北条討伐
天正8年9月。
越後国新発田城。新発田重家。
「なんだと?! 最上が手切れを申し渡してきたと?」
「はっ、主家に弓引くようなものとは付き合いきれぬと」
「ぐぬぬ、なれば早急に本庄をつぶさねばならぬ。兵を増員するのじゃ!」
だが時すでに遅し、上杉の増援が後詰めに成功し、逆に新発田城が包囲されてしまった。
「降伏いたします…」
重家は城主の任を解かれ春日山にて蟄居を命じられた。
上野国箕輪城。
小諸から進発した柴田権六は山中で北条高広の敷いた伏兵に足止めされていた。しかし山岳戦を得意とする柴田は間者を利用して少数の兵を数多く展開することで逆に敵兵を殲滅してゆく。間者を利用した連絡網を構築し、発見した敵兵を必ず挟撃、もしくは包囲して一気に殲滅する。力攻め一辺倒の猪武者にはなしえない知略をも併せ持っていた。これには武藤昌幸が引き継いだ真田忍軍の力があったという。権六は自ら乞うて彼を軍師として迎えた。娘を昌幸の嫡子源三郎信之に嫁がせるほどの厚遇ぶりであった。
もともと策を弄するのは苦手としており、力攻めを好む性質であったが、西国の戦を耳にし、将士を消耗させるようないくさをしていてはまずいと彼なりに考えた。そして甲斐、信濃で一番の知恵者である武藤昌幸を与力としたいと信長に頼み込んだのである。
親子ほども年の離れている二人であったが、勝家は軍師として昌幸を遇した。そして武田と真田の軍法を取り入れ、新たな柴田の軍法としたのであった。
「何とか突破できましたな」
「権六殿の采配あってこそです」
「箕輪には景虎と北条高広、そして元管領の上杉憲政がおるとか」
「古河公方を保護している建前の北条としては、関東管領を討ったとなればどう出てきますかのう?」
「一応、幕府は備後にて存続している格好でしたが、毛利から分捕りましたからな」
「義昭公はいずこに?」
「大宰府に落ちようとして大友に追い返されて、次は北条を頼って移動中だそうで」
「やれやれ、懲りぬお方じゃ」
「まあ、ひとまず上杉憲政殿は北条領に追放でいきましょう」
「ですのう」
山岳地帯を駆け降りた柴田勢は、松井田城を抜いた。上野の兵が右往左往していたのは山中で北条高広がいつの間にか討ち死にしていたせいである。首を取らず打ち捨てにしていた弊害が結果として出てしまった。箕輪の北条景広は織田に降ることを選択し、上杉景虎と憲政を追放した。彼らは命からがら逃走し、武蔵経由で小田原城に駆け込んだのである。
駿河国
駿府城を進発した徳川勢はまず蒲原城を取り巻いた。そして即座に降伏の使者が現れたことに罠かと頭を抱える羽目となった。続いて興国時城に入っていた北条氏直と氏規より降伏を申し出てきており、織田と戦うなど正気ではないと言う二人の言を聞き、氏直は手元に置いて氏規は岐阜へと向かわせた。駿河はほぼ無血開城となったのである。家康はそのまま伊豆へ雪崩れ込み、韮山城を包囲した。
開戦からひと月を経ずして駿河、越後は平定されてしまった。越後から雪崩れ込んできた上杉勢に沼田、岩櫃は包囲され、厩橋城は開城した。河越城を中心に、忍、鉢形で防衛線を構築する。つもりでいたが、佐竹戸館が敵に回ったことで、北関東の諸侯が大きく動揺していた。武蔵北部を抜かれたら雪崩を打って降る可能性が高い。最悪伊豆を放棄して小田原で敵の攻勢を受け止め、主力の野戦部隊を北に振り向けようと考えたが、南で里見が蠢動している。そのため玉縄から三崎、江戸あたりの兵力を動かせない。
何とか兵力を抽出して北に向かわせた後、更なる悲報が氏政を打ちのめした。甲斐から出撃した武田義信が八王子を突いたとの知らせである。
「いかん、このままでは小田原以外が全て奪われてしまうぞ?!」
「殿! 使い番が参っております」
「うむ、なんじゃ?」
「韮山郊外で織田六郎率いる尾張衆と合戦。当家の軍は大敗いたしました!」
「なにがおきた?!」
「風魔が敵に寝返りました。それにより敵の待ち伏せしているところに誘い込まれ伏兵による包囲殲滅の憂き目に…」
「まて、そういえばほかの戦場からの知らせが届いておらぬ。もしや…」
そのまさかであった。北条領内の連絡網を維持していた風魔が寝返ったため、その維持ができなくなったことと、さらに使い番への襲撃や補給のための荷駄への襲撃が行われ、広い領内であるからこそ後方をかく乱された北条勢は前線で敗戦を繰り返した。
武蔵北部でも出撃した兵が襲撃されたり、兵糧を焼かれたりとの被害が相次ぎ、そこに風魔寝返りの報が入る。軍の耳目として活躍していた彼らがいなくなったことで、奇襲は防げず一方的に袋叩きにあった。関東平野は織田と徳川、上杉の軍が縦横に行き交い北条の兵力は駆逐されていった。
北条を攻めるにあたり、秀隆が全軍に厳命していたことがある。狼藉の禁止だった。北条は民政に力を入れ、治水や街道整備にも注力している。また税は安く、民衆にとっては良き領主であった。それゆえに、北条のときより暮らし向きが悪くなると思われたら一揆がそこら中で勃発する。そうなっては軍を維持するどころの騒ぎではない。
11月に入り、八王子、鉢形が落ちた。これにより、下野の諸侯の動揺が激しく、上野を落とした柴田、上杉に対して使者が行きかっている。上杉勢は忍城を囲んでいるが、河川を利用した水城で、攻めあぐねていた。上総の里見も兵を出し、下総に侵攻した。国府台から援軍が行くが本佐倉付近でにらみ合いが始まる。岩付城から北条氏照の兵が忍城救援に向かったが、上杉の包囲網に阻まれ後詰めに失敗していた。そして柴田の兵が河越城を囲む。
柴田勢1万2千と河越を救援に現れた武蔵衆は北条氏照を大将に1万5千。うち河越城に籠る兵が三千である。上杉勢1万は忍城を包囲している。情勢としては八王子を抜いた武田勢が玉縄に向け進軍中であった。よって氏照は柴田を撃破した後武田勢をも叩く必要がある。伊豆が持ちこたえているため、小田原からも兵を出せるが、風魔の寝返りで連絡網が破たんしている。偽報に踊らされる危険を考えると、単独で動いたほうがまだましであった。
こうして河越野戦は幕を開けるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます