洛中騒動 -秀隆の暗躍ー

永禄十一年。

 信長の上洛に付き従い、秀隆も洛中にあった。ある公家の日記には、洛中は死体にあふれていた。川は水死体でせき止められ、四辻にも倒れ伏した死者が積み重なる。戦乱に荒らされた京は、信長という庇護者を得て復興するが、今はまだその事業も着手されたばかりであった。

 秀隆は妻の実家である商家、山崎屋を拠点として炊き出しを行わせ、そこで集まった人間をまとめて洛中の清掃事業を始めた。死体を放置すれば衛生面でも悪影響があり、疫病の原因にもなりかねない。問題は数が多すぎて荼毘に付すための燃料も追いつかない。郊外に大きく穴を掘り、そこにまとめて埋葬した。穴の上には簡単に墓石を置き塚とする。そしてあえて朝廷とつながりのない、末寺を指名して読経と供養を依頼した。

 同じく炊き出しを言い方は悪いが餌にして、孤児を集める。彼らは食っていけないがゆえに簡単に犯罪に手を出す。盗みを働き場合によっては徒党を組んで田畑を荒らす。元服前の年齢の者は敢えて罪を問わず、これも小さな寺に援助を与え、孤児院として機能させるようにした。孤児を世話し読み書きを教えさせる。才があれば、商家や織田家の下僚としての斡旋を行うとした。また多くの人材を輩出できた寺にはさらに別途褒美を与えるとした。

 この仕組みはのちに織田家の事業として全国に広まるが、今はその突端に過ぎない。伊勢で願正寺の勢力を弱めるための調略として孤児の世話と寺子屋業務をさせていた。同じことを京でやれないかと思い付きで始めたものである。

 信長の出した一銭切りの布告と、浮浪者、孤児の行き先ができ、同時に死体の片づけが進んだことで治安は急速に回復した。乱暴狼藉を一切許さない信長の姿勢は京の民に受け入れられたのである。


 信長が秀隆を重用していることは誰の目にも明らかであった。だがこの時点で、尾張の代官であることくらいしか目立った要素がなく、単なるイエスマンにしか見えていなかったようだ。実は信長に代わっていくつもの重要な仕事をこなしているのだが、表立っての地位がないため、その実情を知らない者からは侮られることも多かったようだ。


 そしてある日、事件は起きた。義昭の被官となって、将軍家につながる俺は偉いと勘違いした京周辺の豪族が、秀隆に因縁をつけたのである。

「貴様は織田様の威光を背に好き勝手をやっているようじゃの。貴様ら田舎侍は儂らのような筋目正しい侍の言うことを聞いていればよいのじゃ!」

「で、その筋目正しい侍とやらは何をしたのだ? 京を荒廃させ、主上の御威光も隠れ、将軍暗殺まで起きたこの京をどうにかできたのか?」

 プライドだけは高いその侍はあっさりと激高し、刀に手をかけた。

「いいのか? 将軍家最大の庇護者たる織田の一門に刃を剥ける意味を理解しているのか?」

「それが思い上がっているというのじゃ!」

「それはどっちがだ? 目に見える成果を残せぬような飾り物の芋侍に用はない。とっとと失せよ!」

 顔を真っ赤に染め上げ目が血走っている。そのさまを見て秀隆はちとやりすぎたかと冷や汗をかく。そこに駆けつけてくるは蜂須賀小六であった。

「そぉい!」

 駆け付けざまに飛び蹴りをくれる。芋侍が倒れ伏す。

「不意打ちも躱せないような御大層な武勇を振るって恥をかくのか?」

 小六の殺気みなぎる表情に恐れをなしてへっぽいこ侍は逃げ出した。

 さらに駆けつけてくる秀吉達。事情を聴いて彼らの顔から表情が消えた。それから先の展開は速かった。

 某侍は山城の一角に居城を構える小豪族であったが、摂津攻めの先陣に放り込まれ、兵力をすり潰された。のちに領内は山賊に荒らされ、そのことを訴え出るも逆に領地を守ることもできない無能と烙印を押され所領没収の憂き目にあう。義昭に訴え出るが、義昭もプルプル震えるだけでお話にならない。

 この事件後、織田秀隆の名はある種の恐怖とともに広まった。織田家中で信長に次ぐ、場合によっては信長以上の人望があり、彼が一声かければ文字通り命をとして立ち働く勇士や謀臣が数多くいる。

 何よりこの騒ぎで最も怒りを見せたのは信長であったとされる。義昭の足元に愛刀の長谷部国重をぶっ刺し、へし切長谷部の由来を語って聞かせたそうであった。そして義昭に体感してみますか? と伝えたとされる。あまりの剣幕に幕臣誰一人として信長を止められず、秀吉からの目配せで信長との間に割って入った光秀が、忠臣として名を上げた。

 すべては仕組まれていたとの後世の評価はあるが、信長を含め、秀隆は織田家の多くの者から信を得ていた。それだけは間違いのない事実であった。

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