播磨からの使者
天正4年6月、畿内の情勢はいまだ混沌としていた。
天王寺の戦いの後、明智勢は丹波攻略を命じられた。それまで織田によしみを通じていた波多野氏が離反し、光秀はいったん兵を引いた。幾度となく黒井城を攻撃するが国人の結束が固くほころびができない。明智軍は悪戦苦闘を重ねてゆくこととなる。
長岡藤孝は丹後計略にかかっていた。こちらは若狭の丹羽の増援を得て順調に進んでいるようである。丹後が落ちれば丹波は袋の鼠となる。そうなれば光秀の攻略も順調に進むと思われた。
秀吉は岐阜に呼び出された。馬廻のみを率いて急行し、信長に拝謁すると、見慣れぬ青年が信長の横にいる。
「筑前、よく来た。ここなる者は小寺官兵衛という」
「お初にお目にかかります。拙者播磨は姫路城主小寺官兵衛と申します」
「おお、お主が今張良の官兵衛殿か」
「いや、そのような呼び名は面映ゆく…」
「筑前。西国攻めの先鋒の一人、お主に任す。播磨を従えよ」
「は…ははっ!?」
「丹波と丹後がまだごたついておるが、そこを押さえれば中国へ討ち入る」
「はいっ!」
「官兵衛、羽柴筑前を大将として迎えるよう家中と周辺豪族の根回しを命ずる」
「ははっ!」
「実際の討ち入りはまだ先になる、両名支度を怠らぬようにな」
「「はは!」」
信長のもとを辞去した二人は岐阜城の羽柴屋敷でさらに談合を重ねた。と言っても実際の段取りが決まるまでは書面でのやり取りとなるであろう。
「筑前様、これよりよろしくお願い申し上げます」
「官兵衛殿、儂こそよろしくの」
「ところで、お願いの義がありまして…」
「ん? なんじゃの?」
「はい、竹中半兵衛殿にお会いしとうござる」
「おお、左様か。なれば帰り際に長浜に立ち寄りなされ。半兵衛には儂から話しておくでの」
「ありがたき幸せにござる」
「ときに、秀隆様が気にされていたのだが、荒木がきな臭いと」
「伊丹から花隈、尼崎を押さえる荒木に背かれれば、播州で織田勢は立ち消えとなりかねませんな」
「うむ、先日の天王寺の戦で、あ奴は手柄を立て損ねたからの。援軍が来るまで本陣を守るとぬかした挙句、いざ援軍が来たら自分の受け持ちの砦に戻っりくさった。まあ、秀隆様が本願寺を北から牽制するようにと盟を下したのでそれに従ったとの言い分であるがの…」
「筑前様がそのようにお考えであれば、大殿も…?」
「大殿のお考えは儂ごときが推し量るものではない。じゃが、どうなるかいのう…?」
「なれば拙者の方でも情報を集めましょうぞ」
「おう、だが報告先は大殿へ頼む。んで、儂の指図じゃのうて官兵衛殿が自発的にやった働きとしなされ」
「それでは筑前様が…」
「なに、儂とて秀隆様に聞いた話をお主にしただけじゃ。それに大殿はしっかり儂の働きを見ていてくださるしな」
「そこまで…。いったい何があったか教えていただけますか?」
「うむ、大殿はの、儂の小者時代からの働きを逐一覚えていらっしゃった。それこそ、儂が忘れておったような細かいものすら、じゃ」
「なんと…」
「別に儂がひいきされているわけでないぞ? 柴田殿や丹羽殿、佐久間殿、明智殿も同様であった」
「それは…なんとも素晴らしきご主君にございますな」
「まあのう、じゃが、働きのすべてということは失策も忘れておられぬということじゃ。そういう意味では恐ろしきご主君であるな」
「むむ、ですが働きに応じて出自を問わずひいきなしで評価してくださるはなかなかできることではありませぬ」
「うん、まったくその通りじゃ。だからわしはこの命尽きるまで大殿のために働くと決めておる」
「左様にございますか。では拙者は筑前殿を手助けすることで、本日の大殿のご恩に報じるようにいたしましょう」
「あともう一つじゃ。儂を小者から引き立ててくださったは御舎弟の秀隆様じゃ」
「安房守様ですか?」
「そうじゃ。よって儂は大殿と同じだけの恩を秀隆様にいただいたと思うておる。官兵衛殿もそのつもりでな」
「ははっ!」
こうして秀吉と官兵衛の初顔合わせは終わった。のちに西国にその名を轟かす二人はここから歩み始めるのである。
ちなみに官兵衛は、半兵衛との面会で固まってまともに話すことができなかったという。憧れのスターに会った学生か?! と秀隆が突っ込んだのは余談である。
北陸は織田の攻勢を支えかねた加賀一向宗が上杉と和睦した。そのうえで加賀経由で上洛を目指す上杉軍は、後背を脅かす能登七尾城に攻めかかった。しかし堅城を攻めあぐねいったん兵を引いた。余力はまだあったようだが越中の兵站に不安を残しており、飛騨方面からの攻撃を警戒しているようだ。
その証拠というか内ケ島内理へ上杉の手が伸びていると姉小路頼綱から報告が入った。当人が報告してきたとの内容であったので、そのまま偽降を試みるよう指示は出したが、まああの謙信に通じるかは全く期待できない。春日山にも相応の兵が残っており、飯山への後詰めの体制もあると見える。上越の新発田、東北の最上、伊達にまで使者を出して上杉の牽制をしているが、こちらもどの程度効果があるかは全くの未知数であった。のちに秀隆が少しでも嫌がらせになればもうけものと身もふたもないことを言い放っている。
石山の情勢は落ち着いていた。野戦兵力を喪失した本願寺は籠城策による防衛に徹していた。陸路の補給線はほぼ遮断されており、海路に活路を見出している。そして、大規模な輸送船団を発見して、織田水軍がこれを撃滅せんと襲い掛かった。
その報を聞いた秀隆は瞑目し天を仰いだという。翌日来た使者の報は織田水軍のほぼ全滅という知らせであった。秀隆は翌日から九鬼水軍のもとを訪れ、軍船の建造の陣頭指揮を執り始めた。
石山を勢いづかせる戦果を放置したままであれば周辺の諸侯も動揺する。この戦果をひっくり返す大勝利が早急に求められるのだ。秀隆の焦りはそのまま信長の焦燥であり、九鬼義隆はプレッシャーで体重がげっそり落ちたらしい。
こうして史実より1年早く、鉄甲船による毛利水軍の殲滅戦が始まるのだった。
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