九州前哨戦
天正9年、8月。
賤ケ岳の演習を終えたころ、毛利経由で大友が使者を送ってきた。毛利経由というあたり、窮状がうかがい知れる。日向の伊東家の救援に失敗し、島津に大敗。また、西では竜造寺家に敗れ、勢力の膨張が止まって縮小に転じ始めた。キリスト教への傾倒で仏教の信者である家臣に改宗を強要したため家臣団の統制も乱れている。要するに内憂外患の見本のような状態である。
とどめとばかりに毛利家を追い出された足利義昭が転がり込んできて、将軍の権威を振りかざし、一部の家臣が宗麟の制御下から外れた。大友家を辞して、将軍の直臣を名乗り始めたのである。この状態で勢いに乗る島津や竜造寺に勝てたらその方が不思議であろう。
「おぬしが大友の使者か」
「は、立花道雪と申します。こちらは養子にして娘婿の宗茂です」
「ほう、よき武者じゃの。して用件を聞こうか」
「はは、わが大友家は織田様に臣従いたします」
「それで竜造寺と島津を退治してほしいか?」
「左様にござる」
「条件は?」
「当家の臣従だけでは不服ですかな?」
「不服じゃな」
「なれば、どのような?」
「まずこの書状を見てもらおうか。島津と竜造寺からじゃ」
「…拝見いたします」
「まあ、読めばわかるが、あ奴らの言い分は大友家が南蛮人の手先となって日ノ本の民をないがしろにしているということじゃ。そして、それはおおむね事実と思われる結果が出ておる」
「…おっしゃる通りでございます。南蛮より鉄砲や火薬を入手するため、税の払えない農民をあ奴らに引き渡しておりました」
「潔いことじゃの。それを認めればそちらの言い分は通らず、例えば島津あたりに九州切り取り次第の沙汰を与え、西国探題に任じたらどうなる?」
「当家は持ちませぬな」
「ふむ、大友に興味はない。だが一つ手を差し伸べようか」
「それはいかなる?」
「そこな若者、宗茂といったか。連れてきたのが答えであろうが」
「はは、恐れながら、宗茂を織田様の近習にしていただければと」
「なれば、道雪よ。おぬしの娘はどうなる?」
「未練と言われましょうが、実は宿にて逗留しております」
「召し出すぞ。帰蝶の侍女兼護衛とさせよう。女だてらに武勇に優れると聞く」
「して、これで大友を救ってくださるか?」
「宗麟は隠居の上、安土に召し出す。これは譲れぬ」
「承知いたしました」
「帰還に当たり、供を付ける。奴らの手勢も同行する、良いか?」
「はは! してどなたさまが?」
「五郎と介添えの信虎、軍監として明智日向を付ける」
「おお、越後の龍と言われた方が。これで島津を追い返すことが適います」
「は、言いおるわ。そなたが軍権を握ればここまで追い込まれはしておらぬじゃろうが。主君に疎まれようとも忠義を尽くす馬鹿者は嫌いではない。そなたを死なせとうないゆえじゃ」
「この身には過分なお言葉。この皴首一つでお家が助かるのであればいくらでも差し出す覚悟にて」
「立花の家はもともと大友に属していなかった。おぬしが断絶した家名を継いだと聞いておる。なれば、毛利と同じく、独立した一家として扱うつもりじゃ」
「おぬし自身は宗麟に殉ずるならば安土に来てもよい。九州に残るのであれば相応の知行を与える」
「その件につきましては主と相談の上お答えさせていただきます」
「であるか。よかろう、だが宗麟は儂の機嫌を取るためにお主を差し出すであろうよ」
「かもしれませぬ。ですがこの年までこのやり方で生きてまいった。今更生き方を変えよとて無理な話にござる」
「はっはっは、それでよい。こびへつらう立花道雪など何かの策略か、気がふれたとしか思えぬわ。おぬし、死ぬまで耄碌しそうにないからのう」
「はは、死しては大友の家を守る鬼神と成るが我が望みにござる」
「よく言った!」
信長は上機嫌に笑い声をあげ、九州攻めの先手の準備を急がせるのであった。
その時、同時進行で九州で政変が起きていた。島原より上陸した島津軍が有馬氏を応援して北上。沖田畷で竜造寺軍を撃破し、当主の隆信が討たれたのである。これにより竜造寺の勢力も大きく減退し、家督相続の準備ができていなかったため混乱した。相続は長子の政家が継ぐと宣言したが、四天王が軒並み討ち死にと、軍事的にも大損害を被っていた。肥前の確保すらおぼつかないありさまで、鍋島直茂を通じて織田によしみを通じてきた。事実上北九州が支配下に入ったこととなる。だが南半分どころか6割近くが島津の支配下にあり、多少の兵力では押し返せそうにない。使者を送ってきて様子見はしているが、同盟や臣従の根回しすらなく、対等の勢力としてのやり取りである。信長も敢えてそこはつつかず、九州の静謐のために骨を折るとだけ表明していた。
島津もその言葉を額面通り受け取るはずもなく、まず九州を統一し、四国、中国を攻めとるつもりでいたのである。戦術的勝利を積み上げて戦略的勝利を果たそうとしているのだった。普通に考えたら狂気の沙汰でしかないが、一つ象徴的な光景を目にしている。罠にはめて包囲網が完成しても、絶望せず荒れ狂った挙句、戦況を逆転させた権六の姿であった。島津にも同じことがいえる可能性があるのだ。
九州の南端を本拠とする島津は、攻められればそれこそ窮鼠となる。まともにやりあうとどれだけの損害が出るかわかったものではない。故に基本方針は会戦で勝利し、それをもって和睦に持ち込むという報策だ。そのうえで、琉球への進出と貿易の権益を渡す。台湾という大きな島があり、そこを切り取らせる選択肢もあるだろう。
薩摩の地は貧しい。土地は耕作に向かず、火山灰の地は水を限りなく吸い込む。水田を作ることができる土地は限られており、食料生産量は少ない。ここを秀隆の知識で食糧の増産に向かわせることができれば、島津を従わせることもできるだろう。
こうして九州での決戦は迫ってきていた。精強極まりない島津軍に対し、織田軍はいかに立ち向かうのか。信長は秀隆に丸投げするつもりでいたらしい。
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