織田家の猫騒動

 その日、領内の巡回をしていた秀隆はふと道端の茂みが揺れたことに気付いた。人が隠れられる高さではない。それゆえにふと興味を惹かれ茂みをかき分けた。かき分けてしまった。

「うわあ……」

 思わず漏れる嘆息。そこには弱り切った母猫ともはや鳴き声も漏らせない状態の子猫が一塊になっていたのである。

 とりあえず手持ちの食料を与えようとしたが、干飯などは固くて咀嚼できそうにない。これはいかんと思い直し、従者に命じ自宅へ運ばせることにした。

 母猫には薄く伸ばしたかゆを与え、子猫には馬の乳を与える。ちょうど仔馬が生まれた直後であったことが幸いした。そして何となく猫を保護してから数か月後……秀隆の自宅は戦場と化していた。


 どどどどどどどどどと足音を立て駆けまわる子猫たち。母猫は体調が戻り子猫たちが歩き回れるようになると、どこへともなく姿を消した。そして残された子猫たちは新しい住処になじみ……なじみすぎていた。傍若無人に走り回り、飛び跳ね、元気いっぱいであった。だがすでに子供たちが巣立っており久しぶりの喧騒に秀隆は癒された心持である。桔梗の着物で爪とぎをしたりなどで出費はかさんだが、かわいさはプライスレスと頭の悪い事を考えていた。


 そんな時、信長が訪ねてきた。

「秀隆よ、遠乗りでもどうじゃ? ってなんじゃこれは??」

 玄関先ではある程度大きくなったトラ模様の猫が不破ああああとあくびをもらす。そして信長は胸を射抜かれていた。

「秀隆、秀隆はおるか!!」

「はいはいって兄上ですか、何事です?」

「寅太郎をもらい受けたい」

 そこには玄関先に座り、膝の上に子猫を抱きかかえてとろけそうな顔をした信長の姿があった。猫は猫でのど元をこちょこちょされて、ぐるるるるるるぅと満足げな声を上げている。

 なんというかいろいろと想像の外の光景に秀隆の思考回路は停止してしまっていた。

「えっと、かわいがってくださいね?」

「無論じゃ!」

 天下を取ると言った時と同じくらいの熱量で信長が答える。どうせ言い出したら聞かないし、少なくとも飼育放棄はないだろうと考える。そういえば馬とか鷹とかを熱心に飼育してたしなーとも思い出す。

 遠乗りの誘いに来たことをきれいさっぱりと忘れた風情で、秀隆の用意した手提げかごに子猫を入れ、抱きかかえるようにして帰宅する信長を見送ったのだった。


 数日後、信忠から届いた書状を受け、信長に相談するために彼の屋敷を訊ねると……帰蝶の膝の上ですやすやと眠る子猫、寅太郎と、それを親の仇のように見つめる信長の姿があった。

「秀隆、帰蝶がひどいのじゃ! 寅太郎をほれ、あのように、独り占めしておるのじゃーーーー!」

 知らんがなと言いたい一言をぐっと飲み込み、信長の妄言はさっくりと斬り捨てて用事について話す。さすがに公私のわきまえはあり、きっちりと話はできた。相談事は解決のめどが立ち、辞去しようとしたあたりで、帰蝶の膝の上からてててっと歩き出した猫が、元飼い主の秀隆に愛想を振りまく。その有様を見た信長は泣きそうな顔で飛び出していった。

「あらあら、殿にもこまったものですね」

「いいのですか?」

「なに、この子はお客様に挨拶しているだけですよ」

「わかるのですか?」

「そもそもですね。この子の寝床は殿の枕元ですのに……ねえ」

「ああ、愛されてますなあ」

「あれだけ、文字通り猫かわいがりすればそうもなります」

「む? 義姉上もしや猫に……?」

「何か言いましたか?」

 底冷えのするような帰蝶の声に無言で首を高速で横に振る。要するにこれはあれだ、猫だけじゃなくて自分も構えと言う帰蝶の意趣返しであろう。

 帰蝶に辞去のあいさつをし、自宅へ帰ると……子猫まみれになっている信長に出くわした。

「いや……違うのじゃ、誤解じゃ」

「ほう、何がですか?」

「寅太郎に嫌われたわけではないと思うのじゃ。だが寂しくなってしまって」

「へえ、寂しかったら浮気してもいいんですね」

「だから違うのじゃ」

「何が違うんですかね?」

「いやあのその……」

「寅太郎は兄上がいなくなってしょんぼりしておりましたぞ?」

「なんじゃと!?」

 その一言ですさまじい勢いで走り去る信長。まさに桶狭間の戦の折、出陣を決めて熱田へ向かった時の勢いに匹敵した、ような気がした。


 後日、再び信長のもとを訪ねると、なんかいろんな意味で悪化していた。膝の上には帰蝶がぽすっと座り、さらに猫が帰蝶の膝の上で丸くなっている。

 曰くこうすればどちらも同時に愛でることができるとドヤ顔で言い放った時にはいろいろと頭が痛かった。

「もふもふはいいものじゃ!」

 信長の宣言に思わず秀隆は崩れ落ちるのだった。


 ちなみに後日、秀隆が保護した猫たちは元織田家重臣にもらわれていった。相好を崩す彼らをその家臣たちが不気味なものを見るような目つきで見ていた。

 猫のうち一匹は真っ白な毛並みで、直政がもらい受けた。帰りに強い雨が降り、普段ならばそのまま移動するが、猫が風邪をひいてはまずいと寺に雨宿りを申し込む。すると直前までいたあたりの木に落雷が直撃した。雨宿りをしなければ雷に打たれていた可能性が高い。

 直政はこの猫を自身の守り神として大事にしたという。また彼の居城である城には白猫の像を建て、後世まで語り継いだという。後年、直政の治めていた街はゆるキャラを発表するが、白猫の姿で、赤い兜を装着していた。名前はしろにゃんと付けられ、長く親しまれたという。

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