夏場に川が凍ったとの記載もある。食料生産が落ち込み、さらに群雄割拠の時代とあって物流は滞る。そもそも余剰な物資も戦乱で荒れ果てた国土ではねん出のしようもなかった可能性があるが。

 甲斐の兵は強かった。それは彼の国が非常に貧しかったことによる。山がちな地形で農地が少ないこと。風土病が流行りやすい土地柄であったこと。

 それゆえに隣国の信濃や駿河などに出張っては略奪を行うことで糊口をしのいできた背景がある。同時に戦を行うことで口減らしをする意図もあろうか。要するに強い領主に従って他者から奪わなければそもそも生きること自体が難しかったのである。

 信玄は甲斐の国を富ませた。治水技術を取り入れ笛吹川流域の開拓に成功した。金山を開発し甲州碁石金を得た。周辺諸国との戦に勝利し、要するに略奪を成功させた。

 信玄率いる軍が強いと分かれば、自ら降る者も出てきた。広がった領土から収奪し、権力機構の根幹足る甲斐の国人領主に分配する体制を整え、それを自らの権力基盤としたのである。


 さて、武田軍団の構造は、在地領主の集合体でその代表者としての信玄という形であった。故に残る文書にしても彼が非常に彼らに気を使っていたことがわかる。

 信玄の支配力の根源は、悪名を厭わず、なりふり構わず泥をかぶってでも彼らのために働いたことであろうか。

 彼の死後、勝頼の代になってもそれは変わらず所領を広げ、武田家の映画は永遠に続くかのように思われた。それが全てひっくり返ったのがかの長篠の戦である。


 発端は天正元年。奥三河の奥平氏が武田家を離反し、徳川家に付いた。家康はこれを容れ、奪還したばかりの長篠城に配した。対武田の最前線に置いたわけである。

 武田氏はこの動きに反攻すべく、天正三年、4月に奥三河に侵攻を開始し、5月には長篠城を取り巻いた。

 この時長篠城を守るは奥平信昌。わずか500の寡兵ながら兵を鼓舞し猛攻に耐えた。だが兵糧庫の消失に寄り長期の籠城が不可能になり落城必至となったことで、5月14日深夜、鳥居強右衛門を密使として家康に救援要請をさせた。5月15日の昼には岡崎にたどり着き、救援軍が出陣間近と聞いた彼は16日早朝に城に戻ろうとしたが、武田の警戒網に引っかかり捕らえられる。

 最初から死を覚悟の鳥居は武田側の厳しい尋問に臆せず、自分が篭城軍の密使であることを述べる。武田側は鳥居の豪胆に感銘し、鳥居に「お前を磔にして、城の前に突き出す。そこで『援軍は来ない。あきらめて早く城を明け渡せ』と叫べ。そうすれば、お前の命は助ける」と取引を持ちかけ、鳥居はこれを承諾した。翌朝、城の前に磔りつけ柱が立てられ、そこに裸で縛りつけられた鳥居は、「俺は、使いに出された鳥居強右衛門だ。敵に捕まり、この始末になった。城中のみな、よく聞け」と呼わばった。

 集まった城兵に向かって鳥居は、武田との打ち合わせと逆に「あと二、三日で、数万の大軍が救援にやってくる。それまで持ち堪えよ」と叫んだ。鳥居はその場で武田軍に突き殺されたが、城兵の士気は奮いたち、長篠で織田徳川連合軍が武田軍を撃破するまで、城を守り通すことができた。

 この時代において自らの栄達のために味方を裏切るのは普通のことで、命を捨ててまで主君に忠義を尽くすと言った武士像は江戸時代に形作られたものである。

 それゆえに、強右衛門の鮮烈な生きざまは人々の感銘を呼んだのであろうか。武田の旗本落合左平次ははりつけにされた強右衛門の姿を絵図に残している。また信長もその忠義に感銘し立派な墓を建立したと伝わる。


 織田・徳川連合軍は川を挟み、起伏に富んだ地形を利用して兵力を隠した。柵を連ね空堀を掘って土塁を築き、野戦築城を行ったのである。

 前年まで戦っていた北近江攻防戦で、小谷城を包囲するため織田軍は長大な堤を築いて交通を遮断していた。横山城を最前線とする戦線をこうした野戦築城で支えていたのである。

 自軍より強大な敵に対して、同数以下の兵で戦う術でもある。織田家の領域は東西に広がっており防衛戦は長い。戦力の集中が難しい状況にあった。それゆえに兵の損耗を避けるための戦略と言えようか。

 鉄砲隊は攻撃力に特化しており、機動力と防御力は皆無に等しい。白兵戦に持ち込まれれば成すすべなく崩壊する。それが武田軍の付け入る隙であり、織田軍の泣き所でもあった。

 尾張兵は弱兵で知られるが、兵農分離が進み、訓練を施されている織田軍は決して弱くない。前田利家のような猛将もおり、また信長が若いころから行ってきた軍制改革もこのころ一つの実を結びつつあったのである。

 それは特化したアウトレンジ戦術であった。それは敵の手の届かないところから一方的に攻撃する。この一点に尽きる。三間半槍に始まり、鉄砲の大量導入もその戦術思想に基づいている。訓練を施した職業軍人足る兵を損耗することは望ましくない。自軍の損耗を減らし、敵にのみ出血を強いることを至上命題としていたのである。


 さて、長篠救援軍には織田の主力の兵と将領が集結していた。織田家にとってもこれは乾坤一擲の大戦であったことがわかる。

 ここで織田家の戦略目標は武田家の主力を叩き、多くの損害を強いることにある。可能であれば勝頼を討ち取り、武田の勢力に壊滅的打撃を与えることにあった。

 戦術的には長篠城の後詰めである。かの姉川の戦も攻防ところを入れ替えているが似た状況である。武田からすれば支城を攻めて敵主力をおびき出した。

 数は相手が多いが烏合の衆である。鉄砲で被害が出るであろうが、第二射を撃たれる前に肉薄すればよい。そう考えていた。さらに武田を相手にするものはその恐怖から内部崩壊する者が多い。織田の重臣である佐久間信盛から内応の打診が入っていた。

 さらに信長自身も正面対決を避けようと和睦を模索しているとの情報が入っており、長篠城を救援したい家康との間に亀裂が入っているとの情報が入ってきた。

 先日の軍議で、鳶ヶ巣山の砦を攻めるべく徳川軍から提案があったが、信長は一言でその案を却下したとのことである。退路を断たれれば窮鼠と化すことを厭うたに違いない。信長は武田軍を恐れている。その証拠に兵を正面に集中せず、防御陣地に閉じこもっているではないか。

 数々の情報から勝頼は正面決戦で織田軍を破れると確信するに至った。こちらに倍する兵力も武田兵一人で織田兵の3倍の強さであるとの風評を信じ込んでいた。

 その夜、徳川軍の酒井忠次率いる奇襲部隊に寄り、鳶ヶ巣山の砦が落とされ退路を断たれたことを知った。しかし老臣たちの諫めも聞かず、勝頼は決戦を命じたのである。


 さて、有名な鉄砲隊の三段撃ちであるが、実際に行われたかは疑問が残る。雑賀衆のような均一の銃を一つの隊として運用し、訓練を積んだものであればそれを実現しえたと思われるが、各地からかき集めた鉄砲隊は型が古いものや、手入れに行き届かないものも多く、それこそ不発、暴発の恐れが大きい。野戦築城で敵兵の攻撃から防御を行い、アウトレンジ攻撃の一環として鉄砲隊を運用したのではないかと考える。

 もしくは射撃体制の分業化であろうか。玉ごめ、射撃、清掃の作業を分業したことで、効率化を行い、射撃間隔の短縮を行ったのではないかとも考えられる。


 さて、武田軍の陣形は翼包囲を意図したものであった。両翼が敵戦線を突破し半包囲を行うことで敵軍の崩壊を図る戦術であり、成功例はカンナエの戦いなどがある。

 近くは三方が原の戦いで徳川軍が同様の戦術を行い、中央突破によって崩壊した。

 非常にハイリスクな戦術であり、そもそも敵より劣る兵数で決戦を挑む時点で敗北は半ば決まったようなものである。

 兵の強さ、指揮官の優秀さでは戦国位置と言われた武田軍団のおごりがあったのかは知る由もない。兵力は織田・徳川連合軍約35000に対し武田軍は15000程度であった。戦後の損害は織田・徳川連合軍が6000に対し、武田は10000と言われる。

 これについては諸説あるが、倍する敵軍に対して膨大な損害を与えたことは間違いない事実である。

 有力な将、指揮官を多数討たれた武田家は弱体化の一途をたどることとなるのである。


 武田を破った織田家は戦国最強の名声を得た。天下人としての地位が確立したのもこの頃である。徳川は対武田戦線を押し戻すことに成功し、高天神城攻略に注力することになる。

 のちの甲斐侵攻では戦国最強の名はもはや過去のものと思われるほどのもろさで滅亡の一途をたどった武田家であるが、その遠因は長篠合戦の大敗にあり、そこからの再起が叶わなかった証左である。

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