越後の騒乱
天正8年7月。安土城。
「中国と四国は片付いたか」
「ええ、ですが三好からは讃岐を召し上げる必要があるかと」
「替地がいるな」
「毛利から分捕った分を当てましょう」
「国割は?」
「出雲には尼子勝久を」
「次」
「美作は宇喜多に加増」
「次」
「備後、備中に三好を国替え」
「次」
「伯耆は南条に」
「それでよい」
「讃岐は淡路と合わせて仙石権兵衛に」
「次」
「阿波は丹羽殿に、四国総目付にて」
「なるほど」
「毛利ですが」
「申せ」
「吉川、小早川を分割し、3家にて統治させます。吉川を石見に、安芸を小早川に、周防、長門を毛利本家に」
「毛利本家を九州攻めの先陣とするか」
「はい」
「だが輝元は腑抜けじゃ。大友は九州の過半を制しておる。いかがする?」
「しばらくは静観かと。ですが背後の勢力と誼を通じます」
「竜造寺と島津か」
「はい」
「島津の武者は武田に匹敵すると聞く。また退くことを知らぬ命知らずと聞くが」
「前にしか進めないような阿呆は穴でも掘って落としてやりますよ」
「ぶっ、おいおいおい、それはさすがに」
信長は笑いをこらえている。
「何、物の例えですよ。ただ、簡単に穴に落ちてくれるような阿呆であれば楽なんですがね」
「であるな」
二人は顔を見合わせて笑い出す。
「して、一つ聞きたい。吉川の息子、どうやって拾った?」
「ああ、完全に偶然です」
「偶然とな?」
「ええ、あの時は鳥取にいたのですが、真っ先に突撃してきて、いきなりすッ転んで気絶した身なりの良い将と思われるものを捕らえたと」
「で、それが元長であったと?」
「ええ、手当てをして目を覚ました後は大暴れしましたが、とりあえず押さえつけて、状況を懇々と説明しまして」
「あー、そうか、なるほどのう…」
「まあ、軍中を見せて毛利との差を理解した当たりでは暴れなくなりましたな」
「そうか…それでそ奴は毛利に返したのか?」
「ええ、城に立てこもって玉砕覚悟の鬼吉川と誰が戦いますか?」
「うむ、ぞっとせぬわ」
「そういうことです」
話がひと段落した頃合いで使い番が駆け込んできた。
「ご報告! 上州箕輪城にて北条高広殿謀反。合わせて新発田重家殿も呼応。背後には北条と内通した上杉景虎殿がいる模様。こちらは樋口兼続殿からの書状にて」
「よこせ」
「ふむふむ」
秀隆は信長の横から書状をのぞき込む。日ノ本ひろしと言えども、こんなことをして叩き切られないのは秀隆だけであろう。
「不識庵はいつごろ戻る?」
「間もなくでしょう」
「東は基本勘九郎に任す。五郎と六郎を付けよ」
「私も行ってよろしいので?」
「ならぬ。いい加減そなたも子離れせよ」
「へー…ところで、藤と政宗がいい仲であることはご存じで?」
「なにいいいいいいいいいいいい!?」
藤は信長の末娘である。今年14になり、嫁ぎ先を探そうとしていた矢先であった。
「まあ、家柄といい、本人の器量といい。良縁ではござらぬか?」
「あ奴には波を嫁がせ…」
「まておい、うちの娘をなんだと思ってやがる!?」
「やかましい! 貴様にはまだ虎がおるじゃろうが!」
「虎はまだ3歳だぞ!?」
「それくらいから許嫁がおるのは珍しくないわ!」
「うるせえ、俺がそんなことは許さん!」
「どやかましいわ! わしが一番偉いんじゃ!」
「あ、そう、そんなことを言うなら…俺隠居するよ?」
「なにっ!?」
「もう織田家とは無関係になって禄も返上して山に籠ってやる!」
「ま、まて、儂が悪かった!」
慌てて秀隆に詫びを入れる信長。こんな姿を見たら織田の支配権が揺らぐんじゃないかと本気で心配する近習とか小姓とか。鋼の忠誠心でこのことは一切外に漏らすまいと目線で語り合う。
というか、嫁にべたべたと甘える信長の姿も見られたものではない。だがまあ、魔王とか言われて畏怖される主君のそんな人間味のある姿に近習たちは好意を持っている。行為を望むほどに。
ひとまず兄弟喧嘩は収束した。というか喧嘩するほど仲がいいのだろう。
「本庄が持ちこたえているそうなので、景勝殿に後ろ巻きを」
「それはすぐに出したらしいな」
「上野には柴田を向かわせましょう」
「うむ」
「徳川殿にはそのまま駿河を攻めてもらいましょうか。九鬼と滝川を増援に出しましょう」
「よかろう」
このやり取りを見て近習たちは感嘆する。信長が他者の意見に即頷くことは極めて少ない。疑問や問題があれば即座に指摘し、そこで明確な返答がなければ叱責される。そして質問の言葉が極めて短い。その時その時で意図を汲んで話をしなければならず、人並み外れた有能さが求められるのだ。
秀隆に言わせると、「付き合いも長いし何を言いたいかは大体わかる」とさらっと言っていた。だが尾張から付き従っている重臣も叱責を受けることが珍しくない。秀隆の異質さはそういう意味で際立っていた。
相模国 小田原城
「どういうことじゃ!?」
北条氏政は怒声を上げた。織田に対抗すべく根回しを続けていたが、先日あった織田の馬揃え以降、言葉を濁す大名や国人が増えてきた。そして伊達、佐竹、最上が織田と結ぶことを通告してきたのである。同時に里見は佐竹と結ぶことで間接的に北条と敵対してきた。
「父上、何度も申し上げましたが無茶です」
「何がじゃ?」
「織田の国力は関東一円を治めた当家ですら大きく及びませぬ」
「ふん、上方のひょろひょろ武者に何ができる!」
「もはやそのような時代ではありませぬ。南無八幡台菩薩と唱えて弾が避けてはくれないのですよ!」
「貴様は根性が足りん! そんな今生では戦に勝てようはずがないわ!」
「根性で勝てりゃ苦労しねえんだよボケ親父!」
あまりの脳筋発言に氏直も切れる。馬揃えを目の当たりにした彼にはいまだ時代に取り残されている氏政がただの老害にしか見えなかった。だがいまだ権力は父の手にあり、父の意見が大勢を占めているのが実情である。
改めて重臣にも話したが全く聞き入れられず、氏直は自身の意見に賛同する若い世代を引き連れて、徳川を迎撃すると言って駿河に入り、そのまま徳川に投降した。
「六郎。孫氏は読んだか?」
「はい、この魏武の注釈は非常に興味深いです。観念的な言葉を実例を交えてわかりやすく解説しております」
「ならば問おう。軍の要はなんだ?」
「補給です。腹が減っては戦はできぬ。至言と思います」
「兵の要はなんだ?」
「物見と間者です。目隠しをしていてはいかなるいくさにも勝てませぬ」
「ならばよい。その二つを実行すれば相手が北条と言えど負けはない」
「はい!」
「尾張衆を率いて東海道を進む役割と聞いた。服部殿に話を通しておく」
「私の策はお見通しですか」
「兵の要を抜き、味方に付ければ良い。というか俺の息子としてはお前は出来が良すぎるな」
「何をおっしゃる。わたしは父上にはまだ及びもつきませんよ?」
「ま、そう思ってるならそれでいい。上を見れなくなったら人間終わりだしな」
「はい、いつかその背中に追いついて見せます!」
「ん、励め」
戦に向かう親子の別れはあっさりとしたものだった。
そして織田家の逆襲が始まる。北条の破滅は目先に迫っていた。
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