志賀の陣と長島願正寺

 長秀と藤吉郎の働きにより、南近江の交通路は回復した。それにより、信長に近江の現状が正確に伝わり、退却を決意する。あらかじめ明智十兵衛らを京に先行させ治安維持を行わせる。延暦寺の挙兵により京の情勢はひっ迫していた。だが秀隆の働きで宇佐山の失陥は免れ、京への防衛線は保たれている。


 元亀元年12月。信長は三好、本願寺とは将軍の権力を使って和睦し、宇佐山に入って延暦寺とにらみ合っていた。浅井は横山で敗退し、さらに北近江での影響力を減退させている。すでに小谷城近辺しか支配できていない。朝倉も若狭がほぼ勢力から離脱した。武藤氏が織田に降り、越前に連行していた若狭守護武田元明を奪回されていた。

 これは秀隆の手のものにより成し遂げられており、その実力を再確認した織田の重臣は改めて別の意味で逆らえない方だと震えあがる。

 具体的には、織田に懐柔された寺社ネットワークで、押し込められていた寺を割り出し、その寺自体も懐柔して元明を連れ出す。そのまま、河原者や山家者がまっとうではない、彼らだけがわかる経路を用いて、美濃に抜けた。

 秀隆の交易が多大な利益を上げているのは、彼らのようなネットワークを利用することで関所を荷抜けしていることが大きい。そして、他国から銭を吸い上げるのである。同時進行で食料の買い付けなどを行い、河原者への援助も行う。秀隆に餌付けされた彼らはさらにネットワークを広げ、その影響力を増大させる。具体的には九州から麦焼酎が作れる杜氏を引き抜いてくるレベルだった。

 義昭は二つ返事で元明を改めて若狭守護に任じ、朝倉の暴挙を非難した。せざるを得なかった。それにより、越前の国衆や土豪が動揺し、義景は国本に帰りたくて仕方がない。だが本願寺と延暦寺の手前それを言い出せないといった風情だ。


 ある日信長が切れた。

「帰蝶に会いたいぞ!」

「うるせえ、俺も嫁にどんだけあっていないと思ってやがる!」

「春先以来だこの野郎!」

 信長の怒声に秀隆がかぶせ、二人は本陣の陣幕でぼかすかと殴り合いを始める。

 それを見た藤吉郎も寧々に会いたいとぼやく。彼らの赴任地は最前線であるがゆえに妻子は岐阜におり、たまの休暇や報告で岐阜に上がるときにだけわずかな時間自宅で過ごすことができていた。

 そこに運悪くとばっちりを浴びる者がいる。

「てめえ十兵衛、妻子が京にいるお前はいいよな!?」

「秀隆殿。それはやつあたりでしょうか?」

「うるせい、そうされたくなかったらこの状況を何とかしやがれ!?」

「わかり申した。では主上におすがりし、覚如法親王へつなぎをとりましょうか」

「「それだ!」」

 十兵衛は、この兄弟、仲がいいなと寸分たがわず同時に応えた声を聞いて思った。少しの頭痛をこらえながら。

 公家に顔が利く十兵衛の工作により正親町天皇の奉書がくだされ、信長、朝倉、延暦寺の和議が成立した。宇佐山の備えとして十兵衛が在番で残されたのは若干の八つ当たりがあったのかもしれない。京に戻れるつもりでいた十兵衛がその命をきいて、若干涙目であった。尋子と妻の名をつぶやく十兵衛を部下が慰める。


 一方そのころ、尾張小木江城は長島から出てきた門徒勢に十重二十重に取り囲まれる。数にものを言わせて桑名では滝川勢が取り込められており、とても援軍が出せる状況ではない。

 信興は鉄砲隊を指揮し、弾幕で門徒勢をなぎ倒す。小城にそれほどの弾薬はあるまいと願正寺の坊官どもが門徒勢を扇動し、進めば極楽退けば地獄と煽り立て城にとりつかせる。襤褸をまとい乱髪をひもでくくり、素肌を晒したまま戦場に出てくる姿は狂気すら感じさせるものだった。

 武士は無駄死にを厭う。時には自らの命すら掛札にし、家運の繁盛を願う。しかし、犬死をすれば家運は傾く。それゆえ損害を一切顧みず、ただ突き進む門徒勢に恐怖を覚えるのだ。

 蟹江の滝川勢は桑名に在番しており援軍の望みはない。荒子の前田は利家のもとに郎党を出しており、手薄である。

 後ろ巻きの望みのないままに絶望的な籠城戦を戦う信興だったが、戦況は急激に好転した。

 九鬼の船団が現れ、海上から大鉄砲や大筒で願正寺に砲撃を始めた。それにより坊官が動揺する。本願寺の一門が入っている大寺である。万が一があってはとの思いにより腰が引け始めた。そこに蟹江と荒子の留守居部隊を糾合し、むしろ総動員して1000ほどの後ろ巻きの軍を編成した前田利益が大槍を振るい突入してくる。利益は滝川の一族で、前田家に養子にはいっていた。剛勇無双の猛者であるが、利家との折り合いが悪く荒子で留守居を申し付けられていたが、ここに活躍の機会を得た。利益の振るう槍先は血煙を上げ唸る。さしもの門徒勢も崩れたち、願正寺に向けて逃げ惑う。そして訓練された足軽と、農民に竹槍を持たせただけの兵の質の差が最もまずい形で出た。総大将の周辺の兵も逃げ散ってしまったのである。

 指揮を執っていた下間丹後は利益に一撃で首を吹き飛ばされていた。そこに合わせて小木江の城兵が出陣し門徒勢を蹴散らす。願正寺の門徒兵は多大な被害を出し、寺内に封じ込められたのだった。


 年内に何とか岐阜にたどり着いた信長は、3日間は子供たちと遊びほうけた。各地の戦闘すべてが大過なくしのぎ切っており、数年前からあちこちに出没していた秀隆の根回しが功を奏した形である。信長だけは秀隆が未来から来たことを知っており、先を見据えた策はかなりの確率で奏功している。

 場合によっては包囲網で袋叩きにあい、滅亡の憂き目すらありえた状況を想像すると今も胃のあたりに冷たいものが下りてくる。信長は秀隆を得た幸運を目に見えぬ何者かに感謝する思いだった。絶対に口には出すことはないだろうが。

 秀隆も年明けに生まれた次男を可愛がっていた。正室の桔梗が久しぶりに妊娠しており、尾張からそれなりに高齢な油売り夫妻が訪れている。彼らの孫も商家の仕事を覚えつつあり、尾張と京の山崎屋を往復して商売と情報収集言に勤めていた。秀隆は彼を表舞台に戻す時期を図っていたが、本人の希望でこのまま祖父の家業を継ぐことを希望しているため、その希望を容れていたのだった。


 開けて元亀二年。元亀騒乱と言われる一年の幕が開く。

 第一幕は織田家新年会の騒乱であった。

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