鉄張り軍船の威力

 天正4年10月。

 秀隆は信長に呼び出され岐阜にいた。領内の街道整備事業は尾張から始まって美濃を通過し、飛騨までの道路が開通し、繁栄の端緒につき始めた。また東西を結ぶ街道も信濃から遠江、美濃を通って近江、京への街道。

 尾張から海沿いの街道と、伊勢湾の海路、北伊勢から伊賀を抜け甲賀地方から近江安土へ。

 伊賀を横断し大和へ抜ける街道。さらに大和から河内、和泉へ抜け、堺への道路。

 堺の北には石山がありそこへの通路は大きく回り込む必要があるが、京から大和。大和から東西に抜ける街道を開いたことにより織田の分国内では物流が大きく発展した。

 また、秀隆が以前より取り組んでいた尾張、美濃での産業の発展二より一大生産拠点となった両国の商品はこの街道が販路となって各国に運ばれ織田家に莫大な富をもたらしたのである。


「おお、秀隆よ。ちと知恵を貸してくれぬか?」

「はい、どのような?」

「うむ。先日の天王寺の戦で我らは雑賀の鉄砲隊に大きな損害を与えた。要するに鉄砲隊は白兵戦に極めて弱い。そこを強化するすべを考えておるがなかなかの」

「ふむ、確かに肉薄されては脇差程度しか持っておりませんからな。それ以上の装備を持たせられませぬな」

「うむ…」

「あ、そうだ。こういうのはいかがでしょうか?」

「おう、申してみよ」

「筒先に留め金を付けそこに槍の穂先を付けます。銃剣といいます」

「…それじゃ!」

「国友の鍛冶に試作させましょう」

「そうだの。手配せよ」

「はっ!」

「ときに、九鬼の軍船はどうか?」

「海上の城のような船が出来上がっております。いったん尾張の港に入れますので、そうですな…来月には」

「うむ、遠江方面の水軍を集結させ、熊野灘に向かわせよ」

「手配を進めております。そういえば、どうも三好と毛利が仲たがいしたのか、安宅水軍がこちらになびいております」

「般若介がやったか」

「はい、蜂谷殿の功績ですな」

「うむ、よくやったと伝えおこう」

「毛利水軍の補給を断てば、石山の大きな根を枯らすことができます」

「まあ、水路を使った細々とした補給しかなくなるでな。万を超える番衆は養いきれまい」

「ですが、力攻めは雑賀、根來衆が邪魔です。紀州は徐々に調略を進めておりますのでこちらも海上を封鎖したうえで締め上げるべきでしょう」

「それも九鬼水軍の船あってこそじゃ。頼む」

「はっ、必ずや」


 本願寺を中心に張り巡らされた織田包囲網は、本願寺が中央で織田の戦力を足止めし、外部からほかの勢力が挟撃する、いわば規模の大きい後詰め戦のような様相を呈していた。

 東は上杉と一向宗が和睦し、謙信は上洛の動きを見せようとしている。西は毛利、三好が中国、四国から攻勢を試みる。

 丹波の波多野、赤井などの豪族を放棄させることにも成功した。これは毛利に身を寄せている義昭にもわずかながら影響力が残っていたことを意味する。錦の御旗の残滓に過ぎないが、顕如は使えるものは何でも使うつもりで、心血と、それに倍する資金を注いで包囲網を作り上げている。

 信長は軍事行動を起こしながら領内を発展させるという離れ業を演じた。商業路と、拠点となる街、港を押さえ物流を握ったことが大きい。税を下げ、物流そのものにかかるコストを大きく下げて商品の価格を下げさせる。同時に街道整備などの土木事業において報酬を銭で出すことで民衆に銭を持たせ、そこに物流を通すことで商売を活性化させる。

 まず与え、そして取るを実践した形である。信長の持論はこうあった。「銭の洪水は国を豊穣となす。その実りを織田が刈り取る」実際に内政の指揮を執ったのは秀隆である。人とモノが動けば銭が動き、それを活性化すれば必然と税収は上がるということである。

 12月、九鬼水軍が堺湊に集結した。見上げるほどの鉄張り軍船に見物人は度肝を抜かれた。長さ12~13間(21.8m~23.6m)、幅7間(12.7m)の大きさの船はまさに海上の城と言えるほどの大きさであり、それを見た信長は上機嫌で九鬼水軍の功績をたたえた。


 6隻の巨大船と大小の船を引き連れた艦隊は大阪湾に現れ、大砲によって本願寺を海側から砲撃した。小舟で迎撃に出てきた艦隊もひきつけての砲撃と、高所から放たれる鉄砲の射撃によって壊滅していく。

 翌日、毛利水軍が出撃してきた。払暁より機動力を生かして包囲し、鉄砲、火矢を射かけるが船体に張られた鉄板がそれを弾き返す。そして高所から放たれる銃撃と砲撃で、毛利水軍は一方的に蹂躙されてゆく。関船と呼ばれる大型船が次々と沈む有様を見た毛利水軍は士気を失い退却していった。

 この戦いを見て淡路の安宅水軍が降伏してきた。信長は安宅信康に淡路一国を安堵し、四国の三好一門への調略を命じた。


 こうして天正4年は暮れてゆく。織田家の支配はもはやゆるぎないものになりつつあった。

 しかし、時代が変わることそのものを憂う者もいる。本願寺は毛利との連絡を断ち切られ孤立を深める。北陸一向宗は浅井長政の前に連敗を重ねていた。そして、上杉は七尾城を落とせず退いたが、実は関東への出兵と見せかけ新発田の平定を優先していたようで、軍を率いて揚北衆を破って平定している。これにより後顧の憂いを断った謙信は年明けから七尾城を再度囲むつもりであった。

 七尾城は畠山国王丸が城主として入っているが、城代の長一族が実権を握っていた。家老の遊佐一族との内訌があり、七尾城が落ちるとすれば内部崩壊以外にないとすら言われている。

 長続連は弟の連龍を派遣し、織田の援兵を乞うていた。加賀から能登を平定すれば越中で飛騨から北上させた軍と合わせて上杉を挟撃できる。越中を奪えば、北信濃からの軍とで越後を攻められる。いくら謙信が戦術の妙を見せてもより大きな規模で戦場を見渡す信長はある種の割り切りをしていた。

 謙信に負けるのは仕方ない。だが謙信がいない場所では勝利を重ねる。こうすることで上杉の勢力を削り、弱体化させてゆくという戦略である。


 前年から上杉の勢力を削るため様々な調略を仕掛けているが、どの程度効果があるか、信長と秀隆は疑問視していた。まあ、うまくいったらもうけもの程度の手であったのである。

 年末、謙信は春日山で動員令を下した。年明けの出陣を命じた使者が上杉の分国を駆け巡っていった。

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