義昭降臨ー将軍家の威信にかけてー
1584年 フィリピン マニラ。
2年前にこの地に漂着した男がおり、言葉も通じない彼を憐れんで、近隣住民は食料を与えたり簡単な仕事を与えたりで養っていた。身寄りもなく、はずれの小屋で暮らす彼であったが、ある日よくわからない言葉で、スペイン人の中にいるある人物に近寄っていった。
「カブラル殿! 儂じゃ、将軍の足利義昭じゃ!」
「オオ、ヨシアキサマ。ナゼコノヨウナトコロデ?」
「あの信長に追われ、薩摩から琉球に渡り、琉球も織田の手が伸びたので、さらに南に行く船に紛れ込んだのじゃ」
人、それを密航という。だがカブラルもここでそれを突っ込むことはせず、話の続きを促した。
「儂は日本国王足利家の者じゃ。儂を日ノ本に送ってくれ、あの悪逆な信長を追討するならば褒美を出そう!」
偉そうな態度でとんでもないことを言いだす義昭に、カブラルはこのサルをどうやって海の藻屑にしてくれようかと考えるが、ふと気づいた。大義名分になるかもしれないと。
そばにいたコンキスタドールの士官に話を付け、義昭を保護させたのはそういった理由による。
【この方はジパングの王族だ。悪しき家臣の手によって国を追われたが、我らの手によって国に戻し、王の座に戻せば、一生かかっても使いきれないほどの黄金が手に入るぞ!】
カブラルの言葉に彼らの目の色が変わる。もうしばらくすれば、スペイン本国から増援が来る。ローマ教皇が祝福を与え、ローマ各地の都市国家や地中海の武装商船を編成し、200を超える艦隊ということである。数万の兵員を抱える艦隊は、それこそ一国を落とすに足る戦力である。ただ攻め寄せてもただの侵略者であり、明などの横槍を招く危険があった。だが義昭という名分があり、足利家は明の冊封下に入っている。これで明の横槍も防げるとカブラルはほくそ笑むのだった。
さて、問題は義昭の認識している情報がすでに2年前のものであるということにカブラル自身も気づかなかった。九州に織田の手が及ぶに至りカブラル自身もインドに逃れていた。彼らは前年の織田政権と朝鮮、明連合軍の戦いをよく知らなかったのだ。そしてそれによって情勢がどのように変化したかも。
この認識のずれが彼らを敗北にいざなうこととなる。だがそのような未来が来るとは全く知らないまま、彼らは計画を進めていくのだった。
「父上、九州の防備はいかがですか?」
「大宰府と薩摩、大隅を中心に火砲を配備した。あとは敢えて上陸させる地点を決め、そこに野戦陣を築いた。薩摩あたりはちと雨が降ると泥濘になる地点が多くあっての…くっくっく」
「そ、そうですか。叔父上の方はいかがでしょうか?」
「明に根回しをしてあるし、ルソンにもいろいろと潜り込ませたよ。小太郎はいい仕事をしてくれているねえ…うふふふふふふうふふ」
昏い表情で笑みをこぼす二人に信忠は引きつりまくる。この二人を引っ張り出したのはもしや失敗だったのか? との思いがよぎる。はっきり言って怖すぎた。そして今更で、さらにこっちに非は一切ないのだが、この二人を敵に回したイスパニア艦隊に心から同情するのだった。
天正15年3月。イスパニアの戦艦が6隻、長崎沖に現れた。カブラルは一人の男を伴って小舟で上陸し、正親町天皇への謁見を求める。
「はあ? 足利義昭公だと!?」
信忠の素っ頓狂な声が石山城広間に響く。
「はい、イスパニア艦隊を率いてきたとほざいております。あと。修道士のフランシスコ・カブラル殿も」
河尻秀長がさらに報告を上げる。
「カブラル…カブラル…ああ、おったな。確かフロイスと対立して日ノ本を追い出されたはずじゃ。そうか、あ奴が糸を引いておったか。どうせ追い出されたのを根に持って、本国から兵を呼び寄せて仕返しをしようとか考えたのじゃろ。そんなチンケな了見だからいかんのだ」
信長のあまりに辛辣な評価に場の空気が凍り付く。そもそも、数万の兵がすでに動いている。これで戦わずして退いたとなれば、フェリペ2世の権威は地に落ちる。
「して、どうなさいますか?」
「「「追い返せ!」」」
信忠、信長、秀隆の返答は全く同時に返された。
「承知いたしました」
秀長は一礼すると今絶賛被害に遭っている明智光秀のもとに向かったのであった。
「十兵衛、拾ってやった恩を忘れ、貴様は信長にしっぽを振って今や国持大名か。いい身分になったものじゃのう」
「はっ」
「なんか儂に言うべきことがあるのではないか? ああ?」
「はっ」
「たとえばじゃ、この城と領地を差し出しますとか。信長の首を今すぐとってきますとかじゃ」
「は?」
「なんじゃ、なんか文句でもあるのか?」
「あるに決まってんだろうがこの大タワケが! 織田の殿は国のことを考えておった。だが貴様は足利家がどうの、つまらんメンツがどうのでこの国民の事を考えてふるまっておったのか? やらかしたことは国をいたずらに混乱させ乱しただけだろうが! それを恥ずかしげもなく南蛮人の手先になって、主上に会わせろだと? ふざけるな! 貴様の犬畜生以下の知能でもわかるようにもう一度言うからきちんと聞けよ? ふ・ざ・け・る・な! いいか? 理解したか? ならばその頭にノミの手先の端っこの出がらし程度にも誇りがあれば腹を切る以外に身の処し方がないのは理解しておるのではないか? あ??」
唐突に飛び出した光秀の長台詞および罵倒に側近や近習すら度肝を抜かれた。義昭の世話をしていたころから相当たまっていたであろう鬱憤がここにきて大噴火したようである。義昭は金魚のように口をパクパクさせ、何も言うことができなかった。
「叩き出せ。殺すのはいつでもできるし、こんなやつを斬っては我が刃が穢れる!」
義昭一行はさっくりと叩きだされ、船に戻された。小舟に向けて火砲が撃ち込まれ、わざと外しているが至近弾で船が派手に揺れる。船上で泡を食ってわめく義昭をみて光秀は大声で笑い転げていた。
「えっと、日向殿? 大殿からの伝言ですが…」
「叩き出せ、であろうが? それ以外の返答が来たらわしは信長公であっても刃を向ける覚悟がある!」
「ええ、その通りです。信忠さま、大殿、秀隆様のお三方が同時に…」
「そうか、さすが我が主君じゃ!」
そういって光秀はやたら朗らかな笑顔で笑い出すのだった。
秀長は信長、秀隆を敵に回すとはと恐れを抱いたが、ここにもう一人ある意味もっと怖いのがいたと更なる恐怖に襲われたのだった。義昭は光秀の逆鱗であったようだ。イスパニアは完全に失策を犯したとあまり頭の回らない秀長でも深く確信した。
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