閑話 ー三成の嫁取り話ー

 天正6年、近江国


「佐吉よ。そなた嫁を娶らぬか?」

 唐突な秀吉のセリフであった。三成はやや眉を潜めつつ思ったままを口にする。

「や、職務が忙しく、構ってやる暇ができそうにありませぬ」

「そういうものでもないぞ。儂も激務を極めたが寧々との仲は良好じゃし」

「先日、隠し子が見つかったとか…?」

「いやあのその…儂のことは良いのじゃ。実はの、尾藤から相談を受けておってな」

「尾藤殿から? どのような?」

「娘がおってそろそろ適齢期なのだが、並の男では寄せ付けぬと。よってそなたをと考えたのじゃ。それにだ、そなたは新しきお役目に就くとなると、さらに嫁を探す暇がなくなるぞ?」

「まあ、そうなったらなったで当家には兄もおりますし」

「あ奴も妻を娶っておらぬだろうが…」

「そうですな、となれば私が兄を差し置いてとなりますと…」

「まあ、それもよい。儂の顔を立てると思うてじゃな…」

「仕方ありませぬな。殿にそこまで言われては」

「おお、頼まれてくれるか! 恩に着るぞ佐吉や!」

「いやいや、大げさな…」

 秀吉は満面の笑みで佐吉の手を握った。

「では、3日後に尾藤の屋敷に来るように。儂と寧々が介添えに付く故な」

「はは!」


「よくぞ来てくださいました!」

 尾藤知宣は三成の手を取って歓迎した。

「娘にござる。実は…」

 事情はまあ、複雑であった。この娘は実は弟の子であり、故あって知宣が養育していた。姉が祖父の縁から武藤喜兵衛に嫁いでいる。そして武藤家に一時期行儀見習いに行き、しばらくして戻った娘は…孫子の兵法一式を修めていた。喜兵衛が義妹と話すうちに軍略の才を見だし、いろいろ教え込んだとのことである。

 そうなるとそれこそ普通の男では、自分より優れた知略を持つ嫁などごめん被るとなるし、そんなのを見てきた娘も目線が辛くなる。こうして二十を超えても嫁の貰い手がないという状況になっていた。


 三成と娘は茶室で向かい合っていた。

「ご趣味は?」

 秀吉に言われたとおりに三成が口を開く。

「孫子と呉子を少々…」

 娘の発言に知宣は頭を抱える。普段ならばこれで妙な空気が漂い、見合いどころではなくなる。

「ふむ。兵書を修めたと申されるか。それは素晴らしい!」

「素晴らしい…とは?」

「ふむ、なれば。わたしには軍略の才は無いようです。ただ計数に少々得手があり、筑前様に見出していただきました。また、私はどうも武術にも向かないようです。それゆえ武辺者を召し抱えました。拙者も武人の端くれ故、槍働きができぬでは面目が立ち申さぬ。だが雑兵と渡り合えても仕方ない。ゆえに拙者の足りぬところを補ってくれる人を常に探して居り申す」

「三成さまは…妻が夫より優れていてもよいと?」

「人間全部のことが一人ではできない。それゆえ他者を頼るのだ。わたしの足りぬところを助けてくれる相手が妻なれば実に喜ばしい!」

「そう…ですか」

「諸葛亮にも良き妻がおりました。何やら書物によりますと、諸葛亮は実は軍事の才を補う妻がいたとか」

「三国志の英雄に例えるとは、なかなか稀有壮大なお方ですね」

「諸葛亮を目指してもそこにたどり着けるかはわかりませぬ。ただ指をくわえて高みを見上げてもそこには至れませぬ。なれば、高みに理想を置き、そこに向けて進み続ければ、いつしかたどり着けるかもしれぬ。そう思って日々を過ごしております」

「そう…ですか。三成さま。私をあなたの黄月英としていただけますか?」

「私はこのような面白みのない男にござる。それでもよいか?」

「貴方がどこまで行けるか見てみとうございます。それに諸葛亮も管仲を目指し精進したと聞きますゆえ」

「では、私のようなものでよければ、あなたを妻に迎えさせてください」

「喜んで」

「ところで、あなたをどう呼んだらよろしいか?」

「あら、申し訳ありません。お好きなように及びくださって結構ですよ」

「そうですか…なれば凛と。あなたの雰囲気をそのままに言葉にしたのだ」

「あら、嬉しいですわ…」


 二人のやり取りを秀吉と知宣は唖然として見守っていた。

「知宣よ。あのようなあでやかな娘に何で婿がおらんのだ?」

「いや、あのように笑う娘は初めてです」

「しかし佐吉ももっと話しようというものがだな…」

「どうも娘は佐吉殿を気に入ったようですなあ」

「ぬお、佐吉が笑みを浮かべておる!?」

「なんですと?!」

「あの四六時中年中無休不愛想男が…」

「信じられませぬ…」

「いや、これは思いもよらぬ良縁であったようじゃ。仲人は儂が務めさせてもらってよいか?」

「身に余る光栄にて!」


 こうして三成とりんは夫婦となった。婚礼の宴の最中に播州で騒乱、別所氏の離反が起きて、即とんぼ返りをすることとなった。三成は淡々と任地に赴いたが、三木城を包囲する陣中に手紙が届いた。

「佐吉、何があった?」

「おお、平馬か。手紙が届いてな。子ができたようなので、妻に身を案じるよう返事を書くつもりで…」

「妻!?子ができたああああああああああああああ!???」

「ああ、すまぬ、言っておらなんだか」

「ああ、佐吉だから仕方ないが…いつの間に!!」

「3か月ほど前に近江に戻ったときにな」

「聞いておらぬぞおおおおおおおおおお!!」

 陣中に大谷平馬の絶叫が響き渡った。そして絶叫の原因を聞いた将兵はあんぐりと口を開け、あの仏頂面の佐吉がどんな顔をして妻を口説いたのかとうわさが絶えなかったのである。

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